第七話 死霊術

 軽い治療をうけたのち、ソラは医師とともに隊長の待つテントに戻ってきた。

  テントの床には兵士によって運び込まれた、襲撃者の死体が、いくつか置かれている。せめてもの情けか、申し訳程度に布がかけられていた。


「これかね、診てほしいものというのは。おや、とても治療が必要なようには見えないがね」


 長いあごひげをいじりながら、冗談めかして、医者がぼやく。


「この者が死んだのは本当に今夜なのか、先生のご見解をお聞きしたいのです」


「妙なことを聞きたいのだな」


 呆れながら医師は膝をつき、布を取り払う。

 苦痛に歪む、年老いた老人の死に顔がそこにはあった。


「これは……」


 死体を見て、医師は言葉に詰まらせる。


 ――やはり俺の思ったとおり、この者たちは最初から死んでいたのだな――

 医師の愕然とした様子をみて、ソラは確信する。


 医師の次の言葉は当然、


「この者が死んだのは、今日ではない」


 といった趣旨のものだと、ソラは考えていた。

 しかし、実際の医師の言葉は、彼の想定よりさらに先へと進んだものだった。


「こいつは、『死霊術しりょうじゅつ』じゃな……」


「死霊術?」


 聞き慣れない言葉が医師の口から出たので、隊長は聞きなおした。


 一方、知識豊富なソラは、その言葉に聞きおぼえがある。

 『死霊術』とは、『魔法』の一種である。命亡き者に、ふたたび命を吹き込み、使役する。かつてた存在していた魔術師たちの間でも、忌み嫌われていた秘術だ。

 当然のことである。死者の魂をもてあそび、彼らの肉体を己の意のままにしてしまうのだから。


「しかし、魔術師自体がすでに過去のものと化したこの時代に、死霊術を使える者など……」


 ソラが割り込むように、いった。

 そう、アポクリポス崩壊事件の際に、すべての魔術師が死に絶え、魔法自体が千年以上も前に、失われているのだ。

 そんな魔法の中でも、とりわけ高度で珍しい死霊術を操れる者が果たして、現世にいるのだろうか。

 アポクリポスの崩壊から生き延び、どこかに身を隠した魔術師がいたという伝承は確かにある。


 ――その魔術師の後裔こうえいが今回の騒動の犯人なのか?――

 しかし、生き残りの魔法使いなど、あくまで伝説。おとぎ話の領域である。


「たしかに、にわかには信じがたい事実じゃが、これは死霊術を使用されて、操られた死体に相違ない」


 そういいながら、医師は立ちあがった。


「その理由を……お聞きしたいものですな、先生」


「いいだろう。まずこの死体じゃが、そこの小僧の推測どおり、今夜に息を引き取った者ではない。少なくとも死んでから、一両日は経過しておる。それが今の今まで、動いていて、ここを襲ったというのは、超自然的ななにかが働いたといわざるをえぬ」


 ソラのほうを見て、医師は隊長の質問にこたえる。

 医師は、自分が年上なのに加え、専門家としての自負があるのか、隊長を相手にしても、尊大である。


「次に、一目瞭然の事実じゃが、死体がやけに青白い。通常の場合も、人は命を落とすと、その体は白くなっていく。魂が抜けていくのだから、当然のことじゃ。しかし、この死体の変色は尋常ではない」


 異常な変色。サトが死体を見たときから、ずっと気にしていたことだった。まあ彼はソラの命をうけて、今ここにはいないのだが。


「死霊術とは、その者の肉体にわずかながら残った魂に、術者の魔力を吹き込み、操る。その体が致命的なダメージを受けた時、魂と魔力が抜け出て、制御が解かれる。この抜け出る過程で、死体が変色するのじゃ」


 余談だが、この世界の医師は、単なる怪我や病気のことだけでなく、占星術や呪術にも通じていた。この医師も、そういった類のものを学ぶ過程で、死霊術に関する知識を得たに違いない。


