第32話/表 怪物。
「………どういうことだ、ツグモ。所長が、何もしていないだと?」
「多分、なんですが。所長の研究は、実際のところそこまでの段階には無かったのでは?」
「地下の処置室は何だ。あれは、失敗とはいえ多種の生命が繋がっていたぞ」
「失敗とはいえ、ということですよ。成功例は一つもない。詰まり、成功の目処は立っていなかったのではないか、ということです」
僕はちらりと所長を見る。
スミス氏の片腕に吊られながら、その顔には笑みが浮かんでいる。
呼吸は辛くないのだろうか、単純に、掴まれている痛みはないのか。そんな心配が馬鹿馬鹿しくなるような、自分の現状を鑑みることの無い、狂人の笑顔である。
背後の壁に飾られた、魔女狩りをモチーフとしたらしい油絵と良く似た構図でつまみ上げられながら、所長は僕を笑っている。
宿題を解いてきた生徒を、その発表を心待ちにする教師のように。
――先生?
あの、現実離れした美しい少女を思い出す。彼女もまた、どこか狂気的な人格だった。
僕は目を逸らし、彼女のデスクの上を眺める。
高そうな、白い陶器のマグカップに、デスクトップ型のパソコン。通信用のモニターが別にあり、その隣には充電コードと繋がった携帯端末が放置されている。
部屋と同様に整理の行き届いた、簡素なデスク。その端に置かれた写真立ての背中が、機能の中に人間味を出しているようだ。
所長らしい空間だ。社会のための研究と、自身の好みが反発せずに調和している。
「………………どうなんだ、所長」
「そこは津雲さんに尋ねるべきでは? 名探偵の見せ場でしょうから、獲っては可哀想ですよ?」
「………………根拠は、ノアさんの報告です」
スミス氏の睨みと、所長の期待に晒されて、僕は渋々口を開いた。
「怪物の構成を覚えていますか? 複数人、最低でも七人分の肉体が混在しているとのことでした」
「それは、事件の被害者だろう? 答えは出ていないが」
「えぇ、それはまず間違いないでしょうね。あの怪物は、殺された七人で造られていたのでしょう」
「だったら、」
「だからです」
僕の言葉にスミス氏は困惑し、所長は笑った。久野は――久野も楽しそうだった。
他人事だと思っているのだろう。気持ちは解る、僕らのような映画好きは、映画の主役をやりたがらないものなのだ。謎解きする名探偵などよりも、派手な演出に殺される方が楽しみなのである。
全く、ひどい話だ。久野は今、目の前で映画の撮影が始まったのと同じように、ただただ単純に楽しんでいるのだろう。………自分だって、気付いている癖に。
「回りくどいのはこの女だけで充分だ、ツグモ。簡潔に説明しろ」
「ひどーい」
「………………詰まりですね、スミスさん。貴方はこう言ってるんですよ、『七人を殺した犯人は、その七人で造られた化け物だ』とね。………おかしいでしょう? 犯人が七人の継ぎ接ぎなら、最初の一人は誰が殺したんですか?」
「っ!!」
そういうことだ。
今更、怪物が人を殺したという与太話を笑うことはないが、だとするとその始まりが疑問となる。
恐らく、殺した相手から血液や肉体を奪い取ったりして、最終的にあの姿になったのだろうが――とすると必ずいる筈なのだ。最初の一人、怪物の核となった何者かが。
「その誰かは、開発していた薬を使って実験を試みました。しかし、ごく初期の実験でそう簡単に人は使えない。とすると、恐らく彼は最も身近で、何かあっても訴えられる心配の無い人間を実験に使った筈」
スミス氏が、ゆっくりと所長から手を離した。僕の言葉が、その真意が染み渡るように、ゆっくりと。
所長はそれを当然とばかりに受け止めて、椅子に座り直した。
僕は、続ける。
「自分です。恋人を甦らせるために、その死体に自らの血を垂らし続けた男の話を知りませんか? 先ずは自分の肉体組織をサンプルにした筈。そうしてそれが、何らかの要因で暴走し、六人を殺した」
人は、人が思うほど悪辣にはなれないものだ。
必要であれば誰だって人を殺すが、必要がなければ殺すことは難しい。神が見ているかはともかく、自己批判の眼は常に己を見続けているのだ。
「犯人は誰か、それは彼ならば簡単に解る筈です。自分の身体だけでこっそり育てていた子犬が、突然数人分の質量に成長したのですからね。正に一目瞭然です」
「我々に、相談は………………」
「出来るわけがない、その犯人が残す痕跡は、他でもない自分の物なんですから」
スミス氏が一声唸る。
この怪物の、何よりも悪質な点はそこだ。彼が行う犯行は自分の思考とはかけ離れているが、それを行う肉体の組織は間違いなく自分自身なのである。
「
どちらかというならクローンやドッペルゲンガーか。
「さぞかし、本人は困ったろうね。犯人にされることは勿論だけど、捕まって研究内容が漏れるのも、ね」
スミス氏に伝えられなかった理由も、そこにある。
研究者は、自分の研究を命よりも大事にする。他の研究者にも知られたくないし、踏み荒らす無頼漢になど論外だ。
「そして同時に、僕が所長を無実と思う理由はそこなんです。所長がその事態をご存知だったなら、けしてスミス氏に知られることはしなかったでしょう」
「………そうだろうな。内々に処理しようとしただろう、恐らくは」
「詰まり、怪物を生み出した研究者は、例の七人の中にいるのです。そしてそんなことが可能な人物は、一人しかいないでしょう」
「白沼博士か!!」
そう。
犯人は最初から、殺された中にいたのだ。
「所長が、事態を何とか収めようとしたのは、自身の研究のためですね? 自分に先んじて実用化した博士の技術を、外に出す訳にはいかなかった」
「響きは良くないですけどね」
肩を竦める所長。
スミス氏の言うところの回りくどい言い方ではあるが、肯定と見ていいだろう。
「………………僕がここに来たのは、所長にその先を聞きたかったからです。………貴女は知っているんじゃないですか? 怪物の動機を」
そう。
それだけが、僕らにはけして解らないことなのだ。
僕らは怪物について、何もかもを知らない。所長も完璧とは言い難いが、その馴れ初めは知っている。
果たして、所長は微笑んだ。
答え合わせをする、先生のように。
「彼はね、津雲さん。――大切なものを手に入れようとしたんですよ」
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