一 土方歳三之章:Spirits 士魂

壱 墓参

 夏も半ばに差し掛かろうというのに、あいの朝は肌寒いほどだ。天寧寺の裏手の山道を、脚を引きずって登る。


 駆け上がることができれば体も温まるのだろうが、あいにくと、撃たれた傷はいまだに痛み、痺れもある。背中を伝うのは脂汗。江戸から会津まで、よくもまあ、この脚で駆け抜けてきたものだ。


 宇都宮で撃たれたころは、迫り来る絶望から逃れようと必死で、痛みを感じる余裕すらなかった。束の間とはいえ会津に腰を落ち着けたことが、俺に正気を取り戻させたらしい。


「あのまま狂っちまえばよかったかな。それとも、死んじまうべきだったか」


 足を止めて独りちる。


 鳥の声、虫の音、葉擦れのざわめきが聞こえてくる。あたりは皮肉なまでに穏やかだ。怒号、銃声、断末魔の叫びはどこにもない。静寂にまぎれる暗殺の気配もなく、俺はひどく甘やかされた場所に立っている。


 行く手を見やれば、山肌にき出しになった岩が階段状に続いている。天寧寺の老僧も近所の子どもらも墓参りの女たちさえ軽々と登っていくのに、今の俺にはそれができない。傍らの木の枝や幹にすがって、一歩一歩、体を持ち上げる。


 会津藩士の墓地から外れた一角が、西に向かってぽかりと開けている。木々の間からは会津の中心、若松の全容が見晴らせる。


 若松は盆地だ。つるじょうは川と山を背にして南に建ち、城のすぐ北には武家屋敷、さらに北にはかぎ十字の辻に区切られた宿場の街並みが広がる。そろそろ夜明けだ。俺の背後にある山並から、太陽は顔を出す。


「これから戦が起こるようには見えねぇな。そうだろう、近藤さん?」


 真新しい墓石を振り返って、ささやき掛ける。


 こんどういさみ。ただその名だけを刻んだ石は、先月斬首に処せられた新撰組局長、近藤勇の墓を建てたいと願い出て一両日で、前会津藩主のまつだいらかたもり公が用意してくださった。端正で実直な刻字は、容保公の筆跡を彫ったものだ。


 墓石の下に近藤さんのむくろはない。近藤さんの首は京都の三条橋のたもとさらされているという噂だ。首から下は、江戸の板橋刑場の無縁墓地に放り込まれているに違いない。


 空っぽの墓などむなしいと言った隊士もいたが、墓の下に骸があろうがなかろうが、大した違いはないだろう。骸が起き上がって生前の顔で笑うわけではないのだ。


「なあ、近藤さん。俺たちは、半年前は京都にいた。先の将軍、徳川よしのぶ公が政権を朝廷に返して、世間が騒がしくなり出したころだ。こいつはまずいと勘付いてはいたが、まさかここまで急に形勢が変わっちまうとはね。この半年で、とんでもない数の人間が死んだよ」


 十五年前、浦賀に黒船がやって来た。動乱の気運が高まったのは、あれがきっかけだった。


 弱腰の徳川幕府には日本を外国から守る力がない、そのくせ旧態依然の決まり事で民を縛って重税を取り立てる、そんな幕府なんぞ打ち倒してしまえ。倒幕の声があちこちから聞こえ出した。


 黒船来航のころ、俺は二十歳にもならない若造で、多摩の田舎を離れて江戸へ奉公に出ていた。


 俺は生まれながらの武士ではない。小難しいじょう論だの倒幕論だの海防論だのを唱える武士の学問は、何一つわからなかった。剣術だって、餓鬼の時分に庭木を相手に木刀を振り回していただけだ。


 奉公の年季を終えて多摩に帰り、農家で商家で宿場の世話役でもある姉夫婦を手伝ううちに、江戸から出稽古に来る近藤さんたちと出会った。俺が武士の暮らしに片足を突っ込んだのはそのときだ。


