第27話/表 行ってしまったモノ。

 部屋の捜索一分後、僕の脳裏に早くも浮かんだのは、【計画倒れ】の一言だった。


 澄みきってこそいないもののそれなりにクリアーになった視界には、なんとも簡素な室内の様子が映し出されている。

 足元には廊下と同じような金網と、廊下より遥かに多いパイプ群。

 部屋の半分にはモニターと計器がいくつも並び、壁を埋め尽くしている。表示されている数値やグラフは、僕には理解出来ない。一応全画面に【system all green】の文字が表示されているから、多分正常値なのだろう。


 機械の前には数脚の椅子とテーブルがあり、コンソールと書類、マグカップやきわどい雑誌などが乱雑に積み上がっている。ここで数値を見る者は、誰であれ退屈を噛み殺す必要があるようだ。


 そして、部屋の残り半分を占領しているのは、大きなタンク。

 処理槽なのだろう、ずんぐりとした、巨大などんぐり型の中央には覗き窓。

 いつだか幼い頃、親に連れられて行った遊園地のアトラクションで見た、潜水艦のような外見だ。中に入るハッチは、流石に見当たらないが。


『入りたいのでしたら、ほら、タンクの横の床に蓋があるでしょう? そこから入れますよ』

「いえ、入りたい訳じゃなくて………」

「入ることあるのかな………」

『詰まったりする可能性もあるでしょう? ダイバースーツ着ないと、多分死ぬので注意してくださいね』

「………………」


 僕らはため息を吐いて、首を振った。

 ただでさえ命の危機だというのに、これ以上余計な危険を増やしてたまるか。


「タンクの方には、特に何もなさそうだし、こっち探すか。津雲、お前テーブルのとこ頼むわ」

「あぁ、解った」


 とは言っても。


 テーブルといっても、コンソールを置くために無理矢理繋げた出っ張りのようなもので、普通の机みたいにスペースがあるわけではない。

 二、三個私物を置いたら、それでいっぱいになってしまう程度の幅だ。探索は、さして時間がかからない。不作だ。


 考えてみれば当たり前だが、こんな、計器を見るだけの職場にロープなんか有るわけがない。どれ程退屈だといっても、首を吊る程の事ではないだろうから。


「しかし、汚いな………」


 暇だったのなら、掃除でもすれば良いのに。

 雑誌をまとめるだけでも、かなりスペースが出来るだろう。要らないなら束ねて、捨てても良い。

 あぁ、束ねるものが無いんだったか。


 ざっと見るだけでも、正に玉石混交。


 重要そうな書類の間に雑誌が挟まり、積み上がるその山の横には蓋付きのマグカップ。ソーサーに乗っている、と思ったら、下敷きになっているのはDVDだ。

 タオルが妙に膨らんでいると思ったが、取り去ってみると大きな時計があった。

 高級そうな時計だ、お洒落なデザインの文字盤が良く磨かれたチタンの土台の上に鎮座し、僕の顔を映している。


 仕事中に時計が見えなくて、どうするのか。


 僕は何の気なしにそれを持ち上げる。

 けっこう重い。土台に僕の顔、その背後の室内が歪んで映り込み、倒れたを映し出した。


 嫌な眺めだ。映った僕の顔は不機嫌に眉を寄せて、それをテーブルに戻す。


『どうだ、見付かりそうか津雲?』

「難しいですね。ここは、作業のスペースしか無い。ロッカーすらありませんから。

 久野、そっちはどうだ?」

「駄目だな、何もない」

『参ったな………』

「そちらから見て、どうですか?」


 ため息を吐くスミス氏に、僕は尋ねる。

 モニターで俯瞰しているスミス氏たちなら、僕らの視界に無いものに、気が付く可能性もあるだろう。

 例えば、例の貯水タンクの裏とか、物理的に覗けないような所に何かあるかもしれない。


『残念だが、こちらからは何も。画像自体あまり鮮明ではないし、この場所のカメラは操作できるタイプではないようだ』

『まあ、こんなところを映すのに、そんな高性能なカメラ必要ありませんからね。経費削減です』

「うーん、とすると、どうするか………」


 キョロキョロと部屋を見回す久野。

 その視線が、一点で止まる。


「………、どうだ?」

「………………」


 久野の指先を追っていく。

 行き着いた先に、あったのは。


?」


 所長が言っていた、水槽に入るためのハッチと、その側に吊るされたダイバースーツだ。

 確かにあれは、素材としては頑丈だろうけれど。


「どうだろうな、縛ったとしても、ほどけちゃうんじゃないか?」

「いや、

「は?」


 首を傾げる僕に対して、久野が、凄い悪戯を思い付いた子供のように、にんまりと笑った。











「………………久野。僕は、君が時々馬鹿なんじゃないかと思うことがある。そうでないことは知っているけど、それでも、もしかして僕の認識が間違っていて、君は単なる馬鹿なんじゃないかと思うことがあるんだ」

