第十七話 枯れ木

 アシュヴィ軍がエールイアに迫っている。

 

 大商人コニウェンは、エールイアから退去するために奔走ほんそうしていた。得意先の人たちへの挨拶巡り。屋敷から持ち出さなければならない帳簿の整理。自分自身の身支度。やることは山積みだった。

 

 長年本拠地としてきたここは、コニウェンにとって、故郷のようなものであり、彼もできることならば、エールイアと運命を共にしたかった。

 けれども、コニウェンという男は大家の主なのだ。もし彼を失ったら、家はたちまち崩壊してしまい、その発展のために共に辛酸しんさんをなめてきた同胞たちは、路頭に迷うことになる。自分の願望を優先するわけにはいかない。


 得意先であった、ある諸侯の屋敷に行った際、コニウェンはそこの家宰から、『ミクトレン王が自ら軍を率いて、アシュヴィ軍撃退のため、出陣したこと』と、『首都に援軍へ向かおうとしたホイトンの軍がコンリ丘で急停止したこと』を聞いた。


 アシュヴィ侵攻軍の指揮官はアシュヴィ王であるから、ミクトレン軍も王が出馬するのは全く疑問ではない。王軍には王軍が応じ、宰相の軍には宰相の軍が応じる。結局のところ、身分の上で同格の指揮官同士が戦うのが、戦の礼儀である。近頃、この礼儀も形骸化けいがいかしつつあるのだが。

 

 アシュヴィ軍はロイデの領主に迎えられて、水と食糧を補給したのち、ちょうどサトたちも使った大街道を通って、敵首都エールイアを目指した。進撃途中で出くわした村は略奪を行って、足りない兵糧を補ったが、要塞ようさいや小さい町については一切無視した。


 勇敢なひとりを除いて、要塞や町の主は敵を震えて見送るしかなかった。彼らを責めることはできまい。なにせ彼らの与えられた兵など、多くとも千がやっとだったのだから。  

 対するアシュヴィ軍は、ゆうにニ万を超える。戦ったところで、人が手に止まった蚊をもう一方の手で叩きつぶすかのように、たちまち敗北するのは目に見えていた。

 実際、ドレアクという名の諸侯が静観をよしとせず、時間を稼ぐため、アシュヴィ軍に立ち向かったが、ものの数時間で討ち取られた。

 

 ミクトレン王は、最低限の守備兵を残し、首都駐留軍を率いて、出陣。首都近辺に領地をもっていた諸侯の軍と、村や街に緊急招集をかけて集めた民兵をあわせて、なんとか二万の軍を揃えた。この点で、ドレアクの稼いだ数時間は無駄ではなかったといえる。


 ――しかし、ホイトン様の停止はいったい何事か――

 問題はこちらである。

 コニウェンにはわからなかった。


 ホイトンが持つ方面軍は確かに、度重なる反乱や民衆蜂起ほうきに対応するために編成された。けれども、現在ミクトレンは首都の近くまで侵攻され、存亡の危機に瀕しているのだ。火急の援軍要請を無視して、停止するなど、あってはならないことである。


 諸侯間では、すでに

 ――ホイトンは敵方に寝返ったのではないか――

 という憶測が飛び交っていた。


 ――ソラ殿なら、この戦いの趨勢すうせいをどう考えるのか――

 コニウェンは賢い男であり、商売や政治のことならば、ソラに遅れを取ることはない。しかし、軍事に関してとなると話は別である。


 ようやく最低限の得意先を回り終えたコニウェンが帰宅したとき、彼の思いを察したかのように、イングヴェーから次の報告があった。


「ソラ様が帰還されました」


 ソラは、からす行水ぎょうずいのような入浴を終えて、コニウェンと対面した。


「お忙しいところ、お待たせいたしました。ちょっとした事情があって、泥だらけでしたので」


 頭を下げて、ソラはいった。


「いえ、ご無事でなによりでした。よくロイデから身ひとつで逃れられましたね」


 コニウェンは感心したようにいった。

 ロイデの裏切りは、さすがにコニウェンの耳にも入っていた。


「正直、無事ではありませんでしたよ」

 

 ソラは苦笑しながら、いった。


 ロイデの城壁からブルー川へと身を投げたソラは、ずぶ濡れで寒さに震える体に鞭をうって、エールイアを目指した。姉妹を助けたときに負い、癒えかけていた傷にも、冷たい川の水が染みた。


