第8話 アルの過去
その日、アルは寝る前に誘拐騒動の瞬間を思い出していた。
あの時フラッシュバックしたあの光景を。
女性の白い手。血に染まる馬車。首から上がない男の姿。泣き叫ぶ自分。千切られ舞う四肢。
血と青アザで顔がゾンビのようになっている女性。
きっと、寝る前に考えてしまったからだろう。
その日の夢は、あの悲劇の1日を見てしまったのだ。
一人の少年が、大きな屋敷から出てくる。
年は、4、5歳と言ったところだろう。柔らかく金色に輝く髪が綺麗で、歩く姿はピンと筋が伸びていて綺麗だ。
身につける服は裕福な子供だと分かるような上質なものであった。
真っ先に飛び出したが、後ろからくる人物を待ち、今か今かとワクワクした顔で後ろを振り返る。
その後ろから次に出てきたのは、執事服を着た30半ばというところの男性だ。髪は茶髪をしている。若さの割には完成された動きで、出口の前に止まっていた馬車の扉を開け、主人が出てくるのを待つ。
その後ろからは、この館の若旦那だろうか執事より少し若く、着こなしや身だしなみ、すこし茶が混じる金髪も、全てから気品というものが感じられる。
その男性の横から、美麗と称して過分ない貴婦人が屋敷の出口から出てくる。
白を基調にしたドレスをまとい、綺麗な金髪をしている。
最後に出てきたこの女性が、最初に執事に手添えされ馬車へと乗り込む。
次に、男性、少年の順である。
執事は前へと乗り込み慣れた手つきで、馬車を走らせる。
そんな様子を夢の中だからだろう、今の自分がその場にいるかのように立っていた。
自分の視点を簡単に切り替えられる。
次の場面は馬車の中だった。
自分の左横には少年がいる。幼い時の自分だ。
進行方向とは逆を見る形で座っており、目の前には女性、その横には男性がいる。
あの時どんな会話をしていたのか思い出せない。だからかもしれない。この場面まで音がなかった。
音が再生され始めたのは、山の中腹に馬車が差し掛かったところだった。
ヒヒーンと馬がいななき、二頭の馬が興奮していた。
「なんだ?」
男性が言った。
普通なら執事がすぐ答えるか、何かしら反応を示すのだが何もない。
そして、すぐに状況は分かった。
「おい!てめぇら!金目の物を出せ!お高い馬車引きやがって、金あんのはわかってんだよォ!」
外から聞こえた下品な声。盗賊だ。
中からは周りの様子などよくわからないが、一人二人では無いのだろう。
「どうしましょう…怖い…」
「静かにしておきなさい、私が話をつけてくる。それまで絶対に騒がぬように!」
男性が小声だが、女性を安心させるように強く言った。その場面は印象に強く残っている。
恐怖と、きっと解決してくれるという希望があった。不思議と不安はなかった気がする。
男性が馬車を降りようと扉に手をかけた時
「どなたか知りませんが、道を譲っては頂けませんか?お金が欲しいというのならば、主人に相談致します。一先ずは、お待ちくださいませ」
執事の声が聞こえた。
そして、意を決したように車内にいた男性が扉を押し開け外へと出、扉を素早く閉める。
それからどれだけ時間が経ったのかわからない。
その時はかなり長く感じたように思う。
なぜ早く戻らないのだろう?そう無邪気に考えていた。
すると突然、外から怒鳴り声やなにか鈍い音が数度する。
ちょっと間が空き、先ほど男性が出て行った扉が勢いよく開く。
盗賊の一味だと思われる薄汚い男だった。
女性は、ひっ!と悲鳴を上げそうになっていたが必死に我慢したのか、すぐ口を手で塞いでいた。
女性と自分は外に連れ出され、馬車の正面へ移動させられると、そこには執事と男性が倒れており顔などに殴られたアザなどがあった。
その時が初めてだった。
自分の希望が打ち砕かれ、心が闇に染まったようなあの感情は。
もうその時には頭の中は、恐怖と、不安と、嫌悪と、祈りしかなかった。
盗賊のリーダーらしき人物がなにか喚いていたのだが全然頭に入ってこない。地面に伏しながらも大声で叫ぶ男性。よろけながら立ち上がり男性や自分たちを庇うように立ちはだかる執事。
見える範囲では盗賊の姿は10人くらいはいるようだった。種族はバラバラだった。
半分は人族だったが、リーダーは人族に見えるが黒い羽のようなものが生えているので魔族かなにかの種族だろう。獣人も何人かいる。犬顔と馬顔と牛顔の三人だ。
急に場面が変わる。
覚えているのがその場面からだったという事なのだろう。
次に見えたのは女性の白い手だった。
自分の目の前にかざすように存在していた。
その指の隙間から見えた。見えてしまった。
赤いなにかが。直後馬車になにかがぶつかり音がする。
振り返ると、血に染まった馬車があった。
ペンキをひっくり返したような血の跡になっている。どちゃり、と馬車の側に茶色い丸いものが落ちた。
急いで視線を元に戻すと、首から上がない執事の後ろ姿があった。直後、力を失い地面に変な形で倒れていく。
緊張の糸が切れ、泣き叫ぶ自分。
