第20話 12月現在本当の未来ちゃん
何の進展もないまま、ただ死ぬことだけを考え、誰からの声もなく、のーちゃんを従えて私はいつもの席に着いた。
教室の窓側。一番後ろ。私の居場所。
一学期から今の今まで、席が変わらない。
席替えはあるのにだ。
何故かってそれは、みんな私の座っていた場所に座りたくないからだ。
汚いから。臭いから。初音菌がうつるらしい。触りたくないし、同じ空気も吸いたくないらしい。
最近も席替えはあったけど、無視されるのだ。オニヤンマにわからないように。
知らぬ間にいつもここの席になる。
でも、私には特等席だ。誰にも邪魔されない一番後ろ。窓際だから、窓の外を見てれば済むのだ。
音のない通知音が鳴る。
誰かが何をしたとか、陰口も噂もそんなことはもうどうでもいい。
みんな笑顔なのに、その裏で何を考え、何に流され、何に怯え、何がそうさせるの?
みんなの表情が見えない。
誰もが恐ろしい物の怪のように、その不気味な笑い声を忍ばせる。
二か月前のあの事件以来、牧村君は何かと気にしてくれている。その気持ちはありがたい。温かさを半分だけ受け止める。全て受け止めることができない。裏切られるのが怖いのだ。もう誰も信じられないから。
倉橋とのやりとりが思い出される。
鬼のようなあの瞳。聞いてもきっと、話しかけてもきっと、「わっかんねえ」って弾かれる。無視されて、突き放される。
怖くて聞けない。あんな思いは二度としたくない。
だから……そうなる前に私が消えればいい。
「みんな、インフルエンザの予防接種したか? してない人はなるべくするように」
オニヤンマがホームルームで促した。
そうだった。ママに言われてた。
予防接種も無事に完了した。
あの舞伽様が話しかけてきてくれたことは嬉しかったし、クッキーも町の洋菓子店よりはるかに美味しかった。甘く柔らかな歯ごたえが元気を運んだ。けど、やっぱり学校では話せない。
院長先生は、「舞伽はひとりっ子だ」って言ってた。
うーん。疑問だらけ。以前調べた『磯崎 諒』って誰なんだろう? 目の前に映る自分に向かってひとりごとをいう。
「初音ちゃん、発表会近くなってきたから、一緒にレッスン外の練習しない?」
未来ちゃんが大きな鏡の向こう側から話しかける。バーをつかんで足を上げながら「うん、いいよ」と答えた。
「今日練習終わったら予定立てたい」
「わかった、じゃあ、残るね」
未来ちゃんも変わらなかった。バレエの話はしてくれる。バレエのときだけ話しかけてくる。それももう当たり前になっていた。
私もあえて学校のことには触れず、バレエの発表会で踊る『葦笛の踊り』について話そうと心に決めていた。
未来ちゃんが学校の話をしないってこと自体、考えたくない……っていうのが一番の理由ではある。
未来ちゃんはなんでバレエやってるんだろう。私がいるバレエ教室なんて、本当は来たくないんじゃないかな? 私と一緒に踊ることも本当は嫌なんじゃないのかな? そんなことばかり考えてしまう。
待合室のソファーに腰かけ、ストーブに手を当てた。さっき練習が終わったばかりなのに、手足がもう冷えている。やかんの蒸気がふんわりと天井に達した。のーちゃんが湯気に霞んだ。
「初音ちゃん」
未来ちゃんが待合室に入ってきた。
「スケジュールだよね? 私はいつでもいいよ」
「スタジオのあいてる時間に練習できるかどうかマリ先生に聞いたんだけど、申請すれば大丈夫だって」
「そっか。ごめんね、私がマリ先生に怒られてばっかりで。未来ちゃんまで巻き込んで」
マリ先生から注意を受けるのは大抵私だったから、それを最初に謝りたかった。
「初音ちゃん、基礎は私よりできてるよ。主役だってできると思う。力強さがあれば、もっとよくなると思う」
「力強さ?」
「踊ると、苦しいし、疲れるし、ヘトヘトになるけど、なんか上手くできたって思ったとき嬉しくなる。楽しいって思える」
マリ先生も「楽しむ」って言ってた……でも……。
「楽しいって思えないんだ」
そんな風に無邪気に笑ってる未来ちゃんが羨ましかった。クラスでもバレエでも。
「汗がいっぱい流れてくると、やった! って思わない?」
「汗?」
「うん、熱くなるの身体全体」
「バレエ好きなんだね」
「うん。私じゃない私になれるからね。本当の私って思えるんだ」
――え? 本当の私?
