第16話/表 所長の研究

「拒絶反応には、急性のものと慢性のものがあります。そして、急性の方に関しては解決の目処は立っています」


 一先ず、僕らは小休止を取ることにした。

 散らかった部屋の中からパイプ椅子を持ち出すと、床のゴミを蹴散らして座る。


 スミス氏が、どさりとテーブルの上に何かを放り投げる。

 見ると、所長のものと同じ、軍などでも使うフラッシュライトだった。


「三本あった。そしてどうやら、唯一の武器だな」

「………武器?」

「最悪殴れる」

「ひゅう、笑える」


 固いクッションに腰を下ろすと、途端にずっしりと全身が重くなった。

 正味三十分程の探索に過ぎなかったが、慣れない場所で殺人犯を警戒しながら進むのは、予想以上に体力を使うらしい。すり減らした精神はともかく、肉体だけでも休めなければならないだろう。

 これでもう、ホラー映画で無駄だと思っていた小休止シーンを笑うことは出来ない。


 肉体が休む間、精神の消耗も回復させるなら、寝るかせめて眼を閉じるべきだが――あいにくと所長はそういう、繊細なタイプでは無いらしい。

 いや、それともこれも様式美お約束か。


「何しろ、免疫細胞による反応ですからね。抑制剤を使えば、それなりの成果は得られます。そんなことは、研究するまでもありません」


 それはそれで、暴論のような気がするけれど。

 とはいえ、言いたいことは解る――言いたい気持ちは、良く解る。

 目処の立った研究よりも、誰も漕ぎ出していない航路の開拓の方が楽しいものだ。何せ目処が立ったものは、いつか誰かが完成させる。それは、自分でなくとも良いものだ。


「私は、もっと根本的な問題を解決したかったのです。誰の、どんな臓器でも移植可能にするような、そんな技術を作りたかった」

「輸血とかも、ですか?」

「いえ」所長は一瞬笑顔を凍りつかせ、直ぐに復旧した。「流石に、血液型までは越えられそうもありません。………今のところは」


 言外に、いずれどうにかするつもりであることを匂わせながら、所長は胸を張る。


「その研究として、私と白沼博士はある薬品を研究していたのです。そして、白沼博士は

「そりゃあ、すげえっすね」

「けど、それととどういう関係があるのですか?」


 僕は写真を見る。

 今の話の内容は、確かに夢のような話だった。臓器移植における拒絶反応がゼロに出来るのなら、救われる命は相当多いだろう。ノーベル賞も、夢ではあるまい。


 だが、それとこの残酷な殺人事件との関係が見えない。

 企業スパイのようなものが、薬品を奪おうとしたのだとしても、これは明らかにやり過ぎオーバーキルだ。そもそも、素手でこんなことを出来る人間が居るわけがない。


 僕は、スミス氏の方に視線を向ける。

 腕を組んで退屈そうに所長の話を聞いていた彼は、僕の視線に気付くと、静かに首を振った。

 スミス氏も、どういうことかは知らないらしい。


「その通り、この事件、犯人のやり方は人間業じゃあありません」

「とするとやはり、薬品が関係あるのですね」


 例えば、飲むと筋肉がすごく増えるとか。

 ジキルとハイド、みたいな。

 久野が、不審そうに首を傾げる。


「ドーピングみたいな話か? 人力で、ここまで出来るのか?」

「脳のリミッターを解除して、というのなら、あれは俗説ですので。それほどの効果がある薬は、少なくとも私は知りませんね」


 違うのか。

 しかし先程、所長は僕のことを鋭いと評していた。

 薬が関係あるというのは、間違いないと思うのだが。


「………血液型の壁は越えられないと、言ったな」


 不意に、スミス氏がポツリと口を開いた。

 僕らの視線を受け止めると、「思い付いただけだが」と肩を竦める。


「例えば――?」

「っ!?」


 僕は、あんぐりと大きく口を開けた。

 久野も、似たような顔でスミス氏を見詰めている。それから僕と顔を見合わせ、同時に所長の方を見た。


 すがるような視線だったと、思う。


 否定してくれ、どうか、有り得ないと笑い飛ばしてくれ。僕らはそんな期待を込めて、所長を見たのだ。

 あぁしかし。

 人の夢と書いて儚いと読むように。

 基本的に、人の願いは叶わないものである。


 果たして所長は、ニヤリを大幅に通り越してニンマリと笑いながら。


「………新薬の基本ですよ、皆さん? 


 絶望を、告げた。











「誰の、どんな臓器でも。ふふ、これは詭弁なのですが。ミステリで『誰』が犯人か、となったとき。

「………バスカヴィルか」


 世界一有名な――諸説あると、あの灰色のベルギー人は言うだろうが――探偵小説の題名を、スミス氏が呼んだ。

 或いは、斑の紐か。

 どちらにせよ、この場合は該当しないが。


 。犯人だった訳じゃあない。


「………読者は、怒るでしょうね」

「俺は怒らねぇけど。面白いじゃん」

「君は何でも面白いって言うじゃないか」

「そうでもないぜ、あれとか最悪だった。シリーズ最新作かと思って買ったら、全然違ったし」

「あぁ。あれは僕、面白かったよ。………観たあとの君の顔が」

「ははは、ぶっ飛ばすぞ?」


 閑話休題。

 下らない、安っぽいチープなコントで精神を回復させつつ、僕らはため息を吐いた。


「もういいですか?」

「はい………」

「では続きを。

 移植におけるあらゆる障害を排除するということは、使い方によっては、その通り、人間とそれ以外とを混ぜることも可能かもしれません。いわゆる、合成獣キメラですね」


 ライオンに翼、あとはヘビか何かを混ぜた伝説上の生き物。


 各動物には、強みがある。

 腕力脚力視力に聴力、各々が生き延びるための力を持っているのだ。

 それを、混ぜることが出来るというのか。


「フランケンシュタインの怪物、か。ゴリラの腕でも移植したのかよ?」

「詳しくは、何とも。しかし、ゴリラは良い線かもしれませんねぇ」


 クスクスと笑いながら、すらりと長い足を組む所長。


「握力や腕力は、人間よりも遥かに優れていますからね。条件に合う動物の中では、有力なのでは?」


 黒いタイツと、その隙間から眼を背けつつ、僕は首を振る。


「………犯人、という風に所長は表現していましたね。ということは、少なくとも基本的には人間な筈ですよね?」

「その筈ですが。あいにくと私は、白沼博士がどの程度実験を進めていたかは知らないんですよね」

「で、でもよ、犯人はエレベーター使ったんだろ? なら、人間なんじゃないですか?」


 久野の指摘は、寧ろ嫌な方向への指摘だ。

 事実として、犯人はエレベーターを使った。そしてもう一つの事実として。

 


 怪物の腕力と、人間の頭脳。

 まさに、フランケンシュタインの怪物が実在している証明に他ならないのだ。


「………因みに。重要な事実が二つ、と言ったのは、覚えているか?」

「………言ってたな」


 聞きたくはないけど。

 僕らの抗議を無視して、スミス氏は、書類を更に一枚捲る。

 最後の写真は――


「この写真の、下。手書きの文字が見えるか?」

「………見えるな」


 読みたくは、無いけど。


 写真の下の余白。

 そこには、走り書きで短くこう書かれていた。


 ――奴は来たhe coming、と。


 僕は文字を見て、それから、テーブルの上に置かれた唯一の武器を見た。


「………………お先真っ暗だね」

「ライトなのにか?」


 久野が、珍しい感想を面白くないと言った。

 仕方がないじゃないか、何せ。


 笑えない話だ。

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