第一話 生き方

 残光の中、少年ソラは、キラキラと光を反射して輝く水面を見つめていた。正確にいうならば、川の中のさまざまな事物を見つめていた。大雨の影響で一時、荒れていた川はすっかりと落ちつきを取り戻していた。

 

 水面近くで、流れに翻弄ほんろうされるがままでいる藻屑もくず、川底に沈んだ石の影に、じっと身を隠して流れをしのいでいる虫、流れのない入り江でゆったりと泳ぐ大魚、あえて流れに逆らい、懸命にあがく小魚。

 

 なにも川に限ったことではなく、自然界の事物のありようはそのまま人の生き方を表しているように思えたから、彼は自然の営みを観察するのがとても好きだった。

 

 世の潮流に流されるままに生きている者、なんとか名家なり大国なりのよりどころを見つけて耐え忍ぶ者、そもそも煩わしい世を避けて悠然と生きていく者、世のできごとに、なりゆきのまま身を任すことをよしとはせず、抗う者。


 ――俺はどんな生き方をすればよいのか。最上の生き方とはなんなのか――

 ソラには漠然とした野心がある。

 ――――この乱世に生まれたからには、皆をあっと驚かせるような生き方がしたい――


 『魔都まとアポクリポス』の崩壊により、人々は『魔術師』の支配から脱却し、大陸に大小さまざまな国が林立。それぞれの国が覇権をめぐって、しのぎを削る。こういった乱れた時代であれば、誰もがそういう夢想を少なからず持っているのは当然だった。ソラも例に漏れない。

 しかしそれが、はたして最上の生き方なのかと自問してみると、わからなかった。


 ソラは大陸の東部一帯に広がる『ハノンフェルト平原』の遊牧民族、『タイス族』の長の末子である。

 『ハノンフェルトのタイス族』といわれれば、大陸史に明るい人なら、まず『ヘイムリトン』という怪物の名を思い浮かべるだろう。彼は兄を殺して、実力で族長となると、他の遊牧民を次々に切り従え、ついには農耕民の国にまで牙を剥いた。

 

 ソラにもこの猛獣の血が宿っている。

 

 ただし、一口に族長の子といっても、父サインにはソラをふくめて、十一人もの子がいた。族長は子孫を残すため、特別に一夫多妻制を敷いていたから、子の数が多いのはごく自然なことだった。


 族長の地位はもちろん、それを補佐する座も年上の兄たちが手にするだろう。

 となるとタイス族の中では、ソラの前途は開けそうにない。


 ――このまま俺は、大陸の歴史上、どこにでも存在した『大族のうだつのあがらない末子』として、埋没していくしかないのか……――


 ソラの閉塞へいそくした気持ちを察したのか、ソラが十六歳になった夜、実母はある提案をした。


「ソラよ。あなた、『下界』へ留学にゆきなさい。母が父に頼んであげましょう」

 

 ハノンフェルトの遊牧民は、誇りの高さからか、農耕民族の住む場所は全て『下界』と呼ぶ。その場所が大陸のどこに位置しようと、農耕民族の国なら『下界』である。

 子をおもう母の提案に、最初こそ、ソラは渋い返答をした。

 末子というやるせない立場であってもタイス族の皆を大切に思っていたし、なにより長年親しんだ故郷ハノンフェルトの風をしばらく味わえないのはつらいと思った。

 

 だが、ソラはよくよく熟考した。

 ――農耕民の国へとゆくほうが、可能性は非常に薄いながらもあるのではないか? ここに居座り続けていては、可能性すらない――

 ソラはついに、農耕国への留学を決意した。

 

 母に決意の表明をしたところ、留学地に二つの候補があるといわれた。

 一つ目の候補地は北の小国バルジャの街アトトリ、二つ目は南の小国ミクトレンの首都エールイアだった。


 どちらの地にもサインの、信頼のおける知り合いがおり、なおかつ比較的平穏な場所だった。息子がなるべく留学中に、戦争や悲惨な事件に巻き込まれないように、と父が考えてくれたのだろう。サインにとってソラは、確かにたくさんの息子の中の一人だったが、それでも父は間違いなく息子たち全員の幸せを願っていた。

