弐 作戦

 味気なげに夕餉を平らげた斎藤は、二本松の敵陣で見聞きしたことを淡々と語った。


「二本松に駐屯するのは、土佐の板垣退助と薩摩の伊地知正治を中心とする連合軍です。江戸にある倒幕派の大総督府は、板垣と伊地知に、会津より先に仙台、次いで米沢を取れと命じていた。対する板垣と伊地知は、会津が先だと主張していました」


 大鳥さんが合いの手を入れた。


「江戸の大総督府の指令は、枝葉を刈って根元を枯らせ、との言葉だったようだな。枝葉とは、奥羽越列藩同盟を組織して会津の助命嘆願を繰り返す仙台と米沢のこと。根元とは会津のことだ。大総督府の意向に、板垣と伊地知は反発していたわけだな」

「結局は、根元を刈って枝葉を枯らすという板垣たちの主張が通りました。会津は今、藩境の守備に兵力の大半を回している。藩主の居所、若松の守りは手薄です。今の隙に攻め込めば、雪が降る前に鶴ヶ城を落とせます」


 斎藤は確かめるように袖口に触れた。時尾が術式を縫い込んだそでしょうがそこにある。同じものを、俺はジャケットの袖口に付けた。


 七月末に三春藩や二本松藩が倒幕派の手に落ちたころ、時尾は容保公によって新撰組預かりの任を解かれ、鶴ヶ城詰めの女中に戻った。もともと時尾は容保公の姉君、てるひめの側仕えの一人で、祐筆のみならず護衛を兼ねていたらしい。


 時尾が新撰組の戦列を離れることは寂しいかと冗談交じりで尋ねたら、斎藤は、戦力が落ちるから難儀だと真剣な顔で答えた。掛け値なしの本音だろう。密偵の仕事を器用にこなす一方で、斎藤は嘘のつけない困った男だ。


 俺は斎藤に問うた。


「敵の兵力はどれくらいだ?」

「三千。火砲は五十門」

「倒幕派はまた増えたな。対する新撰組は八十に満たない。大鳥さん、伝習隊は四百でしたか?」

「ああ、せいぜい四百だ。いま現在の母成峠の守備は、猪苗代からの出張部隊が二百程度だったはず。敵軍とは桁が一つ違うな。中山峠の会津軍も動員できれば、一千に届くだろうが」


 斎藤はかぶりを振った。


「兵の数だけじゃ駄目です。母成峠の地理に詳しい者がほしい。二本松の農民から峠の様子を聞きましたが、無理だ。見てきたわけじゃないから、頭の中に絵図を描けない」


 そう前置きして、斎藤は母成峠の地形を説明した。


 峠越えの本道には、中軍山、はちまん山から母成峠と、いくつもの峰が連なる。道は峰の脇腹をなぞるように設けられており、道を見晴らす要所の高台には、猪苗代の出張部隊によって即席の石垣が組まれ、台場が築かれている。


 母成峠に至る経路は本道だけではない。東の和尚山のふもとを通って谷を渡り、母成峠のすぐ手前で本道に合流する脇道がある。脇道の守りは、谷を見下ろす勝岩に台場が設けられている。


「進軍が可能な大きな道は、本道と勝岩の脇道の二つ。本道より西の達沢にも脇道があるそうですが、さして大きなものじゃない。兵を配置すべきは、本道に築かれた三つの台場と、勝岩の台場です」


 そこまで言って、斎藤は、嗄れた声を喉に詰まらせて咳をした。

 大鳥さんは腕組みをして、足りんなあ、とつぶやいた。俺は首肯する。


「足りませんね。守るべき台場の数に比べて、兵士も鉄砲も大砲も、数がまるで足りねえ」

「即刻、若松にも救援要請を出さねばならんな。がわかんどのが駆け付けてくれれば、峠を吹き飛ばして道を塞ぐという荒業もできる」


「赤い環の鬼佐川どのですね。佐川どのは、京都は北白川の山の中で鬼と出くわして飲み比べと相撲をして、勝負に勝った証に、一夜にして環の力を手に入れた。会津で最も勇猛な武士だと、京都にいたころから評判でした」

「あるいは雪でも降ってくれれば峠の道も通れまいに、今はまだ八月、稲の刈り入れ時だ。雪が降るのを願うよりは、古風ゆかしく槍でも降らせようか。鉄砲や大砲を増やすのは容易ではないが、槍くらいなら徴発が間に合うのではないかな」


