第九話 看守長
「出ろ」
入ってきた男は刺すような声でたった一言、そういった。すでにソラが投獄されて三日。ゆえに、この看守の顔も、身分も知っていた。町の牢を管理、護衛する看守たちの長だ。
眼光するどく、常に獲物を見据える鷹のようだ。背は高いが、丸まっている。歳は二十代後半だろう。
この容貌なら、悪党ぞろいの囚人たちも恐れる。もっとも、ソラは彼に別のにおいを嗅いでいる。
――この男からは俺と同じにおいがする――
このまま一看守長で終わってたまるか。そんな心声をソラは聞いた気がした。
「また取り調べでしょうか?」
「いや違う」
吐き捨てるように男は、いった。
――取り調べでないのなら、この日暮れにいったいなんのようだろう――
ソラは疑問に思った。
「釈放だ」
さしものソラもその言葉に
「なにっ、釈放ですか?」
「大商人が君を買ったぞ。釈放おめでとう」
国に対する影響力と罪をかき消しうる財力を持ち合わせ、かつソラをたすけてくれる大商人など、コニウェンしか考えられない。
村を全滅させたかもしれない大悪人である。金を湯水のようにばら撒かなければ、到底救えはしない。その具体的な金額は想像もつかない。
――あの人が、大金をはたいてくれたのだ。散々世話になっておきながら、隊商に厄介な問題を持ち込んだ俺を助けてくれるのか――
ソラは、コニウェンの多分な親切にこれからどう応えればよいのか、わからなかった。同時に、そんな大商人と知り合いであった、父の偉大さも感じた。
ソラは助けられるだけの自分がとても小さい男に思えた。いや、実際に小さい。
今は、である。
――いつか、ふたりを超えたい。彼らより大きい人間になりたい――
そう切に願った。ソラは背丈が小さい。だが、せめて器は大きい男でありたい。
手錠はまだかけられたままだが、足かせが外される。体は軽くなったが気分は正直、重かった。
牢を出る前に、さきほど話していた盗賊を
「また会うだろうな」
ホウテンはソラのほうを見ず、壁をむいて寝転がり、頭をかきながら、いった。
「間違いなく」
今まさに牢から出ようとしているソラはともかく、ホウテンはまだ拘束されている。
獄中で人生を終えるかもしれないし、その前に刑に処されるかもしれない。いくら人を手にかけてはいないとはいえ、刑は軽いものではすまないだろう。死罪もありうる。
少なくとも、本人は『また会うだろうな』などとのん気には構えてはいられないはずだし、ソラも『間違いなく』などとは絶対いえないはずである。
だが、ふたりとも再会を確信していた。この広い世に生きていて、狭い牢屋で、わずかながら生活を供にした。そこに運命を感じていた。
異才にしか持ちえない直感。
ホウテンを見つめていると、看守長に退出を催促された。この看守長は、のちにゴハクと名乗る。
『ホウテン』、『ゴハク』、そして『ソラ』。
小さな町の小さな牢の一室で、のちの時代を担う英傑三人が会っていたのだから、歴史とはまことに面白い。
ソラは、足かせを外され、ちょっとした手続きののちに牢を出た。もう完全に日は落ち、高台から町のあちこちに灯されている炬火の光がみえた。幻想的であった。
――夜か……――
犯罪者が牢より出て、最初に望むのは、太陽の光をその全身で浴びることである。ちなみに次点は、新鮮な外気を目一杯吸うことである。
だから、ソラは外が夜なのを少々残念に思った。
――恩人のおかげで、辛くも牢から出られたのだ。贅沢はいえまい――
とにかく、コニウェンがソラを助けてくれたのであれば、彼は現在ロイデに来ているはずである。
「大事な用向きには、自らその場へ赴き、直接顔をあわせ、お話するのが商人の基本です」
ある昼下がりに、コニウェンがそう口にしていたのをソラは覚えている。
彼が本拠を構える首都エールイアからここロイデまで、身軽になって、馬を飛ばせば、ぎりぎり三日で来られないこともない。
この場合の『身軽』とは、装備のことではなく、『供を多数引き連れずに』、という意である。
常識的に考えれば、大商人であるコニウェンが、大した護衛もなしに、寝る間を惜しんで駆けつけてくるはずがない。常識的に考えれば、である。
――そんな常識では、はかれないからあの人はあれほどの地位と財を築けるのだ――
ソラはそう思う。
