第十話 状況

「おうサト、息災か?」


 領主の館から通りを挟んで、むかいにある集合居住区の一室で、ソラはたったひとりの家臣に再会を果たした。

 

 牢を出た次の日の早朝、コニウェン、アレク、執政官の三人と共に金を持ち逃げしたという看守長の自宅にむかい、その母の話を聞いた。

 

 母の話では看守長の『ギギ』という男は、昨夕息荒く、帰ってきた。

 金を手に入れ、ソラを釈放したあと、飛ぶように帰宅したのだろう。

 そして身支度を整えて、たったの二言、『しばらく留守にする』、『好機を掴んでくるよ』と宣言し、出て行ってしまったという。


 ――あの男は、得た金で一生を遊んで暮らそうというわけではない――

 彼が金を持って逃げたと聞かされた時、ソラはそう思った。

 あの男と会って、たったの三日だったが、手にした金を生活の安寧に使う部類の人間ではないことは、はっきりと感じていた。


 ――俺の人物評も捨てたものではない――

 男は母に『好機を掴む』といったのだ。具体的にどんな好機かはわからぬが、彼はあの金を元手にして、何かでかいことを成し遂げるつもりであることだけはわかる。


 ――彼は既にミクトレンを出たのではないか――

 さすがに犯罪者となったこの国で、好機を掴むことはできないだろう。ソラはそう考える。

 だが、彼はソラの想像をも超えていた。


 母の話を聞いたのち、執政官はコニウェンに頭を下げていった。


「なんとか捜索して、あなたの金を取りもどしたいのは山々なのですが、ちょっと今の状況だと難しい」


 今の『状況』。そう。ミクトレンという国にとんでもない『問題』が起こっていた。


 それをコニウェンも理解していたため、捜索は情勢が落ちついてからで構わないといった。大金を失ったというのに相変わらずの器の大きさであった。


 そんなやりとりのあと、ソラはコニウェンと別れ、アレクを連れて、サトと会ったというわけだった。コ二ウェンは『状況』に対して、商家の当主として指揮をる必要があるといって、首都『エールイア』に大慌てで帰還した。

 ソラは、忙しい時に、自分のため奔走してくれたコニウェンに改めて感謝した。


「おう、サト殿。久々」


「アレク様もお元気で」


 ソラに続いて、アレクがサトに挨拶し、握手をかわす。

 サトはアレクより年上であるため、友の家臣であっても『殿』とつけるし、反対にアレクはサトにとって主人の友であるため、『様』とつける。

 呼び方のために、ふたりの間には壁があるように思われるかもしれないが、違う。すこぶる仲は良好である。


「ご指示のとおり、ずっと領主館を見張っておりましたが、怪しい動きはありません」


 サトはアレクの手を離し、主人に報告した。


 ルート・エレンの姉妹は領主の館にて、護衛つきの生活を送っている。だが、彼女らを狙っているのはひとつの村を壊滅させた連中である。領主の護衛だけでは不安に思ったソラは、サトに命じ、館を見張らせることにしたのだった。



 逮捕され連行される直前にソラはルートにたずねた。


「君は俺を信じてくれるか?」


「あなたは命の恩人です。信じないわけがありません」


 きっぱりとルートはいった。


「ありがとう。なら私の信じる家臣も信じてくれ。俺の拘留中に困ったことがあれば、なんでも彼に相談してくれ」


「わかりました」


 姉妹にとっては、サトも馬を止めてくれた恩人である。疑う余地は当然ない。


「あと、敬語はいらないぞ」


「いいえ。必要です」


「強情」


 今にも連行されるところなのに、ソラは彼女の頑固さに破顔した。


 

