第19話 旅商人のロランに聞いた猫と魚の話
人形の祠の調査を始めた当初、そのものは避けて人形にまつわる怪奇譚だけを蒐集した。
怪談というものは回り道であると筆者は経験則で知っている。
帝都で耳講奇譚集を編纂した折にも、全く無関係と思っていた話が後々で繋がっていたということはあった。
トリアナンも大都市な訳で幽霊はたくさんいるだろう。
一つの幽霊だけを花形として人気役者のように扱っては、他の幽霊は気を悪くするのではなかろうかという思いがあった。
よって、この小説という体裁を取っている報告書にも、直接は関わりの無い話も記載させて頂いている。
筆者は残念なことに読者の皆様というのが、天上人に連なるやんごとなきお方であるとしか知らされていない。
不敬に当たると思しき箇所や、下々の下世話な話というのも含まれるが、どうかご容赦願いたい。
以下は、旅商人のロランより聞いた話を小説として纏めたものである。
◆
ロランは成功を手にした旅商人である。
三点貿易の見本で成功し、今では砂漠を越えた国にも足を延ばすやり手である。
「砂漠を超えると、帝国とは変わりますよ。人種にも差はありますし、文化だって違う。こっちじゃなんてことない菓子が金に化けたり、その逆もあるんです」
一等法務官である内は外国に行くということは有り得ない筆者としては、その言葉だけで異国を夢想してしまう。
ロランという男は、何気ない言葉で人に夢を見せてしまうような、そんな不思議な魅力を持つ男だった。
ロランは帝国の商家の生まれである。
商家といっても、小商いの雑貨屋である。儲かりもしないが貧することもないという、先祖代々に渡り小さな商いをしている店であった。
ロランが少年であったころ、一年に一、二度だけ商品を卸にくる旅商人がいた。
珍しいものや異国の反物など、あまり売れるものでもなかったが長い付き合いもあって仕入れているという関係である。
店主は浅黒い肌をした初老の男で、ロランが物心ついた時から少年になるまで外見の変わらない不思議な異国人であった。
「坊よ、異国では空を飛ぶ魚がおってな、それを喰らう七色の尾を持つ鳥もおるのだ。熱砂の砂漠には恐るべきジンがいて、儂らはいつもご機嫌をとるために酒を持っていくのだよ」
と、そんな不思議な話をしてくれるので、ロランは彼の来訪を心待ちにしていた。
十二歳の時に、異国人はそろそろ商人をやめて故郷に帰ると言った。ロランの店には世話になったと、たくさんの土産物を渡してくれた。
誰かに商売を引き継ぐという訳でもなく、廃業して故郷に帰るのだという。
両親は残念がっていたが、土産物に気をよくしての言葉であるのは明白だった。
白々しい両親にも、異国人は分かっていて気づかないふりで謝辞を述べた。
異国人は帰る時にロランにも土産を渡してくれた。
「坊は旅商人に向いているよ。これをあげよう。儂も坊くらいの時に旅商人に貰ったんだよ」
そう言って渡されたのは、つるりとした緑色の石で作られた手の平大の人形であった。
猫の頭に人の身体。妙に愛嬌のある玉の人形だ。
「これは、遥か東のタイクーンが治める国からやって来たものだよ。旅の好きな猫の神様でね。ほら、手がおいでおいでをしているだろう。お金や人の縁を結んでくれる神様なんだ」
なるほど、天道教会の神様とは違うけれど、なんとも穏やかで間の抜けた幸せな顔をしている。笑顔という訳ではないが、悪い気もしていなさそうな、なんとも不思議な顔付きだ。
「坊にあげよう。もう儂は旅を止めるからね。だから、そろそろ誰かにあげないといけなかったんだ。坊は、儂より遠くに行くかもしれないから、このトリアナンで渡すというのはいい考えかもしれない」
トリアナンは港湾都市であるドーレン領とも近く、船に乗れば異国人とは違う旅路を往ける。
「坊よ、旅はいいぞ。帰る場所がある旅というのが一番だが、帰る場所を失ってしまったら、旅の途中で帰る場所を見つけるか作るかするんだ。それを忘れてはいけないよ」
異国人は最後にロランの頭を撫でて、去った。
それが今生の別れとなった。
ロランは少年から青年へと成長し、旅商人として生きることを決める。
両親は反対したが、人の縁もあり最後にはなんとか説き伏せて貿易を行う商会に務めた。
