第16話 9月主語のないメッセージ

 ツクツクボウシの鳴き声が目立つように聞こえてくる。

 この時期になると、元気だった他のセミたちの勢いが衰えるからだ。

 けやきの葉も深く、濃く、しなやかに、成熟した顔色を並べている。

 ジリジリと音を立てるように、天上から照らしていた灼熱の太陽も角度を傾け、朝の風に誘われて、赤とんぼも山から下る。

 

 焦げ茶、薄茶に日焼けした面々が白いワイシャツを更に白く見せる。

 九月に入って中旬も過ぎれば、休みボケはなくなるものの、まだまだ夏の余韻をそこらじゅうにまき散らしながら、生徒たちはけやき坂を上っていた。

 ――元気だなあ。

 

 行きは相変わらず一人だ。美波も有砂もいない。でも下るときには倉橋がいる。今の私には唯一頼れる存在でもある。

 

 どういうわけか、二クミチャは静かだ。誰も入ってこないのだ。登校日以来メッセージや画像も徐々に少なくなり、二学期に入ってから今でも誰一人、声を発しない。

 その静けさは安らぎと同時に、得体のしれない不気味さを運んできた。

 もう一つのチャットは賑わっているんだろうな。どっちが裏なのかわからなくなる。倉橋の言う通り、気にしてたら自分が疲れるだけだ。気にしなきゃいい。そう言い聞かせる。

 

 今日までしっかりやり遂げたのだ。

 クラス委員の仕事を。

 

 できないと思っていたあの頃に比べると、数段自分は強くなったと思える。

 六時間目の学活で仕事納めだ。大変だったけどいい経験になった。こういう時こそ、自分をほめてあげなきゃ。

 

 チャイムが鳴ってオニヤンマが教壇に立つ。

 「じゃあ、始めてくれ!」

 オニヤンマの掛け声に合わせ、いつものように倉橋は真ん中へ、右横に私が立ち、今日の議題を黒板に書いていく。

 『後期クラス委員投票』

 オニヤンマは腕と足を組み、椅子に座った。

 

 「では投票用紙に名前を記入ください。まずはクラス委員、男子の名前でお願いします」

 倉橋の一声。

 

 カチカチ、シャカシャカシャカ、シャーペンの硬質な響きが教室中を走りまわる。

 後期もクラス委員に男子から一名。副委員に女子から一名が選出される。

 コソコソと話す様子もなく、穏やかに投票は進んだ。

 私は男子に倉橋、女子に舞伽様の名前を記入して投票した。

 案の定、男子は倉橋が中野君にかなりの差をつけてクラス委員に。女子の投票は二人が私に投票したものの、その他は舞伽様の名前で埋め尽くされていた。副委員は舞伽様に決定した。

 うん。間違いない。舞伽様でしょ。本来。

 

 「よし、決まったな。では新旧委員挨拶してくれ」

 オニヤンマからの指示で、まずは倉橋が挨拶をした。

 「前期に引き続き、後期もクラス委員を担当させていただきます。よろしくお願いします」

 拍手が巻き起こる。

 

 倉橋の目の合図で、私も挨拶をした。

 「前期の副委員になった時は、こんなに沢山の仕事をやりきることができるのか、不安だったり、心配だったりしましたが、皆さんのおかげで、クラスもまとまり、前期副委員をやり遂げることができました。本当にありがとうございました」

 

 拍手が散らばる。まあ、そんなもん。いつものこと。

 

 舞伽様が私の横に真っ直ぐに立って、深々と頭を下げる。教室の隅から隅まで見渡し、一呼吸置いてからニッコリ微笑んだ。

 「後期副委員、磯崎舞伽です。たくさんの票をありがとうございました。この票数は、ただの数字ではなく、一人一人の声として受け止め、より良いクラス作りを目標に、倉橋委員を支えながら、精一杯頑張りたいと思います。是非皆様のご協力をお願いいたします」

 盛大な拍手。拍手。拍手。拍手。

 「そして、前期副委員として、大変な仕事を完璧にやり遂げてくださった、清水さんに、労いの言葉を捧げたいと思います。清水さん、本当にありがとうございました。感謝しています。お疲れ様!」

