第二十二話 声撃

 エレンとルートは互いを励まし合い、アレクは、黙って地面を見つめていた。

 彼らを含む、捕虜は皆、後ろ手に縄をうたれ、縦に並ばされ、歩かされる。まるで、ありの行進さながらだった。人数は三十人ほど。料理人や清掃員、兵士の家族など、関所で、もとより生活していた非戦闘員と、エレン達のように、たまたま居合わせた不運な旅人。その二種類があった。


 エレンの鼻に水滴が落ちた。空を見上げると、今度はひたいが濡れる。雨だった。しとしと、という言葉で表現してよいほど、ささやかな雨ではあった。しかし、衣服を濡らし、その身体を冷やすのには十分すぎた。

 寒さと不安で皆が震える中、サトだけは例外だった。はらわたが煮えくり返っており、体中が熱かった。普段、温厚な彼にしては珍しい。


 理由は、愛武器の薙刀なぎなたにあった。アタイ軍は、捕虜たちの装備をあらため、使えそうな物は持って行った。所詮は旅人の所有物であり、正規軍の役に立つ装備など、ほとんどなかったというのが実際のところである。しかし、サトの薙刀は違った。


 ――許さぬ――

 サトにとって、武器はずっと苦楽を共にし、生死の境を乗り切ってきた相棒である。そんな相棒が、遥か遠く、どこの馬の骨かもわからない者の手に握られている。耐えがたいことだった。


 ソラは、自分の武器を敵に投げつけることがよくあるが、サトには主君の考えを理解できなかった。

  ――武器など、ただ人間に使われる物に過ぎず、相棒でもなんでもない。それに執着するのは、身を滅ぼしうる愚かなことだ――

 これがソラの考えである。付き合いの長いふたりだが、武器に対する考えは相容れない。そして、武器に対する考えの違いは、そのまま戦い方の違いでもあった。


 列の先頭には、護送の騎兵部隊がいる。百人ほどの小さな部隊だった。行先は、国境に最も近い町バアルル。アタイ軍にとって、ここは自領内であり、百人で十分達成可能な簡単な任務のはずだった。


 だが、高い崖が横たわる狭い道を通行した時、事件は起きた。

 土砂が崩れ、道を完全に塞いでおり、通行は困難だった。雨のせいだろうと多くが思った。

 だが、

 ――地形を変えるほどの雨か? ――

 と疑問に思う者も中にはいた。サトもそのひとりだった。


「引き返すか」


 護送部隊の長は、苛立ち、ため息をつく。ここから、別の進路を取るとなると、バアルル到着までに日が落ちてしまう。不本意ながら、野営するほかなかった。


 適当な林を背に、天幕を張り、篝火かがりびを取り付ける。雨は幸いにもすぐ上がったのだが、木々の多くは湿気しっけてしまい、火元にできるくらい乾いた木片を探すのに、ずいぶん時間が掛かった。


 隊の人間は天幕で休んだが、捕虜は野外である。

 男と女に分かれさせられ、近くの木や、このためだけに立てられた杭に繋がれる。逃亡や抵抗の恐れがある男のほうにだけ、交代で見張りがつけられた。なるほど、こうやれば、見張りの数を減らせる。


 日が完全に落ちた。


「サト殿、起きているか」


 隣にへたり込んでいるアレクが、小声で尋ねた。衣服は当然、水気を含んだままであり、体温は落ち込んでいる。


「ええ。どうしました?」


 サトは、すぐそこに立っている見張りに会話が聞かれていないか、うかがいながら、答える。見張りの数は五人。


「エレン、ルートが心配だ。まさか、ということはないだろうな」


 彼女たちは捕虜であり、女である。アレクの懸念は、容易に想像できた。ちなみに男たちが繋がれた場所と、女たちが繋がれた場所はひどく離れており、あちらの様子をサトたちのところからは確認できない。


