第十九話 族

「元婚約者の間違いだろう、カナメ」


 ソラは、『元』という一字を強調していった。


「あれっ、そうだったか?」


 彼女の、にやにやとした笑顔が、部屋に差し込む月の光に照らされた。


「起こすにしても、もう少し普通に起こしてほしい」


「でもこっちのほうが、面白いだろ?」


 ぬけぬけとそんなことを言う。

 ソラは、弓を置いて、少々呆れ気味に、卓に肘をついた。

 

 カナメという娘は、ソラやサトと同じく、タイス族の子である。いや、タイス族の子『だった』と書いたほうが正しい。サトと同い年、ソラのふたつ上、二十一歳だ。


 ――年相応の言葉使いを覚えてほしいものだ――

 彼女の口調はとても淑女しゅくじょのそれではない。俗にいう男言葉である。淑女でないのは、口調だけに留まらない。二一歳でこれは正直まずい。


 彼女とソラは確かに、かつて婚約者同士だった。けれども、その婚約は互いの親が勝手に決めたものだった。

 カナメの父モヤは、タイス族の有力者である。彼との繋がりを深めておきたい族長サインと、族長の家族に迎え入れられたいモヤの思惑が一致した。端的にいってしまうと族内部の『政略結婚』である。

 親が勝手に決めただけで、ソラもカナメも相手への恋愛感情などは一切持ち合わせていなかった。彼らにとって、相手は幼少期より慣れ親しんだ、ただの幼馴染でしかない。


 言葉使いは粗野。立ち振る舞いも粗野。それがカナメだ。モヤは厳格な人物であったので、厳しく教育されていたはずだったのだが、結果は残念である。いや、むしろ教育が厳しすぎて、逆効果だったか。


 だけど、その程度のことなら婚約破棄には至らなかっただろう。

 これがソラではなく、将来、次期族長や一族の重要地位につく兄たちの婚約であれば、性格に問題がある妻はまずいので、即解消されていたに違いない。しかし、ソラは所詮しょせん末子であり、重要な地位にはつけないのは明白なので、婚約はそのままにされた。きつい言葉を使うと、『面倒なので放置された』といってよい。

 

 放置状態がしばらく続いたのだが、彼女は十六歳の時、決定的なことを起こしてしまう。


 ―― ちょっとそこまで出かけます。絶対に探さないで――


 という置き手紙だけを残して、カナメは行方をくらませたのだ。


 サインは、


「息子の婚約者の一大事である」


 と、できうる限りの者を動員して、探そうとした。


 だが、モヤは、


「あのような娘、探して頂かなくてもよろしいです。探さないでよいらしいので、ほうっておきましょう。ただただ娘の不肖ふしょうを恥じるばかり」


 と捜索を断った。

 いくら手紙に『探すな』と書いてあったとはいえ、実の娘の失踪に対して、この対応はあまりに冷たい。

 それだけ、モヤは激怒していた。


 死亡説すらささやかれだした一ヵ月後、カナメはなんと無傷で帰還した。混迷を深める大陸情勢の中、これは奇跡と呼んで、差し支えない。

 本人がいわく、別世界を見てきたとのことだった。遊牧民の彼女にとっての『別世界』とは当然、農耕民族の生活圏である。


 けれども彼女を待ち受けていたのは、心優しい温かな言葉でも、賞賛の言葉でもなく、父による容赦ない『勘当かんどう宣告』だった。当然ながら、婚約も解消。モヤは族長とソラに泣いて、詫びた。


 怒られるとは思っていたが、勘当になるのはさすがに想定していなかったらしく、カナメはひどく落ち込んだようだった。

 今回ばかりは、彼女も父に謝罪した。むろん、許されなかった。

 モヤにとって、カナメがたったひとりの子であれば、世継ぎのこともあるから、許しもされただろう。しかし、モヤにはカナメとは別に、息子も娘もいた。


 しばらく、かつて自分の住処すみかであった天幕の前で、立ち尽くしていた彼女だが、自分の中でなんらかの決着がついたのか、立ち去った。『立ち去った』といっても、天幕の前からではない。なんと族自体から立ち去った。

 さすがに勘当というのは気の毒だと思った幾人かが、面倒を見てやろうと手を挙げたが、彼女はすべて断った。


 ――ああ、彼女は衝撃のあまり、自暴自棄になってしまった。二度と生きた彼女の顔を見ることはないだろう――

 ほぼ全ての族民は、こう思った。ソラとサトは違ったが。


 彼女は大方の予想を上回る。二年後、タイス族に舞い戻ってきたのだ。またも奇跡である。

 そして族長に、謁見えっけんを果たすと、


「親しくしてもらっている商人さんがいるのですが、彼の客になってくれませんか?」


 と願い出たのだから、呆れる。

 呆気あっけにとられた父の顔を、ソラは今でも鮮明に覚えている。

 カナメはハノンフェルトの西隣、農耕民の国『パテカドリュ』に居を構えていた。


 彼女は女でありながら、冒険家としての才能を認められ、複数の商家から重宝されているらしい。

 どこで、何が、どれくらいの価値で売られているのかを細かく調べる『市場調査』、行商を目的地にまで送り届ける『道案内』、新たな取引相手の『開拓』などの活動を行い、金銭を得る。

