白夜の星(6)



               6


 祭りは続いていた。

 広場では、シャナ族の演技が行われていた。森の民に伝わる、ロマナ湖と三人の川の女神の物語だ。


    ロマナ湖は、たいへん美しい女神だった。

    昼は日の光を反射して銀色に輝き、夜は闇よりも深く暗い。

    彼女の歌声には、山の神々も風の神々も、

    いつもうっとり聴き入っていた。

    兄であるスカルパ・テティ(雷神)さえ、

    うっかり雲から足を踏み外しそうになるほどであった。

 

    全ての神々の憧れであるロマナには、求婚者が大勢いた。

    太陽の神も風の神も、山の神々も、彼女に憧れていた。

    特に、風の兄弟神は熱烈で、互いの競争心もあって彼女に迫ったが、

    ロマナはいつも知らぬふりで、彼らの求婚を退けていた。


    彼女のもとには、神々から、いつも沢山の贈り物が届けられていた。

    ロマナは、それらを大切にしまいこんで、

    滅多なことでは出さなかったが、

    ただ一つ、アムナ山の神に貰った宝物は気に入っていて、

    時々取り出して眺めていた。

    それは、大きな黒曜石のたまだった。

    夜に染めたように真っ黒で、ひとつのくもりもない。

    まん丸に削られていて、中には、黄金の粒が星のように散らばっていた。


    火を噴く山の神にしか創れない宝玉には、不思議な力が宿っていた。

    この珠を水に入れると、魚がたくさん寄ってきたのだ。

    美しいだけでなく、湖を豊かにしてくれる宝石を、

    ロマナはたいそう気に入って、

    磨いたり撫でたりして楽しんでいた。


    さて、ロマナは独身の女神だが、氷河の神との間に、娘が三人いた。

    一番上をオコン、二番目をサルゥ、末の娘をブルカという。

    川の女神たちだ。

    三人ともたいへん美しい女神だったので、

    男神たちは、こちらにも目をつけた。

    北風のアムバイ、西風のハァヴル、南風のクルトゥクだ。

    風の神々は、湖と川の女神たちの気を惹こうと、

    熱心に空を駆けめぐった。


 雲をはこび、季節を変えるハァヴル(西風)は、うつり気だ。陽気なクルトゥク(南風)は、渡り鳥の群れを連れ、森に歌声をひびかせる。厳格なアムバイ(北風)は、全てを凍らせ、穏やかな眠りをもたらす。

 三柱の風神に扮した男たちが、篝火のまわりで踊った。

 カムロ(シャナ氏族長)は、クルトゥクを演じ、女神たちへの恋心を歌いあげた。観ている者たちは、やんやと囃したてた。

 物語では、川の女神たちがロマナ湖の宝の石を欲しがり、風神たちがそれを得ようと奔走する。悪戯好きなクルトゥクが、女神の石を隠してしまったので、騒ぎが大きくなる。

 森の民なら誰もが知る人気の物語を、しかし、キシムは、ほぼ上の空で聞いていた。


 キシムは、片方の膝をたてて丸太に坐り、手酌でウオカ(酒)を飲んでいた。彼(彼女)の足元では、スレインが、干したホゥワゥ(鮭)の中骨なかぼねをかじっている。

『どうして、オレが、落ち込まなければならないんだ……』

 ビーヴァを送り出してから、彼(彼女)は、やり切れない感情を抱えていた。あおるように酒を飲み、口元をぬぐう。

 はじめは、嫉妬かと思った。ビーヴァをけしかけておきながら、二人に嫉妬しているのかと。その考えを検分したキシムは、違う、と結論した。ラナには同情している。彼女の心の平穏を願い、何とかしてやりたい気持ちに、偽りはない。

 ビーヴァの心が自分にあると知っていて、優越感があり、己の卑しさを感じるからか? ――キシムは、自嘲した。あれは、ビーヴァが勝手におたおたしているだけで、キシムがいなければいないで、彼は独りでなんとかするだろう。

『何故?』

 シラカバの椀に注いだ酒の水面を見詰め、そこに映る己の影を揺らす。

『ラナ様だって、苦しいんだ。終わらせてやるのが、お前のつとめだ』と……告げた言葉は、別れを促すものだった。逢えば、ラナは必ず、ビーヴァが死んでいる事実を突きつけられる。

