第2話 4月クラス委員
あの頃……。
そう、けやきの葉が全身黄緑に衣替えを迎え、葉の間からソロリと抜ける風が、ゾクッと立つくらいに肌にまとわりついて、私たちの鼓動を文句なしに唸らせた。
有砂(ありす)、美波(みなみ)、そして、私。
「手をつないで歩くなんて、ちょっと幼稚だよね」なんて言いながらも、三人は二年目を迎えたけやき坂を悠々と上った。
聞こえてくるチャイムも、息を切らして抜かしてゆく生徒も、ダブついた制服の襟を直しながら急ぐ一年生も、おかまいなしに、悠々と。
見上げるとふっくら若葉をひるがえした、大きなハタキたちがワサワサと束になって揺れ動く。
一本一本数えたら気が遠くなりそうな縦列が坂の上までずっと続く。
私たちが歩けば、けやきも行進する。
ステップを踏めば、けやきも踊る。
けやき坂を上りきると見えてくる富士見学園中学。私たちの学校だ。
下町では見えないけど、上りきった上町から海を眺めると、北側にある山と山の間から遠くに富士山が見える。だからかもしれないけど、この辺は緑や池に囲まれた高級住宅街が広がる。けやき並木は上町の中心まで列を乱さず続く。
富士見学園中学は、そのせいもあって通称『けやき中』と呼ばれている。
「ねえねえ、今日ぉ、クラス委員決めるんだよねぇ?」
有砂の猫なで声が耳にまとわりつく。
「どうせ、決まってるでしょ」
美波がサラッと言い添える。
多分、そう。決まってる。大抵は人気票か成績による。
「でもさ、気にならにゃい?」
有砂は肩をすくめてエヘっと笑いながらカバンをギュッと上げた。
カバンにぶら下がるキャラクターたちが有砂みたいにキュルキュルと音を立てた。
「ぜーんぜん」
私も有砂の質問に興味はない。
「クラス委員になりたいの?」
美波が間髪入れずに聞いた。
「そうじゃなくって……」
有砂はモジモジしながら上目遣いで困った表情になる。
「あー、そっかあ」
美波の目尻がミミズみたいに細くなった――と思ったら、黒目がパンと大きくなった。
「美波、何?」
「いい? 初音(はつね)に教えても」
「だ、だめ」
「何、何?」
私は二人にくいついた。
その時、後頭部に衝撃が走る。痛い!
「おっさきー」
大きな影が私の頭上を走り、紺と白のネクタイが目の前を通過した。倉橋が私の頭を小突いたのだ。
「ちょっと! 倉橋! 痛い!」
声を無視して倉橋は三人を抜かすと、素知らぬふりでけやき坂を軽やかに上り、どんどん小さくなっていった。
クラスが一緒になってから、割と話すようになった倉橋。結構痛かったんだけど。まだキリキリと頭の後ろに響いてる。あんまり人なつっこいのもどうかと思う。
「何アイツ、ムカつく」
私がそう言うと、
「ね、遅刻、チャイムなったし」
美波があわてて走り出した。
「遅刻ー」
有砂も続く。
「ちょっとぉ、なんでー」
さっきのチャイムは気にしてなかったくせに。仕方なく走り出すと、けやきたちの行進も、スピードを上げた。
私たちはいつも一緒だった。
通学も、下校も、クラスも一緒。トイレだって手をつないで行くんだから。
なのに隠しごとなんてちょっとひどい仕打ちなんじゃない?
