第6話/表 運搬目的、地下の風景
この研究所は、六階層から成っている。
勤務初日――今や遠い昔だ――に渡された書類によれば、地上五階地下一階という構成だ。
僕らが作業しているスペースは一階。
寮や食堂、コンビニなどの居住スペースは敷地内の別館にあり、基本的に僕ら名も無き作業員は他の階層に向かうことは無い。エレベーターはICカードによる認証が無ければ動かず、階段の入り口の扉も同じ要領でロックされているのだ。
幸い、名も無き雑用係にランク
行動範囲は拡がったが、自由時間は削られている。果たして僕は自由になったのか、それとも不自由になったのか。
「良いねぇ、なんつうか、エージェントっぽいよな」
エレベーター脇のモニターに身分証を翳しながら、久野が心底嬉しそうに笑った。
全く気軽な態度をしてくれるが、まあ、気持ちは解る。男なら誰だって、秘密基地や極秘諜報員に憧れるものだ。
けれど僕は技術といえばスチームパンク派で、近未来的テクノロジーにはあまり馴染みは無い。例えるなら、エージェントと言いながら久野が想像しているのはタロン・エガートンで、僕が想像するのはケヴィン・クラインだという話。
お互い、嫌いではないが。好みの終着点は別れるのだ。
一瞬のスキャニングの後、モニター上には無事『承認完了』の文字が浮かび上がった。
銀色の扉が音も無く開く。僕らは早速台車を押して、中へと入った。薬品を扱うのだから当たり前だが、床との間に段差が無く、台車はスムーズにエレベーター内へと入っていく。
僕らが入りきると、ドアは開いたときと同じ様に無音で閉じた。
同時に、ドア横のモニターが点灯する。
点滅しているのは、『
「閉じるは無いのかな」
「要らないんだろ、認証すれば人数は解るしな。それに、ほら」
久野が指差した所を見てみると、そこには『登場人数二人』という文字が。
体重か、それとも防犯カメラか。いずれにしろ何人が乗っているのかは解るらしい。
詰まり、二人分認証して二人乗れば、ドアは勝手に閉まるということだろう。そして緊急時用に、開く機能だけはあるわけだ。
「何もかも遠隔操作って訳じゃないんだな」
「SFホラーとか見たことあるだろ、そういうのは大体事故のもとだ」
「管理する人工知能ってやつか? 俺はミザリィ派だな」
「漫画だろそれ。今だとやっぱりレッドクイーンじゃないか?」
僕は慎重にハンドルから手を離すと、『地下一階』を押した。
エレベーターが動き始め、身体が独特の浮遊感に包まれる。
それはまるで、空を飛ぶような感覚だった。
「………着いたのか、これ?」
開いたドアの前で、久野は呆然と立ち尽くした。
モニターには、『地下一階』の文字が浮かんでいる。ついでに、『開く』も点灯中だ。
単純に、表示されている情報だけを見るのならそれは間違いない。
だが――友人の困惑は、僕にとっても共有できる困惑だった。
開いたドアの向こう。
広がる世界は、ドアが閉じる前と同じだ。
継ぎ目の無い白い床と壁、そこに射し込む夕陽まで、全てが同じ。
ここは、地下だぞ。
「あれ、もしかして窓じゃあないのか?」久野が台車を押しながら窓に近付き、そっと触れる。「………マジかよ」
「何、どうなってる?」
久野に比べると、僕の歩みは遅い。何せ台車が重いのだ、僕の腕力では、下手に加速すると止まれなくなる。
ちょっとした労力を払って近付いた僕の前で、久野は窓にかける圧力を増す。
すると、窓ガラスが歪んだ。
「これ全部、モニターだ。超薄型、多分、紙くらいの厚さだぞ」
「………本当だ」
そっと触れると、ガラスとは全く違う感触が返ってくる。
夕陽に照らされる山々という、地上で見たのと同じ景色が指の形に歪み、微かなノイズが窓を走った。
「研究員の精神衛生の為、かな?」
「だろうな。けど………こんなの、現実に付けるか?」
エレベーターホールからざっと見回すだけで、廊下は二方向約10メートルは続いている。
その片側の壁に60センチ程の間隔を置いて窓………いや、モニターがあるわけだ。枚数は、ざっと14枚くらいか?
その全てがモニターだとしたら? 費用は幾らだ? まさかとは思うが、廊下の全てにこれがあるのか?
「………豪勢だな」
久野の力無い声が響き。
僕らの背後で、エレベーターのドアが音も無く閉じた。
「地図とか無いか、日向」
キョロキョロと辺りを見回していた久野の言葉に、僕は首を捻る。
「見当たらないけど、何故?」
「いや、行き先がわかんねぇだろ。何だっけ、研究室のろの………」
「呂号六号室」台車の向きを変えるのに意識の大半を割きつつ、僕は答える。「近未来的な設備の割に、年季の入った部屋の名前だね」
太平洋戦争前の日本みたいな呼び名だ。名付けた人間は、中々ロマンに理解がある。
「そう、それだ。そこに行くまでの道を、調べないと………」
「何で?」
「何でって………え、お前、まさか?」
「………見たところ、エレベーターホール周りの地形は上と殆ど一緒だよ。窓の外の景色まで再現してるくらいだし、廊下と部屋の配置は同じと思って良いだろうね。とすると、上における呂号六号室の位置を当て嵌めれば、この階層においても場所は解るよ」
当たり前じゃあないか。
自分がそれなりの期間勤めることになる建物の間取りくらい、初日には覚える。
友人に変に格好付ける必要もない。素直にそう答えると、久野はひきつったような不気味な笑みを浮かべた。
「………お前のそういうとこ、頼もしい分恐ろしいわ………」
僕は再び首を捻る。
ピンと来ない僕に、久野は諦念の息をこぼした。やれやれ本当に仕方の無い奴だ、とでも言いたげなその眼には、僕としても文句があるのだが。
「まぁいい。とにかくさっさと届けて帰ろうぜ。夕食に間に合わなくなっても困るだろ」
「………それもそうだね、こっちだ」
「よろしく、
僕は久野の足を蹴飛ばした。
………僕の足が、痛かった。
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