第十五話 軍靴

 一行が大慌てで、ロイデを出発してから、五日ほど経った。


 ――やはりソラ様のお側にいたほうがよかったのではないか……――

 サトは馬上から背後の闇を振り返り、そう後悔した。


 そもそもサトはソラの母から主の身を守るようにと、任につけられたのだ。

 ――いくら命令とはいえ、主人を置いていくのはいかがなものか――


 しかも、道中に聞かされたアレクの推測だと、アシュヴィ軍はロイデの町へと攻め寄せるかもしれないという。そんな危険な場所へ、主人をたった一人にしてきたことに後悔がよぎるのは仕方のないことだった。


 ――しかし、アレク様たちを放っておくわけにもいくまい――


 自分の背中に身を預けて、眠る金髪の少女を横目で見やりながら、サトはそう思った。 

 馬上で寝るという行為は、生涯馬上の遊牧民にとってはたやすいことだが、農耕民にとってはそうではない。揺れや馬のいななきなどでまったく落ち着けず、寝付けない者は多い。

 エレンはやはり、存外、肝が据わっているといえる。


 野盗のたぐいはいつどこから、襲ってきても不思議ではない。

 またアシュヴィ軍の襲来をもって、ミクトレンは戦時体制に突入したのだから、諸侯たちは自領の野盗を気にしている場合ではなくなってしまった。

 『戦争中は、国が乱れる』というのは真実である。

 

 いくら主君の命が心配だからといって、こんな状況下に主君の友人たちを放置して戻るわけにもいかない。


「ソラが心配か、サト殿」


 アレクが馬を寄せて、声をかけてきた。彼は後ろにルートを乗せている。妹とは違い、どうも落ち着かないようで、美しい黒色の瞳がこちらを見ている。


「あいつがこんなところでちんけな死に方をするものか。いつものように何食わぬ顔をして、現れるさ」


 励ますようにアレクはいった。

 

 サトも頭ではソラの無事をほとんど確信していた。幼いころより彼と共にいたサトは、ソラの胆力や戦闘力がいかに高いかをよく知っている。

 

 まだソラが7歳のころ、当時タイス族と、敵対状態にあった族の人間に捕らえられたことがあった。そのときも、自若じじゃくとした立ち振る舞いを見せ、最終的には隙をついて見張りをころし、自力で脱走するに至った。


 そんなソラの姿を、同じく捕縛されていたサトもよく覚えている。年齢がソラよりも、ふたつも上であったにもかかわらず、サトは震えて、事の次第を見ていることしかできなかった。


 あのときのサトに、『お前はソラよりも強くなる』といってみたところで絶対に信じはしないだろう。現在に至ってもサトは、戦いを離れると実は繊細な男である。


 さて、話の本筋からすこし逸れてしまうが、サトがこの幼い日の記憶を思い出すたびに、きまって特定の場面で、記憶の探索を強制的に打ち切るはめになるのだ。


 それはソラが見張りをころしたあとの場面である。


 サトのほうをむいたソラの表情は、サトが今まで見たことがない恐ろしいものだった。

 

 彼は笑っていた。

 

 まるで血を見ることを楽しんでいるかのように。

 

 サトは恐怖で自分の全身の毛が逆立つような感覚を抱いた。それは敵に捕らえられた恐怖とは比にならない。心臓を引きずり出されるような恐怖。


 のちに、サトがソラに恐る恐る、笑顔の件を尋ねてみたところ、本人にも笑っていたという自覚はなかったらしい。幸い、サトがソラの例の顔を見たのは後にも先にも、あの一回限りである。


 ――『ヘイムリトン』という男の血が『死』や『破壊』という行為に反応するのかもしれない――


 『ヘイムリトン』。

 

 ミッド大陸を恐怖のどん底に陥れた怪物。狡猾こうかつに、冷酷に、非道に、戦い続けた男。外に敵を求め続けた狂気の男。


 短絡的ではあるが、サトはそう考えずにはいられなかった。

 ちなみにサトは、タイスの血すら引いてはいない。親が遊牧民なのか、農耕民なのかもわからない。捨て子であった。タイス族の義母ははに川で拾われたらしい。


 とにもかくにも、こういった心配な一面もあるがソラの実力は折り紙つきである。

 だが理性の部分では大丈夫だとわかっていても、ほかの何かは簡単には割り切れない。ヒトとは厄介な生き物である。


「見えてきたぞ、関所」


 ぼんやりとエールイアの関所の灯りが見えてきた。

 夜間でありながら、関所の前は少々混みあっていた。

 どうやら国民が、アシュヴィ軍の侵攻におびえて、エールイアに避難してきているようだ。農民はその土地から基本的に離れるわけにいかないから、大半が商人や職人とその家族だろう。


 素性を明かし、形ばかりの所持品検査ののち、通行を許可される。コニウェンの名前が入った通行許可願いを提示すると、門兵の態度、対応が変わる。いつものことである。

 素性の怪しい姉妹が共に通行しても、なんの問題もなかった。


「平時ならいざ知らず、戦時にもこの杜撰ずさんさとは、ある意味で尊敬に値するな。ソラがなんと言うだろうか」



「これでは間諜かんちょうが簡単に忍び込みそうだな」


 サトはこんな呆れたソラの言葉を想像した。

 アレクもサトも、ミクトレン軍の実情を垣間かいま見た気分だった。

 