 ラナにとって、彼への気持ちにケリをつけることが、ほんとうに希望に繋がるかどうか、わからないのに。

 よくもまあ、あんなことが言えたものだ。

 ――飲まずにいられない気分で、杯を重ねる。キシムは、己の思考の合理性をあやしんだ。酔ってなげやりになっている自覚はあるが、それすら、どうでもよくなっている。腰に佩いていたビーヴァの杖を手に取り、しげしげと眺めた。

《俺が、ケレ(悪霊)に堕ちたら……その杖で、祓ってくれ》

 ビーヴァは、マシゥとキシムのために、テティ(神霊)になった。今度は、ラナのために、ケレになろうというのか……。

 昔話に語られる悪霊は、強いうらみや憎しみによって、現世にとどまる霊魂だ。さだめられたかたちを失い、闇をまとい、ムサ・ナムコ(人の世界)を彷徨う。ときに深い霧となってひとを迷わせ、底なし沼で足をとり、氷河の裂けめに子どもを突き落とす。善良なゴーナ(熊)やアンバ(虎)に憑いて狂わせ、無関係なムサを襲わせる。ムサにとっても、テティにとっても、忌むべき存在だ。

 キシムは、首を横に振り、嘆息した。

 怒りや憎しみで、自己をうしなう男ではない。ビーヴァがケレになるとしたら、さぞ、優しい悪霊だろうと、キシムは思った。やさしく、哀しい……ラナとともに地底に堕とされてかまわないと、考えるほど。

 そんなかれを祓えると思われ、祓ってくれと頼まれる自分を、誇ればよいのか嘆けばよいのか、キシムには判らなかった。


 脳内でくだを巻いていたキシムに、カムロが声をかけてきた。

「ずいぶん飲んでいるな」

 カムロは、クルトゥク(南風)の衣装をまとっていた。白いイラクサの衣には、鮮やかな朱と藍のふちどりが施され、額帯ひたいおびの刺繍もあか。頬の刺青の上から、やはり朱と白粘土で紋様が描かれている。夏に湖にやってくる渡り鳥を表しているのだ。

