第十四話 脱出

 館内に身の毛もよだつ絶叫が響いた。

 けれど、それがさきほどまで朗々と持論を述べていた小生意気な少年のものではなかったことに一同は驚いた。


 ソラにむかって、剣を振り下ろそうとした兵士が、苦悶くもんの表情を浮かべて、倒れる。

 倒れた彼には片足がなかった。

 いかによく研がれた獲物でもこうも綺麗に足を切り飛ばすのは容易なことではない。

 枯れ木の例えを応用したものだった。

 余分な力を抜いて、敵と武器が接触するたった一瞬に全力を注ぐ。一点にのみ、全力を注ぐ。


「ロイデのため、言葉を尽くした私に、この歓迎は礼を失した行為ではありませんか」


 ソラは剣についた血を払って、領主にいった。床に血痕が飛散した。

 背後の殺気に気づいたソラは、腰の曲刀を真横に抜き払い、敵の足を両断したのだ。


「ええい、はよう、この小賢こざかしい小僧を斬れ!」


 急襲に失敗した領主は舌打ちをして、大声で部下に指示を出す。


「領主様、あなたは間違っておられる」


 おのれを囲む兵士を悠然と見回しながら、ソラはいう。


「なにを……かね?」


「私は単に『小賢しい小僧』ではなく、『強く小賢しい小僧』です」


「憎たらしい餓鬼めが!」


 ソラのこの言葉を挑発と捉えた兵士たちは大声をあげて、彼に襲い掛かった。

 挑発と捉えたというか、挑発である。カッとならせて、虚を衝く。兵法も武術も肝心な部分は大差がない。芝居しばいがかったような台詞せりふはこれが狙いだった。


 それぞれの武器をソラにむけて繰り出す。

  

 全員がこう感じる。

 ――刺した感覚がない。斬った感覚がない。仕留めた感覚がない――

 ソラは全員の視界から消えてしまった。囲いの中央にいたはずなのに。


「どこへいった?」


「ここだ」


 ひとりの兵士の首の後ろから刃が現れて、動脈を切断する。

 ソラは攻撃の直前に、飛び上がって、囲いから脱出していたのだ。まるで天狗のような立ち回りである。身軽ですばしっこい。

 兵士たちは安い挑発にのってしまったおかげで、ソラの動きを追えていなかった。


「貴様!」


 味方を斬られ、頭に血が上った兵士がふたり。ソラにむかい、槍を突き出す。


 さきほどと同じ要領で一斉に全員で襲い掛かればよいものを、ソラの立ち回りと味方が目の前でころされたことに心を乱したのか、散発的な攻撃になった。


 ソラは攻撃を回避し、敵に一端背中をむけ、突き出された槍を左脇に挟んで固定。

 そうしておいて、体をくるっと回転させ、右足で敵の手元から伸びた柄をふんづけた。

 当然、ソラの体重が柄に乗り、槍は折れる。ここまで流れるような一瞬の動きである。

 あっと兵が声をあげたときには、時すでに遅し。ソラの獲物の餌食えじきとなった。


 もう一方の兵は槍を振り下ろしてきたので、右手に持った曲刀を左手に持ち替え、受け止める。

 ソラの右手はもちろんだが、お留守ではない。さきほど折った槍の先端を握っている。

 それが次の瞬間には、槍を止められ、体勢を崩した敵の喉もとを貫いた。


 館中から足音がこちらへ近づいてくる。一階の兵士も二階にあがってきているのだ。

 さしものソラも彼ら全員を相手にするのは無理である。


 ――これ以上の長居は危険か――


 勝てそうならば勇んで戦い、無理ならばさっさと退く。兵術の基本である。

 また、川原でのいささか無茶な戦闘では、『敵の正体がわかった』という収穫があったが、この戦闘で得られるものは何もない。無駄である。


 少年は一度決断を下すと、行動が素早い。


「では、失礼する!」


 さらに、ふたりの兵をほふったソラは剣を収めて、部屋の窓から外へ飛び出した。

 

