第十三話 有無

「アシュヴィ軍が攻めてくるですって?」


「おい! 静かに」


 大声をあげる臣下を、ソラは人差し指を口の前で立てて、制す。周りを見回すが、誰も気に留めていないようだったので、ふたりは一息つく。

 もし、こんな噂が市井しせいで広がれば、それだけで町は混乱に陥りかねない。


「失礼いたしました……。しかし、どういうことなのです」


 四人は小声で話すソラに寄ってゆく。


「説明している暇はない。ひとついえるのは『人をかたちせしめて、我にかたちなし』ということだ」


「人を形せしめて……、我に形なし……? 」


 エレンは文字どおり、目を点にして、小首をかしげる。その仕草は子供っぽく、だけど可憐であった。


「暇はないって、どちらへゆくつもりだ、ソラ」


 今度はアレクがソラに食い下がる。


「領主様に教え、備えさせる。俺はミクトレンの家臣ではないが、この結論を導き出してしまった以上、知らせないわけにもいくまい。エールイアに着いたら、できるだけはやく、ヤムウス先生を訪ねろ。ほれ金だ」


 忠誠心というわけではないが、三年もミクトレンの地で世話になっているのだ。この国家に、恩を返すのも悪くないと思えてきた。


 ――少しの遅れが命取りになるかもしれない。だからこそ、ギギも母親に、一刻もはやくロイデを去るよう命じたのだ。それに習わねば――


 去り際に、ソラはふところからサトに、金の入った袋を投げ渡す。


「あっおい、ソラ!」


 四人の制止も聞かずに、ソラは駆け出していった。

 


 取り残された四人はそのまま路上にて相談する形になる。


「私は主に、おふたりをエールイアまで連れてゆけと命じられましたが、『無理やり』連れてゆけとまではいわれていない。だからふたりの希望も聞きたい」


 サトは、はっきりとした声で、いった。


「私は……恩人を信じます。本当にここが攻められるのであれば、妹をそんな危険な場所に置いてはおけません」


 ルートはどこまでも妹重視だ。


「私も異存はないです」


 芯の強そうな声で、エレンもいった。


「承知いたした。主の命です。我が身命をして、おふたかたをお守りしましょう」


 胸を張るサトに、ふたりの姉妹は微笑み、礼をいう。


 そんな微笑ましい三人を尻目に、アレクは黙りこくっている。


 ――主の次は、アレク様がこうなったか――


「アレク様。主のいった言葉の意味を考えておられるのですか?」


「ああ。あいつの言わんとするところは、俺にもわかったような気がする。なんとなくだが……」


 アレクとて、ソラと同じ師のもとで学んだのだ。学がないはずはない。


「本当ですか」


「うん。やはりここをさっさと発ったほうがよいと思う。ソラの考えと同じかはわからぬが、俺の推測を道中で話そう」


「おお、ご教授頂きたいものです」


 こんな会話のあと、一同は領主館にも宿にも寄ることなく、店じまい直前の店で、最低限の食糧を買って、日が落ちる前にロイデを出発した。

 


 一方のソラは、夕日に照らされた館にロイデの領主を訪ねていた。

 館で最も大きな部屋。使者や家臣を引見するための部屋だ。


 きらびやかな装飾が施された椅子に領主が座り、そこから、かなり離れたところにソラが座る。もちろん地べたに、だ。


 ソラが平伏へいふくしたのを見届けて、領主は問う。


「あのふたりはいかがしたのか」


 領主は、太りに太っており、そのためか、声も太い。顔は浅黒く焼けこけている。


「あの姉妹なら、ロイデに危険が迫っているかもしれぬので、退去させました」


 ソラは顔をあげて、答えた。


「勝手なことを……。しかし危険とはなんだ?」

 

 ソラの行動をとがめるより先に、『ロイデに迫る危険』に聞きたい様子だ。彼はロイデの主であるのだから、至極しごく当然のことだった。


「アシュヴィ軍が迫っているかもしれません」


 『アシュヴィ』の名が出て、領主の目が怪しく光る。


「ほう、なにゆえか」


「敵に自軍の目的を錯覚させ、それによって生じたきょくのが兵法の基本です。まず、アシュヴィ王率いる軍勢は、のどから手が出るほど欲しかった、イアサールを落としました。そこで、ミクトレン諸侯は『今回のアシュヴィ軍の目的はイアサールという悲願の場所を手に入れることではないか』と事態を軽くみて、備えを怠り、ナルウニ陥落を許しました。この一連の流れはまさに『自分の目的を錯覚させ』、『虚を衝く』という行動を体現したものです」


「しかし、ナルウニは……」


 領主はあごに手をあて、不満を口にした。


「はい。さきほど述べた兵法にのっとるのであれば、アシュヴィ軍の真の目的は『イアサールの占領』ではなく、『ナルウニの占領』であるといえます。しかしながら、当のナルウニの地は戦略的に必要な地点とはとても思えません。案の定、兵糧を得たあと、敵軍はここを放棄して、山中に消えてしまいました。ミクトレン諸侯の皆さんはこうお考えになっているはずです。『これではなんのために、目的をいつわってまで、ナルウニを占領したのか、わからない。敵は次にいずこを攻めるのか』と」


「間違いあるまい」


「諸侯にそう思わせるのが、『イアサール・ナルウニ攻略』の狙いだったのです」


「もう少し詳しく、頼もう」


「承知いたしました。領主様が全軍を指揮なさるとして、敵がどこを攻めるのか、まったくわからないとなれば、どこへ戦力を割かれますか?」


「それは……」

 しばらく考えたのち、領主は返答した。


「それは、考えうる『重要地域すべて』に戦力を割くしかないだろうな」


 ソラは彼の答えに満足したようにうなずいて、説明を続ける。


「敵は二箇所を攻略して、姿をくらますことで、自軍の目的を完全に濃い霧でおおい尽くしてしまったのです。こんな言葉があります。『人を形せしめて、我に形なし』。これを噛み砕いていうのならば、『敵軍の状況を明らかにしておいて、反対に、自軍の状況は一切相手にさとらせない』ということです。兵法の極意です。今、ミクトレン軍にはアシュヴィ軍の状況はまったくわからず、アシュヴィ軍にはミクトレン軍の状況が明々白々です」


 『明々白々なミクトレン軍の状況』とは、領主の答えたとおり『重要地域に戦力を分散配置し、防衛する』というものだ。


「アシュヴィ軍からすれば、敵を分散させた上、特定の場所に縛りつけておきながら、一方で自軍は全戦力が集結できていて、それを自在に動かせるのです。これほど有利な戦況はありません」


 滾々こんこんと、自らの考えを披露ひろうするソラに領主はため息をついて、横目で脇の部下になにやら合図を送る。


 そして、いった。


「君の考えはおもしろい。単刀直入に聞こう。君の思う『アシュヴィ軍の真の目的』は何か」


「あの手この手で、敵は目的をひた隠しにしておりますが、真に望むは、『一大決戦』です。アシュヴィ軍は兵法でいうところの、『重地じゅうち』にいるのですから」


 『重地』とは敵領深くに侵入している状態をいう。この状態に自軍を置いたということは、局地的な領土の奪い合いなど眼中にない。ただただ『敵戦力の殲滅せんめつ』を目的としていると考えるのが基本である。


「では、一大決戦を望む軍がなにゆえここロイデを狙うと思うのか」


「理由はみっつあります」


「ひとつ。ロイデという町は商業の中心であり、財貨であふれております。もちろん食糧も。補給をほぼ放棄し、敵領の山中にてゆくえをくらました軍です。さぞ腹を空かせていることでしょう」


「ふたつ。ロイデは小さい町で、防壁は高くなく、堀は深くなく、収容できる兵力は少ない。隙をつき、強襲すれば、やすやすと落とせます」


「みっつ。ロイデは小規模ながら、ブルー川がすぐ南に流れる要衝であり、比較的首都にも近い。戦略的要地です。ナルウニとは違います。ここを取らば、首都の王直属の軍、つまり、ミクトレン主力軍が、取り返しにかならず出撃するでしょう。決戦を望むアシュヴィ軍にとっては望むところです。腹いっぱいになり、町を落としたことで士気あがる自軍で、慌てふためいてやってきたミクトレン軍を待ち受ける。これほど勝ちの確率が高い状態もないでしょう」


 敵に決戦をいる最も簡単な方法は、『首都や、交通の要衝などの地点を攻撃・占領すること』である。そうすれば、敵はかならずそこを救援しよう、取り返そうと出てこざるをえない。


 ちなみに、ロイデが要衝の地であるとわかっているのに、なぜ防壁を高くしなかったのか、なぜ堀を深くしなかったのか、なぜ町を大きくしなかったかであるが、これはロイデという土地に原因がある。ロイデは川のすぐ近くにあるために、地盤が安定せず、大規模な工事が行えなかったのだ。


「以上、みっつの理由からロイデへの急襲がありえると私は考えます」


 整理しておく。アシュヴィ軍の真の目的は『ミクトレン軍との一大決戦』であり、『補給』と、『敵主力の釣り出し』のため、ロイデへ攻め寄せてくる。うだうだと、言葉を重ねたが、ソラの考えはこうであった。


「ちなみに君は、敵軍がロイデに押し寄せてきた時、わしはどうしたらよいと考えるかな?」


「まずは至急、首都に早馬を飛ばして、援軍を要請なさってください。次に、塔にたくさん収監されている囚人らに、『町を守り抜いたあかつきには、罪を許す』とお約束になり、戦力の足しとしてください。たとえ無法者たちの集団であっても、士気だけはとても高い兵となるはずです。使えます。最後に、ここロイデの町にごまんといる商人たちに、商売に関するなんらかの利点をくれてやって、敵軍の将に賄賂わいろを送らせ、懐柔してください。ここまでやれば、援軍到着まで、町を維持することは不可能ではありません」


「町を守りぬいたあとは、いかがすればよいか」


「ロイデを落とせなかった上、腹を空かした兵の士気は落ちるに落ちています。そこで、主力軍と呼応して、城外に打って出て、ニ方面からお攻めになれば、形勢逆転。アシュヴィの王を捕縛することすら、夢ではないと考えます」


「素晴らしいな」


「お褒めに預かりまして、光栄です。もしよろしければ、首都への援軍要請は、私がゆきましょう。ちょうど、エールイアに戻るつもりですし、王に献ずる策もあります」


 ソラとしては、出世のまたとない機会だと思っていた。領主の使いとしてならば、王に謁見えっけんがかなうかもしれない。そこで策を披露して、ミクトレン側を勝利に導けば、頭角を現すことも夢ではないはずだ、と。


だが、そんな希望を抱いたソラにとって、想定外の返答が返ってきた。


「いや、ソラ殿。その必要はないのだ」


「なにゆえか」


 領主の恐ろしく冷えた低い声に、ソラは間髪入れずに聞き返す。


「君に行ってもらうのはエールイアではなく、冥土めいどだからだよ」


 直後、床に座るソラの背後から、刃が降った。

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