第41話/表 正気。

 たしか、ジャーキング、とか言うのだったか。

 ビクリと身体がひきつり、ひきつった感触で目が覚める。睡眠時の痙攣けいれん現象で、生活習慣が原因であるとも聞いた覚えがあるが、良く覚えてはいない。


 とにかく、身体がひきつった拍子に僕は目を覚ました。


 覚まして直ぐ、。誤用だったと、理解した。

 


 目の前には、二段ベッドとちょっとしたテーブル、やや大きなテレビ。飲み掛けのペットボトルと、口をクリップで留めたポテトチップスがだらしなく広がったテーブルには、リモコンが放り出されている。

 二日ぶりの、自室に僕は立っていたのだった。











 何故、こんなところに。

 僕の記憶によれば、現実はかなり切迫していた筈だ。怪物の出口を突き止めて、そこへ駆け付けるところという、映画ならばクライマックス直前間違いなしのシーンだった。わざわざ自分の部屋に戻ってくる必要は無い。

 ………いや、クライマックス直前で転んだのは僕だけれど。盛り上がりに水を差したのは僕自身なのだけれども。


 転んで気を失って、一先ず安全な部屋に運ばれたという訳ではない。だとしたら服くらい脱がされていたりするだろうし、手当もされている筈である。

 そもそも、僕の身体は怪我一つしていないようだ。気を失うほど打ち付けた頭でさえ、かすり傷も負っていない。


 怪我などしていない。

 だとすると、こんなところへ運ばれる理由もないわけで、けれどもここに確かにいるということは。


「………………………?」


 背筋が粟立つ、ぞっとする。あらゆる恐怖を表す単語で古今東西語り尽くされた恐怖が、僕の身に降り掛かってきたらしい。

 詰まりは――自我の混濁。

 己の意思でなく、己の意図もなく、己の身体が動作する現象。自分の手足が他者の糸で動かされるような、断裂する意識。

 記憶に無い言動を他人に指摘されたとき、或いはもっと単純に、目を開けたら見当違いの場所に立つ己に気が付いたとき。その恐怖は明確な形をもって心の奥底に君臨する。


 曰く――


 この世のあらゆる出来事よりも悲劇的なことは、己自身を信用できないことだ。

 狂気と正気との狭間に囚われた者は誰であれ考える。自分とは何だ、正気とは何だ、


 


 そんな、知性を揺さぶるような恐怖に直面して、僕は。


「………………便


 


 僕の脳裏には、あぁこれも夢ならば色んな事情が頭に浮かんで便利なのに、という程度の浅薄な感想である。

 動揺はない。恐怖もなく、疑念すらなかった。


 まぁ、こういうこともあるだろう。

 僕の内心を要約するのなら、そんな一言で済む。そんな、やる気の無い一言で済んでしまうのだ。


 誰よりも僕自身が驚いている。

 こんなとんでもない事態のただ中に置かれて、これほど凪いだ心でいられるなんて、どんな悟りの境地だ。

 全く、呆れるよ。肩を竦めながらため息を吐く僕の声に、僕は肩を竦めた。


 ――こんな常識はずれの大事件に驚かないなんて、全く感受性を司る機関が死んでいるんじゃないか? それともこれが今時の、いわゆる無感動な世代という奴かい?


 仕方がないじゃないか。僕の心の声に、僕はいちいち言い訳する。


 あらゆる正気に対する致命的な攻撃だと、僕にだって解っている。自我に迷うことは、進むことも戻ることも、立ち止まることさえ出来なくなるということなのだから。

 それでも、僕の心には驚きの欠片さえ見当たらない。

 何故か。その答えだって、僕にはすっかり解っているのだ。


 ドアを開けて、外に出る。ここにはもう、何の用事も無いのだから。


「お、津雲、もういいか?」

「あぁ。ありがとう」


 何のためにここに来たのか、尋ねようともせず、待っていた二人に僕は頷いた。

 久野悟。スミス氏。

 共に怪物退治を志す、主人公パーティーの一員だ。


「急ぎましょう、地下ですよね?」

「あぁ。ここで、終わらせるぞ」

「津雲、本当に大丈夫か?」


 くどいくらいに心配する友人に、僕は安心させるように微笑む。


 大丈夫か? あぁ、勿論大丈夫。

 ただちょっと――


 視界の隅で、白い服の少女が笑っているような気がした。

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