 そう言って私に向けて舞伽様は頭を下げ、拍手を贈ってくれた。

 教室内からの拍手は、今日一番の大きさだった。

 なんだろう。

 舞伽様のスピーチは完璧なのにな。なんで嬉しくないんだろう。こんなに拍手が湧いているのに。


 放課後、選挙の後片付けを終えて、倉橋に人差し指を上に向けてから屋上に向かった。

 「上ね」っていう意味。ワードパズル会議の時の合図。倉橋は手をマルにして大きく挙げた。


 屋上の風は柔らかだった。空気が美味しいと感じる。安息と充実。

 もちろん嫌なことはたくさんあるけど、そんなことはどうでもよかった。

 やり遂げたって言う、私自身の誇らしい気持ちがあるからなのかな。

 肩の荷が下りたような……重かった責任から外れて、ホッと一息つけたような、軽くて爽やかな気持ちだった。

 「うぃーっす!」

 「うぃーっす!」

 私も真似た。

 「副委員お疲れさん」

 「ありがとう。なんかホッとしてる」

 「あっちはどう?」

 「まだワードは埋まらないけど、どうでもよくなってきてる」

 「それはいいことだ」

 「いいことかな?」

 「気にしなければ、自分保てるでしょ」

 「まあね。二クミチャも静かだよ」

 「……今度ジム来ない?」

 「え? ボクシングの?」

 「そう。ほとんど毎日いるから。夜ね」

 「どこでやってるの?」

 「港町のダイビングショップの上」

 「ああ、あそこだったんだ」

 「何かあったら、いつでも……な」

 

 倉橋の瞳……。

 深く透明な湖の底に沈んだ宝石のようだ。

 深すぎて届かない。手を伸ばしたら溺れそうだ。

 「わかった」

 遠くを見つめる横顔。フッと笑う口元。何もかも知ってますって上から見下ろすような背の高さ。長く細いマツゲ。普段は割と軽薄なイメージなのに……私の前でしか見せない表情。ふとしたとき見せる陰り……。

 それでも私にとっては居心地が良かった。 

 倉橋の隣。

 

 その日の夜だった。

 二クミチャの通知音が爆発したのは。


 お風呂から上がって、ベッドでゴロゴロとする時間。ふんわりして、爽快で、憩いってこういう時間なんだろうなって思う。

 火照った身体から湿気が増して、私の周りで揺れている。

 今日は特に気持ちがいい。

 副委員も務めあげて、倉橋からジムにも誘われた。倉橋は彼氏じゃないけど、心の支えになっていることは確かだ。嫌な気分じゃなかった。むしろ、嬉しかった。

 クーラーの風がベッドに横たわった私とタオルケットの間をすり抜けてゆく。

 枕元に宇宙の本。置きっぱなしの借りっぱなし。全部詳しくは読んでないけど、そろそろ返さなきゃ。

 チリリリ。

 この音は久々の二クミチャ。グループチャットの通知音だ。

 チリリリ。

 誰だろう?

 チリリリ。チリリリ。チリリリ。チリリリ。

 やけに多いな。何かあったのかな?

 

 見ないようにしていたけど、やっぱり気になる。その後も勢いは止まらなかった。

 途切れなく続く通知音。タオルケットに顔を半分隠した。ホワホワの感触が頬に触れ、柔軟剤の香りだけが、よぎる不安を和らげた。

 

 初めのメッセージは文果からだった。

 文果――イライラマックス 激怒。

 千愛里――ムカつく!

 ゆっこ――塾おわったー。疲れたー。

 中野君――浮いてるなあ……。

 

 会話になっていない愚痴が続く。

 いつもと違う。

 何かが違う。

 その後もそれぞれが何かを呟く。

 ――なに堂々としてんの?

 ――ブスだな。

 ――コンビニ寄ったぁ。

 ――はあ? 何言ってんの?

 ――二学期より一学期って 笑。

 ――いらない。

 ――眠いー。

 ――何様?