 たかが二階とはいえ、そこそこの高さがある。

 しかし、エレンの首飾りを捜索したとき、部屋の外に茂みがあることをちゃっかりと確認していたソラに、逡巡しゅんじゅんは寸分もない。


 もくろみどおり、茂みをクッションとし、無傷で降り立つ。

 庭の端にある厩舎きゅうしゃのほうに飛ぶように走った。

 窓から放たれる矢を、ときには茂みに隠れ、ときには前転し、ときにはわざと跳ねて、かいくぐった。


 ――馬を拝借はいしゃくしよう――


 

 ソラの始末を命じられた大勢の兵士らのうち、ふたりが、厩舎入り口にて、まさに今、馬に乗った彼を発見する。


「待て!」


 と叫んだ兵の頭蓋ずがいは少年の矢で射抜かれた。続けて、通りすぎざまに片割れも斬って捨てる。

 ソラは、飛び交う矢を高速で振りきって、館の垣根を飛び越え、ついに街路へ出た。


 ――急がねば、門を閉鎖されよう。むかうならば、南――


 町の門は昼夜問わず閉ざされていて、通行の必要に応じて開かれるものだ。

 ゆえに、この場合の『閉鎖』とは『単に閉じられること』ではなく、『一切の通行が禁止されること』を指す。


 もし門を突破できなかったときの次善の策には『南』であることが欠かせない。だから、脱出経路に南門を選んだ。


 馬を走らせながら、ソラは思案した。

 

 ――なぜ、領主は俺の命を狙ったか――

 長らく考える必要もなく、その答えは出た。


 ――その理由はひとつしかない。ロイデの領主はすでにアシュヴィに内応していたのだ――

 

 領主としては首都に、予定より早く、アシュヴィ軍の動きが伝わっては困る。

 また、若くして兵法を知り、妙に頭が回るこの少年は、様々な諸侯と交流がある大商人の保護下にある。

 

 ――敵のやからに、余計な入れ知恵でもされたら、かなわん――

 と思ったので、領主は抹殺の判断を下した。


「抜かった!」


 馬上少年は吐き捨てるように、いった。

 ミクトレンのために、という親切心があだになった形だった。


 ――だが、もっと気になることがある――


 もし、ロイデの領主がアシュヴィ側に寝返っていたならば、ロイデは戦闘することなくアシュヴィの支配下に落ちるということだ。『ロイデ周辺で』決戦を行いたいだけなら、ナルウニ放棄後、即座にロイデへゆき、領主に迎え入れられればよい。

 『重要地点奪還のため』、そして『裏切った味方を成敗するため』、かならず首都から軍が発せられる。


 ――わざわざ身を隠す必要はあったのだろうか――


 ソラは敵がしばし動かなかった理由は『ミクトレン軍に、戦力を分散配備する時間を与え、ロイデの守りを手薄にさせるため』だと考えていた。

 だが、ロイデが苦もなく落ちるのならば、戦力分散を待つ意味が薄くなってしまう。

 

 もちろん、この場合でも意味はあるにはある。

 ミクトレン側は、分散した戦力をできるだけ集めて、あわてて駆ける必要があるのだ。補給や距離の関係上、うまく集まらない戦力とてあるだろう。

 敵に先んじ、戦場に来て待ち構える者は楽だが、遅れて戦場に来て、そのまま戦闘へ突入する者は苦しいのだ。


 だが、『あれだけ入念かつ巧妙に目的を隠して、アシュヴィ側がやりたかったのはこれだけか?』と問われると、ソラも、答えに詰まるのだ。


 『姿を隠していた短い間に、ロイデ領主を口説いた』という可能性も考えたが、これはあまりにも博打がすぎる。ロイデの領主が応じなかった場合、アシュヴィ軍は敵地で困窮を余儀なくされる。

