第14話 7月牧村君

 夏の夕べ

 ハンド トウ ハンドのテーマ通り、上辺はみな仲良く、手と手を取り合い、地域密着型のふれあいあふれる催し物として夏の夕べが行われた。

 

 みんなみんな、クラス委員にも従い、先生からも誉められ、とてもとてもいい子なのだ。


 公の場では……。

 

 去年は美波と有砂と私は同じ班。交替でいろんな催し物にまわったけど、今年はひとりぼっちだ。

 クラス委員だから、全体の会計もやらなきゃならない、見回りにも行かなきゃいけない、何かあった時の責任者だから、理由はいくらでも言える。でも実際私を誘ってくれる人なんていなかった。

 

 クラス委員だから。

 だから私は忙しかった。

 

 倉橋と一緒に「仕事してます」って装ってれば、私はひとりを免れた。

 イヤ、実際仕事はあったし、責任もある。だからこれでいいんだ。自分に言い訳するようで情けないけど。

 

 屋上の西側。山々が連なるテッペンは、ピンク色から紫へ空の色を変えていた。

 

 顔よりも大きな綿菓子をかぶりつく生徒たち。

 カラコロ鳴る下駄の音が、ガラゴロと多くなる。

 

 金魚柄の袖をたくしあげ、ゆっこはステンレス製のタライのような機械にザラメを入れる。三好君はそれに合わせて割り箸でクルクルまわす。ゆっこはかがんで「はいどうぞ」とできた綿菓子を男の子に渡す。

 

 ビニールプールに水を張って大小様々、色とりどりのまあるいボールがプクプク浮く。周りには地域の子どもたちがすくい棒を片手にしゃがみ込み、どれにしようか迷っている。

 「順番ねー」

 中野君が子どもたちに言葉をかける。

 

 占いコーナーは薄暗い灯りをキャンドルで演出。浴衣に怪しげなベールをかぶった上野さんは、ここお化け屋敷ですか? ってくらいおぞましさが似合う。

 パソコンを使って質問をしながら結果をプリントアウトしている。お客さんは女性中心で艶やかな色合いが列をなす。

 

 ビニールシートを大きく広げて屋上の中心に陣取るスイカ割り。見物客も多く、「左左、ちょっと右!」賑やかな声が更に人を呼ぶ。

 

 スイーツショップは行列ができている。

 舞伽様は綺麗だった。浴衣姿が似合う。似合いすぎる。天然の巻き髪は緩めにまとめて、大きめの黒いリボンに金箔の入ったラメが光る。お店を切り盛りする女将さんのようにたすき掛けして、テキパキ動く。

 「舞伽様一緒に写真いいですか?」

 人気者の運命なんだろう。嫌な顔一つ見せず、その声に答えながらあちこち動く。そのせいか、白と黒を基調にした浴衣が少しズレて、細い肩が見え隠れする。シンプルなのに気高く色っぽい。

 美波や有砂にも優しく声をかける。売り切れてもいいように、グループのみんなにはクッキーを先に渡し、「今日はありがとう、最後までよろしくね」と言って一人一人に配っていた。舞伽様は完璧だ。

 舞伽様グループのスイーツショップは長い行列もでき、商売繁盛だ。

 

 太陽が目を閉じ、星が生まれる。紫が深まり、白銀の瞬きが夜空に点在し始めた。

 屋上はカラフルな歓声に包まれる。

 群がる生徒たち。賑わう店先。笑い声。

 有砂の、美波の、笑い声。

 ついこの間まで、私に向けられた笑顔は、もうここにはない。

 

 「初音、時間なくなっちゃうから、お前も少し周ってくれば?」

 倉橋のタイミングはいつも絶妙だ。私が寂しい気持ちになると声をかけてくれる。

 

 「うん、ありがと、でも倉橋一人じゃ大変でしょ」

 「大丈夫、落ち着いてきたから」

 確かにだいぶ動きが緩くなってる。倉橋の申し出は嬉しかったけど、一人でまわるのは酷だ。だからといってここにいるのも、有砂たちの笑い声が突き刺さる。

 「行って来いよ」

 倉橋が気を使ってくれる。

 「じゃあ、ちょっと行ってくるね」


 二年一組の催し物はミュージックカフェ。音楽室を貸し切ってコーヒーや紅茶、サンドイッチなどの軽食を販売していた。流行りの曲がカフェのドアが開くたびに聴こえてくる。

 カフェに一人で入るのもなぁ……。

 まわりはみんな、友達やグループで移動する。軽快な音楽と、甲高くはしゃぐ声が耳を通り抜ける。

 ここはやめとこう。

 

 急ぎの用事でもあるように、浴衣の裾を少し上げて廊下を足早に走った。

 「おい、清水! 廊下走るな!」

 湯川先生だ。

 「すみません!」

 「屋上はどうだ?」

 「繁盛してます」

 「そうか、清水は交替か?」

 先生に一人だってことを悟られたくなくて、「ちょっと頼まれて……」と言ってしまった。

 「そうか、大変だなクラス委員も」

 「はい」

 うつむいたまま小さく答えた。

 「がんばれよ」

 「は、はい!」

 急ぎたい気持ちを堪えてその場をやり過ごすと、行き場もない廊下をゆっくり大股で歩いた。

 これくらいの速度なら大丈夫だろう。

 歩きながら湯川先生が見ていないか浴衣の袖を直す振りをしてチェックする。

 あれ? まだ見てる。

 目を付けられたら困る。どこでもいい、どこか安息の場所を見つけなきゃ。

 ここもダメ。ここも。

 だからってもう帰るわけにもいかず、一人でいても目立たない場所を探した。

 

