ⅴ Logia/事件.五日目

二十二/突撃部隊

「フェルミ、おれ、またマリヤのところに行くよ」

 ビルディングの陰で電話をかけた。フェルミは黙っていた。

「武藤が言うんだ、マリヤは殺さなきゃならないって。おれは武藤には従うから、ううん、おれは武藤に従いたいと願っているから、そうすることにする。ごめんフェルミ、おまえの、言ったら家族みたいなものなのにな、マリヤは」

『別に』

 別に、とフェルミは言った。それきりしばらく黙っていた。それからまた言った。

『パルタイは、ほら、いわばのつながりしかありませんから。弟みたいなもんだって言いましたけど、所詮「みたい」止まりだし。だからこの際どうでもいいんですよ、マリヤが死のうが死ぬまいが。でも徹、あなたが死ぬのはいけない。そういう話でかけてきたんでしょう?』

 念のため、正規の手順でザインを展開できるようフェルミの方から操作してほしかった。左のブレスレットに《七星天道》固定、左手首から全身を覆う粘液の展開を経て固形化による《鎧》の生成。彼女も今やそれを承諾し、和久田は彼の仕える美神と共に市中に潜むマリヤの捜索に乗り出した。

 その少し後、家を出た間美羽を尾行する時等四五人はやや離れた間隔でもって横浜で降りた彼女を追跡していた。小澤が昨日から一昼夜の内に解放されたという報せは今のところ誰にも入ってきていなかった。早い時刻から日が白々しく照って、間はうってかわって明るい色合いに身を包んで西口で待ち合わせた友人と連れ立ち歩き出した。

 間の一行は三人組で中央の通りを外れてやや細い道を歩いた。五人は電柱や建物の陰に隠れるようにして距離を保ちながら間を観察していた。これといった特異な気配は感ぜられない……本当にあの間がパルタイに連なる力を存分に振るっていたのだろうか? その場で尾行していた五人が五人ともにわかに信じられないことだった。復讐というのだって動いているのはただあのマリヤだけで、間はあくまで彼に依頼したにすぎない。時をはじめとする彼らにとって、間美羽は所詮の一語で括りえる間だった。所詮はあの間が、手ずから自分たちをどうこうできるなどとは、考えられなかった。

 休日だった。和久田も本腰を入れてマリヤの調査にあたっていた。その彼に一報入れる……和久田は武藤と共にあるアパートにたどりついたところだった。新しい怪人を除いて武藤のことは知らない。武藤は丸腰で、和久田は木刀を持って捜索していたところ、住宅街の一区画に、これ見よがしに《超常》独特の波=粒子をまきちらしている一室のあるのを肌で感じていた。そこに電話がかかった。

 ――今横浜で間を尾けてる。そっちは?

 ――マリヤの隠れ家に来た。今目の前だ。

 和久田はパルタイに広まっているらしい瞬間移動能力が気がかりだった。時等の方には超常の力を扱える人間はいるはずもない。間一人を相手にするにも危険だった。少しでも足止めを考えたかった。しかし足止め? 武藤の目に宿る光は赫々と死と断頭を宣告していた。アパートの、さほど広くもない一室である。二人がかりでならばあるいは……

 ――川崎ね? 多分平気だろうけど、足止めよろしく。間に集中できればそれがいいから。

 時はそう言って通話を切った。言葉通りに間の追跡に専念するようだった。

 和久田は武藤と目配せ一つして彼を前に(肉の盾というわけだ)アパートの階段を上って行った。昼のアパートの通路には誰一人として出歩く影がなかった。それは周りの住宅街の道も同様だった。白日の光線が地面をじりじり焼く昼だった。手首に展開された円環にふれた。それは黄道の円環だった。太陽が一回りし沈んでは死に、蘇っては昇る軌道の概念図だった。


 人間の生活の感じられないがらんどうの部屋の中央にマリヤは陣取っていた。三層の鎧で顔面を覆った和久田はひと跳びに跳び、掌大の扇状の刃物を弾いて、回避され床を転がって体勢をたて直したところで、マリヤは次いで武藤の爪裁きをまったく余裕の表情でふりほどいた。再び飛ぶ扇状の刃。あたかも空間を走るノイズのように黒い鱗は瞬いて床や天井にまで突き刺さる。マリヤは時折腰を基点に白い長髪を振り乱して腕を張り出して周囲全体に刃をばらまきながらバックステップで軽々と攻撃をいなしていく。