「うるさいぞ、文句言う暇あれば、手伝え」

?」


 僕の、呆れた声での指摘の通り。

 久野は、


「遊びじゃねえよ、拘束だろ。ほら、拘束衣みたいな感じだよ」


 まあ、やりたいことは解る。

 ダイバースーツは一般的な人間サイズだ。腕を通さないで無理に着せれば、身体を動かせなくなるだろう。下手に縛るより、ほどける確率は少なくなる。


 ただ問題は――着せることが出来るか、だ。


 怪物は動かない。

 動かないのは、あと何分だ?


 いつ動くか解らない怪物を、抱き抱えて、ぴったりと貼り付くようなスーツを着せる。


「………………縛る方が、マシ」

「気持ちは解るけどな。これしかないだろ実際」

『残念だが、今回はクノの方が正しいぞツグモ。それに入れれば、ほとんど拘束は完璧だ』

「解るけど………それは、解るけど………」


 ダイバースーツを手に、僕と久野は怪物を見下ろしていた。

 怪物はぴくりとも動かない。ガスで眠っているのだろうが、目蓋がないから目は開いたままなので、その判断がつきづらいのだ。

 極端な話、寝た振りをしている可能性だってあるじゃあないか。もしそうだったら、のこのこ抱えた瞬間に僕らは死ぬ。


「けど、やらなきゃ無条件で死ぬぜ俺らは。それどころか、そいつがこっから出たら、ここは全滅だぞ。それでも良いのか?」

「その言い方は、卑怯じゃないかな………」


 解っている。

 解っているのだ、やらなきゃいけないということは。


 ただ、やりたくないだけだ。


「………あれ?」

「駄々をこねてんじゃねえって」

「いや、そうじゃなくてさ、久野。………?」

「え?」


 そう。

 僕らは、怪物のことを恐れていた。

 だから、怪物のことばかり警戒していた。僕も久野も、スミス氏も、所長もみんな、怪物が起き上がることだけを恐れていたのだ。


 だから、忘れていた。


 

 あった、過去形だ。

 見回す室内に、スミス氏の部下の身体は見当たらない。


「っ、スミスさん!?」

『待て録画を遡る、くそっ………………居たぞ、ハッチだ!!』


 僕らは同時に振り返った――居た。


 全身がぼろぼろで、足などあらぬ方向に曲がった、彼。

 千切れかけたその腕が、ハッチを持ち上げている。


「おい、そこはヤバイぜ、止めろ!」

「久野、違う、違うよ。あれは――!!」


 怪物、という言葉に反応したのか。

 彼が首を、ごりごりという音を鳴らしながら回した。

 その眼が、僕を見る。伽藍堂の、感情が欠片もない、ただ部品としての眼球が蠢いて、僕の方を見たのだ。


 その眼が、不意に真っ赤に染まった。

 黒目の部分どころじゃあない。水晶体も、眼窩に収まる何もかもが、赤く染まっていた。


 


「うっ………!?」


 血の涙、どころじゃあない。

 眼球が溶けて血になったように、鮮血が滝のようにあふれ出たのだ。

 いや、眼からだけではない。口、耳、鼻、毛穴も含めた肉体中の穴から、血が雨を降らしている。


 注ぐ先は、廃水施設。

 


「止めさせろ、久野! あの血は、多分まずい!」

「解ってるっての!!」


 久野が駆け寄り、彼にドロップキックをかました。

 無抵抗のままに吹き飛ばされた肉体は、数回バウンドして壁に激突し、動かなくなった。


「………何なんだ、何なんだよ、これは」


 上下逆さま、首の骨も折れたらしい人間の――死体。

 床に寝そべる、人を何人か継ぎ接ぎしたような怪物の――死体。


 どちらからも、生命は完全に居なくなっている。

 、僕は、直感的にそう思った。あの、不自然に溢れた血。あれは、あれこそがきっと。


 久野の呟きに、僕は首を振る。解らない、解らないが、しかし、一つの確信がある。


 。ここでの僕らの日常は、多分もう、戻っては来ない。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る