 ――教室より屋上 は?

 ――消えろよ

 ――ダダダ。

 ――価値がない。

 ――自分の努力だけって 呆。 

 ――ランランラン。

 ――違うだろ? 

 ――宿題いやだあ 泣。

 ――目障りなんだよ、消えろよ!

 ――皆さんのおかげで……ウケる。

 

 私の……こと?

 でも主語がない。誰がって言わない。限定できない。会話になっていない。言葉がバラバラすぎて……だけど腑に落ちない。

 ――生きてる意味ないじゃん。

 ――やりきった感がムカつく。

 

 やっぱり……?

 脈の音が聞こえる。

 クーラーのせいでそろそろ湯冷めしそうだった身体が熱くなる。

 顔も身体も心臓も細胞から焼け焦げるように。

 

 バラバラだけど、コレとアレを組み合わせるとこうなって……。これこそワードパズルみたいだ。言葉のピースを拾い集める。

 そして更に激しくメッセージは続く。

 ――学校来るな

 ――笑うな!

 ――それでいいと思ってる。

 ――不安にさせて悪かったなあ。ケッ!

 ――ゴミだな、イヤ、ゴミ以下か 爆。

 ――いないのも同然。

 ――仲間じゃないし。

 ――さよならあ。

 ――DQN。

 ――自分で自分にいれたんじゃない?

 

 言葉たちは躊躇なく弾け飛んだ。

 責めるように、うっぷんを晴らすように。

 「鼓動」って言う名前のメトロノームが、ビートを速める。

 カチカチカチカチ。

 唇がケイレンする。指先がマヒしたみたいに動かない。

 

 有砂――めんどいにゃん。

 美波――裏切り者。

 

 美波……。

 ねえ、美波、それって私のことだよね? 

 そうとしか考えられない。前に言ってたもんね。

 私は裏二クミチャに外されたわけで、みんなの悪口の対象になってるわけで……。

 そんなことわかってるよ。

 だからじっと我慢してきたじゃん。

 拍手が少なくても

 無視されても

 仲間に入れなくても

 有砂がいなくなっても

 美波に……。美波に……。美波に……信じてもらえなくても。

 

 ずっと、ずっと、副委員も頑張ってきたじゃん。それでいいでしょ?

 何がしたいの? どうしたらいいの?

 十分……ひとりぼっちだよ。

 ここは二クミチャだよ。裏二クミチャじゃないよ。

 

 だけど……一つ一つのメッセージは、私に言ってるのかどうかなんてわからない。

 

 身体はすでに湯冷めして、唇から足先までが震えてる。

 ねえ、ひとりだし、今日は泣いてもいいよね?

 

 ティッシュで拭っても、後から後から吹き出てくる涙と鼻水と嗚咽と戦いながら、そうじゃないかもしれないことになんでこんなに不安になるんだろう? って、考えるたびに涙腺が破壊されてゆく。

 これはイジメなんだろうか?

 それとも遊びなんだろうか?

 ただのメッセージなんだろうか?

 みんなグルなんだろうか?

 そうか、訓練なんだ。私が強くなるための……って、あるわけないじゃん。そんな都合のいいこと。

 

 自分をほめてあげたいなんて思ってたさっきまでの自分。一学期がんばったって思っていた自分が底知れず愚かで、惨めで、情けなく思えた。

 私への否定? 存在の拒否? 

 大勢で、よってたかって、言葉のイジメなの?

 

 倉橋に伝えたい。思わず携帯に手を伸ばす。

 あ、倉橋は持っていなかったんだ。

 ピロピロ。

 違う音。倉橋? 

 個人メールの通知音。

 牧村君だった。

 「過冷却だ! 今こそ起死回生を」

 

 ――? なにこれ?

 

 この一文で、涙と鼻水とずっぽり落ちた気持ちがすっかり消えた。

 過冷却……。どこかで聞いたような。

 枕元に置きっぱなしの借りっぱなし。確かこの本に……。

 過冷却ってここに書いてある。

 そういえば、牧村君が言ってた。

 「水は0℃以下になると氷になりますよね? でもゆっくり静かに冷やされるとマイナス5℃くらいでも水のままのことがあるんです。この――氷になりたくてもきっかけがなくて水のままの状態――を過冷却って言うんです。何かのきっかけで氷になる、爆発するんですよ。これがビッグバン……」

 でも、なんだかわからない。

 ビッグバンで起死回生?