 一連の会話のため、姉妹もサトがここにいることは知っている。


「しかし……」

「なんだ?」


 サトが口ごもったので、先を促す。


「特にエレンのほうに注意しろというのはどういうことなのです?」


 ソラはサトに姉妹の護衛を頼んだ時、『妹』のほうに注意しろといった。


「ああ、それに関して今から彼女たちと話さねばならない。ついてきてくれ」


 ソラの容疑は医師ヴァストトスにより晴らされたため、姉妹への面会も許されている。


「かしこまりました」


 ソラが先頭になって、三人は部屋を出ようとした。

 ふとソラは立ち止まり、振り返って、サトが過ごした部屋を見回した。

 全体的によく片付いており、やわらかそうなベッドもあり、温かみを感じさせる木造の部屋だった。領主邸の近くだ。当然、住んでいる人間も富裕層である。


「俺のいた牢屋より、ずっといいな」


「そりゃそうだ」


 ソラの冗談に、アレクとサトは顔を見合わせて、笑った。

 この部屋は、元の主にサトがお願いして、結構な金額で借りたものだった。金はソラに与えられた留学資金で払った。 


 さて、軽口を叩いたソラだが、実は心は重かった。


 ――事件の悲しみから、まだ立ち直っていないであろう彼女に、さらに重い事実を突きつけることになるかもしれぬ――


 それでも、もう先延ばしにしてはいられない。この一点さえわかれば、敵の正体や狙いもわかるかもしれないのだ。



 館の門の前にいる護衛の兵士に話を通し、仲介してもらい、中に入る。案内された部屋の扉を叩くと、黒髪の少女が顔を出した。


「あっ、ソラさん。ご無事だったんですね」


 ルートだった。


「ああ、疑いはどうやら晴れたみたいだ。もちろん隊長殿も釈放された」


「ああ、よかった……」


 彼女はにっこりと上品に笑う。男をとりこにしかねない笑顔だった。


「それで、事件のことでエレンに話さねばならないことがあるのだ」


 そういったソラの顔は曇っている。ルートは彼の表情をみて、笑顔を引っ込める。


「エ、エレンにですか? わかりました。どうぞ」


 ――わたしたちふたりに、ではなく、エレンだけに?――

 こう困惑しながらも扉を開き、ルートは三人を迎え入れてくれる。


「こちらは?」


 ソラのあとに続こうとする見知らぬ人物の顔を見て、ルートはいった。

 ソラは『しまった』という表情を浮かべ、友人を紹介する。


「彼はアレク。俺の無二の友だ。信用してくれていい」


「よろしくどうぞ」


「私はルートといいます。これからお会いいただくのが妹のエレンです」


 ふたりは自己紹介を手短に済ませる。

 奥のテーブルに金髪の少女が座っていた。


「やあ、エレン! 体調はどうだ?」


 ソラはこれから彼女に辛い現実を伝えなくてはならない自分の、重い気分を振り払うかのように明るく声を掛けた。


「おかげさまで、すっかり元気です! ソラさん」


 エレンは明るさに明るさで返す。


 ――体調さえよければ、こんなに元気な少女だったのか――

 彼女の明るく、つよい声には人を元気づける何かがある。


 ソラはエレンに向かいあえる位置に座った。ルートとアレクも席につく。

 椅子は四つしかなかったため、ルートはサトに譲ろうとしたが、


「私はあくまで家臣の身ですから」


 と断られた。

 サトは、四人が座るテーブルのすこし横に立つ。


 まず手はじめにソラは


「で、ここに保護されたあと、幾度か取り調べはうけたの?」


 とふたりに聞く。


「いえ、不思議なことに一度たりとも事件に関する質問は受けていないのです」


 ――ひとつの村が全滅した事件の調査すらままならぬほど、『状況』は逼迫ひっぱくしているということか――

 ソラは思った。


 そろそろ『状況』とはぐらかしてきたことに関して書かねばならない。


 端的に書く。『アシュヴィ』軍が『ミクトレン』領『イアサール』と『ナルウニ』に侵攻し、これを攻め落とした。


 『イアサール』という場所は、少し前に書いたよう十年前に両国が奪い合った土地である。その戦いはなんとかミクトレン軍が制し、現在に至るまでイアサールはミクトレン領であった。

