第10話/表 沈黙、退屈、そして進展。
「………ここで待てっていうことかな?」
警備員の無言の首肯を見て、僕はため息を吐いた。
狭い部屋だ。久野と共有している僕の私室や、それこそ白沼博士の研究室の半分くらいしか無い。
独房みたいだ、と僕は思った。それから直ぐ、首を振る。
独房よりもひどい、あっちは何しろ生活の場であり、ベッドだってあるのだから。
僕が連れてこられた部屋にあるのは、椅子と机だけ。良く見ると机は足が固定されていて、動かせない。
窓も、代わりのモニターもない。明かりが消えたら、時間の経過すら解らなくなるだろう。
そもそも、ここがどこかさえ解らない。
来る途中の廊下の風景は、地下一階も地上一階も同じだったし、恐らく全ての階に共通する眺めだろう。ドアの表札も、張り替えることくらいは簡単に出来る。
廊下の窓からは既に高く昇っていた太陽が見えたが、それだってもしかしたら、モニターに映し出された映像かもしれないし。
僕は椅子に腰掛けると、ドアへと首を向けた。
僕を連れてきた警備員、黒人の彼は腕を固く組み、ドアにもたれ掛かって僕の様子を見張っている。
出ていくかと思ったが、彼はそこに留まるようだった。元からそれが役目なのか、或いは、ここは殺人事件の容疑者を閉じ込めておくには頼り無いドアしか無いのか。
そこでふと閃いたが、もしかしたら、僕への気遣いという可能性もあるのではないか。
見たところ完全に外国人だが、さっき頷いてくれたことから日本語を理解できることは確実だ。
所長の再捜査にどれくらい時間が掛かるかは解らないが、その時間を独りで潰すのはやや骨だ。誰か一人、話し相手が居るだけでかなり楽になる。
僕は出来る限りの社交性を込めた笑顔を浮かべて、警備員に声を掛けた。
「いやあ、今回は大変でしたね」
「………」
「そういえば、あの、久野は? もう一人はどうなりましたか?」
「………」
「他の人が、見張りに? あいつは寂しがり屋で、お喋りだから大変でしょうね」
「………」
「そういえば、あの、お名前は? 僕は津雲日向と言いますが」
「………」
返答無し。
ドアにもたれた警備員は、拒絶するかのように腕を組んだまま、僕を睨むだけだ。
職務に忠実に、ひたすらに僕を見張るその姿にあぁ、と僕は理解した。
なるほど、道理で見覚えがあると思った。
ここは、警察の取調室に似ているのだ。
幾らかの時間が経った後、ガチャリ、と音がして、僕はドアへと視線を向けた。
非常に退屈な時間だった。
警備員に話し掛けては無視され、仕方がなく色々と考え事をして、結局ぼんやりと虚空を眺めるしか無い苦痛の時間。
それが終わるのならば、例えもう一度尋問が始まるのだとしても構わないとさえ思ったほどだ。
果たして、ドアの向こうから顔を見せた所長は、僕に微笑みかけてくれた。
僕の中で、黒木所長の笑顔には両極端な二つの意味合いがある。天国と地獄、苦痛と………良く考えたら苦痛しか無かった。すごいなこの人。
「お待たせしました、津雲さん。喜んでください」
「はい?」
「貴方の主張が、証明されましたよ」
警備員の横をすり抜け、所長は部屋に入ってきた。
何故か片手には、思い出深いフラッシュライトを握っている。まさか、あれで僕が喜ぶと思っているのだろうか。
久野じゃあるまいし。そんなわけ無いじゃないか。
「いや、俺だって喜ばねぇよ? お前俺を何だと思ってんだよ」
「えー、君は多分喜ぶよ。美人相手なら何されたって喜ぶタイプだよ」
「そんなわけ無いだろ、俺はどっちかっつうと相手を振り回すタイプだよ馬鹿」
「鏡を見てみなよ、そんな奴は映ってないから。………ところで、久野」
「あ?」
「何でここにいるのかな?」
所長に続いて入ってきたのは、僕と同じ青い作業着を僕より引き締まった身体に纏った、見慣れた男だ。
久野悟。我が悪友にして、僕がこんなところに居る原因の一つ。こいつが黒板の文字を不用意に消したから、こんな目にあってるんだぞ………。
僕の、じっとりと湿り気を帯びた視線に、久野は例のシニカルな笑みで答えた。
「何でって、決まってるだろ。黒木さんが迎えに来てくれたから、着いてきたんだよ」
「迎えに?」
「貴方と同じですよ、津雲さん。貴方が主張した件で進展があったので、お伝えと提案をしに来たのです」