 理系クンにはついていけない。考えれば余計わからなくなった。

 フフフ。ハハハ。ヘンなの。笑っちゃう。何がヘンで笑っちゃうって、正直、二クミチャのことを、その時だけは忘れられたから。

 

 牧村君のわけのわからないメールのおかげで少し冷静になれたものの、やっぱり複雑怪奇な私のハート。きちんと動いてくれていない。

 バグが起こったゲームアプリみたいに、考えてはまた振出しに戻って、「あれ? ここ前にも通った気がする……?」ってどこかしっくりこなくて、うつろな影が息を殺しながら執拗に追いかけてくるような、振り返っては確かめ、振り返っては確かめて、そんなことを頭の中で何回も繰り返していくうちに大きなけやきが構える校門が見えてきた。

 とにかく倉橋に伝えなきゃ。


 一日中、倉橋に話しかけるチャンスを狙ったけど、まったく声をかけられなかった。倉橋の周りには、舞伽様グループが陣取る。

 昨日の今日でワードパズル会議もどうだろう。

 二クミチャの「教室より屋上」も気になる。

 けど、話したかった。倉橋には、よくわからない「主語のないメッセージ」の不可解な現象を、聞いてほしかった。

 倉橋と目が合った瞬間に人差し指を上に向けた。

 倉橋は手をバツにして大きく挙げた。

 

 ――え? バツなの? 

 ノートを指して叩いている。

 ああ、クラス委員会か。

 

 仕方ないよね。待ってるのも変だし、副委員でもないから。そうだよね。帰るしかないよね。

 

 昨日まで倉橋と一緒に下ったけやき坂。今日はひとりで歩いている。

 そっか。副委員じゃなくなったから。

 そっか。やり遂げて、肩の荷が下りて、あんなにスッキリしていたのに。

 副委員じゃないことが、こんなに寂しいなんて……。

 

 その日の夜も二クミチャは昨日と同じように荒れまくった。

 その次の日も、その次の週も。意味がなさげで、有りそうな言葉たち。私に関連付ける内容。吐き捨てるような、悪意の集合体。  

 そうじゃないって思っても、そう受け取る自分の情けなさ。来る日も来る日も心が刻まれて、私自身が言葉を失くしていた。

 毎日毎日、人差し指を上に向ける私と、大きなバツを返す倉橋。自分でもしつこいなってわかる。

 これだけバツが続くと、「もしかしたら、避けられてる?」そんな思いにもつながっていく。

 

 追いかけられると逃げたくなる。逃げられると追いかけたくなる。

 私は主語のないメッセージのしつこさを大声で反発しながらも、執拗なまでに倉橋を追いかけた。

 

 人間ってのは、どうして、こうも自分の気持ちがスッキリしないと傍若無人で図々しく、思いやりのない行動に出てしまうのか。

 

 以前は割と一人で左右にジャブを繰り返す姿を目にしていたけど、最近は舞伽様グループに囲まれていることも多い。

 

 ちょっとしたことでふて腐った倉橋の表情を見ては、「私のせいじゃないだろうか?」って落ち込み、単に窓を開けに私の近くに来たことを、何となく「嬉しい」と感じ、頭を小突かれても前のような怒りはなく、むしろ「もっと叩いてほしい」などという不埒な考えが頭をよぎり、いつの間にか私の視線の先には倉橋がいた。

 これが恋なのかどうかはわからない。そうとは認めたくない。だって心はズタズタで、唯一わかってくれるんじゃないかっていう倉橋となかなか話せなくて、だからきっと、目で追ってしまうんだろう。だから毎日のように人差し指を上げてしまうんだろう。

 

 倉橋の手がマルになったのは、主語のないメッセージが発信されてから二週間目のことだった。

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