第15話 8月不自然な違和感
目まぐるしい一学期が過ぎて、夏休みを迎えた。
クラス委員の仕事は二学期に向けての準備ぐらいで、一学期の忙しさに比べたら大したことはなかった。
倉橋とのワードパズル会議も夏休みで人に会わないせいか縮小気味。倉橋は携帯をもっていないから余計耳にも目にも入ってこない。
二クミチャも旅行に行ってきたとか、海に行ったとか、写真付きで誰かがメッセージを送れば、誰かが答えていた。
表面上は、のほほんとした雰囲気が漂っている。割と平和だと思える日々が続いた。あの噂はどこへ行ったんだろう。みんなもう忘れてくれるといいのに。
……と思う反面、不自然な違和感。
自然に感じる違和感じゃなく、どこか不自然な違和感に襲われる。
心は中身の入ってないドラム缶を叩いた時のように、「スカーン」と、ものが詰まっていない空っぽの音がする。
その空っぽの音は、平和の裏にある暗闇のようだった。静まり返った闇にじっと耳を傾ける。
何もないのだ。何も聞こえて来ないのだ。それって誰からも声がかからないということ。美波と有砂からのメールはもちろんない。そのもちろんが当たり前なんだって思うと、平和の意味が分からなくなる。
バレエの振付が始まって、唯一未来ちゃんとは話すようになった。と言ってもやはりバレエレッスンの時にバレエの話が中心だった。学校の話は避けられてる気がする。
開脚した姿勢で胸を床につけて、未来ちゃんの顔だけがこちらを向く。
「葦笛って、葦の茎からできた笛でしょ?」
バレエの発表会で踊る曲目『葦笛の踊り』について話しかけてきた。
「葦って?」
私も柔軟しながら聞き返す。
「沼とか池の水際に茂ってる草」
「ああ、水草か」
「笛は持って踊るのかなぁ」
「前の時は持ってなかった気がする」
以前上演された時は確か男性を挟んで二人の女性が踊っていて、絡みがあったから、笛は持っていなかった。
「未来ちゃん、あのさ……」
聞きたいことがいっぱいある。
「初音ちゃん、くるみ割りのCD持ってたっけ?」
話が途切れ、私から「あのさ」って言うと、別の話を持ち出すから、「学校の話はしません」って言われてるように思えてならなかった。
「持ってるよ」
「貸してくれる? 今度のレッスンの時持ってきて」
「うん、わかった」と言いながら疑問が湧く。
――明日、登校日なのに。
思い切って聞こう。
バーに足をかけた未来ちゃんの横で鏡に映った未来ちゃんをそっと見た。
「あのさ」って言ったら避けられる。何て言おう。何の質問がいいのかな。そうだ!
「CDのことなんだけど……」
これならいける。
「何?」
チャンスだ!
「明日、登校日でしょ、だから学校にCD……」
そこまで言ったら未来ちゃんが少し戸惑いながら言葉を重ねてきた。
「あ、あのさ、あ、明日、オニヤンマの誕生日でしょ? サプライズのこと……」
「え? サプライズ?」
未来ちゃんは、「しまった!」って顔して口をつぐんだ。反対の足をバーにかけて、私に背を向けた。
「サプライズって何?」
優しいと思える口調を自ら演じて、未来ちゃんの背中に話しかけた。
背筋はシャンとしてるけど、鏡の横顔はひきつっていた。
片方の足でプリエしながら呼吸を整えているのがわかる。柔軟がひとしきり終わると、未来ちゃんはゆっくり振り向いて、仕方なさそうに教えてくれた。
「オニヤンマの誕生日にクラスで一人百円ずつ集めて何かプレゼントしようって……。チャットで盛り上がって……。プレゼントは文果が買ってくるって」
でもおかしい。
二クミチャではそんな話は出ていなかった。私が黙り込んだせいか、未来ちゃんはペラペラと自分の過失を補うように話し始めた。
「あ、あ、あのあの、ごめん、実は二クミチャの他に、もう一つ二クミチャがあるの。一学期の中ごろ、文果にチャットを招待されて、何も考えずに受けたんだ。みんな招待されてたし。でも、最終的に初音ちゃんの名前だけなかったの」
私の名前だけない……。
「未来ちゃん、それって……外されたってことだよね?」
どこからともなく「スカーン」と、ドラム缶の音が響く。
その音を合図に全身が溶けてくみたいに一気に体が熱くなる。頭も顔も心臓も熱くなる。クーラーは効いてるはずなのに……。
その熱さを消そうと、水分という水分が目元めがけてジャブジャブと流れ始める。