「ないでしょう。もっと騒がしくなるはずですから。大方、予定外の野営を強いられて、捕虜をはずかしめるどころではないのでしょう」


「だといいが……」


 サトの答えを聞いても、なおアレクは不安をぬぐえないようだった。サトとて、自分の言葉に自信は持てない。


「なんとかこの縄、切れないかな」


 アレクは忌々いまいましげに、身をよじりながら言った。


「幹のゴツゴツした部分に擦り付ければ、いつかは切れるかと。しかし、我々が今、自由になったところで、彼女たちを助けることは……」


 エレン達との距離が離れすぎている。縄を切って、逃げ出しても彼女たちのもとへたどり着くまでに発見され、再度捕縛されるのがオチである。


「ソラの時みたいに、コニウェン殿が助けてくれないかな。それなら、事を起こさずに、このまま捕虜の身で耐えたほうがいい」


「無理でしょう。コニウェン殿の活動拠点は、あくまでミクトレン。アタイには、支店がいくつかある程度に過ぎません。大きな影響力はない」


 サトの冷静な言葉に、アレクはただ唇を嚙むしかなかった。


「時を待つしかないか」


 ぽつりと言うのが精一杯だった。 明日、移動させられるとき、また女たちと一緒になる。そこでなんとか機会を掴むしかない。ふたりの決断は、ひどく常識的なものだった。悪く言えば、受け身。運が巡ってくるのを待つだけ。彼女たちが今まさに、涙を流しているかもしれないのに、ただ待っていることしかできない。


 さて、サトたちが今日の逃走は諦め、目を閉じるとすぐ横で人が、もそもそと動くのを感じた。他の捕虜たちが、縄を切ろうとしているに違いなかった。


「おい、そこの者! 何をガサガサしている」


 見張りが彼らの怪しい動きに気づき、歩み寄ってくる。


 そのとき、林のほうから空を切る音がした。ひとつやふたつではない。次の瞬間、捕虜のほうに向かって歩いていた見張りが倒れる。胴体にはいくつもの矢が刺さっていた。


「敵襲!」


 別の見張りが大声で叫ぶ。

 静まりかえっていた天幕から兵が吹き出し、一斉に林のほう、まだ見ぬ敵のいる場所へ駆けつける。その間に、矢によって見張りは全員討たれていた。


 サトたちの横を通りすぎ、襲撃者たちは姿を現した。正体は野盗である。三十人ほど。捕虜であるサトたちには目もくれず、迎撃の兵たちと交戦を始めた。

 最初こそ、急な襲撃を受けて、まだ気持ちが入っていない上に、数の少なかった兵士らを、賊が圧倒した。しかし、徐々に加勢する兵が増えていき、ダメ押しに隊長みずから剣を握って、参戦すると、戦況は反転した。

 劣勢を悟った賊は、もと来た林の中へ逃げていく。


「追え! この機に討ち取れ」


 指揮官の命令を受けて、追撃を始める兵士たち。


 ――よし――

 そのころには、サトもアレクも当初の予定を変更し、縄を切っていた。アタイ軍は、襲撃者の殲滅せんめつ躍起やっきになって、林の奥へ向かっていく。わずかな守備兵を残し、野営地から兵が消える。しかも、追撃するのは主力、残るのは弱兵。脱出のまたとない好機であった。


 他にも自由の身になった捕虜がいる。彼らは混乱の中、思い思いの方向へ散っていった。逃げた者の中には、妻や娘と共に捕まっていた男もいた。要するに、女を見捨てたのだ。責めることはできない。それも、生き残るための選択肢のひとつである。


「待て!」


 一部の兵が捕虜の逃亡に気づき、追う。


「今だ」


 周りの兵が完全に消えたのを見て、アレクが言った。逃げ出した捕虜をおとりに使うような形であり、決して気分の良いものではなかったが、やむを得なかった。


「待ってくれ。僕の縄も解いてくれ」


 立ち上がったサトたちの背後で、少年の声がした。

 移動中、サトたちのすぐ後ろを、母と共に歩かされていた少年だった。まだ十歳にもなっていないであろう。それなのに、まったく不安の色を見せず、表情を一切崩さないのだ。ある意味、気味が悪い子供だった。本来、息子を励まさなければならないはずの母のほうが、少年の沈毅ちんきな態度に力をもらっている印象を受けた。