 四階五階はダメだ。体育館は三年生、一階は一年生のブース。その時二階の一番奥にある『物理部』のプレートが私を誘った。

 ここなら、誰もいない。いても少ないだろう。

 

 思い切って物理部のドアを開けた。

 誇り臭い焼けた匂い。空気の入れ替えをしていないようなモォっとする淀み具合。

 扉を閉めると、遠くに生徒たちの喧騒が聞こえる。この部屋は静かだ。

 部室の奥に一人本を読む生徒。

 牧村君だ。

 ドアを閉めてしまった以上は、何か用事がなくてはならない気がして、本棚へ近づいた。

 牧村君はメガネを直しながら夢中で本を読む。確か彼は、スーパーボールすくいの担当。

 交替で来てるのかな? でもなんでまわってないんだろう?

 探し物をしている振りをして……って「今日は振りばっかりだ」と、項垂れる気持ちを抱えながら、難しそうなタイトルが並ぶ本を指で追った。

 

 これなら私にもわかるかも。

 『宇宙の始まり』という本を手に取った。ページをパラパラめくる。ブラックホール、ビッグバン、無数の星が写真付きで解説されている。

 

 ――今から百三十七億年ほど前、宇宙はビッグバンの大爆発と共に生まれた――

 

 「実際は……というか、もっと科学的に研究が進められ、インフレーション理論で言えばビッグバン以前にも宇宙はあったんです」

 突然、頭の後ろから、細く、でも堂々とした声が聞こえてきた。

 振り返ると腕組みをして小難しそうな顔をした牧村君が立っていた。

 「興味あるの? 宇宙に」

 牧村君がなんかちょっと嬉しそうに聞く。笑顔じゃないのに得意気だ。

 

 暇つぶしとも言えないし、「まあね、少し調べもの」と答えた。

 「宇宙の始まりなら、こっちの本がもっと詳しく、更に新しいですよ」

 「あ、ああ、ありがと」

 断るのも申し訳ない気がしたのでとりあえず借りることにした。

 

 「宇宙のはじまりは、真空のゆらぎから生まれて、何らかの粒子に過冷却が起きて真空に蓄えられたエネルギーが急激に開放されてビッグバンが起きたんです。真空ってわかりますか?」

 何となく、帰れない雰囲気だった。

 意気揚々と話す牧村君は、教室の牧村君とはだいぶ違う。額は汗ばみ頬は紅い。上を向き指を立て、何かに憑りつかれた様に次から次へと言葉が躍る。質問の時だけ居丈高に私を見る。

 「真空って何もない真空?」

 何も聞かないのも変だから、他愛もない質問をしてしまう。

 「無だと思いますか?」

 メガネの奥の瞳が開き、瞬きもしない。

 「うーん、わかんない」

 「無だけど無じゃないんです」

 「え? 無だけど、無じゃない? 何それ」

 「ビッグバン以前にも真空っていう無があったんですよ」

 ……さっぱりわからない。

 無は無でしょ。無はゼロでしょ。考えてもわからなかった。わからないまま牧村くんは、更にまくしたてる。

 「宇宙は今でも膨張してるんです。それは科学的にも証明されています」

 わかるようなわからないような……。

 

 牧村君は酸欠になるんじゃないかってくらいな勢いで話を続けた。

 「水は0℃以下になると氷になりますよね? でもゆっくり静かに冷やされるとマイナス5℃くらいでも水のままのことがあるんです。この――氷になりたくてもきっかけがなくて水のままの状態――を過冷却って言うんです。何かのきっかけで氷になる、爆発するんですよ。これがビッグバン。ゆえに何も無い真空だけど、素粒子はあるんです。そのほつれがユラギになります。無だけど無じゃない。最近はその粒子であるヒッグス粒子が発見されたんですが……まあ、ここまで来るときっとわからないと思いますが」

 聞いてもいないことをよくしゃべる。とても丁寧に、一生懸命教えてくれる牧村君。

 でも、難しい言葉の羅列はとても分かりにくかった。

 

 「うーん。簡単に言うと宇宙の始まりって無であって無じゃないの? それは真空にもエネルギーがあるってこと? 無からも何らかのエネルギーが生まれるの?」

 「だからね、もっと詳しく話しますと……」

 「あああ、ちょっと待って、そろそろ行かなきゃ。牧村君はいいの? 交替は時間制じゃないの?」

 「そうだ、僕も行かなきゃ。今度、時間あったらまた話しますよ」

 

 牧村君は初めて理系君っぽい濃度の高い笑顔を見せた。

 中野君といるときは、いつも小バカにされてて……でも中野君といつも一緒で笑っていて……それでもどこか笑顔の濃度が低い気がする。

 いい暇つぶしにはなったけど、もっと有効に時間を使いたかったな。私はさっきより難しそうな本を脇に抱えて、屋上に向かった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る