こみ上げてくる涙を止めるために、目を閉じるのを我慢した。マブタを閉じたら、流れ落ちてしまうから。そうなったらきっと厄介で、止めどもなく溢れだしてしまいそうだったから。
「初音ちゃん、ごめんね」
未来ちゃんが困ってる。その顔に偽りはない。だから余計に真っ直ぐな「ごめんね」に気圧された。
「ごめんね」じゃなくて、「私は初音ちゃんの味方だから」とか、「そういうのって良くないよね」とか、そんな言葉を期待していた自分がほんの一ミリでもいたことを後悔した。
「明日百円だよね。持ってくよ」
未来ちゃんはきっと、悪くないんだと思う。私だってきっとそうしてたと思う。
一睡もできないままオニヤンマの誕生日でもある登校日を迎えた。
教室の窓側一番後ろ。私の席に着き、窓の外を眺める。
喧しいと思ったミンミンゼミの鳴き声も、聞こえないよりいいかもしれない。
外されていたことを、倉橋に伝えたい。それよりも倉橋は知っているのだろうか? サプライズのことを。
携帯をもっていない倉橋。倉橋も被害者だよね。知らなかったら可哀想だから、教えてあげようと思った。
「おっはよー」
倉橋が教室に入ってきた。調子のいい雰囲気はいつもと変わらない。
私が椅子を引いて席を立った時、巾着袋とノートを持った千愛里と夏帆が倉橋に近づいた。
「倉橋君、百円持ってきた?」
プードルみたいな髪をプルンプルン震わせて、笑顔で話しかける千愛里。
「オニヤンマのサプライズ?」
――え? 知ってるの? 倉橋。
夏帆が人差し指を口元で立てながら「そうだけど、大きな声出さないで」と息だけの声で言った。
聞こえてるけど……。
教室にクラスメイトが入ってくるたびに、夏帆と千愛里が百円を回収する。
クラス全員が揃っても、一人一人に確認しながら席を周っている。
未来ちゃんから聞いてるし、百円渡さなきゃいけないのに、足が動かない。コンクリートに埋まったみたいに、カチコチになってる。待ってれば……来るよね。
前の席で夏帆と千愛里が百円の確認をする。私はお財布から百円を出して右手に握った。
前の席の回収が済んだ後、夏帆と千愛里は振り向きもせずに、ニコニコと笑いながらそのまま自分の席へ向かう。
――え? 無視された?
カチコチに固まった足は一歩を許さなかった。右手の中には渡すはずの百円玉があるのに声も出ない。足も動かない。
不穏な空気、不気味な笑顔、不自然な行動。不意に訪れた不運が私を不安にする。世の中の全ての「不」が……、否定的な良くないことが襲ってくる。
なんで無視するの?
なんで笑ってるの?
なんで回収しないの?
私はここにいるよ。
無視じゃないよね? 忘れちゃっただけだよね? 声かけても大丈夫だよね?
思いに絡まれて足は動いてくれないけど、私だけがお金を払わないわけにはいかない。オニヤンマが来ちゃったら渡せなくなる。
やっとの思いでコンクリートを抜け出し、ゴワゴワの足を二人の元へぎこちなく歩かせた。
「千愛里!」
握った右手を開いて百円玉を差し出した。
「あの、これ」
千愛里が眉をしかめて「何?」と言うと、夏帆も訝し気に私を見た。
「オニヤンマの誕生日なんだよね? 百円持ってきた」
極めて明るくそう言った。
前の席で文果が机をバンと叩く。
「誰だよ、チクッたの!」
その一言にみんなは顔をそむけた。
――チクッた?
咄嗟に未来ちゃんを見てしまった。未来ちゃんはうつむいたまま何も言わない。ただジッと、微動だにせず、背中で私をシャットアウトしてる。
ああ、そういうことか。未来ちゃんの背中を見て確信した。未来ちゃん、昨日のこと言ってなかったんだ。
「いや、あの、さっき、話してるの聞こえちゃったから」
そんな言葉しか出てこなかった。
「連絡網、伝わってなかったの?」
舞伽様が文果に尋ねると、文果は何かを察したように「伝わって……なかったかなあ……なかったかも」と語尾を連呼した。
連絡網? 不自然な違和感。
前にもあった。
ピッタリと当てはまらない。
イコールにならない。
答えが見えない。
「あああ、俺かなあ」
倉橋が叫ぶ。
「かばった」
「何アレ」
「俺かなあだって」
ヒソヒソ、コソコソと。ニヤニヤ、クスクスって。中野君も、ゆっこも、上野さんも、三好君も、千愛里も、夏帆も、有砂も、美波も。皆の視線が倉橋に集まる。そしてザワつく。
「初音、ごめんな、俺が忘れてた」
倉橋は平気な顔して謝った。
違うでしょ? 違うよね? 連絡網なんかじゃないよね?
