第五話 死体

 川のせせらぎにむかって、サトは馬で駆けている。


 あののち、彼は、主の馬に乗っていた少女ふたりから、二日前に彼女たちの村が襲われたこと、その襲撃者から、主君が彼女たちを守ったことを聞きだした。


 ――いくら顔を見られたかもしれないと危惧したとしても、襲った村の生き残りを、二日間も執拗に追う野盗がいるものか――


 大抵の場合、経済的あるいは社会的になんらかの問題を抱えた者が、困窮して、野盗や盗賊にその身を落とす。少なくとも、取り逃した獲物を、ここまで追うほど、連中も暇ではないはずだ。

 襲撃者がただならぬ輩であることはあきらかだった。


 サトは、いったん彼女たちと共に、隊商の野営地まで引き返し、隊長に報告した。

 ソラのもとに、早く駆けつけたかったが、敵がいるかもしれない危険な場所へ、彼女たちを伴っていくわけにはいかなかった。


 隊長は、渋い顔をしたが、衰弱しきった少女ふたりを見て、テントで休ませることを許可した。さきに隊長は『冷徹』だと書いた。しかし『冷酷』ではない。字面は一文字しか変わらないが、両者には天と地ほどの違いがある。


 隊長は隊全体に警告を発した上で、兵士たちを、幾人かの組にし、偵騎ていきとして、野営地の近くを交代で巡回させた。

 そして彼女たちを隊商のテントで休ませたあと、サトはまた単身、急ぎ駆けてきていた。


 ――彼女たちがいうには、この川辺のはずだ――


 強い風が吹いた。その風に混じって、漂ってきた異臭がサトの鼻を刺した。


 ――このにおいは……――


 まぎれもない血のにおいだった。走る速度を落とし、辺りを用心しながら、進む。


 馬の足もとは血の海であった。血の海のなかに、うつぶせになった、何者かの死体があった。首はねられている


 サトは馬から飛びおり、背中の薙刀を抜く。


 ――まさか、わが主ではあるまいな……?――


 ぞっとして、膝をつき、死体を炬火で照らす。


 ――よかった。服装も体つきも全く違う――

 サトは胸をなでおろした。


 死体は立派な鎧と兜を身につけており、鎧からのぞく肌が、違和感を抱くほどに青白く変色している。よく、辺りを照らすと、全く同じ鎧をつけた死体が、他にいくつか見うけられた。


