十七/《ザイン》緑柱××蜂、あるいは仮面(1)

 これまでの襲撃から、少なくともマリヤが得体のしれない拘束具の類を使わないことはわかっていたので、その日西門と和久田は小澤を守るようにして三人で帰宅の途に就くことにした。マリヤが変身能力を持つことは伝えていなかった。衆人環視の中であの力を使うとは思われなかったし、仮にしらせていたところで一体どうなるというのだろう? 西門にも、当然小澤にも、《超常》を前にして一つの対抗策をも持っていないのだから。

 季節外れなほど暑い日だった。ひとえに陽気といって手放しに片付けるには気温が高すぎる。新城駅に向かう道路のアスファルトは夏の日差しにじりじりと焼かれて、遠くには陽炎さえ見えるほどだった。そのうだるような暑さの中を三人して何一つ言葉を交わさないまま駅前まで伸びる片側二車線の街道を北へ歩いていると、アスファルトの陽炎の彼方でぬるりと光って前触れなしに現れる影があった。

 前触れなしに? いや、テレポーテーションで現れたわけではない、確かに向こうからまっすぐ歩いてきたのだ。だが和久田には、すぐ目の前に現れた黒ずくめの男が、ちょうど街道から住宅街にのびる細い道の一本から現れたようにも思えた。

 牛の革がざらざらした、と同時に滑らかな光の反射を見せて輝く。靴紐を通すブーツの丸い金具がつるりと光る。左胸のワッペンは表面を蛇革の模様に加工されて、中世騎士のエンブレムのように諸々のモチーフが一面に配置されている。白い髪は中央のラインを残して剃られ、残ったものは皆逆立ってまっすぐ上を向いていた。

 怒髪天を衝く? いや、その顔は満面に笑みを浮かべているのである。

 ペースを速めているのか、あるいはもうほとんど《復讐》は終わっていて、最後の仕上げと小澤と西門を捕えに来たのか、《パルタイ》マリヤは全身黒ずくめで、空間を焼く超常の波をふりまきながら、あたかも死神のようにやってきた。


    ――やあ、諸君。


 声――

 和久田が一歩早かった。それでも、三人の後ろから振り込められた拳を受け止めるしかできない。

 まさしく蜃気楼、陽炎だった。正面から近付いていたマリヤの影は、真後ろから近付いていた彼を写し取った虚像だったのだ。

『しまったなあ、いけると思ったんだが』

 拳を掴まれたのもものともせずにもう片方で殴り、蹴る。和久田の方は走り込んで拳を受け止めたせいで重心がとれていなかったのが不利にはたらいた。気付けばマリヤはむしろ和久田を傷めつけることが目的であったかと思われるほど執拗に彼をいたぶる。

『君達が一体どんな罪状で起訴されるかはもうわかっているんだろう?』

 マリヤは二人に言った。

『皆まで言わなくていいんだ! わかっていればそれでいいんだ、そうだろう? 君もそう思うよな、ワクタくん?』

 嗜虐的な光を灯してマリヤは言った。その目を見て和久田は、肌に突き刺した先のとがった金属棒で内側まで肉をじりじりと裂かれる、体の奥まで染み通るような痛みと、言い知れぬ嫌悪を感じた。一つには考えを見透かされている嫌悪で、一つは同族に対する不快さだった。

 しかし、どうすることもできない。マリヤは今度は警棒を振り上げる。西門が言った。

「ぼくを殴ればいい! そうでしょうが、違いますか」

 白いパルタイはにっこりと笑う。

『生憎だ、君は、一番最後なんだ』

 そして小澤の方を向く。

『小澤くん。君は、どうだ?』

 警棒を突き付けてそう言う。和久田の目には、その銀色の棒は何ら超常的な要素を帯びていない普通のものに見えた。そして膝をついた彼と二本の脚で立つマリヤの頭上に黒い影となって一個の《死》が落ちてきたとき、その疑いは証明されることとなる。

 ほとんど真上から現れたのは、黒い爪と、続いて長い総白髪の黒ずくめだった。影は手始めに《超常》殺しの爪で警棒を掠め、爪が消えるとそのまま落下に任せて後ろに跳んだマリヤがそれまでいた地点に着地する。影はアリスと呼ばれていた。突然の第三者の闖入に、そして彼の振りまく濃厚な《死》の匂いにたじろぐ西門と小澤は、和久田がつぶやくその名で目の前に現れた黒兎の正体を知った。小澤は辺りを見渡した……では、《カフカ》は?

 アリスの初動は速かった。受け身も防御も考えずまっすぐに手刀の形に揃えた爪で突きを繰り出す。避けるマリヤ。アリスは視線で背後の三人に、特に近くにいた和久田に、サインを送って示した。黒兎の装束が全体から隈無く発する毒々しい殺気を背に三人は駅さして走る。

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