第3話闇の入口

 平日の水曜日は病院の日、そして最近は祖母を見舞うことにしている。


 この日はとことんついていなかった。


 学校に行き、授業を二つ受けた所で薬の飲み忘れに気が付いた。


 現金なもんで、薬を飲まなくても飲んでいないことに気付かないうちはぴんぴんしているのに、飲み忘れたと思った途端、頭痛がしてどこか気持ち悪い。くらくらする。


 病院の日はきっちり予約の時間が決まっているので早く行っても待つだけだが、僕は少しでも良い空気を吸う為に早退届を出した。学校なんて具合悪い時にいる場所ではない。


 スクールバスはまだ動かないので、近くのバス停まで歩いた。信号が赤になる度に目眩を起こしそうだ。


 駅に着き、列車を乗り継ぎ、目的の駅まで数十分。改札から出た僕は人の波に逆らうように左折した。病院はすぐ目の前にある。


 ロビーに並ぶちまちました椅子の一つに座り、名前を呼ばれるのをひたすら待った。油断した。居眠りをしていて、隣の人の肩にぶつかってしまった。名前を呼ばれた時にはロビーはなかなかの混み具合であった。


 会計を済ませ、ロビーを通り抜けようとすると後ろからつんつんつつかれて、振り返る。


「ふふ」


 麦わら帽子を被った彼女がいた。長髪がいつもよりも滑らかに肩から下へと流れているような気がする。


 微笑む唇は変わらず愛らしい。


 僕は唇から目をそらした。すると、なんだか彼女の目から視線をそらしたようになってしまった。


「あ、目をそらした。前のこと、気にしてる?」


「気にしてな……」


 言葉を言い終える前に彼女をもう一度見て、僕は固まった。


 ミニスカートだ、と思った。今更だけれど。


 気にしないのは無理というものだ。


「あのね、今日はちょっと頑張っておしゃれしたの」


 彼女が一回転したので、周りの人が驚いたように見る。


 僕は何て言ったらいいかわからない。ファッションに疎い僕でも魅力的なのは一目でわかる。


「ね、行こう」


 彼女は僕の手を取った。


「どこへ?」


「お洋服を見て、雑貨を見て、好きな本も見たいな。あ、でもその前におばあちゃんの所、かな?」


「ちょうど今から行くところだよ」


「良かったー。私、おばあちゃん優しくていいなあって思っていたんだ」


 彼女のお祖母さんは随分前に亡くなっているらしい。彼女が覚えていないくらい昔の話であるそうだ。


「お洒落だねえ」


 祖母は彼女のことをにこにこと出迎えた。


「これからデートなんです」


 僕はまたもらって食べているプリンを吐きそうになった。


「大丈夫?」


 大丈夫も何も、君は結構強引だなあ。


「いいねえ、お若い人達は」


 祖母は僕と彼女がプリンを食べ終えるのをにこにこして見守っていた。


「いいね、おばあちゃん」


「そうだね」


 僕はなんとなくしんみりとして、彼女の横を歩いた。


「さあ!」


 しんみりは長くは続かない。僕の腕をつかんだ彼女がそれを証明している。


「外に行こう!」


 彼女があんまり嬉しそうに微笑むので、僕は薬を買うことを忘れることにした。明日買えばいいや。


 僕は駅前のショッピングモールに行くものだと思っていたが、彼女は違うらしかった。


「デートなの、デート!」


「声が大きいよ」


 恥ずかしくてつい彼女をたしなめる。


「街へ行こう」


 一駅列車に乗れば彼女の言う街である。


 広い改札を出て僕は彼女に問う。


「さて、どこに行くの?」


「どこでも!」


 彼女は僕の腕を引っ張った。僕はなんだかんだでされるがままだ。彼女があまりに強く腕を握るので、時々、腕が体に当たり、ドキンとした。


 改札前の観光コーナーで名産品や地域で手作りされたパンを一緒に見た。ベーグルを前に彼女は僕をその光の宿る瞳で強く見つめた。なんだろうと思うと、彼女は頬を膨らませる。


「清信君、どうしてわからないかなあ」


 僕は頭の中がハテナで一杯になった。彼女の言いたいことをよく考える。


 ふふふ、と彼女は笑った。


「清信君の顔、面白ーい。仁王像みたい」


「仁王像みたいってどういうこと?」


「こっちこっち」


 ふふふ、と彼女は笑い続けた。なんだかいい気持ちだった。


「本を見るんじゃなかったの?」


「いいの、いいの」


 僕達は地下街を歩いた。途中途中にある手作り品のフリーマーケットで彼女ははしゃいだ。ほら、あのライオンのぬいぐるみ、とか彼女は品物を指差して見せた。その度にふふふと彼女は笑う。どうにも僕のイメージは仁王像で定着してしまったらしい。


「あー楽しかった」


 地上に出るともう夕暮れの予感がした。ビルとビルの隙間にある公園から空を見上げた。


「あのね」


 僕らはベンチに座っていた。向かいのベンチは密着した大人の男女がうっとりとどこかあらぬ方を見ている。


 彼女の瞳がきらきら揺れた。まただ。僕は仁王像になっているに違いない。


「もう」


 俯いて今度は笑わない彼女に胸がズキズキと痛んだ。


 帰り道、僕らは静かだった。楽しさはどこかに行ってしまったんだ。ビルが後ろに遠ざかる列車の中で、僕は深刻な思いに沈んだ。


 病院の前まで来て、じゃあ、と言うと彼女が大きな声で『待って』と言った。


「もう一度だけ屋上に行こう?」


「入っていいのかな?」


「大丈夫、静かにしたら」


 彼女に言われるがまま、そっと階段を上り屋上の扉を開いた。今日はこの前よりも風が冷たい。日は沈み、雲がうっすらと所々薄紫に染まっていた。


「ね」


 今日は星が見えないけれど、星を一杯詰めたような、彼女の瞳を見ると僕は何をすべきかわかる。指先が彼女に伸びる。彼女の頬は温かだろうと僕は想像した。


 ところが、指先は僕がもう一歩前に進まなくては彼女まで届かない距離にあった。


 もう、一歩。もう一歩だから。


 僕は瞳で彼女を見つめ返した。今しかない。そのタイミングで横の扉が開いた。


「あなた達何をしているの!」


 服装からして、看護師だとわかった。


 大人のその人は僕らの間に入り、彼女を抱きしめ、僕は押しのけられた。


「こんなに冷たくして」


 労るような物言いと行動で、僕は嫌な予感がした。


 目の前の、彼女は。何故、彼女が病院にいるのか。


「あなたは早く帰りなさい」


 目の前で扉が閉まる。彼女の瞳が消えていく。


 僕の夢が壊れたような音をたて、扉は動かなくなった。

 


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