第四話 家臣

 野を一人の男が、炬火きょかを片手に、馬で疾走していた。

 日はすでに、地平線のかなたへと消えていた。

 馬が走る振動により、背負った『薙刀なぎなた』がカシャカシャと小刻みに音をたてる。


 『薙刀』とは、長い柄の先に、湾曲した刀身を取りつけた武器である。リーチが長いため、馬上にて振り回すことができる。馬上の人である遊牧民とも相性がよかった。ただし、槍より、使用されている鉄の量が多いので、非常に重く、力のない者では、まともに扱えないのがこれの短所だろう。


 ――わが主は、どこまで先へ行ったのか――


 男の名はサト。少年ソラの唯一の家臣である。


 ソラがエールイアに留学するとき、彼の実母が留学の供に選んだのがサトだった。

 サトは幼き頃から、ソラと親しい。

 歳も、たいして変わらない。サトのほうが二つ上なだけである。


 ソラは、まがりなりにも族長の息子。一方、サトは、一族民の養子にすぎなかった。

 けれどもソラは身分の差関係なく、人に接していたから、サトもそんなソラを好くようになった。

 二人は、遊ぶのも、狩りをするのも、武術の稽古も、学問をするのも一緒であった。まあ、ソラのエールイア留学後は共に学問をすることはなくなったが。


 ちなみに、彼は学問においてはソラに劣っているものの、武術に関してはソラを凌駕りょうがしている。重い薙刀を、自在に扱えるのも、人一倍に力が強いゆえである。


 ソラと共に、ハノンフェルトの草原を駆けていた幼き日々は、彼のなかで最高の思い出であった。


 サトはソラの性格を大概理解していたので、この役目にはまさにうってつけの人物だった。

 ソラの実母から今回の件の要請を受けたサトは、二つ返事で了承して、大層喜んだ。


 ――本当にあの人の家臣になるときがきたか――



「もし、僕が家臣を持てることになったら、最初の家臣はサトがいいな」


「俺も、仕えるならソラさまがいいです」

 

 幼き日のたわむれに交わした、なにげない会話が現実になった瞬間だった。興奮せずにはいられなかった。ちなみに身分が上であるソラは、身分の差を意識させないようにサトに接していたが、身分が下であるサトはそうはいかない。いくら友でも、『さま』づけはやむをえまい。

 留学前もソラの世話をしてくれる者はいたにはいたのだが、あくまで父の臣であった。つまり、ソラにとって、サトは正真正銘、初めての家臣である。


 だが、ソラの性格をよく理解しているはずのサトでも今回のソラの行動には疑問だった。


「馬で、駆けたくなった。すまんが、すこし先に進んでいる。大丈夫。日が落ちるまえにはかならず帰る」


 ソラはこういって、隊商を離れた。


 ソラは、サトには劣るものの、強い。小数の賊程度なら、問題なく蹴散らすだろう。また、仮にかなわないほどの相手に遭遇したとしても、ソラ以上に馬術に優れた農耕民などいるはずもないのだから、悠然と振りきって逃げられる。


 ――第一、あの人がこんなところで、名もない者に殺されるはずがない――

 サトはこう思っていたし、ソラには一度いいだしたら聞かぬ、強情な部分もあることも持っていたから、駆けていくソラを黙って見逃した。 サトとて、共についていきたい気持ちはあったが、ふたりとも先に進んでは、旅路に加えてくれている隊商の者に、申し訳が立たない。無礼だ。


 そしてソラが、『馬で駆けたくなった』といったときは、大概ひとりになりたい時だ。そんなソラの気持ちも、サトは汲んでいるつもりだ。


 さて、ソラとサトの主従がどうして、隊商に加わっているのか、である。

 理由は、この隊商が行商に赴く場所にあった。行き先は、『ロイデ』という町であった。

 ロイデは小さな町ではあったが、商業がさかんで、物がたくさん売れる。だから、さまざまな分野の商人が集まってくる。

 兵法を好むソラは太古の武将が記したと伝わる兵法書がほしかった。

 エールイアは一国の首都であり、当然、本を扱う店はいくつか存在する。だが、欲するのがもっと古い書物となると、話は別であった。それはもう『本屋』の分野ではなく、『骨董商』の分野に属するものだ。

 ソラは、日ごろより世話になっている大商人コニウェンに相談した。

 すると、『ロイデの町に古書を専門に扱う骨董商がいること』、『近々、家の行商人をロイデにむかわせること』を教えてくれた。


「その行商の隊列に、我らを加えてはいただけないでしょうか」

 

 ソラは頼んだ。

 ふたりともロイデの町への行き方も知らなかったし、大商人コニウェンの隊商の者という形であれば、町へ入るときの、あの煩わしい荷物や身元の調査がある程度免除される。コニウェンも、その気があったからソラに二つの情報を示したのだ。ソラの頼みを快諾した。


