第八話 盗賊
少女エレンは、闇の中を懸命に走っていた。右も左も前も後も、何もない闇の中。走っていると、愛する祖父と祖母が現れた。エレンは、彼らの姿を見つけて、はにかみ、さらにはやく走る。手を伸ばす。
しかしどれだけ走っても、どれだけ手を伸ばしても、彼らのもとにはたどり着かない。
それどころか、エレンから遠ざかってく。
「待って! 行かないで!」
そう叫んだところで、エレンは目が覚めた。
やわらかいベッドの上だった。夢の影響か、現実世界でも手を伸ばしていた。
――ああ、おばあさま……おじいさま……――
エレンは虚空にむかって、空っぽの手のひらを悲しげに見つめた。
引っ込めようとした手を誰かが掴んだ。
「エレン! 目が覚めたのね!」
驚いて、手を掴んだ人物を見る。
正体は、もはやたったひとりの肉親となった姉であった。
うなされていたせいか、汗だくだったエレンにルートは手ぬぐいを渡してやる。
彼女は礼をいい、自分の顔を拭ったのち、聞いた。
「あの、私変なこと、口走っていませんでしたか?」
「いえ……、何もいってなかったわ」
嘘だ。本当はエレンの、亡き祖父祖母に対して、だと思われる悲痛な言葉を聞いていた。
うわ言のようにつぶやきながら、うなされている妹の姿が、不憫でたまらず、手を握ったというのが事の次第だった。
――こういうことはあまり知られたくないものだわ――
ルートはそう思って、聞こえなかったフリをした。
「そうですか……」
エレンの青い瞳は寂しさに揺れる。今も祖父や祖母のことが頭から離れないのだろう。当然だ。数すくない家族だったのだから。ルートとて同じである。
――私が妹を支えないと――
でもルートは悲しんでばかりはいられない。あの夜、震える彼女の手を掴んで、家を飛び出したそのときから、妹は自分が守ると決めたのだ。
エレンは今の今まで寝ていた部屋を見回した。鏡や衣装棚まで用意された小ぎれいな部屋だった。
――あれ? 私、たしか隊商のテントの中で眠っていたはずでは?――
こう思ったエレンはたずねた。
「ここはいったい?」
「ロイデの領主様の館よ」
「えっ領主さんの?」
「領主様、のよ」
本人の前でも領主『さん』などと、いいだしかねないので、一応、姉として訂正しなくてはならない。
「そ、そうでした」
姉に指摘されて、顔を赤にして、笑う。少女らしいかわいい笑顔だった。
窓から差し込む西日が部屋中を赤く照らす。エレンの金髪はその赤にとても映える。
日が傾いているのにエレンは気づく。
「って、もう夕方ですか!」
「そうよ。それも三回目のね。あなた、気絶してからほぼ三日間眠りっぱなしだったのよ」
「気絶して……三日間も……」
目を丸くして、つぶやく。
――そうだ。たしか私はあの人の首が落ちたのに、驚いて……――
あの夜の光景は今思い出しても、ぞっとした。
一度は離したエレンの手を、ルートは再び取る。妹の手が震えていたのに気づいたからだ。
「姉さん……」
「エレン、私がついているわ」
なんとか勇気づけようと、握る手にぎゅっと力をこめて、いった。
そんな姉の気持ちを察してか、妹は元気な笑顔をみせる。
「ありがとう、姉さん」
突然自分の身に降りかかった不幸と、極度の疲労のせいで、元気がなかっただけだ。エレンは元々、快活な少女である。
少年が、夜の野営地にて、謎の男を斬ってから、すでに丸三日が過ぎようとしていた。
あのあと、翌日の朝にはロイデへと到着した一行は、一連の奇妙な事件のことを町の領主に報告した。ルートたちの村もロイデの領主の管轄下にあった。
当然、領民の情報を把握するために、村の戸籍帳も作られていて、領主のもとにあった。
で、戸籍に、ルートとエレンの名があり、年齢や容姿の特徴も一致したため、村の生き残りと断定され、姉妹は無事に保護されたというわけだった。
もちろんいまだ、彼女たちを狙っている者がいるという報告もあったため、館は護衛の兵士が厳重に固めている。
ルートは、エレンに飲み水を注いでやってから、部屋の外で待機している兵士に声をかけて、妹が目を覚ましたことを伝える。
「姉さん、これから先、私たちはどうなるのでしょうか」
妹のもとに戻ると、ルートは不安げに尋ねられた。カップに注がれた水が手中で揺れている。
誰もいなくなった村で、女ふたり住むことはとてもできないだろう。かといってこのまま、領主の館で暮らすわけにもいかない。では、どう生きていけばよいのか。身よりをなくした彼女らの前途は暗かった。
「わからないわ」
だから、ルートもこう答えるよりほかなかった。
領主に保護されたのはいいものの、丸三日、彼女たちにはなんの音沙汰もなかった。ごくごく小さな村とはいえ、自領の村が壊滅したのだ。事情を聴取することくらいしてもおかしくないはずである。妙だった。
――ソラさん……隊長様……――
ルートは、命の恩人を思いながら、日が沈もうとしている西の空を見た。エレンも姉に釣られて、ベッドの上から同じ景色を見つめる。