 ――ロイデからエールイア方面へ出る関所は、領主の命令でとうに閉ざされているに違いない――

 とソラは判断したので、ほとんど道らしい道がないところを進んで、ボロボロになりながら、エールイアまできたのだった。途中、出会った行商人から、馬を融通してもらえたのは不幸中の幸いであった。

 

 ――サト殿たちもホッとするに違いない――

 コニウェンはサトたちの心配そうな顔を思い出しながら、思った。


 サトたちはというと、コニウェンの勧めで、すでにエールイアをたち、隣国の『アタイ』に向かった。コニウェンは『アタイ』にもいくつか支店を持っており、その中でもっとも近い『ヘルメルス』の支店へ退去するようにと勧めた。例の『白き竜』を訪ねるかは、ヘルメルス到着後に考えても遅くはないのだ。

 

 サトたちは当初、ソラの到着を待ってから出発したいと主張した。が、コニウェンはいさめた。


「いけません。ソラ殿のことですから、連中の手に掛かっていることはまずないでしょう。しかし、アシュヴィ軍が来るよりも早く、彼がエールイアに戻る保証はないのです。町が一度包囲されてしまえば、脱出はほぼ不可能になります。そうなってから、後悔なさっても遅いのです。今すぐ、たってください」


 実際、馬を手に入れていなければ、ソラの帰還はずいぶん遅れていたであろう。

 サトはコニウェンにこういわれても、しばらくは納得しなかった。

 主君の無事を確かめ、彼の身を守らねばならないという思いと、三人のことも守りたいという思いが彼の中で、交錯こうさくした。

 悩んだ末、後者をとって、サトは先に三人を連れて、エールイアを出発するという選択をした。


 ――三人は、主君が助けた姉妹と、主君の親友だ。彼らになにかあったら、ソラ様はなんというか――

 という思考もあったことを、サトのために書いておかねばなるまい。


「というわけで、彼らは先に出発してしまいました」


 コニウェンは経緯を説明したのち、ソラに頭を下げて、そういった。


「いえ。とんでもない。しかし、であるならば、私も急いでここを発ちたいと思います」


 ソラは、頭を下げる恩人を気遣いながら、いった。


「はい。そういわれると思って、ソラ殿の荷物は勝手ながら、もうまとめてさせています」


 コニウェンの手際の良さは見事であった。


「ありがたい! では……」


 ソラはいいながら、意気揚々と腰をあげたのだが、


「あ、あと少しだけお時間を……」


 コニウェンに引き留められた。

 合流を急ぎたい気持ちもあったが、お世話になった彼の真剣な表情をうけて、ソラは再び腰を下ろした。


「この戦、どう思われますか?」


 コニウェンは、部屋をきょろきょろと見回す素振りを見せたあと、小さな声で漠然と尋ねた。

 むろん、家の者以外誰かの耳があるとは思えない。そして家の者はみなコニウェンに心服しており、外部にまずい会話の内容を漏らすとも思えない。


 ただ単に、

 ――今から、誰かに聞かれてはまずいことを尋ねます――

 ということを体で表現したかっただけだろう。


「はっきり申し上げて、この戦により、ミクトレンは、滅亡とまではいかなくとも、衰退の道をたどるのではないかと思われます」


 このコニウェンの行動をうけて、言葉を選んで、ソラは答えた。


「ミクトレン軍は敗れると?」


 不安げにコニウェンが聞く。


「残念ながら、可能性は大と言わざるをえません」


 ソラは、戦争のなりゆきのそこそこを、入浴する前に、家宰から聞いていたので、考えを述べること自体に不自由はなかった。

 ソラが断言を避けるのは、もちろん戦争の問題だからである。戦争とはそれ自体が『刻々と形を変えていく生き物』であり、いかに勝敗が目に見えていようとも、その結果を断言することはできない。してはならない。

 