納得がいかないまま校門までの坂を一気に駆け上った。
「あと一分! 遅刻だぞ、急げ!」
「ヤッバ! 湯川だ!」
私たちは、お腹に巻き上げていたプリーツスカートを急いで下げた。
生徒指導の湯川誠(ゆかわまこと)先生が校門前にズッシリ構える大きなけやきの下から叫ぶ。ジャージ姿に腕組みをしてこちらをじっとにらんでる。
角刈りに少し白いものが混じっているあたりは、何十年も生徒を震え上がらせてきたんだなっていう年季ってものを感じる。
湯川先生に呼び止められたらおしまいだ。遅刻決定になる。制服のスカート、ひざが隠れていないとアウト。
ひざが見えてなきゃ可愛くないじゃん。
ごくごく普通の、目立ちもしなければ地味でもない私たちでさえそう思う。
「突っ走るよ!」
声と同時に真っ直ぐ伸びた紺色の腕を突き出し、美波が走り出す。馴染んだ制服のジャケットに風を感じる。栗毛色の前髪がパサパサなびく。ちょっと広めの額から美波の知性が放たれる。
加藤美波(かとうみなみ)
小学校時代からの大親友。おおらかで、包み込むような優しさを持ち合わせた一緒にいて安らぐやつ。何よりも竹を割ったような性格が気持ちいい。
「行くぜー」
私も有砂も後に続いた。
「おはようございまあす!」
極めて高く明るい声と、最上級の笑顔を湯川先生に贈った。湯川先生は頷きながら私たちを見送った。
よし、切り抜けた!
「おーい、坂井! カバンのジャンジャラ取れよー」
湯川先生の響く声が追いかけてきた。
私たちは目を合わせて一斉に噴き出した。
「ジャンジャラだって、ウケる」
「言わせとけ」
有砂に続いて美波がバッサリ斬る。
そのまま湯川先生の声を置き去りにして教室へ走った。
チョークの先からは、一文字を書くたびに白いカスが飛び散っていく。
黒板に右上がりの白い文字が並んでいく。
「倉橋」「中野」「倉橋」「倉橋」
オニヤンマの声が響く。チョークが割れるんじゃないかってくらい、思い切り黒板に文字を書く……というより打つこの人。
オニヤンマはトンボメガネの小野洋人(おのひろと)先生二十八歳。二年二組の担任だ。教科は理科。
骸骨みたいに細い体と黒縁のめがね。その奥には気弱そうな目。七三に分けられた黒光りした髪の毛。何となくいつもベタついてる。
小野先生は怖くない。オニだから怖そうだけど、トンボとメガネと小野の合わせ技でオニヤンマ。先輩たちがつけたあだ名だった。
この調子だと男子のクラス委員は、倉橋オズマ。後頭部打撃の犯人。
倉橋オズマ(くらはしおずま)
小学校は別だったけど、二年になって初めて同じクラスになってからはけっこう話すことが多くなった。昔から知ってるみたいな感覚。
髪は茶髪で前髪の一部は茶色い瞳にかかる。引き締まったボディ、スラッと長い脚。キリリと細い目、笑うと何故か優しい表情になる。いつも誰かと一緒というわけではなく、みんなと仲がいい。だからクラスでも人気者の部類に入る。女の子からの評判もまずまず。
――でも、私はタイプじゃない。
投票箱からオニヤンマは雑っぽく、投票用紙を開いていく。
「倉橋」「三好」「倉橋」「中野」
倉橋オズマの正の字は完全に他を上回っている。
「ラスト、倉橋! 決定だな」
オニヤンマが左指でメガネをあげた。
「次は副だ」
私の予想だと、ガリ勉の上野さんか、クラスをまとめる意味で舞伽(まいか)様。
でもやっぱり舞伽様が本命。美しすぎる容姿と発言力。誰もが認めるクラス……イヤイヤ、学年一の人気度。
「磯崎」
オニヤンマの声が響く。
ほらきた。予想的中?
「坂井」
え? 有砂? ふーん、有砂かあ。
坂井有砂(さかいありす)
私の親友。ネコみたいなやつ。
小学校は違ったけど、中学一年の時に同じクラスになって、変顔を写メして、一緒になって大ウケして……。それからずっと仲良し。
倉橋と小学校が一緒で、六年生の時、初めて同じクラスになったらしい。
すぐに甘えた声を出すけど、憎めなくて可愛い。いつも私と美波の後ろをチョコチョコついてくる。「にゃん」が口癖。有砂が副委員になったら、きっと毎日「初音、お手伝いしてにゃん」なんだろうな。
なんて考えてたら、
「清水」
ん? 耳を疑った。清水初音(しみずはつね)私?
