第4話/表 作業中、雑談、禁忌
「また、教師の夢か」
「あぁ」
僕は久野と、横にならんで作業をしている。並んで座っているから友情が深まったのか、友人だから並べられたのかは解らないが。
横で、久野が笑う気配がした。
一々顔を上げて、そちらを見ることはしない。作業を止めるべきではないし、ミスをしても嫌だし、そもそも久野なら絶対に笑うだろうと思っていた。
左側の口の端だけをニイィッと吊り上げ、眼を細め、やれやれ君は仕方ないなぁとでも言いたげに、彼は肩を震わせているだろう。
「拗ねるなよ、想像がつかなかっただけさ。それとも、聞いたことは無かったが、お前もしかして教師に成りたかったのか?」
「まさか」
あれほど困難で、プライベートを削られ、諸々のリスクを孕みながらリターンの少ない職業を僕は知らない。
特に、夢の中は中学だ。多感な子どもの相手をするのは、勉強以前に疲れきるだろう。
「大学の教授とかなら、話は違うだろうけどね。それ以下の子どもの相手は、正直御免だよ」
「解らんぞ、潜在意識の中ではそう思っているかもしれんぜ?」
「洗剤?」
「無意識、ってことだ。夢ってのは、お前が無意識かで思っていることの具現だろう? 心の何処かに教師に憧れる気持ちがあって、それとかけ離れた現在を嘆いているって訳だ」
どうだ、と言った久野に、僕はため息を返した。
「どうと言われても。無意識というなら、僕の意識に解るわけ無いだろ」
「ま、確かに」
「それに、夢ってのは現実の記憶を整理してるんじゃないのか?」
脳は万能のコンピュータだ。
そもそもコンピュータ自体もそうだが、脳は記憶を忘れるということは無い。物理的に
瞬間記憶、という能力があるが、あれと同じことを実は誰の脳も行っている。目で見たものの全て、脳は残らず記憶しているのである。ただ、多くの人間の能力では、それを思い出せないだけだ。
例えるなら、画質の差だ。
どれだけ鮮明に記録したブルーレイディスクがあっても、再生先がアンティーク的なブラウン管テレビなら、映し出されるのは程ほどの映像に過ぎない。
全てを映し出せる媒体を持つ者、それが瞬間記憶能力者である。そしてそうでない者にとっても、買ったディスクは基本的には無くならない。
では、生きている限り
もしそのディスクを捨てないとしたら――勿論売却もゾンビに投げつけもしないとしたら――解決策は一つしかない。
ディスクの圧縮だ。
良く観る映画かそうでないかを分別し、良く観るものはそのままリビングにでも置けば良いし、そうでないがたまに観たくなるものは、手近な棚に詰め込む。そしてもし、向こう一年は観ないようなもの、或いは二度と目にも入れたくない代物は、用量を圧縮してディスクを纏めてしまうのだ。
今見ているこの記憶がプレデターなのかエイリアンと戦うのか、ヤクザが出てくるのかを見極める………もしそれが獣人プレデターなら、それは問答無用で捨てても良い。
こうした分別作業、それが夢を見るということだ。
「じゃあ何か、夢に出てくるものは、いつかお前が見たことだと? 夕陽が射し込む教室で、美少女の相談を受けた記憶があるのかお前は?」
「そうかも、覚えていないが」
「もしそうなら、俺はお前をロリコンで告発する」
「思想は罪じゃないし、そもそも僕はロリコンじゃあない。それより、僕が教師に憧れるっていう方が無理があるさ。だろ?」
僕も久野も、中学を卒業していない。
出会いの数は少ないが、それでも。そこで出会った教師の全てが、僕にとっては憧れからは程遠い存在だ。
「彼らにも事情があったんだろ」
「誰にだってあるさ。問題は優先順位だ」
「違うね、必要なのは要領の良ささ。同じことしてても良い悪いは出てくるだろ」
「何にせよ、お陰で僕らはこの始末だ」
ベルトコンベアーが動き、僕の目の前にステンレスのケースが運ばれてくる。
中で固定されているのは、緑色の液体が入ったガラスの瓶が六本。僕はそれを一本ずつ持ち上げ、頭上のランプに透かして見る。
特殊な光線を放つそのランプで、瓶の中身が見易くなった。そこに異物が浮いてないかチェックし、ケースに戻す。
以下、繰り返し。
「こんな仕事で、教師への憧れは生まれないさ」
「ま、そりゃそうだな」