 ――誰かに似ているものだ――

 サトは、主君を思った。


 ふたりの心中に一瞬、迷いが生じた。一直線にエレンらのほうに向かうはずだったのだ。できることなら助けたいが、少しの時間も失いたくない。


「母さんを助けたいんだ! 頼む!」


 その言葉が、サトを動かした。震えて一寸たりとも動けないでいる者や家族を見捨てた者もいる中、この少年は母を助けに行くという。見事な覚悟だった。


 ――見捨てられない――

 そう思わせるには十分である。


「ありがとう」


 少年が礼を言った時、捕縛の兵がこちらに駆けてくるのを、松明の光のもと、確認する。守備に残された兵だろう。視界が闇と光でぼやけ、見えにくいが、十人は超えている。

できれば、アタイの兵と事を構えたくなかった。元々は、穏便に避難するつもり予定だったのだ。


 ――そんな悠長なことを言っている場合でもないか―――


 諦めにも似た感情を抱き、サトが進み出る。

 先頭で突っ込んできたひとりの腕を掴むと、元来た方向へ投げ飛ばす。それが後続の数人にぶつかり、気絶させる。

 倒れなかった者はひるまず、サトに立ち向かった。

 勢い盛んな猛牛たちをひらりと避け、避けざまに蹴りをお見舞いする。蹴られた者は首の骨が砕け、絶命した。兵装にも弱点がある。ひとつが兜と鎧の間。言うのは簡単。狙うのは難しい。サトは軽々、やってのけた。

 死ななかった兵も、もとより勢いがあったのが、サトの蹴りによりさらに勢いづいた。勢い余って、地べたに激突してしまう。サトが、仕留めた兵から剣を拝借するには十分すぎる隙だった。


「行け!」


 サトが叫び、アレクが応える。いつものように、丁寧な物言いをするほどの猶予ゆうよはなかった。少年も迷わず、アレクのあとに続く。


 自分が心配したところで、何もできない、とすぐに判断できたのだろう。少年の精神は熟している。

 ふたりは脇を抜けて、女たちのほうへ走った。


 サトは、残りの兵と対峙たいじ。取り囲むように、周囲を回る兵。だが、残りかすのような弱兵である。装備の差があっても負ける気はしない。それでも、手こずりはした。

 戦闘中、遠く離れてしまった愛武器を思わずにはいられなかった。使い慣れた薙刀があれば、この程度の兵など、二薙ふたなぎだっただろう。

 ひとり、ふたりと剣身で打つ。三人目を払ったところで、剣が刃こぼれを起こした。いかに普段、手入れをおこたっていたかが、わかる。

 気を落とすことなく、斬りかかってきた者の手首をひねり、新しい得物えものを手にする。


 

 しばらく経ち、兵がサトの強さを恐れ始めたころ、遠くで叫び声が上がった。女たちのものだ。アレクたちが向かったほう。エレンやルートの声も聞こえた気がした。明らかに、解放された喜びによるものではない。恐怖に満ちた悲鳴だった。


「敵襲!」


 またも、敵の襲来を知らせる声。

 サトと交戦中の兵は驚く。無理もない。襲撃者は撃退されたはずである。また新手がやってきたとでもいうのだろうか。

 サトをほったらかしにして、味方を助けに向かうアタイ兵たち。サトも置いて行かれまいと、駆けようとしたところで足がもつれ、転倒してしまう。戦いの最中は気づかなかったが、足に深手を負っていた。それでも、力を振り絞って、急ぐ。


 前方を走るアタイ兵が、騎兵に蹴散らされる。

 襲撃者の正体は、またも野盗。

 最初の襲撃は陽動だった。一部が、しばし戦ったのち、林のほうへ退却。敵の主力を、追撃のためにおびき出す。そうして、からに近くなった野営地を、騎兵を含む主力が別の方向から蹂躙じゅうりんし、略奪する。

 戦争でよく見られる戦術だが、それを野盗がやったというのが驚きである。軍隊のように組織的でないとそう上手くいかない。


 一騎。サトのほうへ走ってくる。

 突き出された槍をすんでのところで、横へかわす。速度が乗った一撃である。当たっていれば、命はなかっただろう。


 サトひとりを相手にする気はないのか。攻撃してきた一騎は、どこかへ去っていく。すでにアタイの守備兵はことごとく討ち取られ、いない。もはや、主目的は戦闘ではなく、略奪に移ったのだろう。


 サトは、ふらふらと立ち上がり、周囲を見回した。


 無数の光が交差しながら飛んでいる。松明を片手に、騎兵が野営地内を駆け巡っていた。

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