さては有砂たちだな。
「磯崎」「清水」「坂井」「清水」「磯崎」
え? 何? この展開。
私、もしかして選挙戦の主役? 選挙カーにでも乗って手を振ってる立候補者みたいに?
「清水」「磯崎」「上野」「磯崎」「清水」
舞伽様と一騎打ち……? って、困るんだけど。もし、私が副委員なんてことになったら、私の貴重なる青春の時間が潰される。
「清水」「磯崎」「清水」「清水」……。
な、なんで私?
私は勉強も大したことないし、正規票が積まれることはないはず。「みんなから慕われてるか?」って聞かれたら、舞伽様には及ばないし、顔だって、美人とは言い難い……ってことは、人気票が入ることもない。なのになぜ? 誰が? 何の目的で、私に投票してるの?
もちろん私は舞伽様に一票。間違っても自分の名を書く事なんてあり得ない。清き一票なんだから無駄遣いしないでほしい。
なぜ? と、ええ? と、わあ! とが一緒になって「胸騒ぎ」って文字が脳みそを埋めていく。
「清水」「清水!」
オニヤンマの声が、なぜ? と、ええ? と、わあ! の間を割って私に届いた。
「は、はい!」
「前期副委員決定、宜しく頼むぞ」
胸騒ぎ的中。
「あ、は、はい」
仕方なくそう答えるしかなかった。教室からは、拍手の渦。周りを見渡すと、みんなが私に注目してる。何となく違和感。
拍手が……。
手を打つスピードが、少し遅い気がした。
「放課後、クラス委員、副委員、教室に残るように。今後の打ち合わせをするぞ」
オニヤンマの声が、かすかに横切った。
「副委員おめでとう!」
オニヤンマが教室を出た途端、美波が私の肩を後ろから、もむように掴んで飛び出してくる。
「なんで私? やってらんないよ」
ボソっとつぶやく。
「ねえ、初音、私、副委員のお手伝いしてあげる」
有砂。かわいいな。少女マンガに出てきそうなキラリン光る大きな瞳と甘えるしぐさ。 あのめんどくさがりやの有砂が手伝ってくれるなんて、ちょっとビックリだけど、素直に思う。
ありがたいよな。こういうのって。
「うん。お願い。あ、帰り遅くなっちゃうかも」
「大丈夫、待ってるから」
美波にも感謝。
「ね、トイレ行こ!」
有砂は私の右手を、美波の左手を握り、三角の先頭に立ってグイっと引っ張った。
「できるわけないじゃん」
トイレから聞こえてくる何やら……陰口?
「あの噂、本当だったね」
「あんな子にクラスまとめられるわけがないって」
「そうよ、なんで舞伽様じゃないわけ?」
――うわっ。嫌な感じ。舞伽様グループだ!
有砂を先頭にした矢印が崩れた。と同時に美波が勢いよく、
「やってみなけりゃわからないじゃない」
トイレに怒鳴り込む。
話し声が途切れる。
舞伽様が、グループの後ろの方から少し困った顔をしてスッと出てきた。
手に持った携帯電話を五回ほど扇子みたいに仰いでから、目を閉じてほほえむ。
「清水さん、副委員おめでとう、期待してるよ」
ほほえみは、ゆっくりと柔らかで、でもどこか冷たくて。美人だから余計冷たく見えてしまうのかもしれないけど。
私は何て答えていいのかわからなくて、無口になった。
舞伽様の後ろからコソコソ話す声が聞こえてくる。何を話しているのかわからないけど、多分私たちに聞こえたらまずい話。目線が意地悪。
水島文果(みずしまもか)、高瀬未来(たかせみらい)、立原夏帆(たちはらかほ)、菊池千愛里(きくちちえり)。
舞伽様グループ。みんな顔立ちが整い、見ているだけで美しい……というのは私にもわかる。羨ましいくらい華やかで明るくて、いつも笑ってる。高い声で笑ってる。クラスで一番目立つトップグループ。
みんな磯崎舞伽を「舞伽様」と慕い、従う。誰もが憧れ、誰もが認めているグループだ。
舞伽様の隣は水島文果。
舞伽様と小学校時代から仲がいいらしい。
