第7話 6月不格好な桃

 有砂との出来事。

 ――あれから二ヶ月。

 

 体育祭文化祭も無事終了した。

 何事もなかったようにクラスは仲がいい……ように見える。

 二クミチャも平穏を装っている。

 きっとオニヤンマにはわからない。鈍感なヤツだから。

 もう当たり前のように有砂は舞伽様グループに所属し、まわりからも「アリー」と呼ばれるようになっていた。

 私も当たり前のように美波と二人でけやき坂を上り、倉橋と下る。

 美波も私も、有砂のことは言わなくなった。

 有砂に話しかけることも、話しかけてくることもない。今ではこれが日常だ。

 あの後、美波は何度となく有砂に連絡をとったらしい。

 美波とは、それなりに話しもするけど、私とはまったく話そうとしない。 

 

 努力はした。

 電話やメールはもちろんだけど、クラス委員の仕事がない日は、有砂を待ったり、一生懸命声もかけた。

 私が追いかければ追いかけるほど、有砂は私に冷たくなった。

 なんで? どうして? わからない。

 そんな日が続くと、とてもしんどくなる。 

 いつしか、私はあきらめていた。

 きっと、友達って、こういういろいろなことがあって、離れたりくっついたりするもの。

 きっといつかまた有砂は戻ってくる。そんなふうに考えるようになっていた。


 教室内では相変わらず騒がしい声が響く。

 この二ヶ月でわかったことは、倉橋がどこのグループにも属さないということ。

 前から誰にでも声をかけていると感じていたけど、どこのグループにも所属せずに、どこにでも入っていけるのは、彼の特技かもしれない。

 脳天気に、フラフラと、誰にでも話しかける。もちろん、クラスの男子にだって、美波にも、文果、未来ちゃん、夏帆、千愛里にも。

舞伽様にだって、有砂にだって。

 

 けやきは新芽がすっかり成熟し、黄緑の葉から青々がふさわしい色目を出し始めた。青々と言っても青ではなく緑色がふさわしい。若草色、若葉色、深緑、萌葱色などなど。

 この色すべてが葉のどこかに混ざったような色。

 

 オニヤンマからの指示でけやきについては調べてみた。

 けやきは落葉高木樹で、春に芽吹き、夏に青く成長し、秋に紅葉し、冬に枯れる。

 幹は家財やタンス、家の大黒柱等にも使われる。何百年も成長することから長寿の樹としても有名。

 

 クラス目標は二年生という学校をまとめる時期に当たるため、『学校の大黒柱』がサブタイトルについた。

 そんなふうにクラスがまとまるのだろうか?

 そんなふうに学年を、学校を背負って立つなんてことできるのだろうか?

 倉橋とオニヤンマは「そういう気持ちで頑張ればいい」と言い、結局クラスの目標に組み込まれた。

 

 あれから二か月が経つけど『決断力、やる気、希望』に満ち溢れたクラスとはとても思えない。

 けやきのようにどっしりと構えたい。そう思いながら顔を上げた。

 雲間から一筋金色の光がスポットライトのようにけやきを照らす。

 今まで気にならなかった大粒のしずくに光が照らされ、生命が宿ったみたいに生き生きとその葉を色づける。

 「一つとして同じ色はない。どこかしら違うのがこの葉の特徴なんだ」とか。

 嘘か誠か知らないけど、ほとんど毎日のように一緒にこの坂を下る倉橋の言いぐさだった。

 

 「初音、聞いてるのかよ、人の話を」

 なんだかボーっとして、倉橋の話が私の耳の中で湿気を帯びた生温い風と共に混ざり合った気がした。

 「ご、ごめん、何だっけ?」

「だからさ、雨粒って、透明だろ? 何の色にも染まるっていうか。ほら、見てみろよ、このひとしずくがさ、緑だよ、こっちは若草色」

 はじけそうな雨粒がプルンと乗った一枚の葉を手に、倉橋が笑う。

 たまにこういうことを無邪気に言う倉橋。普段は上から目線でバカにするくせに。

 「今ね、なんか頭が重いの。そういう話、今度にしてくれない?」

 頭が重かった。脈の音が両側のコメカミ辺りでズキズキズキズキ。

 「大丈夫か?」

 倉橋の手が私のおでこに触れた。

 冷たい! この人の手。

 「お、おまえ、熱あるんじゃねえ?」

 「わかんない、頭、ズキズキ」

 「頭、大丈夫か?」

 「……」

 普段なら言い返したはず。

 「悪いのは顔もです」とかなんとか。

 しかしながら、反論する気力はなかった。

 「病院行けよな」

 