 鳥の翼さながら大きな袖をひるがえす、精悍な男の顔を、キシムは、うるさいハエでも見るように眺めた。

 カムロは苦笑した。

「なんだ。せっかく張り切って練習したのに、観てくれないのか」

「お前がクルトゥクという、柄かよ」

 キシムの声はかすれ、発語は不明瞭だった。カムロは苦笑を強くしたが、彼(彼女)の隣に腰を下ろすと、真顔に戻った。スレインの顎を撫でてやりながら、訊く。

「……ラナさまは、どうしている?」

「疲れている」

 キシムの答えは、素っ気なかった。王の家を顎で指し、

「とっくに、やすんでいるだろうよ。」

「その……大丈夫なのか?」

「よく、そんなことが言えるな」

 赤瑪瑙あかめのうのような瞳をきらめかせ、キシムは、彼を睨んだ。

「無神経野郎。自分のしたことが分かっているのか? 相手の気持ちが分からないなら、せめて黙って見守る分別はないのか。これだから、男は」

「あれは、俺じゃない。ロコンタの兄者だ。俺は止めようとしただろ、一応……」

『止められなかったのは、悪かったけど』 カムロは、もごもご口ごもった。

 キシムは、彼から顔を逸らした。くびぐび音を鳴らして酒を飲み、バリバリと干し魚をかじる。わざととしか思えない粗野な仕草を、カムロは、半ば呆れて見守った。

「……ごめん」

 二杯目のウオカを飲み干した後、キシムはぼそりと言った。

「悪かった。八つ当たりだ」

「わかってくれれば、いいんだ」

 カムロは、ややしんみり応えた。キシムがこれほど荒れるのは、そうあることではない。ラナのためだけではないと思われたが、確かめるすべはなかった。


「そういえば」

 カムロは、慎重に声をかけた。

「キシム。お前もどうだ? そろそろ」

「そろそろ――何が?」

「所帯を持たないのかってこと」

「……はあ?」

 キシムは、耳を疑った。不審が声にあふれ出る。

「何を言っているんだ、所帯って……。誰と?」

「誰でもいい。女に戻って、結婚する気はないのか?」

「冗談だろ」

 驚くのを通り越して、キシムは不機嫌になった。一瞬、青年の寂しげな横顔が、脳裡をよぎる。

「オレはシャム(巫女)だ。戻ろうったって、テティ(神霊)が許さなければ、戻れるものじゃない」

「そうは言うが……お前、腰の曲がった白髪のばあさんになるまで、シャムでいるつもりか?」

「そんなことは、テティが決める」

 キシムは、首を横に振った。

「オレのことは、テティに任せておけ、カムロ。他人より、自分の心配をしろよ。族長がいつまでも独り身でいるわけには、いかないんだから」

 カムロは、大袈裟に肩をすくめた。この男にはめずらしく曖昧で、もの言いたげな苦微笑を、キシムはじろりと見遣った。酒を口に運ぼうとしたが、器が空なことに気づき、手を膝に下ろした。

 キシムは、広場で続けられている男たちの踊りに視線を向けると、カムロを見ずに、呟いた。

「シャムでなくなれば、オレは、巫力ちからをうしなう。テティのすがたを観ることも、あいつの声も、聴こえなくなる。……それで、オレに、何が残る? 巫女くずれの石女うまずめに、人並みの幸福があると思うのか、族長」