 斎藤が顔をしかめた。


「農民や商人は、これ以上の徴発に応じないでしょう。会津はすでに、民に無理をさせすぎている」


 突き放すような言い方に、俺はぞっとした。


「徴発に応じない? なぜだ? まさか、会津の農民や商人が倒幕派と通じているとでも言うのか?」


 斎藤はかぶりを振った。俺の「まさか」を否定したわけではなかった。俺の見通しの甘さを否定したのだ。


「会津だけじゃない。奥羽諸藩、全部だ。武家は憎まれている」

「倒幕派の連中だって武家だ。占領した土地の農民や商人から食糧や物資を徴発している」


「でも、倒幕派に対しては、自ら進んで差し出す者も多い」

「奥羽諸藩の農民や商人が倒幕派の肩を持つってのか? なぜ? 藩を預かる武家が守ってくれねぇんじゃあ、野盗や悪党が騒いで、農民は畑にも出られねえ。俺の田舎がそうだった。だから俺は武家にならねばと決めたんだ」


「違う、土方さん。奥羽の農民はもう、野盗から身を守るだとか、そんな話じゃなくなってるんだ。戦が起きたからな。戦には金がかかること、新撰組の財布を預かってた土方さんがいちばんわかってるはずだ」


 すとんと腑に落ちた。俺自身、懸念していたことじゃねぇか。


「斎藤が言わんとすることが呑み込めたよ。五年間の京都守護と、直後に起こった一連の戦で、会津ではかなりの増税があったと聞いている。高い税を取り立てられてきた連中にとって倒幕派は、積もり積もった恨みを晴らしてくれる正義の味方、官軍ってわけだ」


 斎藤はうなずいた。大鳥さんが、ぱしんと手を打った。


「さて、事情はおおよそ把握した。この上は、とにかく急いで出立の支度に掛かろう。山口どのは少し休むといい」

「そういうわけには……」


 言い差した斎藤は、いきなり大鳥さんに肩を叩かれて体を硬くした。大鳥さんは気にする様子もなく斎藤の肩に腕を回し、笑っている。


「山口どの、酒も飯も食らったというのに、顔色が悪すぎるぞ。休まなければ倒れてしまう。いざというときに動けなくては、話にならんだろう? 私は医術の心得もある。眠りを誘う薬を処方することもできるから、必要なら診察してしんぜよう」

「必要ありません。働かなければ」


 斎藤は大鳥さんの腕を逃れ、立ち上がろうとした。が、目眩めまいでも起こしたのか、結局座り込む。仕方のないやつだ。


 俺は斎藤の正面に膝を突いて、隈のできた顔をのぞき込んだ。


「いいか、斎藤、よく聞けよ」


 素直にうなずいた斎藤のあごに、下から拳をぶつける。手応えは軽いが、十分だ。のうしんとうを起こした斎藤は、どさりと崩れ落ちた。


 大鳥さんが目を丸くして感心した。


「見事なものだな、土方どの。顎は人間の弱点だ。顎を打って脳を揺さぶってやると、心地よく失神することができる」

「俺も昔、尊敬する人から同じやり方で眠らされたことがあるんですよ。ご存じのとおり、多摩の土方家は豪農で、武家じゃあありません。それでも俺は武士と同じくらい強くなろうと必死に修行をしていた。が、そんなやり方では体を壊すと忠告されましてね」


 いいか、トシ、よく聞けよ。


 そう言って近藤さんは俺の目をまっすぐに見た。何の話だろうかと思った次の瞬間、顎に何かが当たって、頭も体もふわふわに軽くなった。目を覚ましたのは翌朝で、久方ぶりに深く眠って休養した全身は嘘のように滑らかに動いた。


 大鳥さんは立ち上がり、軍服の襟を整えながら部屋を出ていった。俺は、寝息を立てる斎藤を見下ろす。刀を抱いて背を丸めるでもなく、人の足音に飛び起きもしない。そんな斎藤の寝姿なんて、こいつが餓鬼だったころ以来だ。


「しぶとく眠っていていいぞ。怪力の島田さんがおぶってくれるだろう」


 ささやいて、俺はジャケットに袖を通し、総髪を結い直して刀を腰に差した。

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