第六話 姉妹
ソラたちは慌てて、馬より降りて、それぞれの武器を手にした。
ふたりがうろたえるのも、しごく当然のことであった。問題を持ちこんだのは彼ら主従なのだ。
自分たちの責任で、隊に犠牲者がでてしまっては、親切にも隊商に加えてくれた、コニウェンに顔むけができない。
とりわけ、ふたりの少女をこの野営地につれてきたサトは、もう気が気ではない。
だが、ソラとサトは転がる死体を見て、すこし安心した。どれも見覚えのない者たちだった。
死体の様子をみて、ソラの中にまた別の疑問がわいた。
――こやつら、ただの村人ではないか?――
ソラが川で交戦した敵は、きっちりした防具武具を装備していた。これに比べ、目の前に転がる彼らの装備はどうであろう。ただの薄い服しかきておらず、斧や
――さきの連中との装備の差はいったいなんだ?――
疑問を抱くソラのもとに、野営地の奥のほうから若い兵士が走ってきた。
「ソラ様に、サト様ですね? ご無事でしたか」
「いったい何ごとか」
「野営地に、ならず者たちが押し入ったのです」
――やはり、原因はあのふたりの少女か――
「彼女らは今どうしている?」
「食事をとって、しばらく休んでいたようですが、襲撃の騒ぎで目が覚めたようです。妹のほうの衰弱が著しいようですので、今は、先生に診察されているところではないか、と」
隊には、負傷者や重病人がでた時のために、医師がひとりいた。
「あなたも、お怪我をされているご様子。先生のもとに案内いたしましょう」
あちらこちら怪我をしているソラを気づかって、兵士はいった。
「いや、もう血も止まっているし、洗浄もした。大丈夫だ。それより、隊長殿にお会いしたい」
「かしこまりました。隊長は中央のテントにいらっしゃいます」
「助かる」
傷が
ソラは、それ以上の質問は控え、隊長のいるテントへと急いだ。襲撃の直後だというのに、野営地はとても落ち着いている。
――長の賞罰が公平で、下の者から尊敬のまなざしで見られていないと、こうはいくまい――
感心しながら、ふたりは中央のテントに入る。
テント内にて、隊長が気難しい顔して、椅子に座っている。脇には、信頼のおける部下がふたり控える。
「ソラとサト、ただいま戻りました」
ソラが隊長に声をかける。
サトは隊長が、自分たちを責めるだろうと思っていた。
「おお、無事でなによりです。おふたかた」
しかし、隊長は意外にもおだやかな顔して、ふたりの無事を喜んだ。確かに、サトが少女たちを連れてきたのは事実なのだが、彼女たちの滞在を許可したのはほかでもない隊長だ。
――責任の所在は、最終的に許可を出した私にこそある――
と痛感していたからこそ、隊長はふたりを責めることはしなかったのだ。
「それで、被害の状況はいかがか?」
「軽い傷を負った者は数名いましたが、重傷者や死者は出ていません。偵騎の数を増やして、巡回させていたので、敵の急襲をうけず、逆に待ち構えることができました。それに仕留めた敵をごらんになったのなら、お分かりかと思いますが……」
「ええ。武装らしい武装をほとんどしておりませんでした」
純然たる謎である。
――かの者たちもよくあのような装備で、防備を固めていた、この野営地に攻撃をしかけたものだ。命を惜しまない者たちなのか。それとも『命なんぞ、あってないような者たち』だったのか――
ソラは川辺の死体と今の野営地を襲った死体とをみて、すでにある結論に達している。とんでもない結論であった。
「死体をきっちりとお調べになったほうがよいと思われます」
ソラは提案した。
「ほう。なにゆえでしょうか」
ソラはさきに襲われた敵が、『ミクトレン』の国章の入った装備をしていたことを話す。この話にはさしもの冷静な隊長も
「ミクトレンの正規兵をころしてしまわれたのですか!」
「むこうから攻撃してきたので、やむを得ず……」
『攻撃してきたのはあちらだ。身を守るためには仕方なかった』
隊長もサトも、当然ソラ自身も、この言い分が国に通るとは、とても思えなかった。
しかし、なお隊長は、敢然といった。
「あちらからの先制攻撃が事実なら、反撃するのは正当な行為です。正当な行為なら、何を恐れることがありましょうや。もし罪に問われたら胸を張って、無実を主張しようではありませんか。いかがか?」
