第3話

私たちを乗せた飛行機は、真っ青な空に溶け込むことができず、太陽の光を反射させながら東京へと飛んでいた


宮崎から遠ざかるほどに、私は現実と離れてゆくような、そんな感じになっていった。なにもかもが、現実であることを知りながら。


私たちは宮崎について話をした。

彼が市内のことを知りたがった。

どこかに安くて美味しい食堂はないか、1人で飲みにいけるバーはないか、駅の近くのカラオケ屋はどこが良いか、図書館は、おすすめのお土産は、日帰りで出かけるならどのへんまで出かけられるのか、などなど。。


彼の質問は一つ一つシンプルで、具体的で、短く答えれば済む質問から始まるのだけれど、気がつくと私は、そのものについて深く、語っていた。経験や伝聞の範囲で、いつになく口数が多くなっていた。

彼は私の中にふうわりと侵入してきて、何かのスイッチを押したのかもしれない。


彼は私の言うことを手帳に手早くメモを取り、頷き、私の方を見て違う質問をした。


「これはありがたい。助かります。こういうの、なかなか手に入らないんですよね。地元で生活してる人ならではの生きた情報をたくさんいただけて、感謝です。」

「なにもない田舎ですけど」

「いえ、おかげで、宮崎出張が俄然楽しみになりました」

「それはよかった」


宮崎がたのしみ、と彼は言った。

いや、なんでもない。なにも特別な意味などない。そう思った。あえてそう思わなければならないほど、なにかが私を浮き足立たせていた


「たくさん教えていただいたお礼をしないといけませんね」

「そんなおおげさなものじゃないですよ」

「そういうわけにもいきませんよ。これは私にとって重要な情報の数々ですから。それをタダでもらうことはできません」

「またまたー」

「いえ、ほんとに。ですから、、、もしよろしければ、今日の夕飯でもごちそうさせてもらえませんか?」

「え?」


どき、どき、と、音が聞こえた。


「出張帰りでこの後時間もありますから、ホテルまでお迎えに上がります。7時ころでよろしいですか?」


ああ、こういうの、なんて言ったっけ。なつかしい。

甘くて、すこしほろ苦くて、ちょっと強引な、

ああ、あれはナンパ、といったかな、昔、よく声をかけたれたりしたけど、あの時はどうしてたっけ、そうか、無視、無視が一番。

だって私にはそんな気はないのだから。用事があって、時間に間に合うように人に会わなければならない。だから知らない男にかまってる暇はないのだから。


無視、無視、、、

無視、できない。

いや、したくないんだ。

なにか、ちゃんと答えないといけない。なにか。


「いえ、せっかくですけど、、、今日は人に会う約束があるので、申し訳ありません。お気持ちだけいただきます」


嘘をついた。でも、無視するよりはいい。


「そうですか。残念です。明日は結婚式ですよね。そのままお帰りですか?」

「いえ、2次会だなんだとあるので、明後日、帰る予定です。」


もう一度、いいじゃないですか、って誘われたら、もったいぶってから今日の夕飯、一緒してもいいけど? と思った。

ううん、認めよう。食事なら、一緒にしたい。そう思う。

もう一度、誘って。


「残念です。せっかくこんな素敵な方と隣になれて、楽しく時間を過ごせたというのに、飛行機だけとは。」


ああ、、、

そうだ。私たちはそれぞれ相手がいて、子供がいる。彼にとっては飛行機は日常の風景。私だけが特別な空間だと舞い上がっていた。

残念、と彼は言った。残念。

私はなんて残念な女だろう、、、


「申し訳ありません。せっかくお誘いくださったのにお断りして」


彼はずっと素直で正直だったのに、嘘をついて断ったことが、私は後悔した。


「いえ。私こそ、ご都合も考えずに舞い上がってお誘いしてすみませんでした。どうぞお気を悪くなさらないでください。

そうだ、これ、、、」


彼は内ポケットから名刺を取り出した


「私のです。東京でなにかお困りのことがありましたらなんでもご相談ください。ケータイも書いてあります。非通知でも出ますから。」


目の前に差し出された名刺を私はそっと受け取った。


山本 みちひろ


「ありがとうございます。すみません、なんか」

「名前、漢字がややこしいのでひらがなにしました。みち、って呼んでください」

「みち、さん」

「はい。明後日まで1人なんです。家族は里帰りしてて。だから何時でも大丈夫ですよ。お腹が空いたらピザでもお届けしますから」

「亜樹といいます。」

「え。。。」

「私の名前です。亜樹と、呼んでください」


私はなぜか、彼に私の名前を知って欲しかった。


「すてきな名前ですね。名前までお綺麗で、すごいです。いえ、ちょっと感動しました。」

「そんな。」

「亜樹さん」


どきり。


「亜樹さん」


どきり。


飛行機は穏やかに音もなく、東京の滑走路の上で停止した。

順番に飛行機を降りなければいけない時間になった


なぜか私は、寂しさに包まれてしまっていた

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