捌 宿敵

 オレは刀のつばをむしり取った。妖刀が声なき声でうなる。


 伊地知が大声で呼ばわった。


「板垣さあ、こっちじゃ!」


 哄笑が返事だった。


「そう大声を出さんでも聞こえゆう。環断の刀の鍔を外せば、わしの刀も共鳴するきのう。斎藤一、久しぶりじゃ。会いたかったぜよ」


 板垣が木立の陰から姿を現した。刀は鞘に収まったままで、手には拳銃がある。六発か七発、連射できる型だ。銃口は無論、オレに向けられている。


 オレは舌打ちした。


「幹部が二人掛かりでお出ましか。こんな古寺を襲うだけなら、大砲の数発も打ち込むだけで事足りるだろうに」


 伊地知が手のひらを揺らめかせた。その手に招かれたように、何もない宙に炎が生じる。


「今日は特別じゃ。おはんどんば確実に潰さんばいかん。城壁の外には三百の兵ば置いちょっどん、やはり、こん目で確かめんばち思うた。後顧は根絶やしにすべきじゃっでな」

「後顧? ほかの部隊と連動しているということか?」

「聞きたかか? さて、どげんする、板垣さあ? おしゃべりくらい許すけ?」


 板垣は無造作に歩く。いや、無造作に見えて計算ずくだ。オレが伊地知と板垣の二人を同時に視界に収められないように回り込もうとしている。


 オレも動く。板垣がオレを撃てば伊地知に当たり得る位置へと。

 板垣がオレの意図を読んだらしく、にたりと笑った。


「根性の据わっちゅう男じゃ。部下は全滅、自分も絶体絶命、城壁の外には三百の官軍兵が控えちゅう。それでもあらがう意欲があるがか。新撰組の古参兵を根こそぎ殺すがは惜しいっちゅう声も納得ぜよ」


「板垣さあ、おいは、そろそろ新撰組も会津も生け捕りにすっとが上策ち思う。焼き尽くしてもよかどん、滅ぼすより従わすっほうが、こいからの時代の役に立つじゃろう」

「まっこと、おんしの言うとおりじゃ。これからわしらは国を富ませにゃあならん。人手は多ければ多いほうがい。生け捕りも手じゃ。殺すがはいつでもできるけんど、生き返らすがはできんきのう」


 伊地知と板垣が笑い合う。オレは刀を持つ左手に力を込める。伊地知の左目が赤く光り、板垣が一歩踏み込んだ。


 斎藤、と伊地知がオレを呼んだ。


「何だ」

「斎藤よ、おいどんくだれ。生かしてやるど。仕事ば与えちゃる」

「仕事だと?」


「城に行って、松平かたもりに降伏ば説け。今日じゅうに城ば明け渡すなら、城内の者は全員が命拾いする。明日以降になれば、日に日に死者が増ゆっじゃろう」

「どういう意味だ? 明日以降、何が起こる?」


 板垣が撃鉄を起こした。


「今日、日光方面からの増援が若松に到着する。この増援があれば、越後方面を固めた会津軍を叩ける。越後方面はただがわを挟んでわしら官軍と会津軍が睨み合いゆうけんど、今まではわしらも若松の拠点確保に手を取られて、越後方面への援軍が出せんじゃった」

「只見川の会津軍の背後を突くつもりか」


「そうじゃ。只見川を取れば、越後街道もわしら官軍が掌握できる。つまり、米沢以外のすべての街道が塞がるわけじゃ。会津は、さて、どうするつもりかよ?」

「だから、今のうちに降伏しろと?」


「痛い目を見るがが好きなら、意地を張り通せばい。けんど、官軍が充実すれば、今までのように生易しい砲撃では済まんぜよ」

「生易しい、砲撃……」


 鶴ヶ城は今でもすでに、一日に何十発もの砲撃を食らっている。無茶な方法で被害を食い止めては怪我人を出して、死者も出しているはずだ。これが生易しいというのか。


 伊地知の手の上で、いくつもの火球がお手玉のように跳ねた。


「官軍がすべて到着したら、鶴ヶ城総攻撃の開始じゃ。南東から鶴ヶ城を見下ろす小田山が、わっぜ優れた砲台になる。小田山ば中心に彼方此方あしこそこに大砲ば据えて、毎日、鶴ヶ城ば撃ってやろう。おいどんがいくつ大砲ば持っちょるか、当ててみれ」


「知るか」

「五十門じゃ! 砲弾も沢山どっさいある。五十門の大砲で一日に五十発ずつ、合計二千五百発、撃ち込んじゃる計画じゃっど。二千五百発の砲弾に、士魂のほまれ高き会津の武士は、何日耐ゆっじゃろか? 賭けてみるけ、斎藤?」