彼の言葉にふたりは救われた思いであった。
――これが部下に慕われる男の言葉か――
ソラは素直に見習いたいと思った。
「それで、死体を調べたほうがよいという、具体的な理由はまだお聞きしていませんでしたな」
隊長は、話を戻した。
「はい。実は私の斬った連中にある共通点がございました」
「共通点? さきの『ミクトレン』の国章云々とは別に、ですか?」
「どの者も、私に傷を負わされるまえに、致命的な傷を受けておりました」
一瞬隊長は唖然とした。
そうして、すぐに普段の厳粛な表情を取り戻していった。
「ソラ殿。あなた、もしやとんでもないことをおっしゃるつもりではないでしょうな?」
「残念ながら、おそらく隊長殿のご推察どおりです」
隊長が
ソラは構わず、いう。
「私がいいたいのは、彼らは、私に倒される前に、すでに死んでいたのではないか。いえ、すでに他の何者かによってころされていたのではないか、ということです」
テント内を沈黙が支配した。 隊長も、部下も、言葉を失っている。
「あーソラ殿。川辺にて交戦した敵は、先に彼らのほうが仕掛けてきて、あなたは、やむをえず、連中に対抗した。この話に関しては、もちろん信じましょう。しかし、次のお話はあまりにも……」
隊長は言葉を絞りだすように、いった。
「私も、できることなら、何かの間違いだと信じたい。ですから、ここを襲った者の死体を、医師に診せて、見解をお聞きしたいと思うばかりです」
さすがに、死体が息をひきとった正確な日時を割りだすといったような、『魔法の如き力』は、医師にはない。しかし少なくとも『死体が今日死んだものか、否か』ということくらいは判断できるはずである。
「あなたの主張はにわかには信じがたいが、先生に検分させるというのは、よき手ですな。いいでしょう」
隊長は了解し、脇にいる部下ふたりに指示をだす。
「おまえは、襲撃者の死体をいくつか運んできてくれ。おまえは先生をお呼びしてくれ」
「ああ、隊長殿。医師を呼びにいくのは私がゆきましょう。ちょうど怪我もしていますから」
ソラは医師を呼びにいこうとする部下をひきとめ、いった。
医師のもとに、助けた少女たちがいることを思い出したからだった。
――なにか聞きだせるかもしれない。彼女たちには思い出すのも辛かろうが――
サトを伴って、医師のいるテントにむかう。
医師はちょうど金髪の少女の診察を終えたところだった。
側で心配そうに様子を見守っていた姉に視線を送ると、これに応えるように彼女も無言で目をあわせてきた。髪と同様、吸い込まれそうなくらい、綺麗な黒い瞳だった。
食べ物と飲み物をもらって、幾分か元気を取り戻したようだが、
――自分も疲れているだろうに、妹がよほど心配らしいな。俺の兄たちも俺の知らないところで、気にかけてくれていたのだろうか――
ソラはふと故郷の兄の顔を思い出したが、すぐにやめた。
――少なくとも長兄は、俺が死んだら喜ぶだろうな――
ソラは妙に長兄に嫌われていた。文武に優れるソラに、嫉妬していたのもあっただろうが、もっと深い理由があった。この兄と弟の確執はのちに悲劇を生むことになるが、おそらくこれは別の話になるだろう。
「ふむ。めまいや頭痛は脱水症状と疲労のせいじゃろう。栄養を欠かさずとって、安静に寝ておれば、すぐに元気になる。怪我も、すり傷で、痕が残るものではない」
やせ細った年配の医師が、少女の腕に包帯を巻きながら、そういった。口もとにはたっぷりとひげをたくわえている。
「そうですか。よかったわね、エレン」
姉がほっとしたように、そういった。どうやら、妹の名はエレンというらしい。
「先生。すこし診てもらいたいものがある。中央のテントのほうに来ていただきたい」
ソラは医療道具を片付けている医師にむかって、丁寧にいった。
「やれやれ、人づかいが荒いのう。年寄りはもっと労わってもらいたいものだ」
寝ていたところを叩き起こされたせいか、医師はご機嫌ななめである。
ぶつくさといいながら、医師は立ち上がったが、ふとソラの傷に目をとめた。
「座れ。治療してやろう」
「いえ、これしきのこと。それより、さあ」
