第33話/表 怪物、斯く生まれたり
大切なもの。
その言葉を、果たして所長はどの程度狙って発したのだろうか。
完全な偶然という可能性も勿論あるし、そしてそれと同率で、全てを承知の上での発言という可能性もまた存在する。寧ろ可能性としては、そちらの方が高いのではないか。
何もかもを承知の上で、所長はその単語を使ったのだ。そう思ってしまうほどには有り得ない一致だった。
「えーっと、すんません! 大切なもの、ってなんすか?」
固まった僕を見かねたのか、絶妙の間で久野が割り込んだ。「その辺も、黒木さんなら知ってるんでしょ?」
「えぇ、勿論ですよ久野さん。それは、誰もが一つは持っているもので、人生で最初の贈り物なんて言われますね」
「えー、なんだろ………スミスのおっさんは解るか?」
「………あぁ、多分。そうした説明をされる謎々の答えならな」
「流石はスミスさん。ですがしかし、ここは私に語らせてもらいますよ? 何せほら、これも見せ場というやつですからね」
「好きにしろ、なるべくシンプルにな」
「ええ、なるべく、ね」
所長は笑いながら、呆れた様子のスミス氏に「とはいえ」と続けた。
「ここは引っ張るところではありません。あんなビジュアル重視のモンスターの動機なんて、さっくり片付けたいのです私は」
「ビジュアル重視、だったか?」
「機能を追求するなら、別に人型にしないでしょう? 二足歩行なんて不合理です。単純な生物兵器なら微生物最強。飲み水に流し込んで終幕です」
「………腰を折ったな、本題を続けてくれ」
「? まぁ、良いですよ。怪物の動機はただ一つ。彼は、名前が欲しかったのです」
やはり、とスミス氏が頷いた。
それはそうだろう、人生で最初の贈り物といったら、大抵の場合それは名前の事を指す。
神様だって光、と先ず名付けた。名前は存在の証明であり、許可でもあるのだ。
………ぴんと来ていない様子の久野については、見なかったことにする。
「しかし、名前か。何だ、怪物は突然自我にでも目覚めたのか?」
「哲学的な自我の論争なら、すみませんが私門外漢です。………あ、門外美女です」
「本当に回りくどいな貴女は………」
「ただしこの場合、そんな高尚な話ではありませんよ。もっと根本的な話です。自我、という単語で分かりやすいのならばそれを使うとして、怪物は自我に目覚めたわけではありません。その真逆です。自我を脅かされたんですよ」
「脅かされた?」
スミス氏が困惑し、対称的に久野は理解の色を示した。
多分、こういうのは僕や久野といった、サイエンスフィクションが好物の人間の方が理解が用意だろう。
しかし、僕らは口を挟まない。見せ場、なのだそうだし。
「どういうことだ、所長。怪物が哲学的な難問にでもぶち当たったのか?」
「いいえ。簡単な話と言ったでしょう? 要するに怪物は不安になっただけ。自分が誰かと不安になったんですよ」
「なに?」
「最初の一人の話は、先程津雲さんがしてくれましたよね? 一人は確かに白沼博士だったのです。そして、次が混ざったときに、それは起こった――肉体的な混合だけではない。精神的にも、二人は混合してしまったのです」
部屋に、沈黙が落ちた。絨毯に沈み込むような、重い重い沈黙だった。
言われるまで想像していなかったスミス氏も、想像していた僕らでさえも、沈黙の海に溺れるほどだ。
「その時にはきっと、白沼博士が勝った。けれども次、その次と続いていくにつれ、問題は山と積まれていった。処理しきれない
「意識は、博士のものだったと?」
「いえ、そういうことではないのです。ただ、怪物には怪物なりの自分があって、そこに取り込んだ犠牲者たちの自己が覆い被さっていった、ということです。そして、六人目にしてそれは限界に達した」
「ボンッ、破裂っすね」
「その直前です。そして、怪物にはある記憶があった。白沼博士に造り出された、という記憶です。彼は、己の核が誰のものか、本能的に知っていたのですよ。だから――手に入れる事にした」