 和久田は手にしていた木刀を見る……その木刀は彼が今纏う鎧と同じ材質、丁度マリヤの弾幕の材質と同じもので隙間なく覆われ、いちだんと重い半鉱質のロッドとなっていた。問題は握った手の上から鎧が展開されたために棒と手が一体化していることで、取り回しが甚悪い……和久田は左に跳んで武藤の爪を避けたマリヤに狙いを定めて横合いから脳天へ振り下ろした。マリヤが右手を低く挙げて拳を握る。柄と、それから白々しく光る三角の刀身がロッドをはじき返す。、和久田は内心毒づいた、

 脇の空いた懐へマリヤの追撃。真一文字に横一振り。しかし彼の鎧は快刀乱麻を断つという風にはいかなかった。胸に虹色の火花が散るきり、次いで構えから突きに移る背後で斜めに剣閃四つ、地を這い壁を伝って影法師を斬る。

 。空中を転がり縦の高さで再び振り下ろす棒の壁に届くときにはマリヤは三角に床を蹴り壁を蹴り天井を蹴りして縦の高さに鎧共々踏み潰しにかかる。もう剣は持っていない。体を横に二度回転させて避ける。足裏はやもりのように吸い付いている。マリヤはそれを見て急に笑った。

 着地して一拍動きの止まったマリヤに狙いを定めてバッターボックスのフルスイングの要領で横に、彼女の頭の真上から殴りつける。

 鈍い打撲音。くずおれるマリヤに兎が駄目押しと迫るところで、頸のあたり、皮膚の内側から発したという厭に致命的な音と共に、彼女の左肩、パルタイの体を維持すべく内側に貯め込まれた人間の《生命への意志》の数を示すフラクトゥールがそのカウントを変えた…………19・16。

 白い瞳の輝きがいっそう強まる。《意志》はパルタイの《残機数》であると同時に、変換しやすい高効率なエネルギー源でもあった。左指の爪、これもまた白く輝くマニキュアが塗られていた、強く輝き、細い指が内側の超常の黒をあらわにし、むらのない円筒形に膨れ上がり、伸長し、牙を剥く……五匹の長大なサーペントが武藤に迫り、二匹が切り刻まれ、三匹が腕に脚に胴に巻きついた。

 蛇と格闘する武藤を尻目にマリヤは今度は右に剣を持ち換え、見違えるばかりの太刀捌きで猛攻を開始した。人間には斬られただけの痛みを堪え、超常であれば問答無用に《斬る》刀剣であるらしい、その代物は、堅牢な人間大の甲虫の鎧をも確実に削り取る。

 スナップひとつで剣先で鼻先をかすめ、次いで上から下にさっとくる一撃が重い。ロッドで半端にいなして右手で刀身を掴んで受け止めると、鎧が割れては生成を繰り返して白んだ虹色の火花が止まらず、床を這うような鍔迫り合いから一歩下がって抜き身を見るとそれまでふれていたところが刃こぼれし、萎れていた。

 振り下ろす和久田の太刀筋を紙一重ですりぬけてマリヤは彼の腕にぴったりはりつくほどに接近する。光る刀剣を手首の返しで投げ捨て、和久田の、木刀を持った左腕にとびすがり、関節を極める――

 和久田の鎧の表面は鉱質様に硬化していたが、その下の、関節をはじめ皮膚に接する部分は、充分可動域の確保のため展開時に見られるような流体を保っていた。そしてその流体部分も硬化して、肉体を破壊から守る。

 腕に組みついたマリヤは動きをぴたりと止めたまま、次手への初動が遅れた。その遅れが命取りだった。逆に和久田の方がマリヤの襟と腕を鷲掴みにし、がっちりと組み合ったところで浮遊否黒兎目がけて落下、拘束を断ち斬った武藤も爪の展開を四尺まで延長し、落ちてきたマリヤの背から腹までを斜めに斬り開くべく構える。そして死への意志の極限まで込められた爪が黒いマリヤの背にふれたとき、音を立てて爪は消し飛び、毒々しい怪人の像はまたたく間に断ち割られて、裏返った虚実の像の下から半裸の肢体がまろびでた。

 ……その肉の体は、意識もなく、ひどい有様をしていたが、ほかならぬ小澤だった。殴打した頭部と首周りを検分しようと前に出る和久田を制して武藤が打ち身の様子を見、それから脈をはかった。深い眠りについている様子だった。

 部屋には調度一つなかった。殺風景だった。仁王立ちだった。仁王立ちのまま震えていた。

「武藤、それは小澤なんだな」

「ええ」

「すると、まずいぞ、まずい」

「こちらは囮だったということになる、本命はやはり間の方に」

「それだけじゃない。二人ともだ、二人とも向こうに行ってる!」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る