 それまで敵対していたアタイと停戦したアシュヴィ王は久々にミクトレンに宣戦布告。これを武力で奪い返した上に、勢いのまま『ナルウニ』にまでなだれこんだ。

 ミクトレンの諸侯は『アシュヴィはイアサールを奪い返しにきただけだろう』と考えていて、油断した。


 だが『ナルウニ』への侵攻がわからない。イアサールはアシュヴィの念願の場所であるし、両国の国境に位置する要所であるから理解できる。だが、ナルウニは要所でもなんでもない。ナルウニはミクトレン領の中央付近にあるけれども、街道もろくに整備されておらず、交通の要衝ようしょうでもなんでもない。ここを落としても維持するのは不可能である。糧道りょうどうを絶たれた上に、包囲されて敗戦しかねない。


 もっとわからないことがある。ナルウニを落とした王軍は、町に蓄えられた兵糧だけを奪い、消息を絶った。山中に消えてしまったのだ。


 現在、ミクトレン側は放棄されたナルウニを奪い返し、必死に偵騎を出して、敵の位置を探っている。


 ――アシュヴィは次にどこを攻めるのか――

 そんな緊張感が各領主、各諸侯の動きを縛っていた。自領内の凄惨せいさんな事件への対応すらままならないのはこのせいだったのだ。


「エレン、少しだけ君に話がある」


 ソラは神妙な顔でいった。

 今、ほおばった菓子は甘かったはずなのに、口のなかを苦味が支配する。


「なんでしょうか?」


 少し怯えた様子でエレンが問う。


「その前に……」


 本題に入る前に彼女の姉にむかい


「君は外してほしい」


 と頼んだ。


「なぜ、ですか?」


 ルートの口調が強くなる。


「エレンと話したいのだ。サトやアレクも外してくれ。すまん」


 ソラはルートの疑問にはあえて答えず、いった。


「えっ、我々もですか」


 サトは驚く。


 ソラがサトに、


「特にエレンに注意しろ」


 といったことを知っているサトとアレクは、ソラがどんな話をエレンにするつもりなのか、おおよそ想像はついている。


 が、自分たちも外してくれといわれるのはサトにとって、予想外だった。

 サトと違い、アレクはソラの意図がすぐに分かった。


 ――この話には本来俺たちふたりが外す必要性はない。ソラはルートのことを考えて、外してくれといったのだ――


 ルートだけを退室させれば、

 ――妹に関する深刻な話に、姉である自分だけがどうして?――

 と感じるだろう。人一倍、姉としての責任感が強いルートならば自然なことである。そんなルートの気持ちを考慮して、ソラはふたりにも退室を求めたのだ。


「了解。サト殿、ルート殿、ゆこう」


「えっ、は、はあ……」


 サトは歯切れが悪いながらもアレクに従う。サトとて、ソラと長年付き合ってはいるし、けっして鈍感な男ではない。実際、退室してしばらくして、主人の意図に気がつく。アレクの察しのよさにはかなわなかっただけである。


 ――助かる――


 ――気にするな――


 言葉は交わさないものの、ソラとアレクは目でそう会話する。


 ルートはまだ同意しない。

 ソラは、ルートの瞳から微塵も目を逸らさずに黙って、彼女の返答を待つ。


「わかりました……」


 根負けしたのか、ルートは観念して、しぶしぶ部屋を出た。

 ソラは彼女の背中を見送りながら、


「あなたは命の恩人です。信じないわけがありません」


 というルートの言葉を思い出す。


 ――あの言葉には一切の偽りはない。今回も彼女は俺を信じたのだ。でも許せ、ルート。その信頼、今回ばかりは裏切ることになるかもしれん――


「それで、その……お話というのは」


「君のことを傷つけることになると思う。心して聞いてくれ」


「は、はい……」


 彼女の青色の瞳が不安に揺れ動く。


 それでもソラは言わねばならない。


「今回の一件の原因は、君にあるかもしれない。エレン」

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