 ――もし仮に、襲撃者たちが死霊術なるもので操られていたとすると、彼らの正体は……――

 ソラが考えをまとめていると、どこからともなく外気が入ってきていることに気がついた。

 

 ソラがテントの入り口のほうをふり返ると、見覚えるのある黒い瞳と目が合った。


「ルート……」


 しかし、さきほど見た澄んだ瞳ではない。悲しみ、動揺、後悔。様々なものが入り混じった濁った瞳だった。


 ソラ以外のテント内部の者も彼女に気づく。


「ご、ごめんなさい!」


 ルートは謝罪の言葉を述べたのち、口をおさえ、テントの外へ駆け出した。

 そうして、しばらく走ったのち、せっかく用意してもらった新しい服が汚れてしまうのも構わずに、地べたに両膝をついた。雨が降ってもいないのに、地面が濡れていく。


 彼女は自分の隣に誰かが座った気配を感じて、濡れた瞳ですぐ横を見た。


「ソラ……さん……」


 一瞬呼び捨てにしかけたが、付け加えた。悲しみに飲まれながらも、理性は残っているのだろう。

 ソラは何もいわずに、ただ地べたにあぐらをかいて座っていた。


「ごめんなさい。寝るまえに皆さんに今一度、お礼と挨拶を、と……」


 嗚咽を漏らしながら、なんとか言葉を繋ぐ。


「あの人は、私たちの祖父です……」


 ルートは涙を拭う。しかし、いくら拭っても拭っても、涙は止まらない。止められない。

 ソラたちが検分していたあの遺体こそ、惨殺された彼女たちの祖父だったのだ。


 ――やはりここを襲ったのは、操られた村の者だったか。そして俺が川原で斬ったのは、村に詰めていたミクトレンの兵士たちだ――


 残念ながら、さきほどの医師の言葉で、多くの謎に説明がついた。

 『なぜミクトレンの正規兵が襲ってきたのか』、『なぜ致命的な傷を負いながらも、彼らは平気で動けていたのか』、『なぜ死体が軒並み青白く変色していたのか』、『なぜ川での襲撃者と野営地での襲撃者の装備にあれほど差があったのか』。


 ――余計なことはいわないほうが、いい。俺ごときがどんな言葉で励ましたところで、意味はない――

 そう思い、泣き続けるルートに声をかけず、ソラは黙っていた。


「父母を鉱山の落盤で亡くし、私たちは、祖父と祖母に育てられました。裕福ではありませんでしたが、楽しい生活でした。いつか恩返しをしたかったっ……。こんなことになるなんて……」


 吐き出されるように続く彼女の言葉に、ただ首を縦に振りつつ、ソラは星のまたたく夜空を見あげていた。

 星の光は鈍かった。



 テントの中、疲れ果てたエレンが眠っている。

 何か悪夢でも見ているのか、時折苦しそうに寝返りをうつ。


 ――風が変わった――


 サトは、主の命に従い、ふたりのテントの入り口、すぐ横に陣取って、じっと瞑想していた。

 どんよりとした風のなかに、尖った気配を感じた彼は、ゆっくりと目を開く。殺気だった。


 さきほど、眠る前に挨拶にゆきたいといって、出ていったルートが戻ってきたか、とも考えたが、


 ――彼女がこれほど巧妙に自分の気配を消せるものか――

 と思い直した。


 彼は右手に持った薙刀を地面と水平に構え、テントの入り口をふさぐ。


「通すわけにはいかぬな」


 横目で、鋭い目で、虚空をにらんで、いった。


 そこにはだれの姿もない。

 心得のない者が、この光景を見れば、サトは気が触れてしまったと考えたかもしれない。

 だが、サトはたしかに侵入者の影を目でとらえていた。奴は微動だにしない。サトも動かない。

 

