第三話 出会い

 変わり者の師にさまざまな指導をうけて、一年の歳月が経った。 師のいう『真理』というものをいくつか理解はした。その真理は、師の大言どおり、さまざまなことに応用がきいた。


 むろん、なかには難解でいまだに理解できていない、あるいはどうしても納得できない教えもあった。

 が、それでもソラのなかには、自信というものが芽吹きはじめていた。

 『学ぶ』とは、単に知識を得るためにするものではなく、己の人格を形作るためにするものだとはよくいわれることだ。


 しかし、である。

 『立身出世』という、彼のかねてよりの宿願の達成は全く見通しが立っていなかった。

 それどころか、アシュヴィとアタイの戦争も、ソラが留学をはじめて一年も経たずして、休戦協定が結ばれた。『隣国が荒れていれば、好機が生まれるはずだ』というソラの見通しは、もろくも崩れ去った。


 ――世界の荒波に飛びこむ自信はそこそこついた。しかし、いまだに好機が訪れぬ――


 ソラは辛抱強く、じっと待っていた。

 一躍、自らの名を世に知らしめられるような、『何か』を――


 

 さて、今の今まで、のどの渇きをうるおしていたソラの馬が、いなないた。

 ソラは顔をはっとあげる。

 ずいぶん長い間、思索にふけってしまっていたらしかった。

 

 彼方かなたの地平をみると、夕日が沈んでいくところであった。


 ――冷えてきたな――


 このころには、ソラも師と同じ、フードつきのだぶついたローブを着ていた。

 すこしでも体が冷えるのを防ぐように、フードを被って立ちあがる。

 拍子に、背中に背負った弓と矢筒が揺れて、音をたてた。


 ――そろそろ隊商に合流しよう。あまり遅くなると、サトに、また苦言を呈されるわ――

 サトとはソラの唯一の家臣であり、友である。

 

 ちょうどソラが川から離れるために、馬に乗ろうとしたときだった。背後の森の中で妙な気配がした。直後、ざわざわと、小うるさく草をはらう音。


 ――賊か野獣か。複数いるな――


 草を払う音が折り重なって、聞こえることから、音の主は『彼』ではなく『彼ら』であることだけは、はっきりと読みとれた。ソラは師の教えにのっとり、身構えることもなく、音がした森にむき直り、自若と待った。


