第26話 文果の決断

 あれから三日が経った。

 朝風に揺れる髪がまとわりついてシャンプーの香りが漂う。

 「初音!」

 「美波! 有砂!」

 ブランコからピョンと飛び降り、二人の元へ駆け寄った。

 

 歩くたびに有砂のカバンから鳴る音。朝陽に照らされた三つの影。

 歩けばけやきも行進し、そして踊る。

 一つ一つが懐かしく新しい。心に刻みながらけやき坂を上った。

 

 「おはよう!」

 湯川先生だ。

 「おはようございます!」

 私たちは、極上の笑顔で挨拶をした。

 湯川先生は腕組みをしながら怖い顔で校門前に立っていた。でも前より幾分口元が緩んで見えた。

 「清水、たまにはジムに来いって正吾に伝えておけ」

 「先生! りょーかい!」

 清々しい気持ちで先生に挨拶してから、心を引き締めて教室へ向かった。


 教室の真ん中に、ポツンと座る文果がいた。

 「文果、おはよ」

 「初音ちゃん……おはよ」

 幾分弱目な声で、それでも笑顔を見せて、文果が答えた。千愛里と夏帆は少し遠めに様子を伺っていた。

 

 私が声をかけたことで、クラスのみんなが集まってきた。

 「文果、おはよー、大変だったね」

 「まさか、舞伽様がねー」

 「文果は舞伽様を支えてたのにね、ひどいよね」

 

 あ……。

 文果の手が少し震えてる。

 「みんな文果の味方だからね」

 ゆっこが文果の肩に手をかけると、文果はその手をサッと払った。

 「いい加減にしろよ」

 低い声が小さく響く。

 ゆっこは驚き、手をササッと引っ込めた。

 文果を囲んだまま時が止まる。

 「てめーら、舞伽様にしてもらったこと忘れちまったのかよ? いきなり何だよ? 何が味方だよ? 芯のねえ奴らだな! 舞伽様は舞伽様でいつもみんなのこと一番に思って行動してたんだよ! 何言っちゃってんの? コロコロ態度変えてるんじゃねえよ!」

 

 そう言って立ち上がると、文果はひとりずつ指しながら、

 「お前が悩んでるとき、相談に乗ってくれたの誰だよ!」

 「あんたが泣いてるとき声かけてくれたの誰だよ?」

 「てめーの夢励ましてくれたの誰だよ!」と訴えた。

 

 ある者は頷き、ある者はふくれっつらになった。

 私の横から美波が前に出ると文果に向かって叫んだ。

 「でも、初音を陥れたのは、舞伽様だよ」

 

 その一言に、クラス中がどよめいた。

 渦が広がる。のーちゃんは天井を回る。

 「そうだよ、何もしてない顔して、操ってたんだから、一番悪いのは舞伽様だよ」

 「それに従った水島も悪いんじゃねえ?」

 千愛里と夏帆は何も言えずにうつむいていた。

 

 違う。こんなの違う。

 

 「どっちが悪いって……どうなんだろう」

 後から教室に入ってきた未来ちゃんが呟く。

 

 「おっはよーございまあす」

 倉橋だ。

 「お? 水島 おっはよー」

 文果は倉橋を無視して席に着いた。

 

 「あ、オニヤンマだ!」

 倉橋がドアを指して叫んだ。

 みんなは一斉に散らばり、席に着いた。

 ドアが開き、入ってきたのは……牧村君だった。

 みんなに注目された牧村君は、キョトンとした顔をして不思議そうに頭をひねった。

 「牧村君だったか」

 倉橋が大きな声で笑った。

 「なんだよ、倉橋、間違えんなよ」

 中野君の一言で笑い声が広がった。

 倉橋め。和ませたな。

 牧村君の後ろからオニヤンマが、こちらもまたすっとんきょな表情で教室に入ってきた。

 

 休み時間になると、文果が私の席まで来て「初音ちゃん、話がある。放課後屋上来れる?」と聞いたから私は「いいよ」と答えた。

 舞伽様のことかな。それなら私も話したかった。

 

 見上げるとのーちゃんが何か合図を送っている。

 なんだろう? のーちゃんは右腕を上げて人差し指を立てていた。

 のーちゃん? のーちゃんからこんなにはっきり合図が来たのは初めてだ。

 

 何? 上? 私も合わせて人差し指を上に向けた。

 ん? 倉橋が両手で大きな丸を作った。

 え? それ、違うんだけど……。


 それ、違うんだけど……って言えないまま放課後がやってきた。

 美波たちに「ちょっと待ってて」と伝えて、私は屋上へ上った。

 

 「文果!」

 手すりに腕を乗せて遠くを見ていた文果が振り返ると、腕組みしてフフフって笑った。

 「うぃーっす」

 倉橋が片手を上げてドアからこちらへ向かっていた。

 「あ、あの、文果、えっと、これには……」

 「ちょうどよかった、倉橋にも話がある」

 「そっか」

 文果の横顔。キリリとたくましい。

 「あのさ、あたし、舞伽様を裏切る気、ないから。友達だから」

 私もそう思う。

 「うん、それでいいんじゃない? でも、文果は大丈夫なの? あんなことされて、この先だって……」

 「もう我慢しないから、平気。さっき、みんなにいろいろ言われて気づいたんだ。あたし、やっぱり舞伽様が好き。指図されたら怒ってやるから大丈夫」

 

 文果の気持ちはわかる。

 でもそんなにうまくいくのかなあ? 

 あの狂気ぶりを思い出すと……。

 応援したいけど、文果のことも心配だった。

 

 「今日でも明日でも、舞伽様の家に行きたいんだけど、初音ちゃん一緒に行ってくれる?」

 「いいけど、今日はバレエなんだ、明日でいい?」

 「うん。いいよ。倉橋も、来てほしい」

 倉橋はうつむきながら「俺はいい」と言った。

 文果はちょっとむくれて問いかけた。

 「なんで? 倉橋が来てくれたら、話は早いのに。舞伽様が一番来てほしいのはあたしじゃない。倉橋なんだ」

 「知ってるよ」

 倉橋が朴とつな口調で答えた。

 「じゃあ、来てよ」

 文果が更に押す。

 「いや、俺が行ったら、繰り返しだから。磯崎さんは立ち直れない」

 「そおかなあ?」

 文果はちょっと不満そうに納得していない様子だったから「そうかもね」って倉橋に付け足した。

 

 倉橋だって真雪さんのことを乗り越えなきゃいけないのに。

 風のように屋上を舞うのーちゃんをじっと見つめた。

 

 舞伽様が吐き出した言葉が蘇る。「オズマのお姉さんのせいで諒にいちゃんは死んだのに。オズマには責任があるの! 私を支える責任があるのに……」

 

 舞伽様の家には、明日私と文果で行くことになった。待っていてもらった美波と有砂には正直に「明日、舞伽様の家に行く」と告げた。

 

 美波は「初音が決めたことなら」と、有砂は「心配だぁ、大丈夫かにゃ」と言いながらも、舞伽様に会いに行くことを認めてくれた。

 

 けやき坂を下る。

 春の西日にけやきの折れた枝先がキラキラ光りながら長い影を落としていた。

 樹木は揺るがない。

 明日への決意とは裏腹に、まったりとした温かさを背中で感じていた。

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