第19話 11月跳ぶと飛ぶ

 ――清水さんは間違っていません。

 何度思い出しても、その言葉が信じられなかった。言葉の響きが嬉しかった反面、言葉の轟きに押しつぶされそうになる。

 

 倉橋には到底話せない。遠く遠く掴めない星空のようにそこで輝いてるだけの倉橋を、そっと見上げることしかできなかった。

 過冷却でビッグバンなんて、私にはできっこない。宇宙の世界を始めろ……つまりぶつかれってことでしょ?

 牧村君とのことがあって、考え直したこともあったけど、やっぱり二クミチャも学校も変わらなかった。誰も私を正しいなんて思っちゃいない。

 きっと私がいる限り。

 だから、いなくなればいい。

 ね、のーちゃん、そうでしょ?

 

 けやき坂を下る。

 足下にカサカサとまとわりつく枯葉たち。

 その葉の色付きは、ラストイベントのように人々の心を捕らえ、全てを燃えつくして真紅の舞を見せる。

 『やればできる看板』を真っ直ぐ進む。

 

 のーちゃんはバレエにもついてきた。

 この時期は寒くてレオタードを着るのがつらい。早く体を温めたくて、髪をささっとまとめ、お団子にしてからすぐに準備運動をした。

 のーちゃんは、私の横にひそむ。

 基礎練習の時、私がバーにつかまると、のーちゃんは少し離れた場所に浮かぶ。

  バレエを真似たりはせず、いつものようにフワリとそこにいる。

 「コラ! 清水! 内足禁止!」

 え……あ、私、内足になってた。全然気が付かなかった。

 「何ボーっとしてんの!」

 マリ先生の渇がとぶ。

 のーちゃんが気になって……とも言えない。

 「す、すみません」

 「やる気がないヤツは帰れ!」

 

 私の横で基礎練習していた未来ちゃんや仲間たちが腕を上げながらプリエしてこちらをチラリと見る。その表情はこれでもかってくらいの笑顔の中にも、息を切らす呼吸が聞こえてくる。お団子にした髪のコメカミ辺りから流れる汗。

 そういえば私、汗かいてない。

 三月の発表会が近づいてるから先生もイライラしてるんだろう。

 

 その日私はマリ先生に呼び出された。

 「清水、最近おかしいよ、どうした?」

 「別に」

 いじめられてます……、ひとりぼっちです……そんなこと言えない。

 「バレエ嫌い?」

 マリ先生はバーにもたれながら言った。

 「いえ、嫌いじゃないです」

 そう。別に嫌いじゃない。

 「好き?」

 好き? バレエ? どうなんだろう?

 「マリ先生は、バレエ好きですか? 毎日教えてるのは、仕事だからですか? 何でバレエやってるんですか? バレエやって何になるんですか?」

 何でなんて……それこそ何でそんなこと聞いてるんだろう私。

 

 「おもしろいこと聞くね。私はバレエを教えるのが仕事だからバレエを教えてるだけだよ。うーん確かにね。そうだな、バレリーナ育成のためでもあるし、そうじゃないこともある。どちらかと言えばそうじゃない方が多いね。将来バレリーナになれる子はほんの一握りで、それ以外はみーんな何でやるのかってね、バレエやって、好きって言ってくれて、その子がそのたび成長する姿を見るのが好きなのかな」

 マリ先生は思いを馳せる。

 「足上げると、気持ちよくない? 人より高く上がると嬉しくない? 嫌なこととか忘れちゃうでしょ」

 倉橋と一緒のこと言ってる……。

 「私は……嫌なこと忘れないです」

 マリ先生はフフっと笑って言った。

 「それはさ、清水が一生懸命じゃないからだよ。一生懸命身体を動かすと、すごい集中力が高まるんだよ。他のことなんかまったく忘れちゃうくらい」

 今の私にはできないだろう。

 「清水はさ、基礎は十分できてるの。何が足りないって精神力、やる気、楽しみ。もっと楽しんでやりなよ」

 「楽しむって?」

 「思いっきりだよ。ジャンプもね、基礎の足を保とうとするから思い切りがつかない。もっと高く、もっと高くって、上に向かいなよ。怖がって下ばっかり向いてるから跳べないんだよ」

 

 でも、気持ちがついていかない。私はもうどうでもいいと思っていた。死のうと思っている人には将来がない。だから上を向いてもしょうがない。

 「でも……」

 マリ先生の明るさについていけない。

 

 「何があったか知らないけどさ、バレエは跳ぶの。でもね、跳んで感じるのは、飛ぶなんだよ。羽広げて飛ぶ。飛ぶにはね、必ずそれを押そうとする抵抗力も付随するんだ。だから飛べるんだよ。だから跳ね除けたとき、楽しいんだよ」

 「マリ先生の言ってること、意味わかんないです」

 わからなかった。そう感じようとも思わなかった。

 「とにかく、思い切ること。期待してるよ」

 マリ先生はそう言ってにこやかに笑った。屈託のないすがすがしい、生命力溢れる笑顔だった。

 

 マリ先生はいつも鼻を上に向けている。普段の歩き方もつま先から歩く。姿勢もいい。ピンと伸びた背中、細くてなめらかで、しなやかで、きれいな足。キュッと締まったお尻。筋肉もほどよくついてバランスが美しいのだ。まさにバレエをするために生まれてきたような人だ。マリ先生にはきっと、わからないだろう。

 今更ながら私は何でバレエをしているのかわからなくなった。

 思い切って踊ったら、マリ先生のようになれるのだろうか?

 きっと無理だ。私はマリ先生みたいにお尻が締まっていない。細くもない。それに私はバレエをするために生まれてきたんじゃない。

 一生懸命に踊る……。

 きっと、無理だ。この子が私に憑いてる限り。

 私は横目でのーちゃんを見た。

 のーちゃんはいろんな角度から私を見ている。目はないけど見ているように感じる。さっきまで左側にいたのに、もう右の天井近い壁際にフラフラしてる。のーちゃんの下には『発表会まであと四か月』の大きな壁紙が時を知らせる。

 

 もうあと四か月かあ。

 発表会の日に私は生きているかなぁ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る