 だから、少なくとも開戦前にはすでに領主と接触し、好感を得ていたはずだ。


 敵がしばらく山に留まってまで、手薄にしたかったのがロイデではないとすれば、どこか。

 ここまでたどり着いたならば、答えを導き出すのは容易極まりない。


 ――敵の狙いは『首都エールイア』だ! 俺は皆をそこへやってしまった……――

 後悔する少年の頭には、またも疑念がわいては消えた。

 

 ――ギギはここまで読んでいたのか? いや読みきっていたのならば、母親に『エールイアにむかえ』などという手紙を残すはずもないか……――


 ソラは、『ギギにも想定外の事態が起きたのだ』と結論づけたが、実は、彼は『ロイデ領主の寝返り』も『敵の目的が首都だということ』も把握していた。

 

 ――とにかく急ぎ一行に合流せねば! 今考えるのはそれだけでよい――

 

 彼の目の前に門が見えてきた。


「領主様の命だ。何人なんぴとたりとも、町の外には出すな」


 そこでは兵士が、門衛に閉鎖を命じているところだった。


 ソラは全速力で走る馬から、この兵士を射抜く。

 もっと速度を落とせば別だろうが、この速度でそれができるのは、生涯のほぼすべてを馬とともにする遊牧民の中でも、ごく一部である。


  突然、地に伏した先輩兵士を見て、若き門衛は呆然としていると、すぐ横にソラの馬が来ていた。


「門を開けよ」


 ソラは低い声で、命じた。

 タイス族の長の子となれば、貴族といっても差し支えない。ゆえに、ソラにもすでに『威』というものが備わりつつあった。

 門衛は威圧されて、唾をごくりと飲み込んだが、微動だにしない。

 

 ソラはすっと剣を抜いて、彼に見せつける。さきほど斬ったばかりの兵の血が垂れた。無言の脅しだった。


「できません。命を脅かされるたびに門を開けているようでは、門衛など務まりません」


 敢然と若き門衛は拒絶した。清廉さがにじみ出たような声だった。


 ソラは彼の様子に、怒って襲い掛かるどころか、剣を収め、微笑んだ。

 一瞬で、少年はおのれの表情を威圧する鬼のようなものから、優しいものに変えたのだ。


 ――ころす気が失せた――

 門衛の言葉と態度に、感じ入ったからだった。


「あなたのような立派な門衛は、あの領主にはもったいない」

「えっ」


 今まで自分を脅していた人物に突然褒められて、門衛は目を見張る。



 さて、ソラが背後を見ると、彼を捕らえんとする騎兵が何騎も迫ってきていた。


「是非ともお名前をお聞きしたい、門衛殿」


「マウロといいます」


「マウロ殿か。ご縁あらば、またお会いしましょう」


 こういうと、ソラは馬に乗ったまま、門脇の階段を駆け上がり、町をぐるっと囲む防壁上に達する。


 騎兵もあとを追おうとするが、馬をうまく御せず、往生した。

 

 ソラは四角形の防壁の隅に到達すると、馬からさっと降りた。

 捕縛の命を受けた兵士らは、二手に分かれて、ソラを挟み撃ちにする。


「あきらめろ、小僧」


 少年に投降を促す声だった。


 ソラは息を大きくつくと、


「あきらめました」


 といった。


「よし、殊勝だな。武器をすべて捨てて、地に伏せるんだ」


「いや、違います。私があきらめたのは『綺麗に』逃げることです」


「なんだと」


 ソラは夜の澄んだ空気を胸いっぱいに吸い込み、城壁の外、暗闇へ身を投げた。

 追い詰められた末の、自暴自棄――などではない。


 南の壁の下には、ブルー川という大河が滔々とうとうと流れていたのだから。

 兵が城壁より矢を放ったが、暗闇のためにソラを仕留められたのか否かすらも、確認不可能だった。

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