……違わないか。
私も未来ちゃんをかばったんだから。
コンクリートに埋まったまま、動かなければ良かった。
そう思ってしまう自分が嫌いだ。
オニヤンマは一日中機嫌がよかった。文果たちがプレゼントを渡すと、トンボメガネを片手であげながら目頭をハンカチで押さえていた。気のいい先生なんだろうな。気が良すぎて、見えないんだろうな。こんないい子たちが裏チャット作ってるなんて、思いもしないだろうな。
今日提出しなければならない宿題を忘れた子がいたけど、「二学期までにちゃんとやってこいよ」って。あきれるほど物わかりのいい先生だ。
ホームルームが終わって、「さよなら」の声が散らばり、教室は次第に静かになる。今日はクラス委員の仕事がある。
倉橋に聞きたいことがたくさんあった。
みんなが帰るまで後期クラス委員の資料をまとめた。
「おまたせー」
前の椅子に倉橋がまたがった。
「投票用紙は一学期の使えばいいよね? 足りないからコピーしないと」
後期クラス委員は九月の中旬に決まる。それまではしっかりやり遂げたい。
「後期もクラス委員になったりして」
「やめてよ、ないない」
今日のこと。聞きたいのに。なかなかきっかけがつかめない。
ミーンミンミンミンミーン、ジージージージー。
ミンミンゼミとアブラゼミの鳴き声。追いかけっこが繰り返される。
私が言いたいことを待っててくれる倉橋に、そうじゃないって言いたくなる。待ってなくていい。倉橋から話して。
倉橋は不思議に思わないの?
今朝の何とも言えない不自然な違和感を。連絡網って何? そんなのあった? 本当に連絡が来たの? 誰から来たの? 裏二クミチャのこと、知ってるの? なんでかばったの? 疑問はどんどん大きくなる。
「コピー取ってくる」
倉橋はそう言うと、資料を持って教室を出て行った。
きっと倉橋は、私が爆発寸前だってことを分かってるんだろう。誰だって感情的になった人の相手なんかしたくないはずだ。
こういう時はどうすればいい?
足は肩幅、右足少し後ろ、で、うちまた……両脇締めて、そのまま思いっきり右手前に出す……。
弱音からの脱出方法。
本当にこんなことで脱出できるんだろうか?
「弱音じゃない!」あの時そう言ったけど、倉橋は今の私を予言していたのかもしれない。最近私は弱音ばっかりだ。
足は肩幅……このくらいかな? 右足少し後ろ……こうだったかな? それから、うちまた……こんな感じ? 両脇締めて……よし! そのまま思いっきり右手を前に出す……エイッ!。
シュッ!
もう一回、エイ!
何となく、何となくだけど、戦隊もののヒーロー……にでもなったような、悪を滅ぼす正義の味方とか、お姫様を守る王子様とか、現実離れした空想が広がる。
すぐにそんなの幻で、あるわけないって連れ戻されるけど、ほんのちょっとだけ、やっつけた気分になってスッキリした。本当にほんのちょっとだけ。
倉橋はどうなんだろう。そういえば、「ムカついたときとか、イライラしたときとか、納得できないことが起こったとき、パンチ出すと気持ちいい」って言ってたな。
バレエのアラベスクのことを「思いっきり足上げると気持ちよくね?」って聞いてたな。
エシャッペ、エシャッペ、ピルエット。
エシャッペ、エシャッペ、ピルエット、ピルエット、ピルエット……。
クルクルまわる。教室がまわる。ここでジャンプ、アラベスク。
気持ちいい……とは、やっぱり思えないけど、自分から踊ってみようなんて思ったことなかったから、何だろう、自然に身体が動いて、勝手にジャンプして、またもやさっきよりほんのちょっとだけ心が落ち着いた。
「上手いじゃん」
倉橋が扉から顔だけ出してる。
見られた! いつの間に……。
自分の踊りを上手いなんて言ってくれたのは、私の生きてきた人生の中でパパとママだけ。マリ先生にも言われたことがない。だからすごく新鮮で、照れ臭くて、嬉しいのに素直になれなくて、笑顔を隠してしまった。
「早かったね、コピー取れた?」
「おう、取ってきた、投票箱は当日オニヤンマに言えば貸してくれるって」
「そっか」
倉橋は紙の束を机でトントンと揃えて、椅子に腰かけた。
「初音んとこ、連絡網回ってこなかったの?」
さっき聞きたかったことを、さっき聞いてたら、かなりマズイことになってた。
だって、心はそのことでいっぱいだったから。
「なんで?」の嵐に巻き込まれて、ずぶ濡れだったから。
