第9話 6月運命共同体
シトシト降る。雨千粒。
たまに強く風が窓を打ち付け、千粒が一気にガラスを震わす。
ムンとするしめった空気が振動で伝わる。雨粒が窓から流れ落ちる。
落ち込むなと言われても落ち込まずにいられない今日一日。
私はひとりぼっちだった。
有砂のときと同じように、美波まで失うのだろうか?
倉橋とは何でもない。彼や彼女がいる子だってたくさんいる。でも私は倉橋とつきあってない。例えつきあってたとしても、嫌われる理由なんてない。
何がどうなってしまったんだろう?
「あのさ……」
私が座る席の背もたれに倉橋が手を掛けた。
「なに?」
きっとムスっとしてたと思う。
「まあ、落ち込むなって」
「落ち込んでないよ」
ムキになってる。自分でわかる。
倉橋は机に夏の夕べの資料を置いた。クラスで決まった内容が書き込まれている。私が休みの間に倉橋が一人でまとめてくれたんだ。
「うちのクラス、屋上貸し切ったから」
「屋上?」
「じゃんけんで勝ったから」
「なにやるの?」
「屋上露店」
二年生が中心となる『夏の夕べ』は、夏休みの一日を使って夕方から学校を開放する。毎年夏の夕べ――コミュニケーション、とか、夏の夕べ――ホリディナイト、などのサブタイトルがつく。
今年は夏の夕べ――ハンド トウ ハンドに決まった。
手と手を取り合ってという意味だと思っていたけど、接近・接戦という意味らしい。地域との接近や各クラスが競い合って催し物を出し、みんな手をつないで一つになるというテーマだ。
文化祭では文化部が主に出店し、クラスではステージ発表が義務付けられる。文化祭と違って夏の夕べはみんなが浴衣を着てお祭り気分を味わう。
文化祭は学習発表の場。夏の夕べは、地域住民と生徒全員が楽しむイベントだ。
二年生が中心となって行う各クラスの催し物は、教室以外の場所がメインとなる。
屋上や図書室、音楽室など使用可能だけれど、一番人気はやっぱり毎年屋上だった。
「初音は何やりたかった?」
「あれ? 決まったんじゃないの?」
「そうだけど、初音がやりたいこと何だった?」
いたずらっぽい瞳がのぞく。そんなこと聞いてどうすんの? 決まったのに?
「露店に決まったんでしょ?」
「俺さあ、おばけ屋敷が良かったのに」
「は? それ去年の二年生が屋上でやったじゃん」
「楽しくなかった?」
「楽しかったよ、でも二番煎じじゃない?」
「楽しけりゃいいと思って、意見したんだけど、みんなから反対された」
「そうだろうね」
「去年よりおもしろく、去年より斬新に、去年より怖がらせて、去年より楽しかったって言わせてみたかった」
白いワイシャツと紺色のベストから覗くネクタイを、丸めたり伸ばしたりしながらブツブツ言ってる倉橋。紺色とシルバーが私の目の前をクルクルまわる。普通のネクタイと違って固めだから、ネクタイの先が少し変形している。
「言わせてみたかった」って、結構挑戦的な言い方だったのに、倉橋の手元がそこだけクッキリ切り取られ、私の頭の中で寂しげにグルグルまわった。
私のいない間にきっといろいろあったんだろうな。
「倉橋、露店だってできるじゃん、楽しもうよ」
倉橋の手元のクルクルが止まる。倉橋が顔を上げた。
一瞬ドキッとする。細い目がグッと大きくなった。
「明るいな」
倉橋に笑顔が戻った。
ちょっとだけ励ませたのかな? なんか嬉しくなって私はこう言った。
「露店で去年よりいいもの作ろう!」
倉橋が立ち上がると、視界が一気に紺色になる。
ち、近いよ倉橋。
「屋上行くぞ! 雨上がった」
え? 明るいってそっち?