 コニウェンがミクトレン軍はどうして敗けると考えるのか、理由を知りたいという表情を見せたので、


「単刀直入に言いましょう。相手を自在に動かして、そして反対に相手に自在に動かされることのない者こそが、戦には勝つのです」


 と、ソラはいった。


「もう少し詳しくお願いしたい」


 その言葉だけではわからなかったので、コニウェンは詳しい解説を求めた。


「承知しました。『イアサール』『ナルウニ』の占領をもって、アシュヴィ軍は自軍を『無形』にしました。むろんここでの『無形』とは『陣形がないこと』ではありません。『自軍の目的を相手に秘匿ひとくすること』です。そうして今度はロイデを寝返らせて、十分な食料と休憩を得たのち、道中のミクトレン側の拠点を完全に無視して、エールイアに向かって進撃することで、『首都の攻略』という真の目的を示し、『有形』となりました。では、『有形』となった敵に対して、ミクトレン軍の対応は、どういったものでしょうか」


 ソラはすらすらと、解説していき、コニウェンの思考を促した。


「なるほど。おっしゃりたいことはわかりました。ミクトレン軍は、決戦を決意しました。いえ、決意させられました」


 コニウェンもだんだんわかってきたようだ。


「そうです。自国の首都が敵軍に包囲される。国家としては最大級の恥です。なんとしてでも、それだけは避けたい。だから、大慌てで軍をかき集め、王は閲兵えっぺいもせずに、出陣せざるをえなかったのです」


 ソラはうなずいて、いった。


「つまり、アシュヴィ軍は『相手を自在に動かした』というわけですか……」


 敵をこちらの意図に沿うように、動かす。簡単のようで、難しいことである。


「はい。さて、兵士の練度も高く、腹を満たし、唯一抵抗を見せた小勢を踏み潰し、士気があがった上に、有利地点で待ち構えるアシュヴィ軍。訓練のゆき届いていない雑兵ぞうひょうを加え、閲兵も行わず、大あわてで、敵が待ち構える戦場に出向いていかざるをえないミクトレン軍。はたして、どちらがより勝利を得やすいか、答えは見えていると思います」


 ちなみに、あの寝返ったロイデの領主は、町の守備隊から人員を少し割いて、アシュヴィ軍に加えることを王に提案したが、却下されていた。軍全体の練度が下がることを懸念しての却下であった。この点でも、アシュヴィ側は、とにかく雑兵をかき集めたミクトレン軍とは違う。

 軍事に対する嗅覚の差。


「敗北は避けられない……」


 コニウェンはうなだれながら、つぶやいた。

 王軍が撃破されたら、首都は危うい。首都が陥落すれば、諸侯は次々と敵方へ離反するだろう。国が崩壊してしまう。

 ミクトレンという国に強い思い入れのあるコニウェンが落ち込むのも無理からぬことだった。


「心中をお察しします。ではこの辺で、失礼しても構いませんでしょうか……?」


 再度、ソラは腰をあげんとする。


「最後にひとつだけ……」


 今度は見送ろうとしたコニウェンだが、まだ明らかになっていないことがあったのに気がついて、またも引き留めた。


「なんでしょうか?」


 そこで『ホイトンの軍がコンリ丘で停止した』という謎について、コニウェンはソラに問うた。すると、ソラの表情が少し変わった。


「ホイトン様の軍が……コンリ丘で……」


 どうも、ホイトンの停止までは聞かされていなかったらしい。少年は自分の顎を人差し指でさすりつつ、しばらく考えてから、いった。


「はっきりいって、それだけの情報ではわかりかねます」


 当然だが、ソラはホイトンという人物に会ったことがない。ゆえに、彼について、知識が少なすぎた。だから、軽はずみなことはいえなかった。


「さようですか……」


 ――いくらなんでも、これだけではソラ殿でもわからぬか……――


「そう気を落とさないでください。私のような部外者でも、唯一いえることがあります。ホイトン様の軍が停止したことが、ミクトレンにとって、悪いほうに働くとは限らないということです」


 この言葉は、コニウェンの陰鬱いんうつな表情を照らすには十分すぎた。


「軍の停止が良いほうに働くかもしれないとおっしゃるのですか?」


 常識的に考えれば、救援に来るべきホイトン軍が救援に来ないというのは、疑うまでもなく、この上なく悪い、最悪の事態である。

 しかし、ソラはそうは思わない。


「根拠はさきほど、お話しした『有形』『無形』の話ですよ。『来なければならない軍が来ない』というのは、敵にとって『ミクトレン軍が無形となった』ということかもしれないのです。加えて、現在のアシュヴィ軍は敵方に『自軍の目的』を表明し、『有形』となっています。『無形の軍で、有形の軍を討つ』のが戦の要諦ようていですから、良いほうに働くかもしれぬと申し上げたのです」