そこからはよく分からなかった。
自分に走る何かの衝撃。景色がグルグル回る。
さっきまでの映像が横向きになっている。そこから見える光景もまた異常だった。
男性が逃げようと、こちらに向かって逃げてきていた。だが、まず脚が斬られ、腕が千切られ、首が斬り飛ばされ、身体が吹き飛ぶ。近くの岩にぶつかるが、トマトをぶつけたようにぐちゃりと、大きな血の絵画が出来ていた。
女性は手を掴まれ暴れる。なんとか振りほどき、自分を置いて逃げようと藪を目指して逃げているのがわかったが、その藪から出てきた巨大な犬のような化け物に轢かれた。
首が二つあり、尻尾は大きな鎌のような刃物が付いている。
盗賊リーダーの近く付近まで吹き飛び、リーダーを含め数人にボコボコに殴られ蹴られ、顔面は血とアザで美貌が台無しになっていた。
美人がゾンビになったらこんな感じなんだろう。
なぜその光景を覚えているのか分からない、だが、泣き叫んだ瞬間から自分のリンチは終了しており、ほぼ意識は無かったのだと思うが、女性に暴力される場面だけは覚えていた。
零れ落ちた眼球と目が合ったからに違いない。
「おい、こいつまだ生きてるぜ!ハッ!ちょうどいいし、どこかの奴隷商に売りつけようぜ!」
先ほどの犬面の獣人と目があった。
なんとか意識が戻っても絶望は変わらなかった。
「そんな傷物売りもんにならねーよ!クソが!」
リーダーの男が苛立った様子で、執事だった物体を蹴り飛ばす。
「じゃぁ、俺が飼っていいかあ?身の回りの世話くらいさせる奴隷が欲しくてよ!奴隷高いからちょうどいいしよ!」
犬面の獣人がリーダーに聞く。
「好きにしろ!今回はなんの収穫もなしだ、馬車を嗅ぎ出したお前の報酬ってことにしといてやるよ!」
それから、少年は犬面に飼われる事になった。
アジトらしき建物は、廃棄された砦だったもののようで、広さなどはそこそこある。
基本的に犬面の世話係をさせられていたが満足な食事も与えてもらえず、何かあるたびに殴られ、命令を十分に達成できなかった場合は蹴られ、他の盗賊との賭けに負けた時は盛大にサンドバッグになった。
生きる為に命令を守り、生きる為に殴られ、生きる為に蹴られる。
そうしなければ、生きれなかった。
雨の日が待ち遠しかった。犬小屋のような板のツギハギの不細工な工作が自分の家だった。その家は雨が降るとほとんど雨漏りする。その水で腹を満たし、顔を洗い、身体を濡らして汚れを落とす。
そうでなければ、クサいと犬面に殴られるからだ。
一か月が経つころ、盗賊たちが獲物を取り逃がしたらしく、その時反抗され、犬面が死んだらしい。
ざまーみろと思ったが、次にどうしようと思った。
捨てられるわけにはいかない。なので、リーダーの男に奴隷になると話を持ちかけてみた。
断られたが、みんなの世話をみろと言われた。
食事は増えた。けど、暴力も増えた。
家は自分で修理し、水を貯める入れ物を作った。
水を飲むと生きる気力がほんの少し回復する。
ニか月が経つころ、盗賊団が指名手配されている事が分かった。アジトを放棄して移動するらしい。
次のアジトは、洞窟だった。
次のアジトが決まるまでの繋ぎらしい。
雨が降らないから、俺は不満だった。
食事が少し減った。暴力はさらに増えた。
三ヶ月が経つころ、盗賊団のリーダーが逃げたらしい。
最近不満があった馬面が反旗を翻そうとしていたらしい。リーダーが馬面になった。
その日は、宴が開催された。少しおこぼれを貰った。
夜、酔っ払い達にやっぱりサンドバッグにされた。
宴の次の日、みんなが二日酔いで潰れているところに冒険者がやってきた。
三人組だったが、たった三人でも二日酔い達十人くらいは始末出来たようだ。
彼らの目的は、彼らが飼い慣らしていた犬のように見える怪物がこの付近で目撃され、その怪物退治をする為に捜索で洞窟を探しに来ていたかららしい。
三人組は最初、俺の姿を見てびっくりしていたが事情を説明すると保護してくれた。
解放された、と思ったがそうでも無かった。
その時は天国にでもいる様な気分だったのを覚えてる。
しかし、その後に待ち受ける絶望の方がよっぽど心に突き刺さったのを今の自分なら知っている。
飼い慣らされていた時代の方が生きる気力を持てた分だけマシだと今では思っている。
それでも二度と御免だけどな。
誰かに飼い慣らされる不自由さなんて死んでも御免だね。
今でも色々な依頼を請け負っているが、きっちり仕事以上の報酬は受け取っているし、嫌な仕事はしないからな。
そんな事を考えていると、意識が覚醒しだすのを感じる。
嫌な夢を見たもんだ。
これもそれも、誘拐されるマヌケに出会ったせいだな。
まぁ、そのマヌケと変態といるこの時間は俺の生きてきた人生の中で一番楽しいかもしれない。
昨日の夜市で振り回される様子をまた思い出せる事に喜びを感じつつ、今の幸せな日々を感謝して目覚める。
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