「学校では、結構気を使って、私じゃないから」
やかんがキュルキュル音を立てる。
のーちゃんがクルクル回り始めた。
「未来ちゃん?」
「あ、ごめん。嫌だよね? 学校の話」
またもや……え? である。
むしろ、学校の話がしたかった。
「い、嫌じゃないよ。あ、あの……」
「今週だと、あさってはどお?」
「あの……未来ちゃん、学校で気を使ってるって、私じゃない私になれるって、どういうこと?」
思い切って聞いてみた。
未来ちゃんは一瞬ためらい、瞳がくすぶったけど、そのくすぶりを跳ね除けるように顔を上げると、ゆっくりと話し出した。
「ここだったら、学校のことは忘れられるってずっと思ってた。初音ちゃんもきっとそうだって。ここなら初音ちゃんは私と話してくれるでしょ?」
「ちょっと待って、話してくれるのは、未来ちゃんでしょ?」
「え? だって、中学に入って別のクラスになったからあんまり話さなかったけど、二年生になって、同じクラスになったのに、初音ちゃん美波ちゃんたちといつも一緒だったから、話しかけるの悪いなあって。そのうち二クミチャがもう一つ出来て、美波ちゃんやアリーも……」
気づかなかった。美波と有砂と三人って思ってた。それだけで満足していたから、未来ちゃんがそんな風に思っていることさえ気づかなかった。
自分で情けなくなる。
でも未来ちゃんだって私の悪口を言ってたはず。
「あのさ、聞いてもいい?」
「なに?」
「未来ちゃんはみんなが私のこと嫌ってるの知ってたでしょ?」
「それは……知ってたけど……でも、初音ちゃんはいつも戦っていて強いなって思ってた。私だったらって考えると怖くて……」
強くなんかない。強かったら死のうなんて思わない。戦ってもいない。戦うなんて気にもなれなかったのだから。
「未来ちゃんも、いろんな噂を信じてるの?」
恐る恐るだったけど、その答えが例えこの場を繕う嘘であっても、聞いてみたかった。
「信じてないよ」
狼狽する瞳が物語ってはいたけど、未来ちゃんのその言葉にほんの少しだけ安堵した。
未来ちゃんを攻めたてても始まらない。
「そっか。ありがと」
そう……答えるしかなかった。
「あのね……初音ちゃん……」
未来ちゃんはここだけの話と言って、今までのことを話してくれた。
その話は、一学期のクラス委員を決める時に遡った。
クラスの半分以上が私の名前を投票した件は、以前倉橋がワードパズル会議の時に聞いてきた通りだった。
『私に頼まれた』と呼びかけていたのは、文果、千愛里、夏帆が中心になって広まっていったらしい。
未来ちゃんは、「最初は信じられなかったけど、文果や千愛里があまりにも真剣に『清水さんに頼まれたけど内緒ね』って言ってたから、信じてしまった。クラス委員投票も、倉橋との噂も、すべて文果の指示なんじゃないか」と言った。
私が風邪で休んだ日には倉橋に支えられた瞬間の写真が、他の日には学校の屋上に倉橋と私が二人でいる写真が裏二クミチャにアップされていたって。
私も未来ちゃんに、投票を頼んでいないこと、倉橋とつきあってないこと、中絶なんてとんでもない嘘だってことを話した。
でも……そこまで話して、疑問。
なんか変だ。文果と千愛里と夏帆が動いていたことはわかった。でも……。
「ねえ、未来ちゃん、舞伽様は、知ってたの?」
「舞伽様は、詳しく知らないと思う。舞伽様は、常に『みんな平等』って言ってるよ。一人一人をしっかり見てくれて、わかってくれるんだ。文果が人の悪口を言ったりすると、舞伽様はいつもその場で注意してたから」
「でも、舞伽様のことみんな慕っているグループなのに、なんで舞伽様は詳しく知らないの? それって逆に舞伽様が外されてない?」
「多分……だけど、文果が舞伽様に気を配って先回りするからだと思う」
「え? なんで?」
「文果は昔、舞伽様にイジメから救ってもらって、それ以降、舞伽様を守ってきたって言ってたから」
「文果が? イジメられてたの?」
「文果から聞いたから嘘じゃないよ。舞伽様のためなら何でもするって言ってた」
「そうなんだ……でも、先回りと、私の投票とどういう関係があるの?」
「その辺は私にもわからないけど、舞伽様のために動いてることは、何となくわかる」
先回りと投票。
私への攻撃。言葉の暴力。晒し。主語のないメッセージ。仲間はずれ。無視。
文果は先回りして、何のために私を外したんだろう。私は知らない間に舞伽様にとって邪魔な存在になっていたんだろうか?
「アリーや美波ちゃんを引き込んだのも文果だと思う」
「何のために?」
「はっきりとわからないけど、二年生になって、アリーが舞伽様に相談に乗ってもらってたのね」
「有砂が? 何の相談?」
「倉橋君のこと」
「ああ、そっか。有砂は倉橋のこと好きだからか。でもなんで舞伽様なの?」
「舞伽様と倉橋君って幼なじみなんだって」
――初耳だ。
のーちゃんが未来ちゃんの後ろで、何かを訴えてるみたいに縦横無尽に動き始めた。
シュシュシュ。やかんがストーブの上で踊り始めた。
未来ちゃんはやかんを持って、部屋の隅にある水飲み場に行き、お茶をいれてくれた。
「どうぞ」
「あ、ありがと」
「舞伽様は、アリーの気持ち尊重して、考えてくれたみたい。アリーが投票の日に泣いてたのを見て、舞伽様から『渡してほしい』って頼まれて、手作りケーキを持って行ったのは私だから」
ケーキ……。
ずっと引っかかってたケーキ。そういうことだったんだ。ずっと前から舞伽様に相談してたんだ。
「そっか……ケーキって……そっか」
「ん? 舞伽様のケーキ? 舞伽様ね、将来パテシエになりたいんだって。舞伽様なら絶対なれるよね」
有砂……。
「有砂、私には話してくれなかった……」
「初音ちゃんは倉橋君と結構仲良かったでしょ? アリーはそれも気にしてたから」
有砂がもう帰ってこないってわかってるけど、改めて聞くと、やっぱり辛い。もっと有砂の話を聞いてあげれば良かったのかな? それとも私が見えていないだけだったのかな?
「ごめ、茶葉多すぎたかも。ちょっと苦かったね」
「大丈夫。私、渋めも好きだから」
未来ちゃんのいれてくれたお茶は、確かにちょっとだけ濃い味がした。
バレエ教室を出ると辺りはもう真っ暗になっていた。
今年の冬は寒い。マフラーをしっかりコートの襟に入れ込んで未来ちゃんは自転車に跨ると、「初音ちゃん、じゃあ、明後日から個人練習お願いね」と言って、ペダルを踏み込んだ。
「うん、明後日ね」私も歩き出した。
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