第28話 考えるな
オーソドックスなハート形。
味見をしたら、これちょっと飲み物がほしくなるかも? って思うくらいパサつく感触が素人っぽいけど、舞伽様のために作ったクッキーを舞伽様に教えてもらったキャンディラッピングで包みカバンの底に忍ばせて学校へ向かった。
今日もみんなは文果から数メートル離れてそれぞれにグループを作っている。文果を囲んだドーナツ現象が起きていた。
私の隣にいた美波がドーナツを崩す。
「文果、おはよう」
有砂も続いた。
「おはようにゃん」
ずっと仲の良かった千愛里と夏帆は、美波の「おはよう」の声に合わせて「夏帆ー、これ見てー」「わあ、かわいい! どこで買ったの?」とうさぎのストラップをチラつかせながら聞こえない振りをする。
友達って何だろう。彼女たちの間に割り込む理由もなく、立ち止まってしまう。
のーちゃん、私どうしたらいい?
のーちゃんを探す。のーちゃんはドアの上あたりで浮いていた。
教室に入ってきたのは未来ちゃんだった。
文果? それとも千愛里と夏帆? 未来ちゃんはどっちにつくんだろう。
未来ちゃんは一瞬立ち止まり、辺りを見渡すと、真っ直ぐこちらに歩いてきた。
「初音ちゃん、おはよ」
未来ちゃん?
教室ではあまり話しかけてこない未来ちゃんが、今日に限って「おはよう」と声をかけてくる。
「おはよー未来ちゃん」
未来ちゃんに乗っかった。
「今日はがんばってね」
昨日ここだけの話のついでに舞伽様の家に行くことを告げたとき、未来ちゃんは目を伏せ頷いた。「舞伽様グループどうなっちゃうんだろう」未来ちゃんの声が脳内にこだまする。
「文果、初音ちゃんから聞いた。今日、行くんでしょ?」
未来ちゃんにひっぱられるように文果の席へ足を向けた。
「舞伽様が大切だから」
窓からそよぐまろやかな風に、文果の髪がたなびいた。
「大切なのは、舞伽様だけ?」
未来ちゃんの黒髪もサラサラと宙を舞う。
文果はたじろぎもなく、凛として顔を上げた。
二人の間には隙間のない空気が漂い、じっと見つめ合った。
上履きを下駄箱に入れて靴を履く。
ここで待ってればいいかな。
玄関脇のベンチに腰掛ける。
片方で運動靴を、もう片方で上着に腕を通しながら、部活へ急ぐ二年生。きちんと履けていない靴の摩擦音が笑い声と共に行き交う。
微かに響く応援歌。ひねくれた管楽器の音色。窓に映る紺色の制服が波のように寄せては返している。
舞伽様に何を伝えればいいんだろう。
ぼやけた紺色の行き交う波を見つめながら、ここまで来て不安になる。とにかく行くしかないんだ。
「ちょっと用事済ませてから行くから、玄関で待ってて」
波はいつしか静かに止み、遠くの応援歌と屈折した楽器音が耳に残る。
文果に言われ、待ってはいるけれど、なかなか姿を見せてくれない。
「へったくそな音だな」
振り向くと倉橋が首を上げ、呟いていた。
音楽室から聞こえてくる屈折音。
「練習だからね」
「まあな」
「もう帰り?」
「帰ってからジム」
「そっか」
よそよそしい会話が続いた。会話が途切れると聞こえてくる練習音。
「今日、磯崎さんち行くんだろ?」
「う……ん……文果待ち」
舞伽様にどう伝えたらいいのか、そればかりを考えてしまう。今日のことなのに。はりきってクッキー作ったまでは良かったけど……。
「水島と磯崎さんの問題だからな」
「え?」
「初音は、そのままでいいんじゃね?」
「そのままって?」
「何も考えなくて……思ったこと言えばいいんじゃね?」
何も考えなくて?
「何も考えてねえんだろ?」
「考えてるよ、答えが見つからないだけ」
「だから、考えるな」
「考えるなって……考えるでしょ、普通」
「だから、何もない初音でいいんじゃね?」
なにそれ? 何もないって。なーんか、なーんか、なーんか……なの。
「まずは見守って、それで感じたことあったら、伝えればいい」
「うーん」
「だから今は考えるな」
「わかった」
プーワー。
音楽室から流れ出る屈折音は、狐につままれたような、狸に化かされたような、不思議な余韻を残し鳴り渡っていた。
「じゃ、な」
倉橋が片手を挙げた……。
あれ? のーちゃん?
のーちゃんが倉橋の肩にひっつき、そのまま遠くなる。
のーちゃんはこっち!
心でそう叫んでみる。
倉橋が小さくなる。
のーちゃんも小さくなる。
え? え? え?
舞伽様の家。そうか。のーちゃんにとっては、諒さんの家。自分のせいでって……。
行きたくないんだね。でも、行かなきゃ。のーちゃんも行かなきゃ。
私はのーちゃんを追いかけた。
「倉橋ー」
振り向いた倉橋の肩先にのーちゃんは、しがみつくようにピッタリくっついていた。
「なんだよ」
どうしよう、何も考えてなかった。なんで追いかけて来たって言おう。のーちゃんがなんて言えない。
のーちゃんにも伝わるように。
「あ、あの……真雪さんのためにも、あの……がんばるから」
倉橋は苦虫をつぶしたような顔をして立ち止まり、「だから、がんばらなくっていいから、初音らしく行け」と言った。
「わ、わかった」
もう一度告げて、のーちゃんを見た。
おいで、こっち。大丈夫。私も一緒。
のーちゃんに心で訴える。
のーちゃんはヒューンと私の後ろにまわった。
良かった。
今度は倉橋が不可解な顔をして鼻で笑った。
「ごめん、呼び止めて、またね」
「またな」
焦りまくった心臓音と、「初音らしく」っていう言葉が、体中で何度も繰り返される。私はそのまま校門のけやきを過ぎてゆく倉橋の背中を見送った。
そういえば文果はまだかな?
心配になって、来た道を走り、もう一度上履きを履いた。
「いつまで腐った顔してんだよ。言いたいことがあるなら言えよ」
文果?
教室の後ろで文果が腕組みしながら誰かに訴えていた。すぐそばに千愛里と夏帆が首をすくめて小さくなっていた。
「ゴメン、いろいろ聞いて、どうしていのかわからなかったから」
「知らないことばっかりだったから」
千愛里と夏帆は交互に言い訳をする。
「うすうすは気づいてたんだろ? 舞伽様の指示だって」
「それは……」
二人は顔を見合わせ目で頷いた。
私は教室の入口でのーちゃんと一緒に動けずにいた。
「あのさ、よく聞けよ。あたし、これから、舞伽様の家に行ってくる。これからは嫌なこと頼まれても受けないから。千愛里と夏帆にも、無理させない。だから、もし可能なら、舞伽様とあたしを許してほしい」
文果は足を揃えて深々と頭を下げた。
その姿は体育館裏の弱々しい文果からは想像もできないくらい凛とした気品に満ち溢れていた。
「わかった。許す。ね、夏帆」
「うん。許す。だから文果、顔上げて」
頭を下げたまま文果の肩が震える。
「ありがとう」
顔を上げた文果のアゴには、涙が両頬を伝い、滴り落ちながら集まっていた。
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