弐 決断

 オレは口を開いて閉じて、言葉を探して、ようやく一言だけ訊いた。


「盛之輔と健次郎は、新選組に助けを求めに来たのか?」


 土方さんが鋭い目でオレを見た。健次郎が苦しそうにうなずいた。盛之輔がへたり込んだまま、オレのはかますそにすがった。


「幼少組にもできることはあるはずだと、お城のためにできることを探しました。役に立たねば、生きている意味がねえ。おらより幼い子供こめらの中には、足手まといにならねぇようにと母親から殺された者もいます。おな沢山よっぱら死にました」


「女が死んだ? 自害か? 盛之輔、あんたの姉は?」

「時尾あねつぁは照姫さまの護衛でお城にいたから無事です。おらのおばんちゃや母上、健次郎さんの姉つぁや妹たちもお城に入りました。けんじょ、顔を知っている者が何人も死んで部屋じゅう血の海で、日新館も火が回って、街も燃えて、火に飛び込む人もいて……」


 盛之輔はオレにしがみ付いた。頼りないえつが聞こえた。


 オレはたまらなくなって盛之輔の肩を抱いた。痩せっぽちだ。硬く薄い体の温かさに、おののいてしまう。まだ、ほんの子どもじゃないか。


「泣くな」

「山口さま、なぜ会津が、会津だけが、こっだ目に遭わねばなんねぇのですか? 会津が間違ったことをしたのですか? 会津は一所懸命に、主上おかみのため、幕府のために働いてきたのではねかったのですか? 会津の武家は皆殺しにされねばなんねぇのですか?」


「盛之輔」

「このままではお城ごと、みんな殺されっつま。おらは男だから死なねばなんねぇかもしれねぇけんじょ、おばんちゃや母上や時尾姉つぁには死んでほしくねえ。殿も照姫さまも生きていてほしい。本当は誰にも死んでほしくねえ」


 健次郎が乱暴な手付きで涙を拭って、勢いよく頭を下げた。


「土方さま、山口さま、お力を貸してくなんしょ。会津を救ってくなんしょ。どうか、お願ぇいたします!」


 盛之輔も必死な目をして、居住まいを正して頭を下げた。

 沈黙が落ちる。あえぐような自分の呼吸が聞こえた。


 蒼白な顔の土方さんが、やがて言った。


「新撰組はこれから米沢へ向かう。戦意があるのなら、おまえたちも連れていこう」


 盛之輔と健次郎が、愕然とした顔を上げた。島田さんが何かを言い掛けた。大鳥さんがうつむいた。土方さんは淡々と続けた。


「正直なところ、今の新撰組に会津を救援するだけの力はない。兵力も武器も足りなけりゃ、城に運び込む食糧や物資を集めるもない、買う金もない。それも承知で若松に戻れば、待っているのは死だけだ。おまえたちは新撰組に会津で滅べと言うのか?」


 土方さんは正しい。今の状態で新撰組が戦い続けることは不可能だ。


 戦い続ける理由は何だろう? 答えはオレも知っている。新撰組は、命をくれてやると決めた幕府のために、本当の滅びの日が来るまで牙をき続けなければならない。


 幾度も負け戦を重ねて、幾度もばらばらになりかけた。それでも、誠一文字の旗印は倒れず、戦う目的は消えずにいる。オレたちは命がある限り、生き抜いて戦い抜こうと足掻くべきだ。戦い続けられる道を選んで行くべきだ。


 わかっている。土方さんの正しさも、新撰組の目的も、何もかも全部。


 わかっているはずなのに、心が暴れるのはなぜだろう? 別の道が見えるのはなぜだろう? 黙って土方さんに従えないのはなぜだろう?


 頭も胸もぐちゃぐちゃで苦しい。迷っている。悩んでいる。焦っている。けれど今、オレは決断しなければならない。


 オレは言った。


「土方さん、オレは、米沢には行けない」


 能面のように冷たく静かだった土方さんの顔が、驚きに染まった。


「待て、斎藤、何を言い出すんだ?」

「申し訳ない」

「なぜ謝る? 米沢に行けないって、おまえ、若松に戻るということか? 新撰組を抜ける気か?」


 正座をする。両手を突いて、気色ばむ土方さんを見据える。


おきてに反する行為だと承知している。オレは、新撰組を離れたい」


 新撰組からの脱走は、腹を切ってびるべき罪。あるいは、追手を放って処刑すべき罪。オレ自身が脱走者を手に掛けたことが何度もある。見逃してくれと命乞いをされても斬った。