「お伝えと………提案?」
「えぇ。ほら、貴方たちは友人なのでしょう? そういうときは二人揃った方が話が早いですからね」
僕と久野は顔を見合わせ、首を傾げた。
それから、昔からこういうときの常として、僕が質問することにした。
「進展というのは、どういうことですか?」
「エレベーターです。使用記録がありました、津雲さんの推理通り、下へ降りたようです」
「推理? お前なにそんな面白そうなことやってんだよ、俺にもやらせろよ」
是非あのときに聞きたかった言葉だ。
そんなにやりたかったなら、喜んで代わってやったとも。
取り敢えず無視して、僕は話を続ける。
「では、その身分証を調べれば犯人は解るんですよね?」
「それは無理でした」
「え?」
「使われたのは白沼博士の身分証でした」
なるほど、そういうことか。
これで無罪放免と思ったのだが、そうはいかないわけか。
肩を落とす僕らに対して、所長はニッコリと咲くように微笑んだ。
「悲観したものでもないですよ。寧ろ、他の人間の身分証を使うよりも、貴方たちにとっては幸運だったと言えるでしょう」
「………あぁ、そういうことですか」
白沼博士は、何者かに殺されている。
彼の身分証を使ったということは、その誰かさんは白沼博士の殺人に関与しているということだ。少なくとも、その死体とは面識がある筈である。
他の身分証の場合なら、単に用事があったという可能性もあるが、死人の身分証を使った奴が部外者とは考えにくい。何者かは知らないが、捕まえれば事件解決に大いに近付くだろう。
「上がった記録も、階段を使った記録もありませんから、未だ地下に居るでしょう。彼又は彼女を捕まえれば、貴方たちの無実は証明できるかもしれません」
「そこで、提案ですか」
「流石に話が早いですね。その通りです」
所長の手招きに応じて、警備員が部屋の中央に移動した。
一度だけ、不本意そうな視線で僕らを睥睨した後に、彼は、話すことが苦痛で堪らないとでもいうように重々しく口を開いた。
「現在、警備員三名が地下に降りている。私も降りたいところだが、私には君らを見張るという任務がある。………地下は広大だ。三人では手が足りないだろう、しかし、事情が事情だ。部外者に事情を説明して協力を仰ぐ訳にもいかない。そこで、だ」
「………僕らにも、同行しろと?」
「そうだ」
いいや、と言うような苦々しさで、警備員は頷いた。自身の信条と心情が、彼に素人を連れて殺人犯を追うことを躊躇わせているのだろう。
それでも、彼は頷いた。
詰まり、彼の感情を押し退けるほどの理由があるということだろう。例えば、雇い主に無理強いされたとか。
ちらり、と僕は所長に眼を向けた。
たおやかに、しとやかに、優しく知的に微笑む所長は、その実かなり手段を選ばないタイプだ。
どれだけ穏便に頼んだのかは知らないが、断りたいとは思えないだろう。
「勿論危険だ。だから、拒否することは構わない。その場合は私が安心するような手段をもって、君たちを拘束させてもらうが――」
「俺は行くぜ」
「………久野」
非難を込めて久野を睨むと、友人は、思ったよりも真剣そうな表情で僕の視線を受け止めた。
「そりゃ、面白そうとかはあるけどさ。それ以上に、俺たち、そいつに嵌められたってことだろ? お前の閃きがなきゃ、そいつの思った通りに俺たちは捕まって、当の犯人はのうのうと逃げ延びてたって訳だ」
「それは、」
「俺はな、津雲。他人の罠で人生狂わせるのは我慢ならねぇよ。もう二度とな」
「………」
僕は、小さくため息を吐いた。
正直なところ、こうなるだろうとは思っていた――久野ならそういうと思ったし、それに、僕だって気持ちは同じだ。
誰かの良いように人生を操られるのは、御免だ。
危険だろう。
相手は一人既に殺している。僕らを殺すのを躊躇うとは思えない。
出会ったら、ひょっとしたら死ぬかもしれない。
………それでも。
「………大人しく待ってるなんて展開は、僕の好きな映画には無いね」
「………」
警備員が、嫌そうに眉を寄せた。
所長は、嬉しそうに笑みを深めた。
久野の顔は………見るまでもない。
さて、それでは。
いざ
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