 両者、相手の隙をうかがっている。


 ――まさか気づかれるとは。襲いかかる隙もない。いったん退くか――

 先に奇妙なにらみ合いに耐えられなくなったのは敵のほうだった。


「逃がさん!」


 後ずさりして、動きだした影にむかい、ぐ。

 黒い影は攻撃をなんとか短剣で防ぎ、サトとむかいあう形を維持しながら、うしろへうしろへ退いてゆく。


 炬火の光に照らされて、影の実態があらわになった。

 細い体、全身黒の装束。さらに黒の頭巾を被っていて、顔が見えない。面妖な姿であった。


 敵を寄せつけぬように、得物を頭の上でぐるぐると回しながら、サトもそのあとを追った。

 連中のようなたぐいと相対する時、長い薙刀が役に立つ。

 この手のあやしげなやからは、武器に毒を塗っている可能性が非常に高いことを考慮しての行動だった。


 ――できることなら、かすり傷のひとつも負いたくない――

 サトは、敵との間合いを徐々に詰めると、得物を回すのをやめ、切りかかった。

 サトの一撃一撃には気迫がにじみ出ていて、重みがある。


 サトは普段は、礼をはずさない穏やかな男である。

 しかし、戦いのなかに身を置くと、おそろしく果敢に戦う。彼もまたタイスの男であり、荒々しさを発揮する。


 黒づくめの男は、サトの攻撃をなんとか受け流すが、息をつく間のない強打の連続と、攻撃を繰り出す際に見せる鬼のような彼の表情に圧倒されていく。


 事態に気がついたのか、複数のテントの中から、人が出てきて逃げ出す。

 エレンも目を覚まして、恐怖の表情を浮かべて、離れたところから様子をうかがっていた。


 隊商護衛の兵士たちも駆けつけてきて、侵入者とサトをとり囲むようにする。


「手出し無用!」


 サトは敵にむかって飛びかかろうとする兵らを大声で制す。今、押しに押しているとはいえ、敵は相応の手練れである。下手に手出しされ、ごちゃごちゃと乱戦になるとよけいな犠牲者が増えかねない。


 ――敵の退路をふさぐように、囲んでくれておればよい――


 サトは、上段から渾身の力で攻撃を叩き込んだ。敵はまたも受け流すが、隙が生じた。

 隙を逃がさず、流れるような動作で今度は、下段から切り払う。


 隙をつかれて、敵は受け身が間に合わない。勢いのまま、うしろへとのけ反り、しりもちをついた。


 地面の男にむかって、両手で薙刀を振り下ろす。最後の一撃になるはずだった。


 だが、男は袖から小さな袋を取り出すと、中身の液体をサトにむかって、投げるようにふり散らした。

 突然にふりかけられた液体にうろたえるサト。

 彼の様子をみて、にやっと気味の悪い笑いを浮かべた敵は炬火に近づき、火のついた薪をひとつ掴んだ。


 サトは、においで、液体の正体に気がつく。


 ――これは……油か!――

 しかし、気づくのが遅すぎた。

 男は、手にした薪をサトに投げつけようと、振りかぶる。


 ――まずい――

 サトは、燃えさかり、灼熱にもがき苦しむ自分の姿が容易に想像できた。


 しかし、だ。この想像が現実のものになることは、なかった。

 

 薪を頭上に掲げた男の腹の、まん真ん中に、曲がった刃が突き刺さっていたのだ。

 手に握られていた薪が地面に落ちる。

 刃が勢いよく抜かれる。

 男は血を吐きながら、背後から自分を刺した張本人に振り返る。


 振り返った。


 が、振り返った首は、次の瞬間にはくうを飛んで、大地へと転がっていた。電光石火の早業はやわざである。


 エレンはその光景を目の当たりにしたショックで、悲鳴もあげられずに気絶してしまった。


 サトは、深い息をついて、自分を助けた者におどけた口調で、こういった。


「手出し無用と申しましたのに……、ソラ様」


「すまん。許せ」

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