 かくして、ソラたちはロイデへの隊商に加わって、小旅行をすることになったのだった。


 余談だが、もちろんまだ、ソラはあの老人の門下である。しかし、師に旅行のことを断る必要はなかった。なぜなら、あの講義自体が参加できるときだけ参加すればよいという形式のものだったからだ。

 もうひとりの弟子であるアレクも、仕事の合間を縫って、参加できるときだけ講義に参加していた。


「教えを請いたいと思ったときだけ、くればよい。別に黙って去っても構わん」


 老人は常々こういっていた。



 ――実母さまに、これが知れたら、きっと大目玉だろうな――

 ひとりで走っていくソラの背中を見送りながら、サトはソラの母の怖い顔を想像して、頭を掻いた。

 

 ソラはせっかちな性格で、常に生き急いでいる。

 老人に『おまえは枯れ木だ。そんなことではいつか死ぬ』といわれたあとも、その性分自体は変わらない。いや、変えられない。

 でも、同時に彼は一度いったことを、やすやすとは覆さない人間でもある。彼が『日が落ちるまえにはかならず帰る』といったなら、よほどのことがないかぎり、かならず日没までには帰ってくるはずなのだ。


 ――つまり、『よほどのこと』が起きたのだ――


 夜のとばり降りてきた。夜営の準備をはじめた隊商の長に事情を説明したあと、サトは単身、主の捜索に出かけた。


 隊商の長は、冷徹な男で、捜索の手伝いを申し出ることはなかった。隊長の役目は、『隊商を無事目的地に到着させること』なのだ。ひとりのために、人員をさき、隊の守りを減らすわけにはいかない。そのひとりが、主人の客人であろうとも、だ。

 サトも、隊長の気持ちを察せずに、彼の判断を恨むような、鈍い男ではなかった。



 サトが走っていると、真正面から馬のいななきと、ひづめが地面を激しく叩く音が聞こえた。

 直後、横をすさまじい速さで、一頭の馬が駆けていった。


 ――今の馬、だれか乗っていたな――


「だれか、たすけて!」


 夜風が叫ぶ中、サトはたすけを求める少女の声を聞いた。

 彼女の言葉で、サトは状況を理解する。


 ――馬が止まらなくなったのか! ええい、仕方ない!――


 急ぎ、サトは来た道を引き返し、通っていった馬を追う。

 遊牧民のサトは、どのように御せば、馬がはやく走るか、心得ている。本能のままに走る馬よりも、速く走ることも可能であった。

 

 ついに、暴走した馬に追いつく。


 「手綱を、こちらへ!」


 サトは暴走しているほうの馬の手綱を受け取ると、それを力強く引いた。

 

 さしものサトも、片手に炬火を持ったままだったので、体勢を崩しかけたが、なんとか持ちこたえる。


「馬につかまれ。前の者につかまれ」


 サトは、ふたりの少女それぞれに、そういった。


 手綱を強く引かれた馬は、急停止し、跳ねた。馬上のふたりは、振り落とされまいと、前の少女は馬体に、後ろの少女は前の少女に、しがみつく。


 そののち、馬は観念したかのように、おとなしくなった。


「おかげでたすかりました……。馬が驚いてしまったみたいで……」


「いや」


「えっ」


 前に座る黒い髪の少女は、お礼をいったが、サトに即座に否定されて驚く。


「もしかしたら、最初はびっくりして走っていたのかもしれません。しかし、すでに馬は平静を取り戻しておりました」


「では、なぜ……」


「馬も、主を選び、ときに試すものです。遠慮がちに、自信なさげに手綱を引いていてはいけません。強い意思表示ができず、どうも頼りない。そんな主君に、仕えたいと思う人間はめったにいないでしょう? 馬もまったく同じなのです」


 主の捜索に早く戻りたいサトは、早口でこういった。

 彼女は『馬を止めないと』と思うと同時に『あまり強い態度をとって、馬がさらに暴れてしまったら、どうしよう』と恐れていた。だから、手綱を中途半端にしか引けていなかったのだ。


 こんな弱い合図では、利口な馬は『これは無視してもよいのかな』と感じてしまうものだ。


 ――無視しちゃだめなんだ――

 馬にこう思わせなくてはならない。

 

 サトの指摘は正鵠せいこくを射ていた。


「なるほど。そうだったのですか……」


 彼女は、覗きこんで、馬に問うようにつぶやいた。

 サトも彼女の視線に釣られるように、暴走した馬に視線を落とした。


 こうして炬火に照らされた馬の顔と立派な体躯たいくを見て、ついに気がつく。


 ――これは主が乗っていった馬ではないか――

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る