第6話
ホテルの55階にエレベーターは止まった。しんとした空気に包まれたフロアだった
何組かのカップルとすれ違った。
彼はホテルのバーらしきドアを開けた。中からピアノの音が聞こえてきた。
「東京らしい場所だと思います。」
彼は言いながら私を先に店の中へ入れてくれた。
いかにもバーです、といった感じのバーだった。
薄暗くて、静かで、カウンターは重厚で、ベストを着たバーテンさんがいて、灯りやインテリアは高そうで、グランドピアノが置いてあった。
「亜樹さん、お酒はお好きですか?」
彼が、小さな声で言った
「嫌いじゃないんですけど、弱くてダメなんです。ごめんなさい。」
「了解です。大丈夫ですよ。」
すぐにお店の人がやってきた。
素早くもなく、緩慢でもない動きの男性は、プロフェッショナルに見えた。
彼が短く何かを告げると、お店の人は私達を席に案内した。
歩きながら、また彼が何かを告げた。今度は少し長い。その間に10歩くらい歩いた。お店の人が頷くと、彼は小さく頭を下げた。
「こちらでございます」
お店の人が言った。
床から天井までの窓一面が、光り輝いて見えた。
目の前に光の海が広がる。
「わ、あ、、、」
「どうぞ」
お店の人は私の座る椅子を引いて、私を座らせてくれた。目の前に、東京があった。
彼は、斜め隣に座った。円いテーブルに隣合うように、夜景に向かって斜めに座った。
お店の人は一礼すると、予約席と書かれたプレートを持って、お店の奥へ消えた。
「亜樹さんな方が、綺麗ですね」
「、、、はっ?」
唐突すぎて、素で答えてしまった。
「ああいえ。あの、夜景、いかがですか?」
「すごいですね。ほんと、東京らしいと思います。ありがとうございます。これが見られただけでも十分かも。。。」
「亜樹さんと一緒に見たいなって思ったんです。よかった。来られて」
「ここへはよく?」
「2度目です。前は、このホテルで商談があった時に、付き合い、いや、接待で」
「そうなんですか。でも、すごい。ほんとに。」
こほん。彼がひとつ咳払いをした
「でも、亜樹さんな方が綺麗ですよ」
くすくす
「先程もお聞きしました。ありがとうございます。光栄です。」
「いやあの、どーにもスマートでなくてすみません」
十分スマートだと思うけどなー。私は思った。
「おまたせしました」
バーテンさんが、鮮やかな色のグラスを2つ、トレイに乗せて運んできた。そして、何も言わずに私たちの前に置いた
オレンジのグラスが私、彼の前には水色と白のグラス。
私のグラスは大きくて丸くて背の低いグラスで、ストローがさしてあった。彼のグラスは細長くて丸かった。
よく見るとそれはグラスの色ではなくて、中の飲み物の色だった。
「え。これ、、、?」
「乾杯しませんか?」
「あ、はい。。」
「では、亜樹さんに出会えたことに。」
チン、と音がした。
ゆっくりとストローを吸った。
「おいし。」
「そうですか、よかった」
オレンジかと思ったけど、パイナップルの味がした。爽やかで、ほのかに甘い。お酒の味もする。でも、とても飲みやすい。
私はもう一口、飲んだ。
こくん。
喉の奥に香りが広がって、夜景を見た。
うっとりするっていうのは、こういうことなんだろうな、って思った。
夢みたい、だった。
「気に入っていただけたみたいで、良かったです」
「これ、おいしーです。なんていうカクテルですか?」
「わかりません」
「えっ?」
「知らないんです」
「注文しないで出てくるんですか?」
「いえ、お願いはしました。」
「?」
「実は、カクテルとか詳しくないので、バーテンさんにお任せで作ってもらったんです。これこれこーいうのってお願いすると、作ってくれるので」
「へえー。すごい。おいしいし。なんてお願いしたんですか?」
「え?ええあの、、、えと、、、」
「どうぞ。」
「ええと、空の上で、とても素敵な女性に出会ったんです。今日はその出会いに乾杯をしたいので、お酒の弱い九州の女神に素敵なものを作ってください、と。私は、ジンベースで彼女と乾杯するにふさわしいものを、と。」
「九州の女神、、、?」
「すみません」
くすくす
なにかこう、スマートだけれどかっこよさに欠けるというか。私は肩肘張らなくて楽でいいけど。
「いえ。嬉しいです。こんなの、初めてです。バーも、夜景も、カクテルも」
あなたも、と心の中で付け足した
「ああ。あの人かな」
カウンターの方を見て彼が言った。
「えっ?」
「このカクテルの産みの親です。ほら。あちらの。」
カウンターの方を見ると、端っこでこちらをそっと見ているバーテンさんがいた。
優しそうな、中年の、スマートな方
彼がグラスをふっと持ち上げて会釈した。
私も真似して少しグラスを持ち上げて微笑んだ。
バーテンさんは眉毛を持ち上げて、小さく頷くと、カウンターの向こうへ消えた。
それから、私達はお互いの目を見て、グラスをそっと持ち上げて、また一口カクテルを飲んだ。
こくん。
私が夜景を見てるのか、夜景が私を見てるのかわからなくなって、わたしはふうわりと浮かんでいるような、すごくいい気持ちになった。
「山本さんは、お酒はよく飲むんですか?」
「いえ。そうでもないです。普段は飲まないですね。弱いんですよ。」
「そうなんですか。」
「あの。」
「はい?」
「みち、でいいです。」
「あ。ああ。はい。みちさん、ですね」
「さん、かー。うーん、みちでいいですよ。そう呼んでください」
「え、でも、、、」
「なんだか、むずかゆいですし、この夜景を見てたら、さん付けじゃない方がいいな、と思いません?それに、敬語もふさわしくないような、、、」
「いきなりラフに、ですか?」
「堅いほうがお好きですか?」
「いえ、楽な方が大好きです。堅苦しいのはすごく、苦手です」
「じゃあ、ラフにお願いし、たのむよ。」
「は、うん。わかった。みち、、くん」
「や。そこは呼び捨てにしようよ」
「えー。無理。照れる」
「平気で、だよ」
「じゃあ、私のこと、亜樹って呼び捨てにしてくれます?」
ふっ、と間が空いた。
空気のいたずらのような、ほんの一瞬の間
彼はにこっと笑いながら
「できるよ。。。
亜樹。会いたかった。亜樹。。、」
言い終えたあと、まっすぐに私を見た。
私は、目を逸らしてしまった。そして、唇を小さくかんでから目をあげ、言った。
「ありがとう。。。みち。。」
のどがかわいて、またカクテルを飲んだ。
こくん、と、幸せな味がした。
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