 立ち上がった土方さんがオレの正面に来た。眉を逆立ててオレを見下ろす。


「なぜだ、斎藤? 情にほだされたか? 高木時尾が鶴ヶ城にいるからか? それとも、俺のやり方が気に食わないのか?」

「土方さんのやり方が嫌いなわけじゃない。土方さんの言うとおりにしないと新撰組が壊滅する。それもわかる」

「だったら、なぜ俺に付いてこない? 俺はおまえを信頼している。今の新撰組で最大の戦力はおまえだ。俺以上に有能なおまえを、俺はここで失いたくない」


 オレは頭を下げた。


「勝手を許してほしい。オレは会津に残りたい」


 胸倉をつかんで起こされた。


「どうしても新撰組を抜けるってのか」

「会津を見捨ててはおけない」

「俺だって見捨てたいわけじゃねえ。そうせざるを得ねぇだけだ。新撰組はここで終わるわけにはいかねえ」

「だから、新撰組は先へ進んでくれ。オレは残る」


「馬鹿野郎! おまえは自分の立場がわかってねぇのか? 一時は局長を務めたおまえが抜けるなら、付いていきたがる隊士がいるだろう。敵のど真ん中の若松で、そいつらを守れるのか?」

「オレひとりで行く。ほかは全員、土方さんが連れていってほしい。オレには人を率いる資格も責任も器量もない」


「ふざけんな! おまえは局長の器だよ、おまえ自身が気付いてねぇだけだ。おまえは生まれながらの武士で、何だってできる男だろうが。俺なんかよりよっぽどおまえのほうが近藤勇に近いんだ。武士の血が一滴も流れてねぇ俺じゃあ、近藤勇になれねぇんだよ!」


 血を吐くように、土方さんは怒鳴った。取り乱す土方さんを見たのは初めてかもしれない。オレを睨む目は涙でぎらぎらしている。


 オレは胸倉をつかまれたまま、かぶりを振った。


「土方さんは近藤さんになれない。オレも近藤さんになれない。そんなの当たり前だ。土方さん、オレは、局長が土方歳三だからここまで付いてきたんだ。本当はこれからも付いていきたい」


 不意を打たれた顔で、土方さんが言葉を呑む。

 島田さんが口を開いた。


「斎藤が言うのが正しい。土方さん、あんたが近藤さんを慕っていたことはよくわかるが、あんたが近藤さんになる必要はないんだ。隊士一同、ほかでもない土方歳三を局長だと認めている」

「俺は武士の生まれじゃねえ」


「近藤さんだって、生まれは農家だ」

「でも、武家の養子になって、家柄と道場を背負っていた。俺が出会ったのは、武士の近藤勇だ。そして斎藤は、れっきとした武士だ。俺が持たねぇもんを持ってる」


 土方さんの手から力が抜けた。オレはもう一度、床に手を突いて土方さんを見上げた。


「勝手を許してくれ。オレは会津に残る。オレは、いつの間にか、会津のために戦っていた。そのことに今、気付いたんだ」

「会津のため……幕府のためじゃなく、会津なのか?」

「ほかに何も見えない。会津だけだ」


「そいつは腹の底からの言葉か? 会津の戦場を離れたら、ほかのものも目に入るようになるんじゃねぇのか?」

「誓って本心だ。オレは会津に骨をうずめたい。新撰組の斎藤一じゃなくて、会津の山口二郎として」


 オレは貧乏武士の子だ。京都に出て働く口がなかったら、武士として暮らしていけたかどうかもわからなかった。それを引き立ててくれたのは、会津藩主、松平かたもり公だった。


 幕府のために命を懸けていいとは言っても、幕府なんて巨大なもの、オレの目には見えなかった。見えるのは容保公だけ。新撰組が命懸けで働くのは、容保公への忠誠心があったからだ。


 負担の大きな京都守護の任も、京都を戦場にした責の憎まれ役も、収まり切れない倒幕派の武力の標的も、容保公は黙って引き受けた。オレは見過ごせない。容保公をお一人にしてはならない。オレは会津藩士になりたい。


 言葉にしたい思いが胸に渦巻いている。言葉にならない。何ひとつうまく言えない。ただ、じっと土方さんを見つめる。


 土方さんは唇を噛んだ。眉間にしわを寄せて目を閉じて、苦しそうな息をついた。そして、吹っ切れたように静かな顔をした。


「わかった。好きにしろ。首に縄を付けて引っ張っていくわけにはいかねえ。おまえがそこまで覚悟を決めているなら、俺は止めねぇよ」

「土方さん、すまない」


「いちいち謝るな。でもな、斎藤、おまえが新撰組の斎藤一の名を捨てることは認めねえ。会津での仕事が済んだら、いつになってもいい、俺のところへ戻ってこい。これは局長命令だ」

「承知した。生きていたら、必ず」


 土方さんは、そっと微笑んだ。


「斎藤、おまえはおまえの義を貫け。投げ出したりくじけたりするなよ。近藤さんの墓が見守ってる会津で、誠の一文字に恥じるような生き様をさらすな」


 オレはうなずいた。土方さんの笑顔を見つめるばかりで、微笑み返すことはできなかった。


「約束する。オレは、オレの誠義を貫く。土方さんも、武運を」


 きっとこんじょうの別れになる。オレは涙をこぼすまいと歯を食い縛って、目を見開いて土方さんの姿を胸に焼き付けた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る