独り立ちまでに十年近くをかけたが、二十代の終わりには砂漠を越えた異国に足を延ばせるほどの、一人前の旅商人となることができた。
幸運だな、とロランは自分でも思う。
懐には猫の神様がいる。
人の縁に恵まれたのは確かなことである。
一事が万事このおかげとは言わないが、疲れ切ってささくれた気持ちになった時にも、この人形の間抜け顔を見ていると、なんとはなしに気持ちが軽くなった。
間抜けな顔だなとは思うけれど、この猫の顔は「そんな怒ってどないするの?」と諭してくれたり「あんなん相手したらあかんで」と忠告をくれたり、「甘い話はあらへんで」と呆れていたり、どうしてか西域なまりで言っているように思える。
それを想像するとついつい笑えてしまう。
砂漠を越えた後に、次は海を見たくなった。
ドーレン領は亜人領と隣接していて、かの地を治めるドーレン伯爵家では亜人との取引も盛んだ。
砂漠の先で仕入れた絹も、トリアナンよりも着実に捌ける。
トリアナンは資源迷宮頼りの都市であるため、商人相手なら利益は出るが交際費も馬鹿にならない。そういうこともあり、親交のある商人にある程度売った後はドーレン領へ行くことにした。
ドーレン領は港町であり、帝都とトリアナンを結ぶ位置にある。
街道は整備されているものの、盗賊が多く出ることでも有名だ。
冒険者を護衛に雇うのが通例であるため、ロランは馬車一つの旅であったが三人の冒険者を雇った。
ギルドは通さなかったが、何度か護衛を依頼したことのある若い三人組だった。
彼らに言われるままに、近道だという峠道を使ったのが悪かった。
妙な道祖神のある古い道だった。
どういう謂れかは知らないが、顔が削られた道祖神というのはひどく陰鬱なものである。
「こっちですよ」
と、冒険者のリーダーは言うが、どうにも厭な感じがする。
勝手知ったる道であると冒険者は言うが、地図を何度も見ながら、声にも焦りが混じり、迷ったのだと知れるのにそう時間はかからなかった。
「申し訳ない。いつも使っている抜け道なんだが、どうにも迷ってしまったようで」
冒険者のリーダーは沈痛な面持ちで言うが、道無き道という訳ではない。人通りは少ないのだろうが、荒れた道という程度で行き倒れになりそうな様子は無い。
ただ、妙に厭な空気だけは満ちていた。
見慣れぬ道祖神が多いのもそれに拍車を掛けていた。不安が募る。
「まあまあ、先に進めば街道には出るでしょう」
ロランは鷹揚に言ってみせた。
保存食に水もあり、そこまで焦るほどのものではない。
冒険者たちが妙にそわそわしているのが気にかかったが、先に進むことになった。
夜闇が迫るころになって、道先に民家の灯りが見えた。
「ああ、助かったな。軒先を貸してもらおう」
ロランは努めて明るい声を出す。
冒険者たちもほっとした様子だ。
先ほどから狼の遠吠えが聞こえていて、不安に襲われていた。無理をして平静を装っていたこともあり、ようやく皆に笑顔が戻る。
古い屋敷だった。ちょっとしたお屋敷という風情で、獣避けの高い塀に囲まれている。
「もし、家人のお方、いらっしゃいましたら扉を開けて頂けませんか。我らは旅商人とその護衛ですが、道に迷ってしまいました」
戸を叩いて声を張り上げていると、しばらくして戸が開いた。
「お困りのご様子、泊まっていきなされ」
扉を開けたのは、エルフの女だった。
帝都周辺でもなかなか見られないエルフに驚いたものの、彼女はこちらには別段気を遣った風でもなく屋敷に上げてくれる。
屋敷には肖像画があった。
相当に古いもので、聞き慣れない名前の貴族らしき男が描かれている。
以前の主はトリアナンに住む貴族だったらしいが、現在の街道が開通した後に手放したのだそうだ。
「山の中が落ち着くもので、買い取ったのですよ」
と、エルフの女は言う。
なんとも事情のありそうな話だが、藪をつついても出るのは蛇か無意味な悪意だ。それ以上の話はしなかった。
親切にも人数分の食事を用意してくれたので、山の中で入用になるだろう砂糖や塩を差し出すと、エルフは快く受け取ってくれた。
客間に通されて、長らく使われていなかったであろうベッドに横になると睡魔に襲われる。