 

 この父の配慮、本来ならばありがたいものだったはずだが、大望あるソラにとっては迷惑なものでしかなかった。なぜなら、身分の低い者が他国で出世するには、その国内にてなんらかの事件が必須といってもよいからだ。もちろん、他人の不幸を願うわけではないが、あまりに平和で、王や民が現状に満足している国ではよそ者のソラなど、どれだけ研鑽けんさんを積んでも不要でしかないのだ。

 

 ただ、もっと乱れた場所へ行きたいなどといえば、隠しに隠してきた栄光への憧れを父に知られてしまうと危惧したので、ソラはおとなしくこの二つの候補地から選択するせざるをえなかった。

 この二択であれば、迷わず、『エールイア』を選択した。出発は一年後とのことだった。

 エールイアは大陸南西部に位置する小さき国ミクトレンの首都であり、平和的で文化が花開いた素晴らしい街である。しかし、ソラの目当ては実はそこにない。


 お目当ては二つ。


 一つ目は『名将トマスを輩出はいしゅつしたヘリロイが近いこと』、二つ目は『隣国のアシュヴィ国とアタイ国はよく争っていること』だ。

 『トマス』は、小国ヘリロイの君主となると、瞬く間に国を南部最大の勢力に押しあげた大陸史に残る名将にして、名君である。トマスを失ったヘリロイが一気に衰退したのをみれば、いかに彼の手腕が高かったのか、うかがい知れるというものだ。読書家であるソラは、さまざまな書物でこの男の名を見た。彼も末子であり、本来君主になるはずの人物ではなかった。そんな彼が好機をつかみ、名を不朽ふきゅうの物にした。同じ末子に生まれた者として、彼には尊敬の念を抱かずにはいられない。

 

 また留学するミクトレン自体は平和でも、近隣諸国がうるさければ、出世の機会はあるはずだとソラは考えていた。ちなみに現在、ミクトレンは、アシュヴィとアタイの両国、どちらの側にも味方しておらず、中立を保っている。

 

 十七歳の誕生日を迎えたのち、長旅の末、ようやくエールイアに着いたソラは、父の知り合いの商人コニウェンの世話になることになった。コニウェンは地域一帯に強い影響力を持つ大商人である。

 ソラはさっそく、ヤムウスという学者の門をたたいた。彼は政治・軍事に精通した物静かな研究者であり、大業を成したいソラにはうってつけの師匠のはずであった。

 しかし、彼のもとで教えをうけたものの、なにか釈然としない。学べば学ぶほど、知識は増えた。だが、心は充実しない。


 ――ヤムウス先生はもちろん無能ではない。優秀な人だ。それなのになぜだ――


 結局、ソラはヤムウスのもとで一年間学んだだけで、彼のもとを去った。もちろん手は抜いていない。政治に軍事に文化と、指導者に必要とされる知識を彼から吸収した。


 まがりなりにも一国の首都エールイアだ。他の学者もいる。

 ――ヤムウス先生のもとでなくとも、学ぶことはできるはず――

 そう気を取り直して、ソラは次の師を探しはじめた。


 次の師を探しながら、ソラはさまざまな書物を手に入れては、読み漁っていた。

 あの日も、ソラは街のはずれにある広場の枯れ木の下で、読書に励んでいた。そこで一人の老人に話しかけられた。


「おい、小僧」


 老人にありがちな、しわがれた声ではなく、かといって滑らかすぎることもない声。高くもなく、低くもない、抑揚のない声だった。


 あまりにも抑揚がなかったため、ソラはその声が、本当に人間から発せられたものなのかと、疑った。声がまるで天から降ってきたのかのような、妙な錯覚にソラは陥る。


 いやそれは本当に天からの声だったのかもしれない。

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