とにかく高台から町にむかって伸びる石造りの階段を降りる。
途中、下のほうから、背の高い男が早足で歩いてきた。予想外なことに、ソラがよく知っている男だった。
「アレク! きみか!」
同門の友だった。エールイアにいるはずの友がどうしてここにいるのか。
「ソラ、無事だったか!」
右手を高くあげて、振る。あの邪気を微塵も感じさせない笑顔がソラを迎えた。
「でもどうして、ここに?」
再会を祝して、抱擁をかわしたあと、ソラは尋ねた。
「馬鹿野郎! 友人がお縄を頂戴したと聞いて、のんきに寝ていられる俺か。コニウェン殿と一緒に馬ですっとんできた。馬術をお前に指南してもらっておいてよかったと、これほど痛感した旅路はない」
ソラが遊牧民の出であることを知ると、アレクは彼に馬術指南を頼んできた。メキメキと成長をみせ、今では下手な遊牧民族より熟練しているといっても過言ではない。
「でも、アレク。君、仕事は?」
そう。アレクはソラと違い、苦しい生活を強いられている。三日間も、いや往復することも計算して六日間か。それだけ長い間仕事を休むわけにはいかないはずだ。
「もちろん、
こういう面と向かっていうには、少々恥ずかしいと思われる台詞をさらっといえる。アレクの竹を割ったようなすがすがしい性格をソラはうらやましいと思った。
――アレクは信用できる――
ソラがこう考えるのも当然のことだ。
「コニウェン殿は、宿屋にいる。この町で一番大きな宿屋だ」
「よし、急いでお会いせねば」
――しかし、俺はどんな顔をして、彼に会えばよいか――
コニウェンに会いたい気持ちと、会いたくない気持ちが入り混じって、心はぐちゃぐちゃだった。
静まりかえった町を歩く。日中はあちらこちらで商人が店を開き、にぎわいを見せるロイデの町も夜になると寂しいものである。石畳にふたりの靴音が響く。
――今の俺の立場では、誠心誠意に迷惑をかけたことを詫び、精一杯辞を低くし、礼儀を尽くすしかないではないか――
自分の足音を耳にしながら、ソラはついに開き直って、覚悟を決める。
宿に着き、その一室の扉を叩く。
ロイデで一番大きな宿らしく、部屋は広い。食堂に寝室、そして大きな客間。
コニウェンは客間でふたりを出迎えた。椅子を勧められたが、それを断る。
そして、ソラはコニウェンとむかいあう形で、正座し、低頭した。潔い行動であった。
「コニウェン殿……、どのように謝罪とお礼を致したらよいか……」
「頭をあげてください、ソラ殿。私があなたを助けるのは当たり前のことなのです」
よく通る、優しい声がソラの頭上に降った。
――やはり父サインの頼みゆえに、こうまでしてくださるのか――
ソラはまず『天下に名を成すこと』よりも先に『父を超えねばならない』と思わざるをえなかった。
しかし、次にコニウェンがソラにむけた言葉は意外なものだった。父のことではなかった。
「私はあなたを買ったのです。もっというならば、あなたの未来を買ったのです」
「私の未来を、買った……? 」
ソラはまだ地に頭をつけながら、きょとんとする。
「さようです。私は、二年間ずっとあなたを見てきました。そこであなたに英雄になりうる器と才能を見出したのです。未来の英雄に恩を売っておくのに、何を迷うことがありますか」
まるでソラの『俺は父の足もとにもおよばない』という憂鬱な気持ちを察して、『あなたが卑屈になることはない』と励ますようであった。
いや実際そういった意図もあったのかもしれない。
それでもソラの頭はあがらない。あげられるはずはなかった。
「私があなたをたすけた理由はもうひとつあります」
「それは……?」
すっと息を吸って、コニウェンはこたえる。
「どれが悪で、どれが善かなど、元来私のような卑賤な人間には判断できぬこと、判断してはいけないことなのかもしれません」
まずそう前提し、さらに続ける。
「また価値観というのは人それぞれ違いがあることでしょう。けれども、少なくとも私は、他人をたすけることが悪行だとはとても思いません。善行でしょう。善人を助け、称えなければ、この乱れし世、いつか『善行』というものが、実践されなくなる時が来るのではないかと私は懸念しているのです」