 簡潔にいうならば、ソラは、此度こたびのホイトン軍停止がミクトレン軍を戦に勝つために必須である『目的不明の状態』、つまりは『無形』に導くかもしれないと、いいたいのである。ミクトレンの敗北で落ち着きかけた戦の水面を、揺らす石になるもしれないと。

 

 もちろん、ちまたで噂されているように、ホイトンがアシュヴィ方に寝返ったのであれば、この論理は崩壊する。なぜなら、停止の理由が寝返りであるのなら、アシュヴィ軍にとって、ホイトンの軍は『無形』でもなんでもなくなるからである。


 ――だが、ホイトン様が兵法に精通しているなどとは聞かない。やはり俺の思い過ごしで、実際はただ寝返っただけか……。いやそれとも、兵法に精通した者でも抱え込んだか……?――

 ソラには、そこのほうが疑問だった。


 さて、戦役の結果をここで書いておかなければならない。

 結果だけいうと、アシュヴィ軍は王すら討ち取られる大敗北を喫することになる。ミクトレン王ではない。今まさに、大優勢であるアシュヴィ王が討ち取られるのである。


 アシュヴィ軍は、首都から駆けてきたミクトレン王率いる軍を、『カンキジャの会戦』で完膚なきまでに粉砕。勢いに任せて、手薄となった首都エールイアを包囲した。


 ――首都も、じきに落ちる――

 アシュヴィ王は、国民から賛辞の言葉を浴びる己の姿を思い浮かべて、ほくそ笑んでいた。


 唯一の懸念要素はホイトンの軍である。

 アシュヴィ軍の方針としてはホイトンの方面軍も、王軍とまとめて、カンキジャで破るつもりだった。戦うミクトレン軍が数の上では、倍になるとしても急ぎ駆けてきて、疲労しきった軍ならば、有利な地点をことごとく抑えていたのもあって、打ち破る自信はアシュヴィ王にあったのだ。

 しかし、ホイトン軍は会戦に参加しなかったどころか、首都へ助けにもこない。


 ――もう勝てないと悟って、暗に手心を期待しているのか? あるいはこちらに寝返りたいとでも思っているのか?――

 程度にしかアシュヴィ王は、ホイトン軍の停止を捉えていなかった。


 そう油断していたところに、味方兵が、『首都』に入ろうとしたホイトンの使者を捕らえたという情報が入った。


 捕らえた使者が持っていた密書に目を通したアシュヴィ王は笑いが止まらなかった。

 密書にはこうあった。


「兵糧が足りず、援軍に参ることが困難な状況です」


 ――これは勝った――

 そう確信したアシュヴィ王は偵騎の派遣すらも怠った。


 彼を含め、アシュヴィ軍は、偽書を掴まされたこと、そして間隙をついて、ホイトンが精鋭騎兵のみを率いて、夜を徹して、近づいていることを知らなかった。

 アシュヴィ軍がホイトンの接近に気づいたのは、彼らに夜襲を受けた直後のことだった。

 当然、今更気づいてもどうしようもない。余裕綽々しゃくしゃくで兵が緩みきっていたアシュヴィ軍は大混乱に陥った。

 これに呼応して、ミクトレン王自らが、もはや数も少なくなった守備兵を引き連れて、城外へ躍り出て、参戦した。

 アシュヴィ王は剣を手に取って、奮戦したが、降り注ぐ矢を無数に受けて、悲惨な最期を遂げた。

 

 ソラのいうとおり、ホイトン軍の停止はミクトレン軍にとって、『好転の予兆』であった。


 実はもうひとつ、ソラが的中させたことがある。

 それは『ホイトンが兵法に精通した者を抱えたのではないか』という推測である。

 大金を惜しげもなく使って、ホイトンに取り入り、いくつかの助言をし、この逆転勝利を演出した者が確かにいた。

 その者の名は、『ゴハク』。以前の名は『ギギ』。ロイデにおいて、コニウェンの金を持ち逃げしたあの看守長であった。




「では今度こそ、いったん、おさらばですコニウェン殿。また必ず」


「お時間を取らせました。私も準備ができ次第、ヘルメルスに向かいます」


 こう言い合って、ソラはコニウェンと『いったん』別れた。『いったん』別れたつもりだった。

 戦役の結果を予想できたソラも、恩人の最期までは見通せなかったのだ。



 さて、まとめられた荷物を手にして町を出たソラはまっすぐ『アタイ』を目指さず、ある場所へ出向いた。

 街の裏にある山。そう。名も知らぬ老人に、様々な教えを施された例の場所だった。

 