学歴社会、というわけでもないが。
中卒の人間に、管理職への道は拓けないのだ。
僕と久野は、首都圏から少し外れたとある県の、山奥に勤めている。とある製薬会社の社長がとある目的のために設立した、私的な研究所の一作業員だ。
とある、が口癖のようだが、これはいわゆる機密保持というやつだ。
他企業からの干渉を防ぐためらしい。僕らはそれに関する誓約書も書かされたし、違反した場合の罰金額にも同意させられた。
別に構わない。僕も久野も、何やら映画のようだと逆に喜んだほどだ。
作業員は、僕らの部署としては十二人。
いくつ部署があるかは知らないが、研究所の大きさから見てこの十倍は人員が居ると思う。私的な研究に対して、結構な大盤振る舞いである。
「給料も良いしな。ある程度働いたら、あとは働かなくても済むかもな」
「退職出来るのかな、案外、口封じでもさせられるかも」
「馬鹿、契約書見たろ? 夏期休暇とか、旅行に行く場合、とか。色々あったろう。辞めさせる気がないなら、旅行なんてさせるわけ無い」
「どうかな、こんな怪しい薬を扱う怪しい仕事だよ。教師でなくとも、他に宛があればこんなとこ皆辞めてくさ」
「そうでもないさ、少なくとも、俺はな」
僕はチラリと、久野の方を見た。
久野は僕を見ていない。それどころか、手元のケースも見ていない。顔を上げて、例の知的な笑みを浮かべて、遠くを見ている。
彼のインテリぶった笑みを見ただけで、僕には、その視線の先に誰がいるのか予想することが出来た。
「お前には美少女、俺にはやっぱり、大人の女さ」
『注目っ!』
スピーカーからの音声に、久野以外の全員も顔を上げた。
十二人の視線の先で、白衣が翻る。
研究所の若き所長、黒木咲良の登壇であった。
『作業員の皆さん、お疲れ様です』
ハスキーな、けれども落ち着いた声だ。
僕らと大して変わらない年齢だろうに、十人以上の男性を前にうっすらと笑みを浮かべる余裕のある様は、僕らとは違う支配者の才能を感じさせる。
黒髪を一本に纏め、縁の無い眼鏡。
白衣の下には黒いパンツにブラウスという、飾り気の無い服装。
それでも、端整な顔立ちと均整の取れた肢体は魅力的だ。
「君の理由は、判りやすいな」
「俺だけじゃないだろ」
ニヤニヤと笑みを浮かべながら彼女を見詰める久野に、僕は肩を竦めた。
作業スペースの奥、強化ガラスの向こうで、黒木所長は何かの資料を手に頷いた。
『区分Bの皆さん、作業のペースが他所よりもかなり優れていると聞きました。ありがとうございます』
「いよっし!」
久野がガッツポーズをした。
止めろ恥ずかしい、と言おうとして、周りの作業員も全て同じことをしていることに気が付いて、止めた。
モチベーションが上がるのなら、誰にとっても良いことだろうし。
『この調子で作業を進めていただけることを、期待します。ただし、事故の無いように』
「任せてください!」
「止めろ恥ずかしい」
叫んで敬礼した久野を、僕は叩いて止めた。
しかし、時既に遅し。
周りの皆がこちらを見て驚いていて、しかも、黒木所長まで僕らを見ていた。
注目されるのは、苦手だ。
『元気ですね、良いことです』
黒木所長はクスリと笑っていた。
久野は子どものようにはしゃいでいるし、全く、恥ずかしい限りである。
『えっと………久野悟さん、ですね。それと、
げ、と僕は漏らした。
久野の反応は、もう見たくもない。
周囲から酷く鋭い視線が、僕らの方へ向けられている。
………こんな閉鎖空間での作業だ、周囲から疎まれるのは、困るし危険だ。
『お二人の作業ペースは好調です、是非これからも頑張ってください』
僕の内心を無視するかのように、黒木所長は火に油を注いで、退出していった。くそ。
浮かれる久野を睨み付けていると、ベテランの作業員が僕らのデスクに近付いてきた。
その目付き、あぁ、嫌な予感がする。
「………久野、津雲。お前らに追加作業がある」
ほら見ろ。
注目されるのは、こういうことがあるから嫌いなのだ。目立たず、大人しく、静かに生きていくのが幸福なのだ。
作業員に睨まれながら、僕は大きなため息を吐いた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます