第十ニ話 石

 ソラは折れている剣身に、自らの顔を映す。

 少年の身長くらいもある大剣。柄は普通の剣のそれより大きく、魚の鱗のような独特の触り心地がある。


「気味の悪い女にもらったんだが、確認したら折れてやがってよ」


 聞かれたわけではないのに、商人は話しはじめる。


「女……」


「ああ。霧のかかった夜に、山ん中で迷っちまってさ。しばらく、さまよっていると、真っ黒な衣装の中年の女に会って、そいつに道を聞いた」


 女は、歳はそこそこいってはいるものの、『美しい』といってよい見た目だった。けれども、気味の悪い衣装のおかげで、好色な商人でも目移りはしなかった。

 

 むしろ

 ――夜の山中でひとり、一体何をしているのだこの女は――

 と、怪しく思う気持ちのほうが強かったのだ。荷の護衛に雇った幾人いくにんも、同じ気持ちだったろう。


 女は偉そうな口調で、こういった。


「小僧。ロイデにゆくのだな」


 商人は小僧といわれるような年齢でもない上、基本的に男尊女卑の時代だったのもあいまって、一瞬むっとした。しかし、ここで反抗して、女にへそを曲げられてはたまらない。この女が唯一の道しるべかもしれないのだ。

 だから、商人は文句のひとつでもいってやりたくなるような気持ちを押しころして、いった。


「ええ。それがどうかされたのですか?」


「ちょうどよい」


「はい?」


「お前はロイデの町で、気の強そうなチビに会う。そいつにこれを渡せ」


 と予言めいたことをいった。


「いやそうはいいますけどもね、姉さん。肝心のロイデの町へ行けなければ、意味がないんですよ。どちらかご存知ないですかね」


「左へゆけ」


 そういうと女は森の奥に消えていった。商人は彼女のあとをつけてみたが、不思議なことに影も形もなかったという。

 果たして女のいうとおり、左に行った結果、山を抜けて、大きな街道に出られた。


 その時、手渡されたのがソラが今手に持っている剣だ。


「まさかとは思うが……」


 商人はソラの容姿を確認する。いや身長を確認する。


「まさにチビだな」


「客にたいして、あまりに失礼ではないでしょうか、大将」


「おや、こりゃ失敬を」


 ソラも本気の調子でいったわけではなかったので、商人もひょうきんに受けてたった。


「で? その妙な女の予言どおり、この剣は私が頂いても構いませんか?」


「ああ構いませんよ。しかし……、失礼ながらあなたの身長では……」


 彼女のいっていた『気の強そうなチビ』がソラのことかはわからないが、折れた剣などはっきりいって、邪魔だと思っていた商人は迷うことなく了承した。


 けれども、剣はソラが扱うには大きすぎると思ったので、商人は一応確認した。


「なーに背中に負いますよ。さあこれを」


「えっ」


 ソラはポケットから硬貨を一掴みすると商人に手渡した。


 ――このようなタダでもらった、なまくらに金までもらえるとは……――


「そうですか。では納めておきましょう」


 商人は内心小躍りするような気持ちだったが、この気持ちをソラに悟られまいと努めて冷静にいった。


 ――本当はタダで渡すつもりだったと気づかれたら、相手も支払いを取り消すかもしれぬ――

 と思ったからだった。


「それでは、大将。よい買い物をさせていただきました」


「いやいや」


 ――こちらこそ、よい商売をさせていただきましたよ――

 商人は去っていくソラの背中を見て、卑しい笑いを隠せなかった。

 しかし、ソラは不思議と損な買い物をしたという気がしていなかった。

 

 むしろ、

 ――この剣。あの程度の値で済むなら、安い――

 さきほど襲われた不思議な感覚からソラはそう思っていた。

 

 交渉らしい交渉を始めると、

 ――こいつはこの折れた剣を妙に評価しているらしい。そんなにいい物なのか。なら手放すのも惜しいな――

 と商人が思い直してしまってはまずい。

 だからこそ、ソラは金を無造作につかんで、いかにも粗雑に渡して見せたのだ。


「おい、そんな折れたなまくら、何に使うんだい?」


 一連のやりとりを見ていた四人は浮かない表情をしている。


「さあな……」


「おいおい、どうしてそいつを買ったんだよ」


 アレクは親友の煮え切らない態度に呆れていた。



「といっても、魔法に関する本なんていくらでもあるからなあ」


 店の片隅に用意された椅子にだらっと座りながら、アレクが食傷しょくしょう気味にいった。周りは本で囲まれている。いや埋もれている。

 客があまりに来ないのか、店主は椅子に体を預けて、眠りこけてしまっている。


 

「それで、この石は専門外だと?」


「ああ、そのとおり。魔術師はずっと前に全滅したんだぜ? 現代に魔法の道具の知識を持っている奴なんかいないさ。俺以外の宝石商に聞いても、得られる回答は同じだろう」


 なるほど、太古の宝石商ならともかく、魔法と無縁の今、魔法の道具に関する知識など無用である。


「困ったな……」


「宝石商に頼るくらいなら魔法に関する本でも読み漁って、調べたほうがまだいくらか生産的じゃないですかね」


 武器商との取引のあと、宝石商を見つけたソラたちは、問題の石を鑑定してもらった。が、このようなやりとりでさっさと追い返されてしまったのだった。

 魔法自体は確かに千年以上前に失われたのだが、それに関する文献はいたるところにある。が、おとぎ話、伝説のたぐいがその大半を占めているため、怪しい。


 

 ソラは、さっきまで手に取っていた本を脇に置くと、積まれた本の山からまた別の一冊を取り上げる。

 サト、エレン、ルートの三人が魔法に関連がありそうな本を探し出して積んでいき、ソラとアレクがそれを順に調べていくという分担をした。


 大量に存在する魔法の本から、名前もわからぬ石のことを調べるのは至難の業のはずである。アレクが億劫おっくうな態度を見せるのは無理もない


「まさか……これのことか!」


 だが、調べ始めてすぐのこと。

 だらしなく椅子にもたれ掛かっていたアレクが、ある本を食い入るように読んだのち、声をあげた。珍しくせっぱつまった声色こわいろだった。


「おいおい、もう見つけたのか? 俺にも読ませてくれ」


 アレクが開いていたのは、魔術師の史書のようだった。正しい物なのかすら怪しいが。


「これだ! 冒頭のページ!」


「冒頭だと……」


 それはソラも耳にしたことがある、おとぎ話をさらに詳しく書いたものだった。


 ―― かつて古代の魔術師たちは『天主てんしゅ』を異界へと封じ込めるために、強力な道具を作り出した。それを『宝具ほうぐ』という。


 ―― 当時、最強の魔術師だったセピアデスは三つの宝具を使いこなし、ついに『天主』をこの世界より放逐ほうちくした。


「この『宝具』とやらのひとつが、エレンの石だというのか?」


「ああ。次のページの宝具の特徴を書いた文章と図面を見てくれよ」


「エレン、こっちへ」


 ソラはエレンを呼ぶ。エレンは例の石を取り出して、ふたりのほうへ恐る恐る、やってくる。


 図面には、コの字の不思議な形をした、光輝く石。見比べてみると、エレンの持つ石と瓜二つだ。


 ―― 『クベーの翡翠ひすい』。『誕生』を象徴する、強い緑の輝きを放つ魔法の石。いかほどの歳月が経とうと、その輝きは失せることのない不変の緑。


 ここまでの文なら、ただ形と色が似ている石で片付けることもできる。が、問題は次の文。


 ―― 一度、所有者を選ぶと、その者が命を落とすまで、つき従う。どれだけ離れた場所にあっても、最後には忽然と所有者のもとに帰ってくる。意志を持った、生命の魔法石。


 ――所有者のもとに……忽然と……――


 まさにソラが昼に体験した不思議な現象そのものだった。


 ――エレンの持っている石はこの『クベーの翡翠』で間違いない――


 ほかふたつの宝具の説明を終えると、本の冒頭は、こう結んで、締めくくられていた。

 

 ―― これら神秘なる道具と大魔導士によって、魔術師による統治の時代が到来したのである。本書は、以降の魔術師たちの歴史を紐解いていきたい。


「こんな石ころがそれほどすごい力を持っているとは思えないんだがな」


 アレクは石を手に取り、覗き込むようにみる。当然だが、石は鈍い緑の光を放っているだけで、何もいわない。


 ――ん?――

 石を見ていて、何かがソラの中で引っかかった。しかし、その違和感の正体がわからない。サトもソラと同じように、なにやら怪訝けげんな顔をしていた。


 ――しかし……『天主』を追放した宝具か……――


 『天主』とはこの世界の創造主であり、様々な信仰の対象となっている者だ。

 つまり仮に、このおとぎ話が本当であるとするなら、石は、神を退ける力を秘める、とんでもない代物だということになる。


「私もこの石にそんな力があるとは信じられません。さきほどの体験以外に不思議なことが起こったわけでもないですし」


 エレンの表情もさえない。

 『さきほどの体験』とは『石がおもむろにエレンのもとに帰ってくる現象』を指す。


「でもこの伝承のとおりの力をもった石なら、村を全滅させてでも、奪おうとする人がいてもおかしくありませんね」


 ルートの口調は丁寧だが、恐ろしく冷えきっている。鋭い視線を石にむけていた。


 ――何が『誕生を象徴する』よ。この石がもたらしたのは『誕生』どころか『滅亡』、『終焉しゅうえん』だわ――

 そういった憤りを感じる視線だ。


「はい……」


 エレンはまた泣きだしてしまいそうな顔をした。


「とにかく、この『クベーの翡翠』について、もう少し情報がほしいな」


 嫌な方向に傾きかけている空気を換えるべく、ソラがいった。

 一同は引きつづき、書店で情報収集をおこなうこととなった。

 

 が、結局石に関する追加の具体的な情報は得られず、店じまいの時間がきた。さきに読んだ史書を購入して、店をあとにすることになった。


 ――ヤムウス先生ならば、何か知っているかもしれぬ――


 ロイデは商人の町であって、学者らしい学者はいない。しかし、首都エールイアならば、魔術師の伝承に詳しい者とているはずである。

 ソラの頭の中で真っ先に浮かんだのは、最初の師ヤムウスの顔だった。彼は近頃、『魔術師の時代の書物』に関しても研究の手をつけており、力になってくれるかもしれない。

 

 ――折りをみて、彼女たちをエールイアに連れていくのも悪くない――

 とソラは思った。 


 

 そうしてエレンとルートを領主の館へ、送っていく道中のこと。

 背の曲がった老婆と彼女に付き従う屈強な大男とすれ違った。両人とも馬を引いている。


「確かあなたは……ソラさん」


 老婆は思い出すように一度天を仰いでから、いった。

 コニウェンの金を持ち逃げした、あのギギの母親だった。


「こんな時間からどちらへ?」


「そ、それが……」


 老婆は気まずそうに、言葉を詰まらせたが、意を決したようにいった。


「首都のエールイアに」


「エールイア? 今からですか? もう夜が来てしまうではありませんか。おせっかいながら、発たれるならば、明日の朝のほうがよろしいのでは?」


「実は……、あのあと息子からの置き手紙を発見いたしまして……」


「えっ息子さんから?」


「はい。手紙には、家財道具など一切持たずに、一刻もはやくエールイアにむかうように、と」


「ちょっと待ってください。手紙のことを領主様や執政官様には報告なさったのですか?」


 アレクが、会話にずんと割り込んでくる。


「『このことは誰にも告げるな』ともありまして……」


 バツの悪さからタジタジになりながら、つむがれる彼女の言葉にアレクは険しい表情を見せる。


「それはいけない。あまりに不誠実だ。あなたの息子さんは罪を犯したのです。息子さんに関する情報はきちんと報告する義務がある」


「いや、友よ。今はこの方を責めるより、他に確かめねばならぬことがある」


 ソラはアレクを制して、いった。


「確かめねばならぬこと?」


 ――泥棒を捕まえることよりか?――

 とアレクは眉をひそめたが、ソラが自分よりも真剣な面持ちでいるのを見て、すぐに態度を改めた。


「今、ミクトレン領内のどこかにアシュヴィ軍がいるのです。町の外に出かけられるのは危険です。息子さんは一町の看守長。もちろん、敵軍のことはご存知のはずなのに、母を危険に晒そうとされている。不思議でなりません」


「詳しいことは書かれておりませんでしたが、『とにかく今は私を信じてほしい』と」


「で、あなたは息子さんを信じ、いうとおりになさると」


「はい。たとえ犯罪者になっても私の息子ですから……」


 ソラは思考を巡らせながら、息子を信じる老いた母親の背中を見送った。脇に控えた大男は、老婆がなけなしの金で雇った傭兵だったようだ。老婆ひとり馬に乗って、旅ができるほど治安はよくない。


「ソラ様、犯人のギギは、かならずエールイアに潜伏しているに違いありません。そこで招きよせた母と何かを相談する魂胆こんたんです。取り押さえる好機……では?」


 サトの献言には耳を貸さず、ソラは大地をじっと見据えて、考え込んでいる。


「ソラさん? どうしました?」


 エレンは無垢むくに、ソラを覗き込む。

 ソラは少し顔をあげて、エレンを見つめ返す。邪気のない瞳だった。無感情といってよいかもしれない。

 自分で覗き込んでおきながら、彼のまっすぐな視線に照れて、エレンは思わず、そっぽをむいてしまう。


「アレク、サト。ふたりを連れて、エールイアへ行ってくれ。今すぐだ」


「なにっ」


 ようやく口を開いたと思えば、ソラは唐突にそんなことをいうので、全員がうろたえた。


「か、構いませんが、どうして」


 ソラは静かな、しかし鬼気迫る声でこういった。


「アシュヴィ軍がくる」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る