うとうとと眠りこんでしまった。
夜半、尿意で目覚めた。
手水場に行って用を足して帰る途中、灯りが漏れている部屋があったのでついつい足が向いた。
荒い息遣いにドアの隙間から見やれば、エルフの女と冒険者のリーダーが睦み合っている様が見て取れた。
わざわざランプで部屋を明るくして絡みあっている。
ロランは足音を立てないように部屋に戻った。
冒険者とエルフの女が共謀して、この屋敷に誘い込んでいたとしたら、荷を奪われて殺されるな。
懐の猫を触る。
つるりとした感触を確かめていると、落ち着いてきた。
最初からそのつもりだったら、こんなまどろっこしい真似はしないだろう。
寝てしまおう。
一夜の恋というやつさ。
また少し眠っていたが、今度は妙な音で目が覚めた。
水音が響いている。
雨かと思ったが、池で魚が飛び跳ねているような音だ。
窓から外を見ても雨は降っていない。
水音は絶え間なく聞こえてきて、目が冴える。先ほどのあられもない姿を思い出してしまい、なんとも眠れなくなった。
足音を立てないようにして客間から出て、歩いた。
やはり、エルフの女の部屋から灯りが漏れていて、水音が聞こえる。
そろりそろりと近づく。
さて、どんなものか。
覗き見ると、エルフの女は全裸のまま立尽くしていて、ベッドには冒険者が高鼾で横になっている。
なんだ?
エルフの女は、手に干し肉をつまんでいた。
「さあ、いい子ね。ご飯をあげるわ」
干し肉を冒険者の腹の上に持ってきて、ゆらゆらと揺らす。
すると、冒険者の腹がさざ波を打った。
逞しく鍛えられた腹筋の辺りが水面のように漣立つ。そして、ぱしゃんと魚が跳ねた。
跳ねた魚は干し肉を喰らうと、水面に、いや腹に戻る。
はて、これはなんなのか。
あまりに不思議な光景に、口を開けてしまった。
もう少し、もう少しと前に出てしまい、扉に触れてしまった。きい、と音が鳴る。
「あら、いかがされました」
「あ、いや、その、音がしていたもので」
「ああ、
「はあ、そうですか」
「ええ、おやすみなさい」
「はい、失礼します」
全く普通にそんな会話をして、頭を下げて客間に戻った。
それから、また眠った。
今度は朝まで目覚めなかった。
目覚めればすっかり朝で、疲れはあまり取れていなかった。
冒険者のリーダーはどうにも腹が重たいとは言っていたが、すこぶる調子は良さそうだった。
エルフの女に礼を言って、一行は出発した。
屋敷が見えなくなってから、他の二人に聞こえないように昨夜のことを問うてみた。腹魚のことはさすがに言えなかったが、あまりにも不思議だったので水を向けてみたのだ。
「あまりに美しい方であったので、お恥ずかしい」
と、リーダーは小声で返す。
腹魚のことは覚えていないらしい。
そのまま、常からの街道に出てドーレン領へと着いてから冒険者たちとは別れた。
ドーレン領で宿をとった折に、奇妙な夢を見た。
腹の中で魚が泳いでいてくすぐったくて仕方ない。すると、釣り人が現れて自らの腹に釣り糸を垂らす。
ぴょんと、手の平くらいの腹魚が釣れて、釣り人はそれを食べてしまう。
釣り人は愛嬌のある顔をした猫であった。
腹魚を食べ終えると満足げに「なぁお」と鳴いた。
目が覚めると、妙に腹が減っていて、あの猫の顔が、お守りに似ていると気づいた。
海を渡ってから、異国の寺院に泊まった折にこの話をしたところ、腹魚のことを高僧が知っていた。
大成する人物が体内に飼う魚で、大きくなれば竜となり天に昇る妖魚だそうだ。
腹魚を飼う者は大成するが、その多くは竜に成りきれなかった腹魚のために非業の死を遂げるという。
あれから何年も経ち、その冒険者は英雄として名を馳せていた。
腹魚が昇り竜となれれば、彼は真の英雄となるのだろうなと愚にも付かないことを想像する。
ロランにもどうやってか腹魚が住み着いていたが、石の猫が食べてしまった。
なんとはなしに、それはとても良いことだったと思う。
あの街道を通ってエルフの女に仔細を尋ねたいと思うこともあるが、もう行くことはないだろうなとロランは思っている。
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