 それが二年間で、カナメの見つけた生きる道だった。

 彼女は、見知らぬ世界にひとりで飛び込み、見事に生き抜いていたのだ。



「あのとき、婚約は解消されてしまった。だけど、あたしは今でもお前を……」


 カナメはわざとらしく、回想の海に浸っていたソラに、こんなことを言い出した。

 が、一度は手放した弓を再び取ろうとするソラの動作を見て、やめた。


「わかったわかった。もう、からかいはやめるって……」


 両手をあげて、降参のポーズを取るカナメ。

 もちろん、ソラも本気で矢を射かけようとしたわけではなく、くだらない冗談を冗談で返しただけである。その証拠に、ふたりの顔には表情の緩みがあった。


「それで、一体何をしに来たんだ?」


 ソラはこう尋ねて、真面目な話に戻ろうとした。


「族長の言葉を伝えに来てやったよ」


「お前ひとりで、か?」


「ああ。見た通り」


 ――それは妙だな……――

 ソラは嫌な予感がして、眉をひそめた。


「父の言葉とは?」

 

「あっ、その話をする前にさ……」


「?」


 頭に疑問符を浮かべるソラを置いてけぼりで、彼女は、薄暗い部屋を見回す。部屋には火が灯されていないのだが、月光のおかげで、かろうじて、物が見えた。


「ダメか。ちょっと待っててくれ」


 ソラの部屋に自分のお目当ての物がないことを確認すると、彼女はくるっと背をむけた。


「おい、どこへ行く」


「腹ごしらえだよ。腹ごしらえ」


 彼女は構わずに、部屋の出口へ歩いていく。


「こんな夜中に、店主を叩き起こすつもりか」


「大丈夫。支払いを通常よりもはずめば、文句も出ないだろ」


 彼女は、そう言い残して、一階へと降りて行った。


 さてカナメが侵入してきた窓から、ふと外を見下ろしたソラは、宿の少しむこうにある厩舎きゅうしゃが騒がしいことに気がついた。

 厩舎とは、馬や牛などの家畜が過ごす場所である。厩舎はこの宿屋が所有するもので、宿泊客の乗ってきた馬もここで預かっている。実際、ソラも自分の馬を預けた。


 馬の睡眠は短い上に、浅い。だから、夜であろうが、厩舎が騒がしいことくらい、よくあることだ。けれども、今回はその騒がしさの質が違っていた。


 ――馬が何かにおびえている――

 ソラはこう感じた。


「食い物持ってきたぞ。ほれほれ」


 妙に思っていると、ちょうどカナメが戻ってきた。ふたり分のパンと茶を持って。

 彼女はベッドのそばの床に、あぐらをかいて、座った。

 

 ――すぐそこに食卓があるのに、なぜ床で食事するのか――

 ソラはため息をつきながらも、彼女のむかいあう形で、同じくあぐらをかいて座った。

 

 ソラのほうからスカートの中身が見えそうになっているのに、カナメは一切気にしない。恥じらいという感情が、絶望的に欠如している。


「どうもタイスに、まずいことがあったらしいな」


 ソラは、目のやり場に困りながら、たった今、パンを頬張り始めた彼女に切り出した。


「相変わらず、察しいいな。なんでそう思った?」


 ソラの言葉に少し驚いた彼女は、パンを喉に詰まらせて、けほけほしながら、いった。


「さっきお前は『父の使い』だといった。だが、我が父ならば、いくらお前が族の人間でなく、たくましい野生児であっても、女ひとりに危険な長旅を強いるとは思えない」


「野生児って、お前なあ……」


 さしものカナメも、まさかの『野生児』扱いに、少々不満な様子を見せたが、ソラは気にも留めない。


「そもそも、俺への使いにわざわざお前を使う必要性がない。部下に頼めばいい話だからな。さて、『お前に護衛をつけない』のも、『部下ではなく、お前に俺への使いを頼む』のも、族の人員を減らさないためだ。つまり、たったひとりやふたりであっても、人員を割けないほどの事態が、タイス族に起こっているということだ」


「お見事」


 カナメは大げさに、手を叩く。


「はいはい、ありがとう。で、具体的にはなにがあった?」


 少しだけ、迷ってから彼女は口を開いた。

 彼女の言葉は、ソラの予想に限りなく近いものだった。本当は、外れていてほしかった予想。


「血が流れるかもしれない……」


 カナメにしては珍しく、『その言葉』自体を言うのは避けた。


 ――やはり『いくさ』か……――

 ソラは顔をしかめた。

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