 俺は近藤さんの道場、えいかんに弟子入りし、てんねんしんりゅうの剣術を学んだ。


 田舎者の喧嘩剣術と呼ばれる天然理心流は、蹴り飛ばすのも殴り掛かるのも、目潰しの砂を投げ付けるのさえいとわない。相手を倒せばいい。実戦的で型破りだ。それが俺の肌に合った。入門が遅かったのを取り戻そうと、俺は必死で稽古に励んだ。


「あれからまだ十年経っていやしねぇんだ。おかしなもんだね、近藤さん。俺はもっとずっと昔から、試衛館で汗を流していたような気がするのに」


 武士の真似事をするだけではなく、本物の武士になりたかった。


 京都の治安維持のために腕っ節に覚えのある者を募る、身分は問わぬという浪士組の触書は渡りに船だった。剣の腕で以て幕府のために働く絶好の機会だと、俺は近藤さんたちを焚き付けた。


 ろうぐみが旗揚げしたのが五年前の二月だった。新撰組の名を容保公から頂戴したのがその翌年。


 近藤さんが局長、俺が副長を務める新撰組は拡大し、徳川幕府をたすける佐幕派の急先鋒として名を遂げ、そして、倒幕派に引っ繰り返された。


 佐幕派は昨年末に京都から撤退、今年正月に伏見から撤退、大坂からも海路にて撤退、江戸が無血開城して北へ撤退、宇都宮からも撤退。日光街道から北へ逃れた俺は今、会津にいる。


 俺はそっと笑う。笑うしかないだろう。目を閉じると、いかつい顔をくしゃりと緩めて苦笑する近藤さんを、ありありと思い描くことができる。


「こんなにゆっくりするのは何年ぶりだろう? ひじかたとしぞうは鬼の副長だと嫌われていたころは、気を抜く暇なんていちもなかった。でも近藤さんは、のびのびと局長を務めていたな。器が違うってやつか。なあ、やっぱり俺にゃ局長なんて向かねぇんだ」


 何を謙遜しているんだと、近藤さんは言うだろう。トシは副長として、局長不在のときには皆をうまく率いていたじゃないか。その器量を以てすれば、局長だってちゃんと務まるさ。


 違うんだよ、近藤さん。


 近藤さんは俺を買いかぶっていた。俺に副長が務まったのは、金勘定が得意で帳簿に強く、人の顔と名前をよく覚えるからだ。それは商才だ。俺は武士ではないからこそ、副長でいられた。近藤さんのように将器で人を率いたわけではないのだ。


「将器なら、俺より斎藤のほうがずっと上だ。三番隊組長、さいとうはじめ。今は斎藤に新撰組を預けてるよ。斎藤たちは会津兵と一緒に藩境の防衛に行った。近藤さんから局長を任されたのは俺なのに、俺は留守番さ。不甲斐ねえ」


 伏見の戦のとき、近藤さんもきっと、今の俺と同じ気持ちだった。開戦の半月ほど前に肩を撃たれ、俺に局長代理を任せて、近藤さん自身は出陣できなかったのだ。


 とはいえ、出陣した俺もまた不甲斐なかった。戦果は挙げた。しかし、圧倒的な負け戦だった。数十人の死傷者を出し、新撰組の戦力はごっそりと削がれた。


「このままでは終われねえ。まずは会津とともに戦う。会津公、松平容保さまは、俺を本物の武士にしてくださったおかただ。捨て置けるわけもねえ」


 頑張れよ、と俺の背中を叩く大きな手のひらの熱を覚えている。近藤さんは、俺より一つ年上に過ぎないのに、はるかに大きな人物だった。


 墓石に触れる。ざらざらとして冷たい。近藤さんをしのばせるものは何一つない。


「供え物がないのは堪忍してほしい。食べ物や酒は、戦が近い今の会津では、少しの余分もねぇんだ。花は、ほら、そこにじんちょうもくれんも咲いている。寂しくねぇだろう」


 言い訳をして一礼し、近藤勇の文字に笑ってみせてから、俺は墓前を辞した。若松の盆地に朝日が差し始めている。

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