「親を越える、か。本来ならば、美談だがな」
「今回は悲劇でした。怪物にとっての越える方法は、結局のところ吸収しか有り得ないのですからね」
仮に何か、他の手段があったとしても、怪物は結局そうするしかなかっただろうけれど。
取り込んだ相手の、意識が混じってくる感覚。確固としていた筈の己が混合して混同され混濁するその感覚に晒されて、冷静な判断なんか出来るわけがない。
恐らく怪物は、一人喰らう毎に怪物になっていったのだ。見分けが付かないほどに塗り潰されていきながら、己の拠り所を他人に求めたのだろう。
そして、その最後には。
「………覚えていますか? 貴方の指摘した通り、怪物はエレベーターを使っています。それも、白沼博士を殺したあとから、です」
「博士を取り込んだことで、知性を得た………?」
「本能でしょうけれど。怪物は、自分と同じモノを見付けてしまった。最初には恐らく同族意識があったでしょうが、徐々に自己が上書きされていく危機と向き合う内、その存在が次第に疎ましくなったのです」
変わり行く自分と、変化しない自分と同じモノ。
鏡であれば、それは指針となったかもしれない。変化する前の己を思い出すための、灯台となり得たかもしれない。
だが、怪物にとってはそうならなかった。
怪物は、こう思ってしまったのだ――こいつを食べれば、元に戻れると。
そうして、怪物は実行した。
その果てに、怪物は何かを獲得したのだろうか。
獲得したのが知性であったとしたら、彼は何を思っただろうか。自らを造った者の半分の死体を見て、一体、何を感じたのだろうか。
「何故、そこまで解っていて放置したのだ?」
「先程も言いましたよ。私の研究のためです」
「化け物を生み出したんだぞ。それを、実用化するつもりか?」
「あらゆる科学に共通する事実ですよ、スミスさん。技術の発展は、人を殺すものです」
先程までとは種類の違う怒りを、スミス氏がたぎらせる。
義憤というやつだろう。僕らを囮にする事への抵抗感といい、彼は社会的に正しい人間のようである。
社会的に正しくない人間の象徴、所長は。
「私には、夢がある。言ったでしょう? あらゆる移植を可能にする、そんな夢が。そのためなら、どんな犠牲も厭わないつもりですよ」
笑みの消えた所長の顔は、思わずゾッとするほど恐ろしく美しい。
普段の愉悦に満ちた表情が嘘のように、一切の感情が抜け落ちたまっさらな瞳が、スミス氏を見つめ返す。
それは、決意だ。
護ることが本人にとって当然の堅い誓いであり、だからこそ、それを殊更思いを込めて主張することもない。
所長にとってその未来の到来は当たり前であり、絶対に到達すると決めた夢なのだ。
淡々と、更地の決意で所長は語る。自らの目指す、夢の話を。
「………私の父親は、昔、事故に遭ったんですよ。そして輸血の必要があったのですが………血液型が珍しくて、出来なかったのです。解りますか? 手術の失敗とか、搬送の手間とか、人的なミスでは無い。血が違うだけで、助からない命があるのです。そんな悲劇は、二度と起こさせたくはありません」
「輸血………」
その言葉は、僕と久野にとっても懐かしい言葉である。
僕らは、同じ血液型だった。
だから、助け合うことができた。
そうできないことだって、当たり前に有り得るのだ。
「技術的には、助けられた筈の命なのです。ただ単に、父の血液型のストックが足りなかっただけで。高望みをするつもりはありません。私はただ、そんな偶然の死を根絶したいだけなのです」
そのために、誰が死ぬことになろうとも。
静かに、所長は演説を締め括った。
人を助けたい。人を、殺してでも。
それは――果たして、
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