 まるで、弟子が来るのがわかっていたかのように、師はそこにいた。が、いつものように切り株に座ってはいなかった。弟子に背を向けるように師は立っていた。。


「師よ、ただいまロイデより帰還いたしましたが、またすぐに旅立たねばならなくなりました」


 弟子はひざを折って、語りかけたが、師はなにもいわない。


「今度はいつ帰れるかもしれず。そこで大変勝手ながら、師弟の関係を解消して頂きたく思います」


 コニウェンからの又聞きで、トラウィス山脈の『白き竜』ならば、エレンの持つ石をどうにかできるかもしれないということを弟子は知っていた。

 といっても、彼らまでの道中は厳しく、エレンの体力や精神力がもつかはわからないから、結局取りやめになって、案外早く帰ってこられるかもしれない。

 しかし、もし早く帰ってこられたとしても、この留学はそろそろ潮時だと感じていた。


「アレクも仲間を連れて、ここへ来た。白き竜に会いに行くのか?」


 例の抑揚のない声で師は聞いた。


「まだわかりませんが、彼女の決断次第ではそうなるかもしれません」


 弟子は答えた。


「やめておけ」


 今度は多少抑揚のある声だった。


 師にしては珍しい言葉を、師にしては珍しい声の調子で、いわれたため、弟子は驚いた。

 

 師のことだから、


「わしの許可などいらん。お前の好きなようにすればよい」


 とでもいうだろうと弟子は予想していた。いつもはそうだったのだ。

 まさか止められるとは思いもしなかった。


「出会ったときに教えたはずじゃ。生き急ぐな。あまり肩肘を張っていると、『枯れ木』のごとく、強風に死することになるぞ、と」


 いつかの懐かしい言葉だった。


「アレクにも同じことを?」


 弟子は、老人の言葉にかぶせるように尋ねた。

 まさに、生き急ぐ弟子の性格を象徴するような一場面だった。


 そんな弟子の様子に珍しくムッとなったようだが、


「いった」


 と師は答えた。


「アレクはなんと返しましたか?」


 兄弟子はどう対応したのか、気になったから、そういった。


「とりあえず、戦乱が去るまではヘルメルスに避難するから、そこまでは仲間に同行するといって、去った」


 ――とりあえず、か……――


 兄弟子には迷いがあるようだ。けれども彼には迷いがなかった。

 彼にはある予感があった。

 彼はずっと待っていたのだ。『自分の名を世に知らしめるような一大事』を。

 あの姉妹との出会い、もっと突き詰めれば、あの不思議な魔法石との出会い。それが待ちに待っていた一大事ではないかという予感だ。


「師よ、私はあなたに様々なことを教えていただきました。その多くが、自然に習うものでした」


 師は、背は向けたままで、肩越しにちらっと弟子を見やった。


「生意気ながら、私も自然に習って、反論したいと思います。『枯れ木』も自然の一部なはずです。そして自然に不要なものなど存在しないとあなたに教えられました。枯れ木は、身を枯らす前に、種子をつくり、次世代を生み出します。生み出せずに倒れてしまった場合も、虫や動物のすみ処になったり、土に還って、他の生物の養分になったりします。やはり枯れ木も自然界には必要な物のようです。であるならば、私は枯れ木で構いません。たとえ、志半ばで倒れることになろうとも、たとえ、良き死に方ができなくとも、私は次世代に、次の時代にまで続いてゆく、なにかを成したいのです!」


 師は、無言ではあったが、背を向けるのやめて、ついに弟子のほうに向きなおった。

 弟子に向き合った。


「だから、ここでお別れです! 敬愛する師よ、愚かな弟子の人生を遠くで見守っていてください! あるいは師の予言どおりに無様な死に方をすれば、ぜひ馬鹿な弟子だと、笑ってやってください! 私は『枯れ木』のごとく生きてみようと思います」


 弟子は、こうして己が師に決別を告げた。


 

 去っていくソラの背中を見つめ、


「弟子の死を笑える師がいるものか、『馬鹿な弟子』め……」


 と悪態をついた老人だったが、その背中が見えなくなるまで、結局まばたきひとつしなかった。

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