 ソラの持つ武器は、従来の剣とは違い、木の枝のように曲がった形状をしている。突くことよりも斬ることに特化したもので、『曲刀きょくとう』と呼ぶ。

 本来、遊牧民独自の代物であったが、最近では農耕民にも、これを好んで携帯しているものは多い。

 さて、次に聞こえてきたのは、獣のうめき声でもなければ、賊の怒号でもなかった。若い女の声だった。


「だれかたすけて……だれかっ」


 むせながら、森から二人の少女が転がり込むように出てくる。つまり、先ほどまでの気配の主は、『彼』でも『彼ら』でもなく『彼女ら』であったのだ。


 ――敵意は微塵みじんも感じない――


 彼女たちが、敵でないのは火をみるより、あきらかだった。

 ソラは、地面に力なく倒れている彼女たちのほうに駆けよる。

 見ると、どちらもきれいな少女だった。一人は、美しい、しなやかな黒髪、もう一人は夕日に映える金髪。


 しかし、美しい見た目も、ボロボロの格好で台無しだった。

 彼女たちの衣服は、あちらこちらが破れて、泥で色あせている。


 ――寝間着ねまきだな。この様子だと、夜通し逃げてきたか――


 か細い少女がふたり、森の中、夜の恐怖と戦いながら、駆けてきたのだと考えると、その労苦は、想像を絶する。


「立てるか? なにがあったのだ」


 ソラは意識が比較的はっきりしている黒髪の娘に手を差し出す。彼女はうつろな表情を浮かべながらも、必死に彼の手を握った。


 もうろうとして、地面に横たわっている金髪の少女も、抱き起こしてやる。彼女はなにかいわんとしているが、気の毒に、疲労で、もはや声すら出せないようであった。


「村が襲われて……、それでカラガラ逃げて……」


 先に立たせてもらった黒髪の少女が、木にもたれ掛かりながら、息も絶え絶えに、言葉を紡いだ。


「村が襲われた……?いずこの村か」


「ここから、北東の。それより、彼らがまだ近くに。気をつけて」


 ――追っ手か――


 ソラは彼女たちが、出てきた森の様子をうかがう。しかし、別段、気配は感じない。


 ――村が襲われたとは。詰めていた警護の兵士は何をしていたのか――

 通常、村にも、街や城から配備された護衛の兵士が、詰め所に詰めているはずだ。ミクトレンの村々は少なくとも、そうだ。


 それらの兵士の目を盗んだか、あるいは兵士もろとも殺したか。いずれにしろ、ただの山賊・盗賊のしわざではない。


 ――いそぎ、隊商に合流せねば――

 尋常ならぬ輩がこのあたりにいることを知らせるためにも、彼女たちを休ませるためにも、急ぎ帰還したほうがいいとソラは判断した。


 ソラは視線を森から、黒髪の少女に戻して、


「ここからすぐのところに、私の仲間がいる。彼らと合流する」


 といった。彼女たちを安心させるように、努めて優しい声で。


「わ、わかったわ……」


 彼女とて、出会ったばかりの少年を本当に信頼してよいか、わからない。

 だが、敵に追われている上、もはや妹が満身創痍まんしんそういで動けない今、目の前の少年を信じるより彼女に道はない。


 ――俺が両手でひとりを抱えて、うしろにもうひとりが乗れば、なんとか一頭の馬で三人が移動できるか――


 遊牧民族は、その日常の大半を馬上で送る。だから、女から子供にいたるまで、馬に乗れない者など、いない。かつて幾度も、遊牧民族と農耕民族との戦いがあったが、その都度、馬術に、圧倒的に劣る農耕民族は後塵こうじんを拝してきた。


 さて、そんな遊牧民のなかでも、幼きときより秀でた馬術を誇っていたソラだから、一人を両手に抱えて、手綱を握らず、足のみで馬の走る方向を操ることなど、いとも簡単だった。『簡単だった』と書いたが、農耕民族にとっては神業に等しい。


 ――これしきのこと、『騎射きしゃ』に比べればたやすい――


 『騎射』というのは文字通り、馬に乗りながら、標的を弓で射抜くことである。

 手綱から両手を離し、足で馬を御するのはもちろん、『弓を構えて』、『矢をつがえて』、『引いて』、『敵を狙って』、『射る』という一連の動作をせねばならない。馬上で半ば立つような体勢になるから、体のバランスを保てなければ、即落馬につながる。

 

 こんな騎射に比べれば、確かにたやすいだろう。しかし、この『騎射』すら、遊牧民の男子は幼いころより、日常茶飯事的に練習をしている。そう狩りだ。結局遊牧民族は日常生活そのものが、騎兵としての訓練なのだ。農耕民族の騎兵など、これとまともにぶつかったら、ひとたまりもないのは当然だった。


 ソラは、一端、金髪の少女をもうひとりの彼女にあずける。そして、手綱を引いて、馬を連れてきた。すると、さきほどまで、ぐったりしていた金髪の彼女は、力をすこしばかり取り戻したのか、おぼつかないながらも、立ちあがっていた。


 遠くでなにかが弾かれるような音がした。まわりが、川のせせらぎ以外、静かであったのもあるだろうが、そもそもソラの耳は元来より、すこぶるよい。加えて、師の指導により、つちかわれ、研ぎ澄まされた神経もある。造作はなかった。


 ソラは、腰の曲刀を抜き払った。彼の被っていたフードはとれた。


「ひっ……」


 ソラの剣が地面にはじき落としたものを見て、金髪の少女は小さい悲鳴をあげる。それはまごうことなき『矢』であった。


 じっと見ると、川の対岸に、弓を構えた者が数人。

 弓を持たず、剣を抜いて、川の浅い部分を渡ってくる輩も数人。

 どちらも、きっちりとよろいを身に着けており、それが夕日のなかで、綺麗なまでに光っている。


 ――やつらが、彼女のいっていた『追っ手』か? 賊にしては、あまりに立派な装備ではないか――


 敵の弓兵は、少女たちに攻撃の手を伸ばす。


 間一髪、ソラが間に入り、矢をはらう。


 しかし、当然のごとく、剣では、すべての矢をはらえずに、ソラの腕に痛みが走った。


「馬に乗れ!」


 ソラは痛みに構わず、敵のほうをむきながら、背後の少女たちに叫ぶ。彼女らは馬など、一度しか乗ったことはなかったが、そんなことをいっている場合ではない。


 まず黒髪のほうが、馬に駆けのぼる。馬に乗り慣れていないわりには、素早い動きだった。そうして、金髪の少女が、先に乗った彼女に引きあげられて、なんとかうしろに乗る。


 その間も、敵の手による矢は飛んできていたが、なんとかソラが壁になる。

 

 ――こんなことなら、『サト』が勧めたように、盾でも持ってくればよかったわ!――

 と、たったひとりの家臣のことを思いながら、ソラは後悔していた。


「はやく!」


 馬に騎乗した二人が叫ぶ。


 でも、ソラは、はなから馬に乗って、敵前より退しりぞく気はなかった。


 ――第一、そんな風に乗ってしまっては、俺が乗る場所などないわ――


 ソラがいくら、男にしては体が小さいといっても、ふたりのさらにうしろに乗ることは不可能。

 かといって、前の少女の膝の上に座ったところで、馬術に長けていない彼女では、ソラを抱えながら、馬をぎょすのはとてもできない。


 ――もとより、退いてやる気など毛頭ないから、よいが――


 どう考えても、ただの賊ではない。では連中の正体はなんなのか。彼は自分の目で確かめるつもりだった。


 「しっかりつかまれよ。落馬で死んでも、俺は責任を負えんからな」


 へりくだって、おのれのことを『私』という余裕はなかった。

 ソラはむちを入れる要領で、剣の柄で、馬の尻をたたいた。


 二人を乗せた馬は飛ぶように駆けだした。

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