第42話/表 新たな脅威。
「さあ、急ごうじゃねえよ、津雲。お前がいきなり、『やらなきゃならないことがありますので』なんて言い出したから、わざわざ俺らの部屋まで戻ったんだぞ」
「そうだったかな、記憶に無いな」
「この野郎………」
実際、本当に記憶に無いのだけれど。
正直に言ったのに怒られるなんて、まったく理不尽な世の中だ。
「実際何をしに来たんだよ。済んだのか?」
「うん、多分ね」
「なんだそりゃ」
首を傾げる久野へ、実は僕も似たような気持ちだよと心のなかで答える。
ここへ何をしに来たのか。それは、僕にも解らない。解るのはきっと――彼女。
僕が夢の中で彼女になっているように。
彼女も夢の中で、僕になっているのではないか。
僕の
寮の地下への入り口は、勿論僕は知らない。久野だって、或いは他の人間だって、この寮に住んでいる人間は誰一人として知らないだろう。
知らせる必要がある人は、きっとここには住んでいない。寮に住んでいるのは要するに、所長にとっては労働力以外なんでもない、単なる
権限は無く、責任も無い。何より、それに疑問を抱かない。まあ、喋る実験器具くらいにしか考えていないだろう。
しかしだからこそ、僕らにはその見当が付いた。
一階の食堂脇にある、開かずの扉。
身分証明と暗証番号が必要である謎の扉こそが、今目指すべき地下への入り口だった。
「ま、怪しすぎるもんなあのドア」
「ふむ。疑われるようでは、危機管理は失敗だったか」
「まあ、誰も気にはしてなかったですけど」
だからこそのモブキャラだ。
好奇心なんか、彼らはまるで持ち合わせていない。周囲に何の疑問も持たずに、ただ日々を唯々諾々と過ごすだけだ。
僕らも気にはしていたが、行動を起こすほどではなかった。
ああ、妙なドアがあるなあと思った程度であるから、同レベルと言われれば反論の余地はない。
「これもまた、スミスさんの身分証で開けられるんですか?」
「いや」
「え?」
「誰の身分証でも開かないんだ、あそこは」
じゃあ、どうするのだろうか。
三階にある僕の部屋から階段を降りながら、僕らはやや呑気な会話を続けていた。
「というよりもな、あそこは誰の身分証でも開かないんだ」
「………ん、え、まさか………鍵は掛かって無いんですか?」
「そういうことだ。身分証を翳したり、適当な暗証番号を打ち込もうとすると逆にロックされる。そのままノブを回せば開くのさ」
「性格の悪い奴が考えたような仕組みだなそりゃ」
「考えたのは所長だ」
「天才的なひらめきだな、うん!」
「………………」
上手い手ではある。誰だってドアの横にこれ見よがしに身分照会のための機械があれば使うだろうし、ボタンがあれば押してみるだろう。押さずにドアを開けようとする者は多くない。
上手い手で、そして同時にずる賢い手だ。
そして――リスキーな手でもある。
何にせよ、開くのは詰まり簡単だ。だとすれば、何かの手違いで怪物が先に出てしまったなら………不味いことになる。
「まあ、そもそもの処理層からの排出口が制御されているからな。開けられはしない」
「それは、完全に開くフラグだろおっさん」
「あり得ん。排出口は、ノアの居る中央制御室で制御しているんだぞ? 中からはそもそも開ける機構が存在していないんだ。俺がこの通信機器でノアに開けさせない限り、開けることはできん」
自信満々といった風体で力強く頷くスミス氏。
ノシノシと廊下を階段を降りていくその背中を見ながら、僕と久野は顔を見合わせると、揃ってため息を吐いた。
今日日、これ程固いフラグは滅多に見られないな、と。
「………………そんな、馬鹿な。こんなこと、有り得るのか………?」
視界一面を埋め尽くす、青いモニター群。
研究所内全域と周辺を映し出しているそれらを見ながら、そこに生じている変化に、ノアは息を呑んだ。