ゴールドに近い茶髪は肩まで伸び、制服のジャケットやスカートも短めにアレンジ。舞伽様がお嬢様タイプなら、文果は少しギャル系美人。舞伽様を立てて舞伽様を崇めて舞伽様を慕う第一人者。
立原夏帆と菊池千愛里は文果の指示に従いいつも二人でコソコソ話す。
サラサラの黒髪ボブが日本人形のようなイメージの夏帆と、大きな瞳がフランス人形みたいに可愛い千愛里。いつも二つに横髪を結んで、プードルの耳のようにピョンピョン揺れている。
二人は仲が良く一年生の時、グループに加入したらしい。
その後ろにくっついているのが高瀬未来。
五人はいつも一緒に行動する。
トイレの前で五対三が火花を散らす。散らしたいわけじゃないのに、そう見える。
その中で高瀬未来だけは何となくうつむいている。多分私に対してだ。最も気まずい空気がそこだけ漂う。
高瀬未来。
中学に入学するまでは、何でも話せる仲だった。一緒のクラスにもなったし、家が近かったから、よく泊りにも行った。今でもバレエ教室は一緒だ。レッスンの時は、気軽に話せるのに、学校だと話どころか目も合わせてくれない。そんなに私と話すのがみっともないの?
よくそんなことを考えたけど、未来ちゃんも未来ちゃんなりにグループには従順なんだろう。見えない掟みたいなものがあるんだろうな。前からわかりきったことだけど、やっぱなんか変だよな。
そういうのひっくるめて、こういうグループ好きになれない。
だから関わりたくない。
さっさとトイレ済ませようよ。
美波は対抗心向き出しにしてるし、有砂は私の後ろに影をひそめてるし。
ヤダヤダヤダ! こういうのヤダ! 逃げよう!
私は一刻も早くこの場を立ち去りたかったから、気持ちを逆撫でないように、少し言葉を選んだ。カッコよくもなく、突き出てもいない、平凡な言葉を。
「期待に応えられるかわからないけど、みんなの票だから、がんばってみる」
「がんばってね、清水さん」
そう言い残して、振り返ると、舞伽様の細身の足が先頭を歩き始めた。それに伴って、ゾロゾロと足音が続いた。
磯崎舞伽(いそざきまいか)
目鼻立ちがくっきりとした女優さんばりの美人。
だからといって決して派手ではない。
清楚な小手毬のように色白で品のあるしなやかさ。通った鼻筋、長いマツゲ、見つめられると石化してしまいそうな大きくて透き通った瞳。目と鼻と口が美人の象徴と言われてる黄金比のように、整っている。
ロングの天然巻髪が華やかさを増し、立っているだけで見とれてしまう。人気もあるし、頭もいい。統率力も満点。
何て言うか、文句の言いようもないくらい、立派な方。ご両親は上町でこの地域に一つしかない総合病院の院長。だからかもしれないけど、いっつも上から見られてる感じ。
でも未来ちゃんがいつか言ってた。
「舞伽様は、私のこと一番理解してくれるの。冷たく見えるかもしれないけど、心から優しい人だよ」って。
そうなのかもしれない。私だってできれば、もっと話せるようになりたい。
「腹立つわー」
美波が憤慨する。
「ぶっちゃけムカつく」
有砂が続く。
「つんけんしちゃってさ、美人で頭いいからって見下してるよね。舞伽様じゃなくて女王様?」
「そのあとをゾロゾロと家来たちが行く」
舞伽様たちがいなくなった途端にポンポン飛び交う言葉たち。二人はその言葉に酔いしれて両手を叩きながらウケまくってる。
「初音にできないことないじゃん」
「私もお手伝いするにゃ」
両手をグーに揃えてアゴにつけ、首を傾ける有砂。
美波も有砂も一生懸命悪口を言ってくれる。
私を励ますために。
でも、こういうの、嫌いなんだよな。
悪口の言い合い。女ならではの。
とは言うものの、美波たちの友情はあたたかい。
「がんばるしかないでしょ」
ちょっと冷めた言い方だったかも知れない。
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