「でも、アレクさん。その杜撰さのおかげで私たちも無事通れましたよ」


「違いない」


 ルートのごもっともな指摘に、ふたりはさらに笑った。

 エレンもさきの検査の際に目を覚まして、彼らにつられてにっこりと歯を見せて笑っているのが炬火のおかげでわかった。


 関所を越えて、少し行くと今度は、闇夜に浮かぶように建つ、巨大な白い城壁が姿を現した。


 ミクトレンが首都エールイアである。


 エレンもルートも口をぽかんと開けて、高い城壁を見上げていた。そんな姿がちょっと間が抜けていて、愛らしかったのでおもわずサトは、にやっとした。


 夜間は通常であれば、通行禁止である。しかし、特別な用向きがある人間ならば、入ることができる。

 門兵は彼らを怪しむ素振りを見せたが、例のごとくコニウェンの名の入った証を見せて、サトがこう言い放つだけで問題は解決した。


「彼女らは、かの大商コニウェンの客人である。ロイデ領から急ぎお連れした。火急の用向きということで構わないな?」


 と。



 エレン、ルートを彼の確認もとらずに、コニウェンの客人としたことにサトが罪悪感を抱いていたころ、偉大なるエールイアに入った姉妹は、さきの城壁によってうけたものとは比較にならぬほどの感銘かんめいをうけていた。


「首都エールイアにようこそ! 初めて自国の首都に来た感想は?」


「す、すごいです! どこの建物も大きくて、きれいですね」


 興奮ですっかり目が覚めたようで、エレンが声を上げた。


 箱入り娘に近かった彼女たちは、町といっても、ロイデの町の雑多な街並みしか知らなかった。そんなふたりであったから、大陸でも珍しい文化都市エールイアの壮大さに心打たれるのは当然だった。


 坂の上に、赤い煉瓦れんがづくりの建物が整然と並べられており、都市の至るところに水路が張り巡らされている。そしてきわめつけが、その坂の頂点に立つ白塗りの大きな城郭だった。当然、あの城の主はミクトレンが王である。


 煉瓦づくりの階段を上り、街の第ニ中央広場を抜けて、コニウェン家のある『中地区』に入る。

 

 エールイアには上地区、中地区、下地区が存在し、文字どおり高所に位置するのが上地区、低所が下地区、ふたつの中間が中地区である。それぞれの地区の間には広場があり、人々のくつろぎの空間となっている。


 上地区は、家臣の居住区。下地区は町民の居住区。中地区はその両方。身分の高い者は領主の近くに、低い者は遠くに、という簡単な話である。

 この原則自体は、ほかの都市でも変わらないだろう。


 コニウェンは多くの名士の家に出入りを許されている商人だが、あくまで商人であるため、中地区に居を構えている。とはいうものの、その邸宅は中地区では一際大きく、さすがは大商人の住まいといった感じであった。

 ソラもサトも、ここに置いてもらっている。


 四人がコニウェン宅を訪ねると、まず顔見せたのは家宰のイングヴェーであった。

 『家宰かさい』とは大家に存在する役職で、家の内々のことを取り仕切る人間のことである。いかにも頭の回る賢い男だった。

 コニウェンの人物眼にくるいはない。


 彼の取り次ぎで、コニウェンと面会する。

 コニウェンは開口一番。


「今日はお疲れでしょう。ほかのかたは、どうぞお休みになってください」


 と、家宰に部屋の案内を命じ、彼らの旅の労苦をねぎらう。


 一人残ったサトは、『エレンとルートをコニウェンの客人といつわったことの詫び』、『ソラだけが一緒にいない理由』、『アシュヴィ軍に関するアレクの推測』などをコニウェンに伝えた。


 それらを聞き終わったコニウェンは、サトの勝手な判断をとがめる様子を見せずに、こういった。


「ロイデ付近に、アシュヴィ軍が姿を現したことは聞いています。王は急ぎホイトン様に、援軍を要請なさったとか」


 とだけ述べた。


 『ホイトン』とはミクトレンに仕える南部地域の有力武将である。彼の持つ兵力は首都のそれ、つまり君主の直属の兵力に相当するともいわれていた。

 ミクトレン南部地域は近頃、反乱や一揆いっきが相次いでおり、ホイトンはそれに対する備えを担っていた。

 しかし、敵軍に、ここまで深く領内に入り込まれては、悠長に予備兵力を後方に残しておくわけにもいかない。

 

 非常に遠方ではあるが、アシュヴィ軍がロイデを攻略している間に、援軍は間に合う。王軍にホイトンの南部方面軍を合わせて、アシュヴィ軍と野戦で雌雄を決す。

 これがミクトレン首脳の考えだろう。


 ロイデが思ったよりもてば幸いだが、その望みは薄く、基本的にはロイデは見捨てられた、捨て石にされたといってよい。

 

 だが、ミクトレン王とその家臣は、ロイデが一日ももたず、敵の手に落ちているとは思っていなかった。ロイデの領主が一戦もせず、喜んでアシュヴィ軍を迎えていたとは思っていなかった。アシュヴィ軍はロイデにて補給を終え、じわりじわりとエールイアに迫っているとは思っていなかった。


 もちろん、コニウェンもサトも。


 サトは、最後に翌朝には姉妹を連れてヤムウスを訪ねるつもりである旨をコニウェンに伝えて、自身も体を休めることにした。

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