「所長、聞こえますか? これは、怪物どころではありませんよ」
『何です? 怪物騒ぎは漸く収束の気配が見えてきたというのに………………』
「見てもらった方が早い。こちらへ来られますか?」
『………解りました、今すぐ向かいます』
「よろしくお願いします」
通信を切り、ノアは祈るように両手を組み合わせる。落ち着け、落ち着けと自らに言い聞かせながら、深呼吸を繰り返す。
動揺は英雄を殺す。
精神を落ち着かせないと、普段通りの動きが出来なくなる。戦場では普段通りの動きが出来なくなった奴から死んでいく。
砂漠の方で自分たちを指揮して、そして生き延びさせてくれた隊長の言葉だ。
「………そうだ、隊長にも………」
現在はスミスと名乗っている彼の顔を思い浮かべ、ノアは彼への報告が未だだったことに気付いた。
通信しようとして、止める。所長の時にも思ったことだが、こんなものは口では説明出来ない。見てもらう方が格段に早いのだ。
画像をメールに添付し、予想される原因を整理しながら、ノアはキーボードに指を走らせる。
熱中する彼は、背後で音もなく開いた中央制御室のドアに気付かない。
その背中をドアの隙間から、獣じみた荒い呼吸をこぼす何者かが、無機質な瞳で見詰めていたことにも、まったく気付かない――。
「………………馬鹿な」
スミス氏が漏らした感想は、ひどく短く、単純で、素っ気ないものだった。
もしもこれが最新映画のレポートだとしたら即刻クビであろう簡素な感想に、しかし僕らは感心せざるを得なかった。
それくらいしか言うことがないし。
それだけでも言えるのは、流石の胆力だったから。
僕らが降り立った、職員寮の一階、共同食堂。
その中には、百人以上もの人間が倒れていた。
生死に関しては、駆け寄って調べるまでもない。腕や足があらぬ方向に向いたまま咲いているこの花畑で、息がある者がいるわけがなかった。
食堂なだけに長テーブルや円卓が置かれていた筈の空間。何か強大な力で薙ぎ払われたらしくそれらは壁際で粉砕している。
そうして出来たスペースに、人が、所狭しとばかりに敷き詰められているのだ。
所々で突き出された腕。その先では、指が、助けを求めるように虚空を掻いたまま静止している。
所長によって、帰宅が制限されていた筈の、寮の住人だろう。
どういうわけだか帰ってきて、そして殺されたのだ。
地下に閉じ込められた筈の、怪物に。
筈、筈、筈。
大半が麻痺した頭で、それでも何とか考えながら、僕たちは漸く理解した。
僕らの考えなんてものが、どれ程不確かであやふやな推測に支えられていたのかを。
「そんな、こんな、馬鹿な………」
呆然と呟いたスミス氏。
一歩、また一歩、その足が惨状へと近付いていく。
ふと、僕は気付いた。
これだけの人が死んでいるのに――床には血が一滴も落ちていない。
血。
血液。
「っ、駄目です、スミスさん!!」
叫んだ声に、スミス氏はのろのろと振り返った。何かに打ちのめされた、虚ろな視線が僕を見て、僕の目を見て、そこに映っているであろう怪物を見た。
大柄なスミス氏。
その身の丈を遥かに越すほどの巨大な怪物が、音もなく身を起こすのを、見た。
その細く長い腕が鞭のように振るわれて。
悲鳴を上げる間も無く、振り返る暇も、勿論反応する暇さえなく、スミス氏の首は飛んだ。
ボールのようにバウンドしながら、その首が僕の足元に転がってきて、靴に当たって止まった。
「あ、あ、うわあぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!??」
余りにも唐突な、仲間の死。
絶叫する僕の目の前で、怪物は微かに笑ったような気がした――。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます