第15話/表 夢のような薬
僕らは、慎重に陣取った。
ドアは、廊下の丁度真ん中にある。どちらから来ても、程好い距離感があるのだ。
「津雲、お前はこっちな。俺はあっちの方の角だ」
そう言って久野が指し示したのは、僕らが来た方の角だ。
「………良いのかい?」
どう考えても、こっちの角は危険が少ない。僕らが来た道ということは、エレベーターホールからの一本道だ。
エレベーターを降りて、後ろから何者かが着いてきていることなど有り得ない。
首を傾げる僕に、久野はシニカルな笑みを浮かべた。
「だからだよ。俺の方が目耳は良いし、お前みたいに賢くない。お前は誰かが来たら説得しようとするかもしれないが、俺は違う。話す前にぶん殴るさ。それに………」
「それに?」
「お前は、お前の幻影を見てろ」
僕は、目を見開いた。
茶化すような、揶揄するような、もっとはっきり言ってしまえば嘲るような内容の言葉だ。
だが、そうでないことは久野の目を見れば解った。 彼は、まっすぐ僕の目を見詰めながら、真剣に、僕へ忠告していた。
「お前は、いい加減なことを言うような奴じゃあ無い。それは解ってる。けど、俺たちには見えなかった」
「それは………」
「良い。見間違えならその方が良い。けど、そうじゃなかったら? そこに本当に何かが居たとしたら、それを見たのはお前だけだ。
ホラー映画ならありがちだ。お前だけが見える幽霊。無視したら――ありがちな
「ありがちな?」
「決まってるでしょ、黒木さん。ホラー映画で一番ありふれていて、多く、欠かせないけど目を引かない役職だ。
――死体だ、黒木さん。そういう
だから、お前はこっちだ。
そう言う久野の真剣な顔を見ながら、僕も、出来る限り真剣な表情で答える。
「君の今の発言は、結構な死亡フラグだぞ」
「放っとけ馬鹿」
スミス氏が、ドアの前に就いた。
前後、二ヶ所を固める僕らに頷くと、そっとドアノブに手を掛ける。
緊迫のシーンだ。
パニック映画、或いはホラー映画を見る時のような気分。銀幕の向こう、黄金のチケットが無ければ超えられないような壁の向こうに居ながら、コーラとポップコーンをカップがひしゃげるほど握り締める、あの気分だ。
それが、今は目の前にある。そして隣には、アーノルド・シュワルツネッガーは居ないのだ。
知らず知らず僕は息を呑み、その瞬間に備える。廊下の向こうでは、多分、久野も同じ思いだろう。もしかしたら同じ映画を思い浮かべている可能性もある。
「………」
絶対にそんな事を思いもしていないであろうスミス氏が、一度だけ深く息を吸い込んだ。
ノブを、慎重に回す。手のひら大の金属が音もなく傾いていく。
スミス氏の空いた右手が、指を三本立てた。三、二、一。
「
スミス氏の巨体がドアにぶつかり、そのまま室内に突入する。
僕は久野と頷き合うと、素早くドアの両脇を挟み込んだ。まるで映画のようだ。と言うか、映画以外でこんなことをする経験は僕らにはない。
久野が左右を見回す。僕は、そっと開いたままのドアを覗き込んだ。
瞬間――首根っこを掴まれ、僕は言葉にならない悲鳴を上げた。
「津雲さん?!」
「津雲っ!」
「………落ち着け、俺だ」
やや呆れたような声にため息を織り交ぜながら、腕の主、スミス氏が顔を出した。
僕らはホッと、一様に息を吐いた。
「勘弁しろよな………おっさん」
「誰がおっさんだ。………入れ。一先ず、誰も居ない。少々心の準備は必要だがな?」
僕らは顔を見合わせ、それから代表するように、恐る恐る僕は口を開いた。
「R指定は?」
「黙れ」
「………うわ」
いろいろな感情が入り交じった末、僕は一言そう言った。
黒木所長も久野も、同じく言葉も無いようだった。無理もない。目に入った光景は、僕らの予想を逸脱していたのだ。
部屋は、荒らされていた。
それは良い。警備員の死さえ予想していた僕らだ、その程度のことは覚悟していた。
棚はいくつもが開け放たれ、中身は床に散乱している。
散らばるそれらが銃弾だというのは、少々予想外だった。何者かが押し入ったにせよ警備員が取り出したにせよ、銃弾を残しておく可能性は低い。
銃は人類史上、個人が携行する上では最高の武具だ。威力の話ではない、誰でも簡単に使えるという汎用性の点において、銃は他の追随を許さない。
女子供までもが、銃を握るだけで脅威になる。投げナイフのように熟練の技術も要らず、刀剣のように腕力も要らない。ただ、狙って撃てば良いだけだ。
唯一問題点を上げるとすれば、そのコスト――銃は銃である限り、一人を撃つのに一発の銃弾が確実に必要となる。
弾は貴重だ。
銃によって口径や種類は異なり、簡単には製造できない。銃を手に入れるなら、同時に弾丸を確保するのは当然だ。それも、出来る限りの量を。
「………書類や予備の身分証、マスターキーは置いてある」
僕とは違う棚を覗いていたスミス氏が、淡々と報告する。「妙だな」
「何を探してたのか、意味不明だな。何を持ち出したかったのか、これじゃあ全然解らないぜ」
「本人も、解らなかったのかも」
久野の言葉に、部屋を眺めていた所長の言葉に、僕と久野は顔を見合わせた。
「詰まり、何て言うか………これって、随分急いでいたんじゃないかなってことです」
「急いでた?」
「ここは、警備員しか入れない。だとすれば、間違いなく警備員は入ってますよね? そして彼らなら、そういう機密情報は必要としない。だから、置いていった」
「銃の方は………」
「そっちこそ、必要だった」スミス氏が後を引き継いだ。「そういうことか、くそっ」
僕と久野は、再び顔を見合わせるばかりだ。完全に、置いていかれている。
僕らの様子が面白いのか、所長は唇を歪めると、女性教師のようにピンと人差し指を立てた。
「詰まり。ここにいたのはやはり警備員です。そして彼らは、銃と弾薬を手に取り駆け出した――弾薬が零れ落ちることにも構わずに、握れるだけ握ってね」
「ついでにドアも閉め忘れた? 随分な慌てようですね」
「それだけの事態、ということだ。見ろ」
金属製のテーブル――どうも僕の拷問時に使われたものと似ている――の上に散らばる邪魔物を薙ぎ払って、スミス氏は何かの書類を放り出した。
テーブルに歩み寄ると、僕らは書類を見下ろす。そして、同時に息を呑む。
「これ――死体の写真か?」
久野の疑問は、僕にも良く解った。その写真は、正直に言って、何を撮したものだか判別できなかったのだ。
画面が、赤い。
恐らくは研究室を撮したものだと思うのだが、とにかく何もかもが赤いのだ。
部屋の中央には、一際赤い塊が見える。それを指差して、久野は死体と呼んだのだ。
「もしかして、白沼博士ですか?」
画面の端に映っている、見覚えのある消えかけの黒板を示しながら、僕は所長に尋ねる。
「その通りです。指紋も、血液もそうでした」
「残念ながら?」
「残念ながら………左側だけは」
そう。
映っていたのは、初老の男性の左半身だったのだ。
「ここまで来ると、怖くも何ともないな」
「確かにね」
「ホラーとスプラッタは、分けるべきだと思うんだ俺」
「確かにね」
二枚目は、白沼博士のアップだった――白沼博士
Lは僕らに空虚な瞳を向けながら、内面をさらけ出していた。相当鋭い刃で切断された、等ということもなく、断面はぐちゃぐちゃのピンク色。まるで、箸で切り分けたミートパイのような有り様である。
グロテスクではあるだろうが、ここまで度を越していると逆に作り物めいている。
「凄いな。何がって、ほら、映画とかの死体演出。あれって、キモくなりすぎないように、作り物だってバレないように、絶妙のリアルさで出来てるよなって」
「解る。そのせいかな、現実の方が、嘘っぽく見えるものだね」
「不謹慎だぞお前たち。その写真からは、重要な事実が二つ解る」
「………それに関しては、僕も聞きたいことがあったんです。所長、白沼博士は何を研究していたんですか?」
「何故?」
以前、重要な事実を、彼女は僕に話していた。非常に重要な事実、犯人の情報を。
「………所長、犯人は素手だと仰いましたよね?」
「………は?」
久野が目を丸くする。
「犯人は、人一人半分にしてんだぞ?! 素手? 阿呆か!」
「あぁ。どう見ても人間業じゃない。解るか、久野、人間業じゃあないんだ。
………所長、彼の研究内容は?」
僕と、それから久野。
二人分の視線に問い詰められて、所長は――ニヤリと笑った。
「彼の研究は、私の研究の補佐です。私の研究を実現するために、彼の研究は在った」
「その、中身は?」
「分かりやすく言うのなら、ある薬ですよ。人類史上、最も有益な薬。医学の夢、人々を救うための薬です」
彼女の顔は、まるで天使のような内容を語りながら、 悪魔のような笑みに彩られている。
僕は息を呑んだ。久野もだ。
「聞いたことがありませんか、ドラマや漫画、ゲーム。ありとあらゆる媒体で表現される、医療を主題とする空想で、その言葉は語られる。
あるときは、奇跡を演出するための計算された逆境の一つとして。
またあるときは、過去の悲劇を盛り上げる調味料として。
そしてあるときは、単純な悲劇として。
その単語は登場する」
「………」
「聞き覚えがあるでしょう? 拒絶反応です。白沼博士は、いえ、私は。それを無くす研究をしていました。
誰の、どんな臓器でも。移植可能にする技術を作ろうとしていたのですよ」
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