「ホラ、行くぞ」
私と倉橋はレイアウトを考えるために屋上に上がった。スーパーボールすくい、綿菓子、スイカ割り。「去年のおばけ屋敷とは違うけど、それなりに工夫を凝らして、一般人も楽しめるような露店にしたい。去年よりも良いものを」倉橋の話に熱が入る。
なんだ、結局倉橋は最初から露店やる気満々なんだ。
そんな倉橋との打ち合わせ最中にも、ため息は消えてくれなかった。
時折悲しくなる。思い出すから。美波のこと。
私が黙ったから、倉橋は横でジャブとストレートを繰り返した。
肩まである金網は、水滴がまだ残っていたけど、そんなことお構いなしに両腕を乗せて、グラウンドをボーっと眺める。
長袖の白いシャツをめくり上げた肘が、そこだけ濃い灰色になる。ジワジワと肌にまで染みてくる冷たい感覚。蒸し暑かったから気持ちいいはずなのに、熱気で生温かくなるのも早かった。
校門の先には、けやき坂が続く。小高い丘の上に建つ校舎から、私の住む町が眼下に広がる。
空は灰色の雲が混雑する。
雨上がりの町はすべてが水分を含み、静けさを増す。
こんなにシンとしてたんだ。
モノクロ写真のように、鉛筆画のデッサンみたいに。
笑い声も聞こえない。私が育った町。美波と、有砂と楽しかった日々。
町の向こうには海が広がる。北側には山々が連なる。雲の渋滞に巻かれて富士山は頭を隠しているようだ。
美波とは小学校の時から仲が良くて、海にも山にも一緒に行った。
五年生のキャンプの時、テントの中で夜中まで話してもっと仲良くなった。
「ずっと友達」
毛布にくるまってそう約束を交わした。
あの約束は何だったんだろう。
中学生になっても同じクラスになった。そこで有砂も加わって私たちは誰にも壊せないほど親密だったと……思っていたのは私だけだったのかな。
ひとりよがりの小さな誇りは、モノクロの街並みに吸い込まれていった。
「俺たちの噂、聞いた?」
見兼ねた倉橋が動きを止めて横に来ると、やっと口を開いた。
額から流れ落ちる汗。そんなに流れ落ちるまで、私を待っててくれたの?
私の視線は静かな町から倉橋へとターゲットを変えた。
「聞いてない。でも、なんとなく」
「つきあってないもんな、俺たち」
「うん」
「だから気にするなって」
金網にもたれかかったままの手は、その細い金属の何本かを跡が付くくらいギュッと握っていた。
待っててくれたなんて撤回!
イライラする。
気にするなって……。
「気にするなって、みんなに疑われてるんだよ、美波にだって、有砂にだって……私、耐えられない。ハッキリ言おうよ」
「ハッキリ言っても、傷、深くなるだけだよ」
「なんでよ、わかってもらえたらいいじゃん」
「わかんねえの? お前。あいつら、楽しんでるだけだから。本気になるだけ損だよ」
「だって、このままでいいわけないじゃん」
「初音はすぐに感情的になる、顔に出るからすぐにわかるよな」
少し顔を突き出して、鼻で笑う倉橋。バカにされてるみたいで悔しい。
「だって、そうじゃん、最初は有砂が、今度は美波まで、みんなどっかに行っちゃって、信じて貰えなくて、何が何だかわからないよ。どうしてこうなったのかも、わからないんだよ? なんで私だけがこんな思いしなくちゃいけないの? 私何かした? 悪いことなんてしてないよ」
倉橋のキリリとした眉が更に上がった。
「お前さ、私一人だけって本気で思ってんの? 俺も被害者なんですけど」
そうだった。
私だけじゃなかった。この人も噂の張本人だった。倉橋が堂々としてるから、私だけ辛いと思いこんでた。
「ご、ごめん。倉橋も被害者だよね。でもあんまり平気な顔してるからさ、つい……ごめんね」
「まあ、いいけど……。俺だって気分悪いよ。真実が伝わってないんだから」
高い鼻が横を向く、隣にある背中が遠く感じる。気まずくなるのが嫌で、すぐに話しかけた。
「ねえ、私が休んでるとき、何があったの?」
倉橋は向きを変えて、金網にもたれかかり、私を見下ろした。
「うーん、初音が熱を出して送っていっただろ? それを見たやつがいて、大げさに言ってつきあってるって噂が広まった」
そこまで倉橋が言ってやっぱり疑問。
「でもさ、だからって何で裏切り行為になるの? 私美波に裏切り者って言われた」
「裏切り者? 加藤にそう言われたの?」
「うん」
「何かおかしいよな、例え初音と俺がつきあってたとしてもだよ、そこまで言われる筋合いないよな」
倉橋! そうなんだよ!