「さてこれら、二つの反論の余地がない理由があって、なぜ私があなたを助けないという選択をすることがありましょうか。そして、なぜ『善』をなしたあなたが一心不乱に頭を地につける必要があるのですか。早くお顔をあげてください」
コニウェンやアレクの位置からは見えまいが、ソラの両目にはうっすらとなにかが光る。それを見せまいと、一度だけ頭を左右に振って、ようやっとソラは頭をあげた。
「それでよろしいのです。胸を張って堂々とされればよい」
コニウェンは笑いかけてくれた。
――この人にはかなわない――
そう思いながら、彼の笑顔に笑顔で返した。
直後、部屋の扉をだれかが開けた。余裕がないのか、ノックもなかった。装飾品をまとった小太りの中年が姿を現した。
「これは、
『執政官』とは領主を補佐し、政務を執り行う者のことである。彼はコニウェンと親しい。コニウェンの頼みをうけ、領主に取り次いで、ソラの釈放を手助けしたのも彼である。
「夜中にすまぬな、コニウェン殿。おぬしとそこの彼に深く謝罪しなければいけないことがあるのだ」
勧められた席に座りながら、ばつが悪そうに、執政官がいう。
「おや、今宵はよく謝罪を頂く日ですね。今度はいったいどのような謝罪でしょうか」
「ああ……その……、とても言いにくいことなのだが、さきにお支払い頂いた大金をお返しせねばならなくなった」
困ったように頬をかきながら、執政官はいう。
「なんと。なぜです?」
「『ヴァストトス』という名医はご存知でしょう?」
「ええ、もちろん」
「彼が、事件の死体を検分いたしましてな。『これは死霊術を使用されたものだ』と公言しまして。お連れ様の言い分が認められたのです」
彼がたまたま患者の治療のためにロイデに寄っていたのは幸運だった。
『隊商の医師の主張は蹴ったのに、ヴァストトスなる者が同じことを主張したら、認められるとは何事か!』と怒ることはできない。彼はそれほど世に知られた名医であり、権威である。
彼に関してこんな逸話がある。
ある国の王が、流行り病をわずらった。そこで王はヴァストトスを招聘し、治療を頼んだ。
だが、王の側近が
「恐れながら、この病は進行が早く、いかに名医のヴァストトスであっても、治せるとは限りません。今のうちに跡取りをお決めになって、遺言をしたためられたほうがよろしいのでは?」
と勝手な献言をした。
王も不安になり、
「そうしようか……」
と弱音を吐いた。
ヴァストトスはこれを聞くと、医療道具を即座にしまい、許しもえずに退室してしまった。
驚いた王は自ら彼を追いかけ、理由を問うた。
「王は専門家を呼びつけておきながら、その意見を信用なさらず、専門家でもなんでもない素人の意見をお信じになられる。そのような調子で国家を経営なさるおつもりなら、あなたの代で国は滅ぶでしょう」
そういい放った。一国の王にむかって、すさまじい言葉である。
が、王は彼に平伏して、陳謝したという。
この逸話からはヴァストトスの医師としての尋常ならざる自信を感じるとともに、いかに彼が一国の王侯にすら
とにかく、コニウェンもソラもあらぬ疑いが名医により晴らされたことを知り、胸をなでおろす。
「では、とりあえず、ソラ殿たちの疑いは晴れたわけですな。そのため、さきに差し上げた金もいらなくなったと」
「うむ……。そうだ」
どうも執政官の歯切れが悪いのが気にかかるが、
――あれほどソラ殿に熱く語ったのに、結局金は返ってくるのか――
と、コニウェンは心のなかで、苦笑いがとまらなかった。
「いや、実は本当に謝罪せねばならんのはここからなのだ」
「えっ」
コニウェンもソラも不意をつかれたように上ずった声をあげる。
「実はその金を……、看守長が持ち逃げしたのだ」
「なんですって」
賢き大商人も予想外のできごとであったために、驚愕の色を隠せなかった。
だが、執政官がいっているのは事実である。
――あいつか――
ソラは鷹のように鋭い目をもっていたあの男を思い出した。
「逮捕するため、部下に兵を持たせて、彼の自宅へと踏み込ませましたが、年老いた老婆しかおらず……」
その夜、ロイデの看守長は、忽然と町から姿を消してしまった。職務と家族を放棄して。
コニウェンの大金を持って――
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