ベッド、すぐ脇にある棚の上で、彼女の緑の首飾りが鈍く輝いていた。
少年も薄暗い塔の格子のむこうから、彼女たちと同じ太陽を見ている。手には錠がかけられ、足には枷がはめられていた。
今朝、ロイデの領主に事件の
『村人や兵士たちは、何者かに死霊術なるもので、操られていた。こちらはあくまで防衛のために反撃しただけ』という言い分は、ソラたちの想像通り、通らなかった。
『死霊術』という超自然的なものの存在が認められなければ、『川にて、村に詰めていたはずのミクトレン兵士をころした』のはソラであるし、『野営地にて、村の住民をころした』のは隊商の者たちに他ならなかった。
つまり、ソラたちの報告は、『死霊術』という存在が認められない限り、自らの罪の告白に等しかった。
もちろん、当の村の生き残りであるルートは彼らを
隊商に従軍していた医師も『襲撃者は昨夜ころされたのではない』と主張したが、これもむなしく跳ねのけられた。
結果、兵士らと実際に交戦したソラと、隊商の責任者である隊長はロイデにて拘束された。
――このまま村を襲った大罪人として、人生を終えるのだろうか――
ソラの心を絶望が支配する。実際このままでは、無実の罪で死刑になるだろう。
「おい小僧、目が死んでいるぞ」
そんな少年に呼びかける荒々しい声があった。
同じ牢の一室に入れられた若い盗賊だった。まだ二十代前半だろう。
ロイデの牢獄はそこまで広くはないため、一室でふたり、または三人での共同生活である。
顔は大きく、傷だらけ。人相はいかにも賊という感じの人相で、あごひげもいくらかたくわえている。意地悪そうで、挑発的な笑いが特徴的だった。
彼の名はホウテンという。この近辺の盗賊団を率いている
「余計なお世話だ」
ソラは基本的に、年上には敬語で話す。しかし、相手が盗賊なら礼儀もいるまいと思った。
「せっかく励ましてやろうと思ったのに、つれないねえ」
ホウテンはこういうと、あくびをして、石のように硬いベッドに寝転がった。
ソラは一日目二日目と、この粗野な同居人とろくに話もしていなかったが、三日目にようやく口をきく気になった。
「お前は、どうして盗賊になったのだ」
これまで話しかけても一言二言返してくるのが関の山だった少年が、ついに自分のほうから話しかけてきた。
その物珍しさから、ホウテンはのっそりとベッドから体を起こし、いった。
「生きるためよ。十年前の戦争で家は燃え、家族は死んだ。俺は他人から物を
十年前、アシュヴィとミクトレンが、『イアサール』という領土を巡り、戦闘を行った。
戦争なんて、このすさんだ時代、どこにでも日常茶飯事的に起こっていた。だから推測に過ぎないが、この戦のことではないか、とソラは思った。
「その言い方だと、自分はまだ歪んでいないと思っているように聞こえるが」
「歪んじゃいないさ」
ソラの言にあの意地の悪そうな笑いを浮かべながら、いった。
「ほう。なぜだ?」
「立場の弱い奴らからは、一切盗みを働いちゃいねえ。相手にするのは、悪徳で、ごうつくばりで、身分の高い連中だけだ。それに盗むだけで、ころすこともしちゃいねえ」
――いわゆる義賊というやつか――
「盗賊にも誇りはあるらしいな」
「ふん。人間なんて自尊心の塊だろ。あんたもそうなんだろう?」
「確かに、そうさ」
そのとおりだった。自尊心がなければ、『歴史に名を残したい』、『世の中をあっと驚かせたい』などという野心は抱くまい。
ソラはすこし黙ったのち、さらに問う。
「もし、仮に他人から盗らなくても、生きていけるほど富んだとしたら、おまえはどうする?」
その質問にホウテンは少し、息を詰まらせながらも
「そりゃ、結局は盗むだろうよ」
とこたえた。
「そうか。足は洗えぬか」
「足を洗う? 俺はそんなことがいいたいんじゃないさ。人間ってのは、生きている以上、他人を踏み台にして生きている。たとえ悪意はなくとも、だ。となると、どれだけ富もうと、いや富めば富むほどかもしれんが、『幸福』であったり、『誇り』であったり、『栄光』であったりを他人から盗ることになる。こう考えると今の俺と富んだ俺との差は、もはや『人が自分勝手に作った法に反するか否か』という点に落ちつく」
この盗賊の言葉にソラは突然哄笑した。
「なにを笑う!」
さしものホウテンも、自分よりずっと年下の小僧に、己の考えを笑われて、不機嫌になる。
しかし、むろんソラは彼を馬鹿にして笑ったのではない。
――この言が正しいか、そうでないか、を今、論ずることはすまい。だが、この男も、こうやってちゃんと自分の考えを持って、生きている――
荒々しく見えて、実は思慮深い男。それがこのホウテンという人なのだとソラは感じた。
さて、そうやってソラが笑声をあげていると、背後でカチャカチャと音がした。どうやら、看守がソラたちの牢屋を開けにきたらしかった。
――さすがに大声で笑いすぎたか――
とソラは自分を恥じた。
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