 倉橋がギュッと私の腕をつかみ、支えてくれた。ボーっとしながら立ち上がって、歩き始めた私の後を、前を、行ったり来たりしながら様子をうかがってくれる。

 意外と優しいのかもな。

 

 倉橋に家まで送ってもらって、リビングのソファーになだれ込むように倒れ込んだ……までは覚えている。その後ママが倉橋にお礼を言ってる声を子守歌に、眠ってしまったようだ。


 夏風邪だった。

 ママが私の部屋におかゆを運んできた。

 「少しでも栄養とらなきゃね。食べるのよ今日は」

 発熱してから三日目の今日も口に物が入らない。入ってくれない。こういうとき、ママは優しい。このままずっとベッドに顔を埋めて眠っていたくなる。有砂のことも全部忘れたくなる。 

 バレエも今週は風邪のおかげでお休みだし、クラス委員の仕事も放り投げていい気分……。なのに、何となくスッキリしない。ちょっと気になることがあったから。

 

 昨日美波がお見舞いに来てくれたときのことが気になると言えば気になる。

 美波は自分の前髪を人差し指と親指でさわりながら、言葉を濁しながら言った。

 「倉橋に、あの、送ってもらったんだって? あ、だからどうってことないんだけどね、ただね、昨日倉橋に寄りかかって歩いてる初音の姿、見た人がいて」

 「熱が出て支えてもらったけど、寄りかかったりしてないよ」

 その時は、熱があったし、支えてくれたことは覚えてるけど、ほんの一瞬だったし、その後は私の後ろと前をうろついてたから、そんなに大したことではなかったはず。

 美波はなぜそんなことを聞くのだろう。

 「本当?」

 その時の美波の真剣な目が、今でも気になっている。奥深く私を探る目。疑ってるのだろうか?

 「本当だよ」

 きっぱり答えた。

 「そう」

 ため息と一緒に出た言葉。

 だから、何?

 私が事情を聞こうとすると、さっと話を変える美波の態度。私もまだ熱があったし、どうってことないことだって、思うようにしたけど、今になって気になるのだ。

 

 「初音、お友達よ」

 ママが、ドアを開けた。 

 その奥から申し訳なさそうに倉橋がちょこんと顔を出す。

 「倉橋、どうしたの?」

 「どうしたのって、お見舞いだよ」

 「じゃ、どうぞごゆっくりね」

 

 ママの眉が「ウフフ」って言ってるみたいにヒョコっと上がった。

 誤解だよママ、こいつとは、何もない! 

 心で叫ぶ私を笑うように、ママはトントントンと軽やかに階段を下りていった。

 

 「大丈夫か?」

 倉橋が聞く。

 「大丈夫って言いたいけど、まだ平熱に戻らないんだ」

 「あの……さ」

 ベッドの横にある椅子に座ったり、席を立ったりしながら何か、言いたそうな倉橋。

 「どうしたの?」

 一瞬ためらった後、倉橋が切り出した。

 「おまえは悪くない……と、思う」

 「え?」

 「だからさ……うーん」

 髪をかき上げるようにクシャクシャにしながら倉橋が言った。

 「何?」

 「弱音だからな、強い気持ちで……な!」

 そして、体を縮めて拳を出す。

 「これだよ、これ」

 「学校で何かあった?」

 「まあ、とにかく初音は普通にしてれば問題ないって、じゃ、また学校でな」

 倉橋はそういうと、カバンの中からそっと桃を一つ出して椅子の上に置いて出て行った。

 

 何度も指で押したような跡が、くっきりついたちょっと不格好な桃を、私はじっと見つめた。

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