 風に熱波と火の粉が混じった。炎が木々を舐める音のほかは奇妙に静かだった。隊士たちの決死の反撃はいつの間にか止んでいる。


 板垣がまた一歩踏み込んで、引き金に指を掛けた。


「この拳銃は引き金が甘いがが難点でのう。一寸ちっくとした弾みで撃ってしまう。うっかり殺したらすまんぜよ。斎藤、そろそろ決断しい。わしらにくだるか、あくまで抵抗するか、どっちじゃ?」


 オレは奥歯を噛み締めた。言葉で答える必要などない。


 斬撃を繰り出す。ただ一閃で古木がかしぐ。板垣が発砲する。しかし木が狙いを狂わせ、銃弾を阻む。


 駆ける。たちまち伊地知が間合いに入る。妖刀の刺突。炎が盾を成す。熱が肌を打つ。構わず突き込む。


 完璧ではない手応え。砕けた炎がオレを襲う。蛇のように絡み付こうとする。オレは転がって、着物に移った火を消す。


 銃声が響く。目の前で土がえぐれた。火薬の匂いが鼻を突く。


 跳ね起きる。木を盾にする。炎のかたまりが木を直撃する。別の木に身を潜ませる。銃弾が追ってくる。


 あれだけぺらぺらしゃべった以上、伊地知も板垣も、降伏しないオレを生かしておくつもりはないだろう。だが、オレは必ず生きてここから脱出しないといけない。知り得たことを会津勢に知らせなければ。


 ごうっと空気がうなった。手の形をした炎があたり一帯の木々をぎ払う。


 伊地知と目が合った。近い。判断は一瞬だった。オレは避けずに飛び込んだ。


「甘か!」


 衝撃。地に伏してから、起こったことを察する。倒れ掛かってきた木に打ち据えられた。伊地知は初めからこれを狙っていた。


 気が遠くなりかけるのを、どうにか持ち応える。伊地知が左脚を引きずって歩いてきた。睨み上げるのが精々だ。伊地知は笑いながらオレの左手を踏み付けた。


「そろそろ終わらせんと、おいも疲れ果ててしまう。もう一回、訊くど。おいどんくだるつもりはなかか?」

「舐めるな。降るわけがない」


 伊地知がオレの手を蹴った。刀が弾け飛ぶ。伊地知はオレの顔に手のひらを向けた。


「よう言うた! 斎藤一は最期まで気骨のある男じゃったち覚えちょってやっど。骨も残らんごつ焼き尽くしてくれる!」


 伊地知の手に光が集まる。


「死ねるもんか……!」


 オレの手の甲の環が吠えた。爆発的な力がほとばしる。腕が千切れそうなほどに環の力は勢いづく。


 環が妖刀を呼んだ。妖刀が宙を滑って飛び、オレの手に戻る。柄が手のひらに吸い付く。


 死に物狂いで刀を振るった。切っ先が伊地知の左脚に食い込んだ。伊地知が声を上げて引っ繰り返る。オレは跳ね起きる。


「斎藤一!」


 板垣の銃口がオレを狙っている。一か八か、オレは板垣に突進する。


 銃声より先に羽ばたきの音が聞こえた。板垣の顔に白い鳩が飛び付いた。狙いの狂った銃が火を噴く。オレは板垣に斬撃を叩き込む。


 手応えは軽かった。転がって避けた板垣のどこに傷を負わせたか、見極める暇もなかった。オレは板垣の手から拳銃を蹴り上げて、そのまま走った。


 逃げるオレの背中に板垣の声が飛んできた。


「後悔しいや、斎藤一! おんしらは必ず破れる。冬を待たずに滅ぶぜよ。おんし、戦で死んじょったがが幸せじゃったと思うばあ、苦しい目に遭うろう。後悔しいや。絶望しいや!」


 振り返らず走った。オレを導くように、白い鳩が先を行く。



***



 敵陣を突っ切って駆け抜けたオレは、城の西側、川原町口の郭門付近に土塁を築いて砦にした佐川さんの陣に合流した。思いのほかの深手をひどく心配されたが、治療は後回しだった。敵が会津に迫っていた。


 その日、九月五日、佐川さんは軍勢を引き連れて江戸街道へ出陣し、日光方面からの敵を押し返した。かくした武器や食糧は豊富で、会津軍の士気は高揚した。一方で、同日、越後街道の只見川の陣は敵軍に奪われた。


 命懸けの奮戦の日々だった。


 一つ勝って、二つ負ける。大きな神社や寺が一つ、また一つと奪われ、敵軍の砦となる。大砲が据えられて容易には近付けず、奪い返せない。町が侵され、無残に破壊されていく。


 板垣と伊地知が予告した鶴ヶ城総攻撃は、九月十四日を以て開始された。五十門の大砲から、一日に二千発以上の砲弾が放たれた。


 鶴ヶ城はまだ耐えている。

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