外されたこと、無視されたこと、未来ちゃんの背中にシャットアウトされたこと、眠れなかったこと、みんなのコソコソ、全部「なんで?」って思ってたから。
今は倉橋の言葉を冷静に受け止めてる。倉橋が教室を出て行ってくれたおかげで、自分を見失わずにすんだのかなって。
「連絡網なんてあったっけ?」
「俺もそんなものないと思ってたけど、昨日、家に磯崎さんから電話があったんだ」
「舞伽様から?」
「ああ。俺の他にも携帯持ってないやついるだろ? そいつらにも電話したって言ってたな」
「それって連絡網?」
そう聞くと、倉橋が一言。
「違うね」
そのキョトンとした表情が、何とも間抜けで、腹の底からクックと笑い声が聞こえてきた。そのせいか、自分でも不思議なくらい冷静に話すことができた。
「私ね、チャット外されてた」
「チャット?」
倉橋は携帯チャットのことを詳しくは知らないから、昨日からのことを含めて順を追って説明した。
「二つのチャットがあって、一つは表で一つは裏ってことか?」
「どうなんだろう」
「一つは公式でもう一つは非公式か?」
「どっちも、どうなんだろう。でも、一つは私が入っていてもう一つは入ってないってことは確か」
倉橋は考え事をするように腕組みをした。
「例えば裏で初音の悪口を言ってたとしよう。でもそれを初音は知らないわけだから、気にすることないんじゃね?」
――知らなければいいんだろうか?
「知らないところで言われてたら嫌じゃない?」
「まあ、それを知ったときは、嫌だけどな」
「だよね」
知らなきゃいいなんて、何十年もたった夫婦じゃあるまいし……家の旦那さんは浮気してるかもしれない、でも私は知らなきゃいいのよって言う熟年夫婦だったら、絆とかそれまでの経緯とか、そりゃあそりゃあ深く切れない縁があるんだろうから、他からは見えない「愛」ってもんがあるんだろうから、「知らなきゃいい」なんて言葉も感慨深く受け止められるけど、生きて十三年と半年、昨日出会ったばかりのクラスメイトに外されて、不自然な違和感と戦いながら眠れない夜を過ごしたわけで……。
「なんで私になくて倉橋には連絡があったんだろう」
机に両肘を付けて、口元に両手を組む。眼球だけがギロリと光った。
「外すなら、俺も外せか」
あ、怒ったかな。せっかく冷静に話せてたのに。そう思った途端に下降気流に飲み込まれる。ダウンバーストを起こさないうちに、上がってこなきゃいけない……ってて思えば思うほど、言葉がちぎれてく。
「ち、違うよ、そ、そうじゃないけど……けど……」
そうじゃない。けど……。
何となく運命共同体のような気がしてたから。交際騒動があって、きっと倉橋も同じ気持ちなんだって思ってたから。屋上でパズル完成させようって、ずっと二人でワードを探してきたから。一緒にいるのが当たり前で、一緒に考えることも当たり前だったから。
つい言葉に出てしまった。弁解の余地もないよね。
道連れにしようなんて、これっぽっちも思ってないのに、なんて答えていいのかわからない。
上昇気流に乗って太陽に近づきたい。
「ま、でも気にすんな」
倉橋の気遣いに感謝しながら、私も話を暖めた。
「さっきね、弱音からの脱出方法やってみた」
「ん?」
「これこれ」
右手を思いっきり前へ。
「腰、弱っ」
「これやったら、少しだけどスッキリした」
「初音はバレエが合ってるよ」
「そっかな」
「マジ、上手かった、もっと踊ってよ」
あ……。
「あのさ、倉橋。三月に発表会あるんだけど、見に来てくれる?」
「へえ、何踊るの?」
「くるみ割り人形」
「すげーじゃん」
「葦笛の踊りって曲」
「葦笛?」
苦い表情。
「葦の茎でできた笛の踊りなんだけど、葦笛を持つかどうかはわからないんだ」
遠い目。
「あのね、未来ちゃんと一緒に踊るんだ」
見えない壁。
「倉橋……、見に来てくれる?」
異世界の住人……。にでもなってしまったかのような、そんな遠いところに心を持っていかれてしまったような倉橋の沈黙。
私の声が届いていない。倉橋の心に入っていけない。倉橋の見ている異世界は、どんな場所なんだろう。
「あ、ごめん、発表会? 行く行く」
異世界から戻ってきた倉橋は、いつものお道化た倉橋だった。
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