第13話 12月現在Ⅲ
白地一色の清潔感ある建物の前で、ポケットから予約カードを取り出し、時間の確認をする。学校帰りに上町に来るのはあの事件以来二か月ぶりだ。
西日に照らされ白壁の一部が焼き物のような光沢を放つ。その壁を伝いながらフワフワと風船みたいに浮くのーちゃん。
『磯崎総合病院』の名前が見え隠れする。のーちゃんの髪の毛と足のせいで『磯崎』『病』しか見えない。
今日は風が割と強いのに、流れることも落ちることもなく、フワフワ浮いてる。
「おばけだからか……」つまらないひとり言が口から転げ落ちた。
インフルエンザの予防接種、ママからも散々言われてたから、今日こそは行かなくちゃいけない。どうせ死ぬのに予防接種も何もないだろう。でもママにはそんなこと言えなかった。ママには絶対心配かけたくない。
院長先生は舞伽様のお父さん。舞伽様には会いたくないな。
「この制服は、けやき中かな?」
白髪の院長先生がパソコンに向かいながら横目で私を見てから言った。
「はい。舞伽さんと同じクラスです」
「おお、そうかそうか、今日はもう帰ってきてると思うが、声かけてやってくれないか?」
注射針からプシュッとシブキを飛ばしながら先生は慣れた手つきで腕へ剣先を向ける。
「あ、はい、わかりました」
声をかけようなんて思わなかったけど、とりあえずそう答えた。
「舞伽は学校でどうなのかな」
「成績も優秀ですし、みんなをまとめてがんばってます」
本当のことを言った。
「そうかそうか」
先生はニコニコ笑いながら針で腕を刺す。
「ちょっと痛くなるよ、我慢してー」
私はニコニコ笑いながら、
「大丈夫です」と言った。
「はい、終わり。清水さんはえらいね、舞伽と大違いだ」
「え? そんなことないです」
「あの子は精神的に弱くてね、痛くないって思えば大丈夫でしょ、注射くらい」
あの舞伽様が?
「医者はね、勉学も大切だけど精神力はもっと必要だからね」
「いえ、舞伽さん、精神力あると思いますよ」
「あのくらいじゃ、医者にはなれないな」
「舞伽さん、将来はお医者さん?」
「ひとりっ子だからねえ、あ、声かけてってね」
「ありがとうございました」
腕の消毒ガーゼを押さえながら席を立って待合室に向かった。
注射が痛い……意外な一面だった。
こんなの痛かったら死ねないな私。
のーちゃんはスタッフルームのドアを、上へ下へとフラフラしている。
その時ドアが開いて、舞伽様がツカツカと歩いてきた。
「清水さんが来てるって父から聞いたの。これ、どうぞ。ちょうどクッキー焼いていたの、出来立てよ、食べてね」
舞伽様はピンクのリボンで両端を結び、ラッピングされたクッキーを差し出した。
「キャンディみたい」
「わかる? キャンディラッピングって言うの」
舞伽様は私が答える前に話し出した。
「いろんなラッピングがあるの、クラフトと麻紐でアレンジしたり、冬の贈り物にはニットを使ったり、ありがちだけど、英字新聞もやっぱりおしゃれだし、オーガンジーの巾着袋も柔らかさが出て気持ちを伝えたいときにいいの」
「す、すごいですね」
「清水さんなんで敬語? 普通でいいよ」
「あ、はい、あ、うん」
なんだか、舞伽様がこんなに話しかけてくれるなんて嘘みたい。嬉しいけど寂しい。学校ではやっぱり話せないから。
「清水さーん」
受付から声が響いた。
「は、はい!」
お財布を探し始めた私に「帰り、もう暗いから気をつけてね、沼池通るでしょ」と、舞伽様が話しかけてくれる。お財布がなかなか見つからない。舞伽様にも答えたいし、お財布も探さなきゃならない。こんな時、私はいつもドギマギする。
やっとカバンのサイドポケットから見つけて舞伽様に小さく頭を下げて受付に急ぐ。
のーちゃんは私のすぐ後ろについた。
料金を支払って病院を出る時も舞伽様は見送ってくれた。未来ちゃんが言ってたように舞伽様は優しいのかもしれない。
この時期は暗くなるのが早い。
携帯の懐中電灯で行く先を照らす。
のーちゃんは私の肩の辺りにピッタリくっついてフワフワしてる。
さっきからずっと。何だろう。
いつもなら少し離れた私の後ろや、視線の先にいるのに。
昼間は緑が広がるこのあたりだけど、夜になると結構人通りも少ない。足下から土を踏む感触と一緒に、サクサクという音が鳴る。
――霜柱が溶けてないんだ。
時折吹く風の音と一緒に犬の遠吠えが聞こえるくらいで、他に物音はしない。
カサカサって葉っぱが揺れるたび、ちょっぴり怖くてマフラーを口まで上げた。
おばけが出そうだ……ってもういるか。
少し歩くと沼池が見えてきた。夜の沼池は真っ黒で不気味だ。月明かりが水面を映して揺れている。そこだけボンヤリと明るいから、沼池なんだとわかるけど、月明かりがなかったら池があるとは思えないほど真っ黒だ。
のーちゃんが視線の先に回った。
え……? 連れてくの? ここで?
「この先、危険、近寄るな」
錆が文字を少し消しているけど、携帯の懐中電灯で照らすと、「危険」の文字がハッキリと読める。斜めに傾いた立て看板の横に、両手を広げたのーちゃんがいた。
「さあ、こっち」そう言ってるみたい。
ごめん、のーちゃん。
確かにね、ずっと昔、沼池で亡くなった人がいるって聞いたことあるよ。でもね、冬の沼池は冷たすぎるよ。水草に絡まって死にたくない。
もうちょっと考えさせて。自分の死に方ぐらい。
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