ずっと私が思ってた、くすぶってた気持ちが今、倉橋と一つになった。
「そうでしょ? そうだよね? 私もずっとそう思ってた。そんなことで、おかしいよね?」
単純に嬉しかった。
同じ気持ちだ、倉橋と。
あっちこっち穴のあいたクロスワードパズルを、虫食いになった言葉のパズルを、一緒に探して一緒に埋めてくれる人が現れた……。そんな気がして、つい続けて言ってしまった。
「クロスワードパズルみたい」
「クロスワードパズル?」
「なんでこうなったのか、どこでどうなったのか? ワードを探して完成させたい。倉橋は知りたくないの?」
「わっかんね」
「原因探りたいの。ここまでの経過も知りたい」
「探したところで、変わらないと思うけどな、この状況」
「なんで? 原因見つかったら、そこ解決すればいいんじゃないの?」
「そんな簡単じゃないよ」
え……。
何かを諦めたようにつぶやく倉橋に、少し憤慨しながらも、何が簡単じゃないのか? なんで解決しないのか? 納得ができずに疑問ばかりが浮かんできた。
野球部のドスの利いた掛け声と球を打つ金属音が遠くに響く。
プーワー。
トランペットの習いたての練習音が耳に慣れたころ、沈黙を打ち消すように倉橋が気を使った。
「まあ、でも、このままじゃもっと変わらないよな。探ってみるよ、で、パズルのワード見つけたら、ここ集合な」
これって、励ましてもらってるのかな。
一緒に原因を探してくれることは、とてもありがたい。でも、少しだけ不安がよぎった。
「でも、一緒にいたら、もっと疑われない?」
倉橋は私の肩をポンポンと二回叩いてからものすごく軽く言った。
「じゃあ、つきあっちゃう?」
目が飛び出しそうになった。そんなでっかい目をしてた気がする。
「バッカじゃん? 本気にしてんの」
倉橋が笑った。
きっと私の顔は、リンゴみたいにイチゴみたいに、おさるのおしりみたいに、耳の先まで赤くなってたと思う。一瞬マジなのかなと勘違いしそうになった。
恥ずかしい。すごく。
でも、嫌な気分じゃなかった。
「実際つきあってないんだし、堂々としてればいいんじゃね?」
倉橋がさりげなく言う。
その言葉は自然で、当たり前のようで、飾りが無くて、でも十分伝わってきて……倉橋の優しさが私の心を埋めていく。
カスカスのウェハースが少しの水分で口の中で溶けていくみたいに心にジュワッと沁みこんできた。
ちょっと冷めてて、ぶっきらぼうなとこはあるけど。証拠に私の気持ちは、ここに来た時のどっぷりと落ち込んだ感情とはまったく逆に、乗り越えてやろうなんていう、ちょっと前向きな、しかも少し浮かれた気持ちになっていた。
「落ち込むのはもったいないよ。そんなエネルギーは他で使えばいい」
こいつ、こんなにいいやつだった?
悔しいけど認めてやる。今回だけは。
「うん、夏の夕べ成功させなきゃね」
「そうだな。協力するよ、原因探しも」
何でもわかりきったような瞳に危うく吸い込まれそうになったけど、今日は素直に受け止めよう。
「教室戻ってまとめようぜ」
雨上がりの湿った熱い空気が教室を包む。窓を開けたら心地いい風が吹き込んできた。
学年目標がパサパサっと揺れる。
『友情・信頼・責任』
あると信じていた友情も信頼も今は遠くなってしまった。責任だけは持っていたいと心に誓う。いや、友情だって信頼だって無くしたくない。
「初音、やんぞ」
ボーっと突っ立っていた私の耳に、倉橋のちょっとムッとした声が届いた。
「あ、ごめん、やるやる」
屋上のレイアウトをノートに書き込む。受付があって、看板があって、それぞれのブースがある。雨が降ったらどうするのか? その場合は急遽この教室が使われる。狭いけど仕方ない。いろんな問題点を考えながら、話し合いは進んだ。
あとは、みんなにわかるようにまとめて資料を作成する。
「次回の学活でブース増やして、割り当てしなきゃな」
「うん、みんな協力してくれるかな?」
美波のことがあって、みんなの視線が気になって、まだ少し心細くて、倉橋にそっとたずねてみた。
「クラス委員の仕事、きちんとやってれば大丈夫じゃね? ちゃんと資料作ってこいよ!」
「うん、ありがと」
ノートを片付けようとカバンを開けると、ビニール袋がガサツに顔を出した。
濡れた靴下だった。下駄箱でいれたっけな。取り出すとさらに下のほうにきちんとたたまれたビニールが……。
あれ? なんだこれ?
濡れてない靴下。ママが入れてくれたんだ。
素足に靴下を履くと、そこだけホワホワ温かかった。
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