ソラは、強引に医師を促した。
「いいから座らんか! わしは医師じゃ。怪我人をそんな荒い処置のままで、ほっとくわけにはいかん」
と怒鳴られてしまった。
――荒い処置とは、手厳しい人だ――
自分の処置を荒いといわれて、ソラは苦笑したが、抵抗せず医師に従った。
「そっちはエレンというのだな。君の名は?」
ソラは、医師に包帯を巻いてもらいながら、問う。
ちょうど彼女たちは診察を終え、自分たちのあてがわれたテントに戻ろうとしているところだった。エレンはまだ足もとがおぼつかないのか、姉に体を支えられている。
「ルートといいます。さきほどは助けていただき、ありがとうございました」
「あ、ありがとうございます……」
姉の感謝の言葉に、妹も力なくだが、続く。
ソラは姉のほうの言葉遣いに違和感を抱いた。
「どうかなさいましたか」
ソラの浮かない表情が気になったか、ルートはそうたずねた。
「私の名はソラだ。しかしひどく丁寧だな。川原で会った時とは違って」
あの時は、敬語など使っていなかった。
「あ、ああ。さっきは焦っていて、気が回りませんでした。それに、あなたは命の恩人です。恩人にむかって、あのような口はもうきけません」
ルートは包帯を巻かれているソラの腕を見やりながら、そういった。自分たちのせいで、などと負い目を感じているのだろう。律儀であった。
「怪我のことなら、気にするな。私より、さきの襲撃で負傷したものに礼をいってやれ」
「負傷された方になら、さきほどお会いしました」
「そうか」
彼女のことだ。丁寧に謝罪し、礼をいったのだろう。
「ちなみに、歳はいくつだ?」
「十九です。妹は十七です」
「なら、おないだ。敬語はいらんぞ」
男のほうが、背が高く、女は背が低い。それが一般論だが、ソラとルートに関していえば、同い年でありながら、ルートのほうが背はすこし高い。
背が低いという特徴は、ソラの数少ない引け目のひとつだった。
「そういうわけには……」
彼女は意外と強情なところがあるのか、言い淀む。
――このまま続けても、らちがあかぬな――
とソラは思ったので、このあたりで話を切りあげる。
「まあ、よい。とにかく今晩はゆっくり休め」
「わたしたちに、お聞きになりたいことがあるのでは?」
察しもよかった。
「明日でいい。隊長殿にもそう頼んでおく」
だが、ソラはふたりの精神的、肉体的疲労を考慮して、いった。
彼女たちから事件の時の状況を聞き出してやろうと思っていたのだが、疲労したふたりの顔色を見て、その気はとうに失せていた。
親しい人を失い、敵に追われる恐怖にずっとおびえていた彼女たちに、ソラがしてやれることはこのくらいしかなかったし、このくらいのことはしてやりたいと思った。
さて彼女たちが戻っていったあと、ソラはサトに命じた。
「ルートたちのテントを見張れ。怪しきものがよらば、即座に斬り捨てよ」
サトが見張らなくても、テントには護衛の者がついている。
隊長が命じたのだろう。
しかし、ソラはこの隊商内でもっとも強い男をやって、テントの守りを強化しておいたほうがいいと思ったのだ。
彼の判断は正しかった。
さて、野営地を見渡せる木の上に、フードを被ったひとりの不気味な男が座っていた。
本当に人かと疑うほどに背丈が高く、口は常に開いており、顔の色は真っ白である。
「貴公の術も大したことはないようだな。せっかくのお人形も全滅だ」
どこからともなく聞こえてきた声に、男は反応し、横をちらっとみる。
さきほどまで、なにもいなかったはずの場所に、黒装束を
「それは作戦のうちだ。お前とてわかっているはずだろう。なのに、なんだその言い草は。第一、お互い様であろう。兵士や村人をいくら仕留めても、肝心の者を取り逃がしてはなんの意味もない」
「あのひ弱そうな娘たちが森の中へ逃げ込むとは思わなかったのだ」
白い顔の男は、その言に鼻を鳴らして、
「隊の動きは大体わかった。あの野営地に忍び込めるか? 村を襲ったときと同じように」
と尋ねた。
「忍び込むのは簡単だろう。忍び込むのはな」
闇夜の森に不穏なふたりの男の声が響いていた。
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