「俺は、そんなつもりでは――」

 真顔で反論しかけたカムロは、憐れむようなキシムのまなざしに出会い、言葉を呑んだ。

 キシムは、感情を抑えた声で、囁いた。

「解っている。でも、二度は言ってくれるな、カムロ。オレも、一度しか言わない。……ディールが死に、ビーヴァも死んだ。このうえ、オレからあいつを取りあげないでくれ」

 キシムは、ふらりと立ち上がった。酔った足取りで、歩き出す。スレインが顔をあげ、中骨をくわえてついて行く。

 篝火に照らされた広場から離れ、木立へ入っていく後ろ姿を、カムロは、黙って見送った。



 夜明けの近づく空を、ビーヴァは、ラナを抱いて、王の家に戻って来た。

 飛び出した時とはうって変わり、しずんだ様子で降りてくる二人を、セイモアは、不思議そうに迎えた。

 ビーヴァはラナを、彼女の身体の傍におろした。ラナは、幽体の彼から腕をほどき、蒼ざめて冷たくなっている己を眺め、彼をかえりみた。

 ビーヴァは、うなずいた。

 ラナは唇をむすび、かさなるように、身体に入った。死んだように眠っていた少女の唇がほどけ、息を吐く。胸がゆっくり上下しはじめ、瞼が開いた。

 ラナは身を起こし、火の消えた炉のそばにうずくまった。セイモアが、彼女の頬を舐める。ラナは、幽体のビーヴァがまだ観えていることに、ほっとした。

「……私が眠るまで、そばにいて」

《わかった》

 ビーヴァは、神妙に応えた。

 ラナは、毛皮の外套をひきよせ、寝支度をととのえた。ニレが用意してくれていた白湯をひとくち飲み、おそるおそる訊いた。

「ビーヴァ。……ときどき、逢ってくれる?」

 ビーヴァは考えこんだ。

 ラナが息をつめて見守っていると、やがて、青年は、眼を伏せて答えた。

《出来るかぎり……。ラナが、ほんとうに必要なときには》

「うん」

 ラナは、安心して頷き、横になった。セイモアが、鼻を鳴らして身を寄せる。その鼻を、片手を伸ばして撫でてやりながら、ラナは訊ねた。

「兄さん。私……結婚しなくては、だめ?」

《いや》

 今度の返事は、先ほどより早くかえってきた。ビーヴァは、首を横に振った。

《今はまだ、いい。テティ(神霊)の声は、俺が伝えるよ》

「うん」

《その代わり、約束してくれ》

 ビーヴァは、セイモアを撫でようとして、己が幽体であると気づき、肩をすくめた。

《居られる限り、俺とセイモアは、ラナの傍にいる……。だけど、これから先、ラナを大切にしてくれる男が現れたら、迷わないで欲しい。ラナに、好きな相手ができたときも》

 ラナは、小さく嘆息した。

「わかったわ……。そんな人が現れたら、兄さんに言う」

 幽体のビーヴァを見詰め、ぎこちなく微笑んだ。

「ビーヴァより、素敵な人ならね……」

《そんな奴は、今でも、いくらでもいるよ》

 ビーヴァがうんざりした口調で応えたので、ラナは、くすりと哂った。

『でも、貴方は、ひとりしかいないわ……』

 それからしばらくの間、ラナは、ビーヴァを観つづけようと努力していた。眠れば、彼は若狼のうちに戻ってしまう。目が覚めたときには、すがたが観えなくなっているのだと承知して……。けれども、やがて疲労に呑まれ、眠りについた。

 セイモアは、改めて、彼女の隣で身を丸めた。

 夏の夜は、真に暗くなるまえに、明けようとしていた。

 ビーヴァは、ふたりの傍らに、片膝を立てて坐っていた。ラナの穏やかな寝息を聴きながら……。視線の先、シャムの装束を置いた長持ちの前に、ぼんやりとした人影が現れた。

《王よ》

 先代の巫王(ラナの母)は、仮面を片手に提げ、彼に向かって、丁寧に頭をさげた。ビーヴァは、ぴくとも動かなかった。

《テティの王よ……。我らが娘をとりこみ、本当に、ケレ(悪霊)となるおつもりだったのか? その前に、我にとりこまれるとは、考えなかったのか?》

 口調は穏やかだが、問う内容は酷薄だった。緋色の瞳でビーヴァを見据え、うすい唇を歪めている。

 ビーヴァは、表情を変えなかった。

《ラナが、死んでも俺といたいと望むなら、そうするしかないだろう……。なんじに、俺を、とりこめられるとは思えぬが。……ケレとなった俺たちをとりこめば、汝もまた、ケレとなる。永年たくわえた巫力を、無にするか?》

 巫王は、嫣然えんぜんと微笑んだ。ビーヴァの問いには答えず、慇懃いんぎんに応じた。

《我らが娘を送りとどけて下さり、感謝する。……この者には、まだ、成すべきことがある故》

 そういうと、さらに深々と一礼して、消えていった。

 ビーヴァは、眠っているラナとセイモアを眺め、溜息をついた。


          *


 うす青い朝靄にひたされた森のなかを、キシムは、湖を目指して歩いていた。

 スレインと身体は、チューム(円錐住居)のなかに置いて来た。今の彼女は、幽体だ。足音をさせず、においもなく、光をさえぎることもない。

 ビーヴァがんでいると、感じていた。ケレになっていない彼は、神霊だ。キシムにとどく神威は、夜ごと、日ごと、つよくなる。

 湖の畔にあおむけに寝て、ビーヴァは、明けてゆく空を眺めていた。

 彼の周りには、テティ(動物霊)たちがいた。枝角の冠をいただく純白のユゥク(大型の鹿)の足元で、ウサギたちが毛づくろいをしている。ユゥクの背にはリスたちがいて、《彼》の脚をつたって下りたり上ったりを繰り返している。なかには、幽体のビーヴァの髪をかじり、額帯をひっぱるものもいた。

 ビーヴァの胸、魔除けの縁どりのある上着のうえでは、モモンガが、丸くなって眠っている。傍らには、いつの間にか、雪白と金の縞をもつアンバ(虎)が寝そべり、鼻先をひらひらと舞う銀色の蝶の群れを眺めていた。

 テティたちはビーヴァに寄り添い、テティ・ナムコへ送られるのを待っているものもいれば、既に彼の一部となっているものもいた。生前は狩るものと狩られるものであった者たちが、今は、互いを警戒せず、くつろいでいる。

 キシムは、かれらを驚かせないよう、静かに近づいた。

 アンバ・テティが金緑色の瞳でキシムを見て、立ち上がる。鞭のような尾をゆっくり振ると、潜るようにビーヴァの身体に入っていった。他の小さなテティたちが同様に消えるなか、ユゥク・テティは、その場にとどまりつづけた。

