二十四/aura scintilla (et teleportatio)
「小澤、おまえ、マリヤに捕まっていた時のことは覚えていないか」
「全然」
泥のような色をして言った。
「ねえ、あたしどうなるの?」
「わからない」
和久田はそう答えるよりほかなかった。いや悲観的な予想はいくらでもできた。全身を砕き折られるかもしれない。むしろ内臓を破壊する類いかもしれない。突如として幻覚を見て錯乱した二人は意識と身体の接続のままならぬ半昏睡状態にあった。このまま老衰死の瞬間まで、白痴の老人のようになったまま意識の閾をさまようことになるかもしれない。だがおそらくは最後の、最大の標的である小澤が、一度は無傷で帰ってきた。その事実は不気味だった。彼女に何が起こるのか、自白すれば、皆目つかむことができなかった。
検分したところ本当に小澤の身には何事もなかった。彼女は和久田がいることはともかく、そこに武藤が連れ立っていることを不思議がった。この女生徒は入学当初から孤立気味だったところに、日本語堪能の留学生フェルミと和久田という二人に第三項として紛れこんだ奇妙なプロファイルを持ち、留学生に滅法敵意を抱いているらしかった。
それがどうしてこんなところにいるのか?
意味が分からなかった。今はそのようなことにかかずらっていられる時ではなかった。
小澤と和久田とで時に改めて電話をかけたが、やはり通じなかった。
和久田に着信があった。
「ごめん、フェルミからだ」
そ、ごゆっくり……小澤はそう言って彼を見送り、和久田は二人からやや離れて、建物の前の交差の彼方で、声を潜めて話した。
「武藤さんはさあ」
「はい」
「和久田と付き合ってんの? それとも何、略奪愛?」
彼女はそれには答えず肩を怯えるように竦めて、首を縮めて俯き、輪をかけて白くなっていた肌がにわかに紅潮するのが見えた。それで小澤は覚めて質問は打ち切られた。
和久田が戻ってきた。
「とりあえず『青い花』に行こう」
そこで武藤は別れ、和久田と小澤とで喫茶『青い花』に向かった。
時と他の面子は二人の到着から三十分ほどしてそこにたどりついた。
全員で情報を共有した。
一、マリヤが間に化けて時らを足止めし、やはりたった一人で全員を袋叩きにしてそれ以上の追跡を不可能にした。
二、おそらくは一の後に瞬間移動能力で西門の許へ向かい、彼を多少とも暴力的な手段で彼を連行する。
三、これは明確に二の後、和久田、小澤の前に姿を現し、勝ち誇るようにしゃべり、去る。(勝利宣言のつもりか? 意味不明。武藤がいたことは和久田も小澤も話すことがなかった)
最早警察権力の手に負えないことは誰の目にも明らかだった。現実の権力は現実の存在を相手にするなら、その小さな一個人に対しては無上ともいえる大権をもちいて、高校生一人など簡単に縄にかけることができるだろう。だが超常に対しては不可能だった。仮令そのパルタイがたった一人個人であってさえ、人間組織が振るいうる力は微弱なものだった。何より官僚組織はパルタイのような得体の知れないものについては、その存在すらみとめるわけにはいかないだろう。そしてまさにそのゆえに、彼らの非現実の力に対処することができない。
もはやどうすることも出来ない。何をすることも出来ない。そんな無力感に包まれる中、唯一和久田だけは、仏頂面の裏で、興奮気味に、フェルミの言葉を反芻しながら、
フェルミが言うにはこうだった。
『殺しましょう、マリヤを』
――またどうして?
『マリヤと戦い、勝ち、殺しなさい。いや殺すのはムトウさんがやってくれるかもしれないけれど、一度くらいまともにあのマリヤに勝たないことには《怪人》の名が廃る』
沈んだぎりの喫茶店を抜け出してフェルミの住まうアパートに入ると、そこにはフェルミのみならずドミトリの姿もあった。道すがら合流していた武藤は殺風景な部屋に刺々しい視線を投げつけながら用件を聞くと、以前和久田が手にしていた《ディング》、遠隔通信機能を持った、超常の力の展開具が配られる。橙色のスイッチをもった、ちょうど和久田の握りこぶしに一回り小さいほどの機械に手を伸ばしたところで、武藤が横から奪い取った。
『瞬間移動内蔵です』
フェルミが握り込んだ機械のスイッチを押すとその足許に橙色の文字が浮かび、床諸共消え、青い髪が取り残されながら体がまっすぐ落ちる。窓際の天井から脚から落ちてきて、青い光の翼を広げ静かに着地する。床のみならず天井に穴が開いていて、十秒もすると閉じた。
『壁と壁、床と床を繋げるのが一番やりやすいんじゃないかと思いますがね。ボタンを押したときの視点から目視できる場所には自由に移動できます。あと見えないところに移動したい場合はあらかじめ位置情報を登録しておくか、相当強くはっきり「ここ!」と想像してかからないと、少なからず場所がずれます。物にめりこまないように自動で位置を修正しますけど、不確かは不確かですね』
「じゃあマリヤの潜伏場所はわかってるんだな」
『ええ』スイッチを構える武藤を制して、もったいぶった調子で言う。『ただ、まだそこには彼女がいないみたいなんですよ』
「誰?」
『決まってるでしょう、マリヤと契約した人間ですよ。ハザマミウ』
二人はわずかに顔を見合わせた。武藤も和久田もそのひととなりを知らない名前だった。
『トキさんたちが行った時に観測気球くらいは飛ばしてますからね、彼女に気取られない程度に遠くから、まあ野生の勘があるでもないしかなり接近できるんですが、今はまだご友人とお遊びに興じているらしいんですね。ただ、まあ、あと二時間もなしに解散するでしょう』
武藤は自分が手に取ったディングをためつすがめつし、それとないふうにフェルミを睨みつける……何のために? 何故パルタイが同属の活動の邪魔をし、あまつさえ命を奪おうとしている?
彼女はフェルミの最終目的を知らなかった。和久田もそのすべてを明かしたわけではなかった。和久田も、ちょうど柑橘類の実のような見てくれをした機械を見た。
一つ確かめなければならないことがある、そう思った。そしてそのためには、間に会わなければならない。
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