 ――野盗などではない。むしろ、これはまるで……――


 そのとき、サトの思考をさえぎるように、前方で、だれかが小石を蹴る音がした。


「誰だ!」


 サトは立ちあがって、前方に炬火をかかげて、刺すような声で、威嚇する。


 炬火の光の先に、自分へむかってくる影がみえた。


「それ以上寄るのならば、斬る!」


 サトは警告を与えつつ、身構えた。


 影は、彼の警告に臆することもなく、サトに近づいてきた。近づいてくればくるほどに、その輪郭が徐々にだが、ぼんやりと見えてきた。


 しかし、肝心の顔はフードを被っているようで、確認できない。

 影は、ついに口を開いた。


「おいおい、主にたいして、その物言いは、ちときつすぎはしないか?」


 声は、サトが慕う男のものだった。

 暗闇から、背丈の小さい少年が出てくる。


「ソラ様でしたか……。よくご無事……」


 ほっとして、サトはソラに近よっていったが、あることに気がついて、言葉を切る。


 ソラの体には、ところどころ布が巻いてあり、布からは赤い血がにじみ出ていた。

 ローブやズボンが意図的にちぎられているから、それを巻いたに違いない。


「……ではないようですね……」


「ああ。連中を片付けたあと、傷口を洗い流し、止血したから、心配はいらない。近くに川があってよかった」


 ソラはいった。

 少女たちを逃がしたあと、ソラは彼らと戦闘し、これを破ったものの、無事ではすまなかった。


「肝心なときにおそばにおらず、面目しだいも……」


「勝手に単独行動した俺にこそ非がある。このとおり命には関わりなかったのだから、あまり気にするな」


 両手を広げ、無事を仰々しく訴え、うなだれる家臣を励ます。


「そちらこそ、日が落ちる前にかならず帰るという約束を果たせなかった俺を許せ」


 と、サトを責めるどころか、ソラは逆に謝った。


「それはこの者たちのせいゆえ……。しかし、彼らは一体……」


 サトは、とんでもないと首を振ったあと、地べたに転がる死体を見据えて、いった。


「ほれ」


 ソラがサトの足もとに転がる死体を指さす。いや、正確には死体が身につけているマントの首もとを指差していた。


 サトは炬火を持つ手を近づけてみる。

 そこに刺繍ししゅうされていたのは、牛の模様であった。


「まさか」


「ああ、そのまさかだ。こいつは、ミクトレンの国章だ」


 そういって、ソラは、今度は死体を、あおむけにひっくり返す。篭手や鎧の胸の部分にも、小さく同じものが刻まれていた。

 

 サトは困惑した。


 ――どういうことだ。この者たちが村を襲ったとなると、ミクトレンの兵士がミクトレンの村を襲った、ということになる。なんでそんなことを――


「もしかしたら、こいつら、どこかで装備品を奪うなり、くすねるなりしたのかもしれません」


 これなら、辻褄が合う。たとえば、村に詰めていた兵士をころして奪ったとか。

 ミクトレン領内を移動するのだから、ミクトレンの国章の入った装備を身につけていれば、いざというとき便利であることは間違いない。


「その可能性はたしかに否定できぬな。さあ、もうひとつとんでもない事実がある。こっちが本命だ。この胸の傷をみよ」


 次にソラが示したのは、死体の左胸につけられた傷だった。

 いや『傷』というには大きすぎる。『穴』といったほうがいいかもしれない。


「剣で貫いたのですか」


「おそらくは、な」


「おそらく?」


 サトは素っとん狂な声をあげた。


「ソラ様が、かの者をころされたのでしょう?」


「そうだ」


 自信満々にそういい放つソラに、サトは不満そうな視線をむける。


「ならば、ソラ様がおつけになった傷でしょう。それなのに『おそらく』とは」


「俺が、こいつの身体で傷つけた部位は、首だけだ。首を斬り落としただけだ」


「えっ、しかし、これほどの傷では……」


 サトは眉をひそめて、胸の傷口を覗きこむ。


「そう。あきらかに、心の臓を貫かれている。一刻も経たずして、死に至ったはずだ。なのに、こんな傷を負いながら、こいつは俺に襲いかかってきたことになる」


「んな馬鹿なことがありますか」


「その馬鹿なことが起こったとしかいえない。対岸の死体は確認できていないが、こちら側の死体はすべて、俺がおぼえのない、即死級の傷を負わされていた」


 対岸の死体とは、ソラの弓に射抜かれた弓兵である。

 サトはすぐ近くに転がっているべつの死体も炬火で照らしてみた。

 こちらは首が落とされていなかった。かわりに胴が横に両断されている。ぎょろっと見開かれた光のない目が、サトを見た。こちらの死体の肌も妙に青白い。


 ソラは、


「とにかく、現状ではわからぬことだらけだ。戦闘前、やつらに追われていた少女ふたりを、逃がした。彼女たちをどうにか探して、話を聞いてみないことには、真相は一向に見えてこないだろう」


 といった。


「あっ、あのふたりであれば」


 サトは、彼女たちを保護し、隊商の野営地にあずけてきたことをソラに伝えた。


 が、ソラはそれを聞いて、顔をしかめる。


「心配だな。急いで戻るとしよう」


 二日前に、少女たちの村を襲ったのが、たった今ソラが斬りに斬り、射抜きに射抜いた者たちだけとは限らないのだ。


 ――あの隊商は、長が厳格な男のおかげか、隊商にしては、ひどく統率がとれていて、国の軍隊のようであった。大丈夫であるとは思うが――


 馬は一頭であったため、ソラが馬を御し、サトはうしろに乗った。

 本来ならば、家臣のサトが馬を御すべきなのだろうが、ソラが馬を駆ったほうが速いのだ。


 ソラたちは風のように野営地に近づいた。妙に静まり返っている。

 嫌な予感がした。


 その嫌な予感は悪いことに、的中する。


 すこしゆくと、ソラたちの前方に、いくつもの死体が転がっていた。


 ――まさか隊商まで襲われたのか!――


 ソラたちの顔は、さきの死体の肌より、青ざめた。

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