 キシムは、ビーヴァの傍らに立ち、腰に片手をあてて彼を見下ろした。

「よお。まだ、ケレ(悪霊)にはなっていないようだな」

 ぎこちない苦笑をうかべ、キシムは話しかけた。出来るだけ、皮肉な口調を心掛ける。

 ビーヴァは、瞼をあげて彼女を観た。ぼそりと言い返す。

《……俺に嫉妬させるのが、たのしい?》

「なんだ。聞いていたのか」

 キシムは、本気で苦笑した。ラナにかかりきりだと思っていたビーヴァが、自分とカムロの会話に気づくとは。

 ビーヴァは、きまり悪そうに、視線を逸らした。

「文句なら、オレでなく、カムロに言ってくれ。……それに、オレはちゃんと、断ったぞ。余計な口出しをするなって」

 キシムは、ビーヴァの隣に腰を下ろした。ほどいた髪を風になぶらせ、眼を細める。

『それでいいのか?』とは、ビーヴァは問わなかった。言えば、キシムは怒るだろう……。死者に縛られているのは、ラナより、キシムの方だ。かと言って、二度と逢えなくなっても構わないほど、自分は未練を捨てきれていない。

 ビーヴァは眼を閉じ、キシムを観ないようにした。


 あの時、ケレになってもよいと思ったのだ。ラナが望むなら。

 ビーヴァは、ラナに嫉妬した。キシムに、カムロに、ソーィエに……。ぬくもりも冷気も、影も光も通り過ぎてしまう存在となって、はじめて覚える、生あるものへの羨望だった。

 どんなに苦しくとも、彼らは、先へ進むことが出来る。傷は癒えるだろう……成長するだろう。希望があるかぎり。

 死者には、それはない。

 みさかいなく生命をうばう悪霊は、きっと、嫉妬ゆえにそうするのだ。

 こんな思いを、数百年、抱きつづけなければならないと気づいたとき、ビーヴァは、ケレになりたくなった。己を無くし、意志をなくし、何も感じられなくなれば、どんなに楽だろう。

 そして、ムサ・ナムコに害をなす前に、キシムに祓ってもらえるのなら――

 

 キシムは、ふとわらった。そっと言う。

「お前がケレにならなくて、良かった」

 ビーヴァは溜息をついた。キシムに悪いことをした、と思う。

《ごめん》

「…………」

《俺のちからじゃない。ラナが、止めてくれた》

「それは良かった」

 キシムの声に、安堵の響きがまじる。ビーヴァは、怪訝に思って彼女を見上げた。

「ラナ様は、お前をケレにしたくなかったんだろう。そこまで絶望していなくて、良かったよ」

 ビーヴァは、なんと応えればよいか判らなかった。混乱した気持ちで、繰り返した。

《……本当に、ごめん》

「お前は、いつもそうだな」

 キシムは、いつもと同じように笑っていた。彼がいない間の懊悩など、微塵も感じさせなかった。

「どうせなら、ごめんでなく、ありがとうと言ってくれよ……」

 ビーヴァは、彼女を観ることが出来なくなって、眼を閉じた。ふるえる感情を抑え、やっとの思いで、囁いた。

《……ソーィエと、約束したんだ。迎えに行くって。それまで、ケレになるわけには、いかない》

「そうか」

 ビーヴァは頷いた。キシムは、悪戯っぽく、彼の顔をのぞき込んだ。

「……オレが死んだら、どうしてくれる?」

《迎えに行くよ》

 即答だった。

 キシムは、寂しげに微笑んだ。

「そうして、お前とひとつになるわけか。テティ(神霊)になって」

 ビーヴァは肯いた。両手をついて身を起こし、おずおずと、キシムの顔色をうかがう。

《もちろん……キシムが良ければ、だけど……》

 キシムは苦笑した。彼によりかかり、肩に頭をのせて、天を仰ぐ。ため息交じりに応えた。

「悪くないな」

 森が在るかぎり、生命の循環がつづくかぎり……神霊となって、見守るのだ。セイモアと、ソーィエと、ビーヴァとともに。いつか、互いの意識が融け合い、ひとつになって。

 その日まで、自分は、かれのシャム(巫女)であり続けるのだろう。

 ビーヴァは、キシムの行動にすこし驚いた顔をしたが、黙って肩をかした。

『ああ。悪くない』

 キシムは、胸のなかで、繰り返した。





~『白夜の星』 完~

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